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乱象  作者: 酒井順
第1章 象界師
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第11話 考の刻印(2)

第11話 考の刻印(2)


“カイロ”と名付けたケルンの話相手は、それから似たような問いを数問解いていった。

「飽きてきたわ。ケルン、あなたたちに任せるわね」

「えっへっへ、見直した?」

「見直さないわよ。だって、全部カイロのおかげでしょ」

「そうだけど…」


計算の問いが終わって、毛色の違う問いが出た。

『床にある糸を壁の棚に持ちあげなさい』

「こんなの簡単じゃない」

言うか言わぬかの中に胡蝶は、糸の一端を持ち上げた。簡単に持ち上がった糸を手繰り寄せ、棚に乗せようとしたが、糸を手繰り寄せられない。

「誰よ、糸を踏んづけているのは?」

 しかし、そうではなく、誰も糸など踏みつけていなかった。

「おかしいわね。ケルン、トラ、手伝ってよ」

 ケルンが糸を持ち上げようとすると、とてつもなく重い。トラに限っては糸が爪をすりぬけて持つことさえできない。取り敢えず、諦めようと胡蝶が糸から手を離すと、糸の端は下に落ち、ケルンの持つ箇所が一番高くなっていた。驚いたのはケルンで、

「おや、軽くなった」

という始末であった。


「ねェ、カイロどう想う?」

 胡蝶の頼りはケルンではなく、カイロに移っていたが、カイロの返事はない。トラがそうであるように、カイロもケルンとしか意思の疎通が行えなかったのだ。

「いいわよ。じゃあ、ケルン、カイロに聞いてみて」

 ケルンがぼそぼそとカイロに問いかけると、

「この問いの出題者の意図がわからないので、正確なことは言えませんが、現象としては、糸の何処かを選択し、摘まみあげると、低い部分の糸に高さに応じた過重がかかるということでしょうか。出題者の意図が何かを選択することが、周囲に大きな影響を与えるということを教えるものならば、正解は、糸の何処も選択せずに、このまま立ち去るということです」

「一体、何処へ立ち去れと言うのよ!」

「わかった、こうしよう」

 ケルンはそう言って、寝転がった。寝転がったケルンの左足の底から分銅らしきものが出てきて、それは鎖と繋がっているようだった。分銅は棚の支柱の上部を目掛けて発射され、見事に支柱に絡みついた。

「僕が、鎖を登りながら糸のこっち端を持つから、胡蝶は反対側を持って、飛んでみて」

 初めてともいえる胡蝶とケルンの共同作業が始まった。糸は、ピンと張られたまま、高低の差もそれほど無く、糸は棚へと収まった。『次に進みなさい』

 確かに、それぞれが知恵を出し合っての共同作業だったが、一体出題者の真意は何処にあったのだろうか?


 次の問いは、最も簡単そうだった。

『危機的状況で、次の3つの対策が提案されました。どれを選択しますか?①9割のひとが助かる対策、②8割のひとが助かる対策、③7割のひとが助かる対策』

「決まってるじゃない。①だよ」とケルンは言った。

カイロも同じ意見で、トラの意見はなかった。

 胡蝶は目に涙を溜めてこう叫んだ。

「どれも、選べるはずないじゃない。どれも助からないひとがいるってことでしょ。わたしは、わたしは一人も助けられなかったのよ。助けるどころか、わたしがみんなを殺したんだわ。今わかったのよ。父さんも母さんもお兄ちゃんもわたしが殺したんだわ。あなたに何がわかるってのよ」

『ど、どうぞ、お進みください』

 気付かなければよかったものを、胡蝶は気付いてしまった。悲しみ、後悔、言葉では言い表せない感情の産物を胡蝶は一生背負っていかねばならないのだろうか。


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