第5話 永遠の罠(2)
第5話 永遠の罠(2)
「そういうことなら試してやるわよ」
どういうことなのかケルンにはわからなかったが、胡蝶は印を結び始めた。最初に結ぶ印は、手応えのあった印で、次に結ぶ印との複合技で行こうというのだ。胡蝶に何かの確信があるのか誰も知らず、単なる無謀とも思えた。それもそのはず、胡蝶は6歳にならんとする幼さで、このコンビに深慮など求めるのは酷というものだろう。無謀である兆しは、直ぐにやってきて、通路から酸が滴り落ちてきた。驚いたのはケルンで、あちこちから落ちる酸で身体中が溶け始めてしまった。
「胡蝶、ストップ。お願いだからストップ~」
だが時遅く、胡蝶は自分の世界へと飛び込んでいた。最初に結ぶ印の度に酸の滴る量は増え、あたかも印に対して抵抗しているように見えた。ということは、最初の印はトラップに有効なのだろうか。酸の水滴は大粒となり、ケルンの悲鳴だけが通路に響いていた。
「痛っ」
爪先に落ちた水滴は、ついに胡蝶の叫びを誘った。しかし、よく見ると胡蝶の上半身は全ての水滴を弾き飛ばしている。胡蝶の上半身は鳥姿で、大きく広げた翼の下にはまだ余裕があった。爪先を打った水滴は跳弾というところだろうか。胡蝶はうずくまっているケルンの姿を認めて、そこに飛んだ。ほとんど意識朦朧としたケルンを翼の下に匿い、一言慰めを言ってみた。
「大丈夫?」
「うん、痛くはないけど、これで終わりかなと思って。次のメカ改造は、修復機構の改良にしようと構想を練っていたんだ」
「あら、そう。じゃァ、もっといい仕事をあげるわ。私の下半身を護るのよ」
メカの話をケルンとしてはいけない。それでは、本当に終わりとなる。
胡蝶は、印の結びを続け、ザ~っという酸の降る音が聞こえたと思った瞬間に、トラップを抜け出していた。
「助かったようよ」
「無事じゃないけど、助かったね」
「私は、爪先が痛いわ」
「早速、メカの改良しなきゃ」
「私の爪先よりメカが大事なのね」
こんなやりとりが、暫く続いていたが、胡蝶は自分の変化に気付いているのだろうか。初めて感情を持ってから、まだ半年も経っていないのにこんな無駄口が叩けるなんて。
その時、胡蝶の目がこちらに向かう一人の老婆を捕えた。ケルンを促し、老婆の元へと向かう。ケルンを鷲掴みにして飛翔すれば速いのだが、胡蝶の翼はまだそれほど強靭ではない。ほどなく老婆と対面すると、
「初めてじゃ。あのトラップを抜け出した者を見るのは。どうやったのじゃ」
「印を結んで、身体が溶けて、羽毛で庇って、そしたら抜け出せたの」
「胡蝶、それじゃわからないよ。それに身体が溶けたのは僕だけだ」
「いや、わかる。わかるぞ。こうか。これではどうだ」
出鱈目な印を結ぶ老婆を見やって、胡蝶はクスリと笑った。
「あのトラップは、蟻のトラップと言って、ここいら辺じゃ悪名高い。大方、お主らも蟻塚を踏んづけたんじゃろう。そのトラップのお陰で、ここいら辺に住む者はわし一人だけになってしもうた。皆引っ越してしまったんじゃよ。大昔は、ここいら辺も栄えていて、偉い魔道士様がここを敵から護るために使ったのが、あのトラップの始まりとされているわな。そうそう、あのトラップは別名フラクタル・トラップとかいうそうじゃ。なんのことやらわからんがの。そうじゃ、1冊の本を記念にやろう。わしには何が書いてあるのかさっぱりわからん。わかるのは指の形だけじゃが、それもうまくゆかん」
人と会うのが久方振りなのか、老婆の話は延々と続いた。話の区切りを見つけて老婆の家に向かい、1冊の本を得たのだが、わかるのは印の型と1つの地図だけだった。それも、おそらく地図だろうという絵図で、何も益にはならないようだった。