笑顔
振り返るとダスティと新垣さんがベンチに向かって歩いてきている。
新垣さんは黒いスキニーのズボンに灰色のTシャツを着ていて、比較的暗い色の組合せなのにとても似合っていた。
左手でハーネスを持ち、右手には少し大きい紙袋を持っている。
初めて会った日と同じくダスティはベンチの左端に新垣さんを誘導し、ベンチにちょこんと頭を乗せ上目使いで新垣さんを見た。
その上目使いが可愛くて、俺は思わず微笑む。
新垣さんは中腰になりダスティの頭を左手で撫でると、頭をつたいベンチを触り、空いてることを確認する。
「ダウン」
ダスティはベンチから頭をあげ一歩下がり伏せた。新垣さんは左手でダスティが伏せたことを確認すると、やっとベンチに座る。
そしてダスティは頭を新垣さんの靴の上にちょこんと乗せた。
「グッボーイ、ダスティ」
新垣さんは微笑みながら足元にいるダスティの頭を撫で、ダスティは気持ち良さそうに目を細めた。
今日は少し暑いくらいの気温の中、近くのアスレチックからは子供たちの遊ぶ声が満ちていて、お気に入りのベンチには綺麗な女性が微笑みながら黒いラブラドールレトリーバーを撫でている。
時より吹く心地よい風は木の葉を揺らし、不規則にベンチに日影を与えてくれる。
風のザーッという音と共に新垣さんの髪が揺れ、日影が彼女を隠し、日差しが彼女を照らす。その光景があまりにも絵になっていて俺は声をかけることを忘れてしばらく見とれていた。
5分ほどしてはっと我に帰った。
新垣さんが来てから俺はずっと見とれていて身動ぎ一つしていないので、彼女は俺がベンチの右端に座っていることに気づいていない。
声をかけなきゃ。
「新垣さふぼぁあああ!!!」
ドゴッ!と鈍い音と共に物凄い衝撃が顔面に走り、顔が勝手に上を向いた。名前を呼んでる途中でサッカーボールが物凄い勢いで飛んできて俺の顔面に命中したのだ!
いきなりの悲鳴に新垣さんとダスティはビクッ!と反応した。
「か、片桐さん?」
「ごめんなさーい!!」
あまりの痛みと驚きに上を向いたままで固まっていると、近くでサッカーをしていた小学生が一人走りよってきた。
顔面に走る痛みにどうしても苛立ちを感じてしまう。
落ち着け、俺。俺は大人だ、こんなことで子供に怒ったらジェントルマンじゃないぞ! 横には新垣さんもいるんだ、紳士的態度でいなきゃ。
俺は立ち上がり顔にあたったサッカーボールを拾いながらジェントルマンの台詞を考える。
(いいシュートだ! 君は将来Jリーガーになれるよ!)
よし! これにしよう!
「いいシュぺっっっ!!!!」
二球目が飛んできてまたもや顔面にヒットする。
一球目の子が俺をうわー痛そー見たいな顔で見ていると二球目を蹴った子が走って来た。
ジェ、ジェントルマン......ジェントルに......。
「ごめんなさーい!!! .......あ!! お〇らしのお兄ちゃんだ!!」
「このくそがきゃぁあああああ!!!!!!」
「「わー!!!」」
15分後
「新垣さん、お待たせしました」
「片桐さん......物凄い音や声が聞こえましたが大丈夫ですか?」
「ええ、ちょっと全力で鬼ごっこしつつ大人げない大人の手本を子供に教えてきました」
「はぁ......」
「そんなことより新垣さん、足首はどうですか?」
「あ、お陰さまで良くなりました、ほんとうにありがとうございました」
そう言うと俺に向かって頭を軽く下げた。首は俺の方を向いているが、視線はずっと動くことなく俺の口の辺りを見ている。
そっか......動かす必要ないんだもんな......。
「いえいえ、良くなったならよかったです」
「あの、タオルありがとうございました」
新垣さんは紙袋の中からさらに小さい紙袋を取りだし俺に差し出した。
「ありがとうございます」
受け取って中身を見ると、きれいに畳まれた俺のタオルが入ってる。
どうして他人の使う洗剤っていい匂いがするんだろう?
紙袋の中からする匂いにそう思った。
それから少し沈黙ができた。
なぜだろう......この人との沈黙はほんとに気まずくない。
そう思っていると、新垣さんが口を開いた。
「あの時は怒鳴ってしまい申し訳ありません......あんな言い方された後にお礼されても嬉しくないと思いますが、よかったらこれ食べてくれませんか?」
そう言って紙袋を差し出してきた。
「いえ、そんなことないですよ! ......これは......クッキー?」
紙袋を受け取り中身を見ると小さい透明な袋の中にクッキーがたくさん入ってるのが見えた。
「はい、私が作ったんです」
「え! 新垣さんが!?」
「はい、驚きましたか?」
新垣さんは微笑みながら聞いてきた。
「はい! でも、どうやって?」
「普通に生地から作って、普通に焼いたんです、目が見えないからって料理が出来ないって思ってましたか?」
「......正直思ってました」
「じゃあ私が片桐さんの偏見を治せましたね!」
してやったり、というような感じで新垣さんは笑った。
その笑顔が可愛くて、目が見えないのにクッキーを作ったことへの驚きよりも、もっとその笑顔を見ていたい。
俺はそう思った。
「クッキー食べていいですか?」
「え、今ですか?」
「はい、今です」
「ど、どうぞ、お口にあえばいいのですが」
新垣さんはどこか恥ずかしそうに言う。
俺は袋をとめてあるラッピングをとり、クッキーを一枚取り出した。そのクッキーはただの円形でなく、耳のような物があり見た目はミッギィーのようなシルエットだ。
ミッギィーにしては耳の大きさが小さいから......クマかな?
「すごい! クマですね!」
「......犬です」
「え?」
「......犬です」
「や、犬にしては「犬です」
「......ク「犬です」
俺が話してる途中で被せて言ってくる。それに表情もなんか......怒ってる気が......ほ、ほめなきゃ!
「すごい! 犬ですね!」
「......遅いですよ」
新垣さんは少し怒ってムスッとした。あぁぁ怒らせるつもりなかったのに......
「い、犬クッキー! いただきます!!」
犬の形をしたクッキーを口元に持っていく、するとバターの甘そうな香りとクッキー独特のいい香りが鼻に入ってきた。
あ、もうこれ絶対美味しいやつだ。
クッキーを口に入れる。
サクッ.......
「ほ.......」
「ほ?」
「ほぉおおおおおおおおお!!!!!」
しょっぺぇえええええええええええええ!!!!!!!!
あまりのしょっぱさに変な声をあげてしまう。隣にいた新垣さんとダスティはまたもやビクッと驚いた。
最初のバターの甘そうな香りは香りだけだった!!
「えっと......お口に合わなかったでしょうか......?」
新垣さんが悲しそうな表情になる。俺がここでしょっぱいと言ったら、新垣さんはお礼のつもりなのにまた迷惑をかけてしまったと思うんじゃないだろうか.......
それに、女性が作ってくれたものに対してどんな味だろうが美味しいと言うのがほんとのジェントルマンだろ?
「めっちゃ美味しいです!」
「ほんとですか!?」
パアッと新垣さんの表情が明るくなる。
「ええ、塩味がきいていてとても美味しいですよ」
「よかった! 作ってるとき砂糖と塩間違えてないか不安だったんですけど、間違えてなかったみたい......よかった」
「......」
おもいっきり間違えてるよぉおおおお!!!!
でも食べると誓ったので俺は時間をかけてちびちびクッキーを食べ続けた。