最初で最期の『愛してる』
一年前に書いた新作(予定)のプロローグだったものです。
埃に被っては可哀想だと思い投稿してみました。
神薙雪兎はこの春、高校生になった少年である。
昔からの幼馴染みの少女と共に入学し、そして既に半年ほどの日々を過ごしている。
だが、それは一般的な高校生活とは少し違うものだ。
彼は日常を生きていた。そう、謳歌しているとは口が裂けても言えない。ただ、日常をまるで作業のように、虚ろな世界を淡々と生きているだけだ。
ユキトも高校生活を楽しいとは思ったことがない。壁を自分から作っている彼には当然友人など出来る筈もなく、その状況で充実することなど不可能である。
そんな生活は何も中学生活からではない。
もっと、もっと前から。
それはいつからだっただろう。
きっとユキトが幼稚園時代、それこそ平凡な日常を謳歌していた時代に起きた悲劇。
ユキトの両親が事故で死んだ。
あの日からだ。あの日から明るく社交的だったユキトの人格は死んだ。
両親がいなくなり、親戚付き合いのなかった神薙家で、彼は事実上天涯孤独の身となり、家に引きこもるようになる。
別にユキトはそれから誰にも心を開かなかったわけではない。それこそ、その頃から付き合いのあった幼馴染みである橘美羽だけは別だ。
あの頃のユキトを閉じ籠もった世界から引っ張り出したのは他でもない彼女だった。どんな想いを持って救い出したのかは判らないが、それでもユキトが彼女に救い出されたのは紛れもない事実だ。
ユキトも、彼女にだけは高校生になった今でも昔のままの自分でいられる。
彼にとって大切な人は亡くなった両親と、彼が今を生きる根源となっている幼馴染みだけだ。
──だから、
「な、なあ、美羽…………今、」
──今、なんて言ったんだ?
学校の帰り道。家が近くにあるため一緒に帰宅の途中であるユキトとミウは横に並び歩いていた。
いつもの通学路。普段はミウが話し掛け、それをユキトが適当に応える。
それが普通だったはずだ。普通で当たり前で、それがこの日も続くと思っていた。これから先も、今が続くと、そう思っていた。
だが、今日だけは違う。
ミウのいつもとは気色の違う言葉に、ユキトは問いで返すしかなかった。
いや、実際にはその言葉はユキトの耳に届いている。届いていて尚、それを理解しようとすることを無意識に拒絶する。
それでも何故また言葉を聞き返したのか。
ミウの言葉が嘘であると言うことを信じたかった部分もある。
この後、「冗談だよ」という言葉を笑って聞けることを期待していた部分もある。
だけど、ユキトの願いが通じることはない。
「……私、波多君に告白されたの。……それで告白を受けようと思うんだけど、ユキくんはどう思う?」
「────」
言葉は、出なかった。
聞き間違いだと、ただの冗談だと都合の良い考えに縋り付いて、それでもユキトの淡い希望は打ち砕かれる。
判っていたはずだ。考えていなかった訳ではなかったはずだ。いつか自分のような人間を置いて、誰かもっと魅力のある人間の下へ行ってしまうことは。
なのにそれを考えないようにしていたのは、これからも側に居てくれると思っていたのは――俺の甘えではないか。
「……は、波多って……クラスメイトの、あの?」
「……うん、そうだよ」
波多はユキトとミウと同じクラスメイトである。
文武両道で容姿に優れ、男女ともに人気が高い少年。クラスに溶け込めていないユキトにも話し掛けてくれる彼に、ユキトは少なくとも好感を持っていた。
実はそれは波多自身が、ミウへの下心から来る優しさだとユキトは気付いていないが。
だが、それを抜いても波多は優しく、信頼出来る男だと言う事をユキトは知っていた。
もし性格や行動に悪い印象を持っていれば、ユキトは異議を唱えることが出来たかもしれない。反対することが出来たかもしれない。いや、出来ただろう。
それでも、波多が自分よりも魅力のある人間だと知っている彼は、反対する理由もない。寧ろ祝福しなければいけない立場だ。
それでも、素直に祝福できない自分がいる。
──あぁ、そうか。
今になって、ユキトは遅まきになって気付く。
自分が何故自然とこんな思考に陥っているのかを。
(……俺は、美羽が好きだったんだな)
もう手遅れな感情。カンナギ・ユキトは恋をする前から、恋に破れる。
ずっと側にいてくれたミウへの感謝と後悔。そう思っても遅いことは判っているけど、それでも……。
「なあ、美羽。俺に一つだけ言わせてくれないか?」
「えっ? うん、別に良いけど」
それでも気持ちを伝えようと思う。気持ちを伝えないままでは、これから上手くやっていける気がしない。
ならば告白し、潔くフラれてしまえばきっと素直に祝福出来るはずだ。それが、ユキトが選んだこれからだった。
「……聞いてくれ。俺は、ずっと前から美羽のことを……ッ!?」
ミウの顔を見ながら告白しようとする瞬間、ミウが背を向けている路地の先に、マスクとサングラスを着けた人物がこちらに向かってくるのをユキトは気付いた。
そして、その人物が血にまみれたナイフを手に持っているのも気付く。
──その凶刃の先にあるのは、危機を察知することの出来ないミウの背中ということも。
「くそッ! 美羽!!」
「えっ? ユキくん!?」
咄嗟にユキトはミウを自分の胸に抱き締め、身体を反転させる。
温かく柔らかな感触。がむしゃらだった意識に、ふとそんな場違いな考えが浮かんだ。小学校以来、ここまで接触することはなく、成長した幼馴染みの華奢な身体はユキトの腕の中にすっぽりと埋まる。
──今、美羽を護るのは俺の仕事だ。
「ぐぁぁああああああああっ!?」
「……………………えっ?」
なにかがぬるりとユキトの脇腹を突き破ってくる感覚。衝撃と共に感じたそれは、痛みを『熱』に変えて脳を鋭く刺激する。
灼熱の業火とはこの事を言うのだろうか。入ってきたナイフが抜かれ、その引っ張られる力に反抗することが出来ずにミウを抱き締めながら地面に倒れた。
ユキトからナイフを抜いた誰かはそのまま逃走していく。それを仰向けになっていたユキトはかろうじて見ることが出来、ミウが被害に遭わなくて良かったと心から安堵した。
「……な、なにこれ……血? ユキ、くん……? ねぇ、なんで倒れてるの? ねぇ、起きてよ……なんで、なんでユキくんが……お願いだから立ってよッ!」
現実は非情だ。
側に居たいと、これからも大切な人を護りたいと思った矢先の離別。ユキトは流れる血液と共に自分が死ぬ時間が近づいてくるのを悟っていた。
あの犯人がナイフをそのまま突き立てていれば変わったかもしれない。だが、抜いたことで多量の血液は無情にもユキトの身体から抜けていってしまう。
「――み……う…………」
「っ!? ユキくん! 良かった……今すぐ救急車を呼ぶからね……もう少しだけだから、頑張って……」
涙で泣き腫らした目が、薄れゆく視界で捉える事が出来た。
ずっと泣き虫だった彼女は、高校生になっても変わらない。ユキトを必死で救いたいと、そう思ってくれている。その事がどれだけユキトにとって嬉しくて、悲しい事か。
「……お……れは」
「お願いだから喋らないでッ! お願い……だから……ッ!」
血の気が去り、どんどん白くなっていくユキトの顔に、ミウは絶望しながらも必死で傷口にハンカチを押さえつけ命を繋ぎ止めようとしている。
ふわふわとした感覚で、ユキトの五感は殆ど消え去っていた。音が遠ざかり、匂いが消える。地面の感覚もない。口に溜まっていた血の味が無くなり、視界が黒く染まる。もう、ミウの顔も見えない。
──それでも、伝えないといけない。
「……おれ、は……みうの、こと──」
──愛してる。
そう言って、ユキトは笑った。
いや、既に感覚もないユキトは笑っていることさえ判らない。でも、精一杯の笑顔をミウに見せたかった。
お前のせいじゃない。俺は幸せだった。波多と幸せにいられるように。そう意思を込めて。
ユキトに後悔はなかった。自分にとっての幸せはミウの幸せである。
最期に告白することが出来、大切な幼馴染みを護ることが出来た。それの、なにが不幸だというのか。
もうなにも見えない。なにも感じない。
そうやってユキトの意識は薄れていく。なにかに包まれているように不思議な安心感。
その中で消え去るなら悪くない。幼馴染みに看取られながら逝くのも悪くはない。だって……──
◇ ◇ ◇
「わた、しも……好き、だったよぉ……っ!」
もう届くことのない言葉。
ただ、幼馴染みの気持ちを知りたいがために嘘をついた。その結果が、これだと言うのか。
後悔しながら、ミウは最愛の幼馴染みの亡骸の胸の上で泣いた。
……涙が枯れ果てるまで、いつまでも。
もしかしたら……続くかも?
私の『うきあい』の方が終わってからになりますが……。