第15話 怯まぬ心
第15話 怯まぬ心
射竦められたように身動きできない胡蝶は、息一つつくことも許されていなかった。胡蝶を睨む睚眦(睚眥、がいし、がいさい、やず)は、龍生九子の一つであり、ヤマイヌの首をもち、気性が激しく荒かった。
ようやく、睚眦の睨みから解放された胡蝶は遅ればせながら言うのだった。
「そんなに、にらまないでよ」
「ほう、竦んだか?」そう言う睚眦は、そんなに睨んでいなく、睨んでいたのは僅かの間だけであった。
この睨み1つで、龍生九子のガキ大将に君臨する睚眦は、実は胡蝶を可愛らしく思っていたのだった。他の男二人は、一睨みで失神し、そこに転がっている。他の男とは言わずと知れたケルンとシベルであるが、この二人はやはり余り頼りにならないようだった。
尚、史記・范雎伝にある故事『睚眥之怨』(がいさいのうらみ)は“ちょっとにらまれた程度の恨み”と解釈されているが、それは睚眦を表現するにあまり適当ではない。睚眦の本領は、やはり“僅かの睨み”つまり一睨みにあるのだった。
睚眦から睨みの手解きを受ける胡蝶であったが、なかなか上手く睨めない。やがて、睨みは、変形バージョンとなり“天使の微笑み”ならぬ“胡蝶の冷笑”となり果てた。この“胡蝶の冷笑”は、後に部下も上官をも震撼せしめるのだが、今はただケルンとシベルを怯えさすことに使われるだけだろう。
また、睚眦から手織りの旗も貰い、この旗も軍旗『睚旗』として、後に敵に恐れられるのだが、今はあまり役に立たない。“後に”が、増えてきたこの物語の文章であるが、ご察しのとおり、数話をもって次章となる。その次章でも『睚旗』はあまり役に立たないであろうが、いつか日のめをみることもある。
さて、この場所での課題は、話題“怯まぬ心”にあるように、怯まぬ心を培うことである。師となる睚眦は、胡蝶をある場所につれていった。そこは、急峻な崖下を見下ろす崖上で、胡蝶に嫌な予感が吹き抜けて行った(第1話 胡蝶参照のこと)。見る間に胡蝶の両目から涙が溢れ出し「ここを、跳べというのか?」と詰め寄る胡蝶に睚眦は「これほど臆病だったのか」と半ば裏切られた心境であった。しかし、さにあらず胡蝶の涙の原因は“父さんと母さん、お兄ちゃんを殺してしまった”という後悔のトラウマによるものであり、そもそも羽根を持つ胡蝶に崖は関係なかった。
考え及ばずというのは睚眦のことで、まるでシチュエーションの設定がなっていなかった。“泣く子と地頭には敵わぬ”と言う格言通りに睚眦は、胡蝶の涙に手を焼いた。涙の理由が、臆病のせいではないと察せられたが、その理由に思い当たるもののない睚眦は、完全にお手上げとなってしまったのだ。
この時、胡蝶の感情爆発が起こり、涙は引けて行った。胡蝶が思うには(この悲しみのトラウマは一生背負うものだろうし、忘れることなどできない)ということであり“怯まぬ心”とは“己の心を折らないことで、相手に怯まないことではない”と気付いた瞬間でもあった。
そして、これが“己に克つ”ということかと想う胡蝶であった。




