第16話 麒麟
第16話 麒麟
四霊の中の1つの霊獣である麒麟は、信義の象徴とされ、殺生を酷く嫌う。この世界の位で言えば、上から4番目か5番目にあたり、龍生九子から見れば破格の位となる。また、仁ある王の治世に現われると言われ、5行思想の5常(5徳)の中、仁・信・義と3つまで兼ねていることになる。足りないのは礼と智であるが、これは欠けているのではなく、仁・信・義が特に優れていると解釈したい。
道行く胡蝶らの行く手を遮る影があった。それは、あの老婆で、彼女曰く「この先は、お前たちの手に余る。それに、その子の親が待ちくたびれておる」というもので、老婆の指さす先には麒麟の幼生がいた。
老婆は、いくつかの領域をスキップしたのだろうか、目の前には、番いと思われる麒麟がいて、母親などは涙を溢さんとしていた。
「シロ、シロかい?」
ここで初めて麒麟の幼生の名前が明らかとなったが、何とも短絡的で、愛らしい名前ではないか。このシロという名前の由来を少し紹介すると、そもそも麒麟には5種類のものがあり、青いものを聳弧、赤いものを炎駒、白いものを索冥、黒いものを角端、黄色いものを麒麟と呼ぶ慣わしのようだ。尚、この種類は遺伝せず、シロの両親は黄色い麒麟であり、シロは白い索冥である。シロはこの両親の一人っ子であり、2百年ほど前行方不明となって、巡り巡ってここにいるわけであるが、その2百年を知る者は誰もいない。シロはもともと聡明とは言えず、行方不明となったのもここいら辺が原因と思われ“礼”はともかく“智”はあまり期待できないかもしれない。
さて、問題となるのはシロの今後であるが、未だ戦力となったことが一度もないシロに、胡蝶はあまり関心を持っていなかったし、ケルンもカイロも同感で、シロは影の薄い存在であった。シロに愛着を持つシベルだけが、随行を強く望んだ。忘れていたがトラもいて、トラはどっちでもよかった。
麒麟の両親はと言うと、母親はここに帰って来たものだとばかり思っていたが、父親はそうではなく、迷っていた。父親は、あの老婆に「胡蝶らに同行させてはどうじゃ」と促されていたのであった。胡蝶らの噂は、ここ麒麟の里にまで薄らと聴こえてきていて、老婆もそうであるが、父親も胡蝶を面白い存在だと思っていた。この世界は複雑さに乏しく、マンネリ化した日常を、胡蝶と同行したシロが吹き払えば、こんなに痛快なことはないと父親は思うようになっていたのであった。
父親は母親を説得し、胡蝶に頼み込んだ。
「この麒麟児シロを何とか同行させ、一人前にしてくれまいか」
(ここで言う麒麟児とは、秀でた子という意味ではなく、あくまでも麒麟の子という意味である)
胡蝶は、謙るでもなく、ましてや尊大ぶらないこの父親の仁厚と信義に圧倒され思わず頷いてしまった。喜んだのは、父親始め老婆やシベルであったが、どうでもよかったのはケルン他である。
父親が何か念じると胡蝶らは、この世界と元の世界の境界にいた。その境界は判然とせず、ここが境界でもあそこが境界でも構わないように感じたのだが、世界同士の交わりはこのようなものだとしておきたい。
かくして、3人と2匹、そして1基はこの世界を離れるのだった。尚、3人とは、胡蝶・ケルン・シベルであり、2匹とは、トラ・シロである。そして1基とはカイロのことである。




