ハーネス
女性の視線はさっきからほぼ動いていないのだ。俺を見ることもなく、痛めた足首を見るわけでもなく、ずっと前を見たまま動かない。
そして黒いラブラドールレトリーバーにはよく見る散歩の綱だけでなく、テレビとかで見たことのある特殊な器具も付いていた。
―――ハーネスだ....。ということはこの人は目が不自由なんだ......
「あの.......」
そのことに気がついたと同時に女性に声をかけられた。
「はっ、はい!」
「せっかくご好意で助けようとしてくれたのに、拒絶するようなことしてすみません。驚いてしまって......」
.......暗闇の世界の中で、いきなり誰かに手を捕まれる感覚がしたら、どれだけ怖いのだろう? 驚かない人などいるのだろうか?
勝手なことをしてしまったと反省しながら俺は言った。
「いえいえ! こちらこそごめんなさい、ただ一人では立てなそうでしたのでつい....」
こういう時どうすればいいんだろう? ただでさえ女性と話したことも少ないのに!!
考えろー考えろー良! 自分の持てる知識をフル活用しろ!!
今目の前で尻餅ついている女性は目が不自由な人なんだ。だからいきなり手を掴んだりすると驚かせてしまう......。驚かせずに助けるにはいちいち動作を口に出して伝えたほうがいいのかな?
「あと5センチ、およそ0.5秒後に右手に触れます、うへへ」
この方が情報多いし驚かれない?? でもなんかカーナビみたいだし変だよな...変態まじってるし
などと考えていると女性は足首を擦っていた右手をゆっくり上に上げた。
「すみません.......やはり立つの手伝ってもらってもいいですか?」
「あ、はい」
俺はさっきとは違ってゆっくり、優しく女性の右手を掴んだ。女性は手が触れたとき少しだけビクッとしたが、今度は引っ込めなかった。
「せーので引っ張りますよ?」
「.......はい」
「じゃあ、せーのっ!」
今度は女性を引っ張って立たせることに成功する。よかった。
女性が立つとすぐにラブラドールレトリーバーは女性の左足にそっと寄り添うように並び、女性は見えているかのように左手で迷うことなくハーネスを掴んだ。
きっと何度も何度も同じ動作をしてるから、こんなにスムーズに掴めるんだろうな.......
俺は視線をハーネスを掴む左手から女性の顔に移す。
あ、こうして正面からまじまじ見ると綺麗な顔立ちだな.......肩くらいまでのショートヘアーで、前髪は俺の好きなセンターパートだ。目はぱっちり二重でアゴのラインもスラッとしてて.....身長は160センチないくらいかな? 可愛いというか綺麗な人
俺は目の前にいる女性がこんなにも綺麗とは思わず見とれてしまった。
「あの.......」
そのまま見とれていると不意に声をかけられた。
「はっ、はい!」
「右手.......離してくれますか?」
「うぇ?」
情けない声を出して手を見ると、確かに握りっぱなしだ。
うわっ! 見とれてて離すの忘れてた!
「ご、ごめんなさい!」
慌てて手を離した。
「ありがとうございました、では」
女性はそう言い顔を歪め、足を引きずりながら歩き始める。
ラブラドールレトリーバーはいつもと様子が違う飼い主を心配してか、チラチラ顔を見上げている。
その歩く姿はとても痛々しくて、飛び散った水のせいで服も所々濡れていて、思わず声をかけてしまう。
「あの.......無理して歩くと悪化しちゃうと思うので少しベンチとかで休んだ方がいいですよ」
「大丈夫......ですから」
辛そうに女性は言い、歩き続けようとする。
なんでそんな痛い思いしてまで......? それともあまりの俺の臭さに痛い足引きずってでも俺から離れたいの......?
俺は涙目で自分の服の臭いをクンクン嗅いでいると、女性はやはり痛いようで3歩歩いたとこで止まってしまった。
そして
「.......やっぱり少し休もうと思います」
と痛みに顔を歪めながら言う。
俺はどこかその表情に痛みだけでなく、悔しさも混じっているような気がなんとなくした。
そして明日からバァブリーブを頭から浴びようと決意した。