やって来たのは客ではなくて
「そろそろ開店して1時間になりますけど、相変わらずお客さん来ませんね~」
「まあいつも通りと言えばいつも通りな訳なんだが、なんかへこむなぁ~」
カウンター席に座ったティアがぽつりと呟いた一言にぐったりして突っ伏す。
通りに面した窓に目を向ければ人の往来はあるものの、店に入って来そうな気配はまったく見受けられない。
「別にわたしは構いませんが……、こうしてのんびりしているだけでお給料がもらえるんですから。でもこの店のマスターとして、一向にお客さんが入らない現状をどうにかしようとは思わないんですか?」
「一応努力はしているさ。チラシを配ったり近くの商店街の人にお願いして張り紙させてもらったりとかさ」
「わたしが学校の友人に紹介してみましょうか?そうすれば少しは増えるかもしれませんよ」
「あ~それだけはちょっと遠慮しておくよ」
「どうしてです?」
「どうしてって、そりゃあ~ね~」
ティアの学校の友達に来てもらえれば確かにお客さんは増えるかもしれない。学生たちの間で口コミで広まってくれれば、その家族にも伝わって一度は行ってみようという気になって来てくれるかもしれないという期待はある。
しかし、ティアの友人という時点でどうしてもストップがかかってしまう。来て早々に仕掛けてくるようなバトルジャンキーの気質を持つ彼女の友人が、良識を持っているとは限らない。類は友を呼ぶということわざがあるように、これからあいつのような連中が増えるのはどうしても避けたい。
だからここは言葉を濁して、やんわりと断っておくとしよう。
「学生が気軽に来れるような料金設定にはしてないし、こういう静かな雰囲気はお前らにはまだわからないだろ?」
「そうですか?わたしは結構この落ち着いた雰囲気は好きですよ。デートで来るには打ってつけの場所だと思うんですけど」
「それこそお断りだ。くそガキ共がイチャイチャしているのを見るなんざイライラして追い出したくなりそうだ」
「それは自分に彼女がいないことのひがみですか?」
ティアが引き気味に訊いてきてしまったと思ったが、言ったことはもう撤回できない。言ってしまったことは仕方ないと諦めるとしよう。
「うるせー。どうでもいいだろ、俺のことは。とにかく紹介の話はなしだ」
気まずさを誤魔化すためにポッドの湯を沸かし直し、背を向けてコーヒー2杯分の用意をする。
「そうですか。では紹介の話はまだ保留にしておきますね。ですが、そんなことよりどうでしょう?」
「どうって、なんのことだよ?」
ティアが何を言いたいのかわからないまま淹れたばかりのコーヒーの一杯を彼女の前に置き、自分の分のコーヒーに口をつけながら返答を待つ。
「わたしがレイスさんの彼女になってあげてもいいですよ?」
「ぶっ!?な、何言ってんだいきなり!?」
予想外の一言に吹き出してしまったコーヒーを布巾できれいに拭い取り、どういう意味だという視線を向ける。
「何って……、だからわたしがレイスさんの彼女に」
「いや、それはわかった!だが、なんでいきなりそんな話になる!?」
「いえ、てっきり彼女が欲しいものだと思ったものですから」
違うんですか?という視線を投げかけられるが、そんなことは断じてありえない。大切な人を失ったあの日からずっと、誰かと親しくなる関係を築こうと思ったことは一度もないのだから。
「冗談は休み休み言え。そうでなくてもお前の言うことは本気なのか冗談なのか判別しづらいんだからな」
「む~……、では試してみますか?」
は?と視線を向けた時にはもう遅く、いつの間にカウンター内に回り込んできたのか距離を詰められ、身を引いた時には壁を背にしていた。
「おい、ティア。一体どうしたんだ?」
ティアの目は普段のぼ~っとした緩んだ目ではなく、剣を握った時のような好戦的な目に変わっていた。これはヤバいと思いつつも既に退路は断たれており、どこにも逃げ場はない。
「あの~ティアさん。さすがに顔が近すぎやしませんかね?このままだとそのあの……」
「レイスさん……」
お互いの吐息がかかるほどの距離まで詰め寄られ、突然の事態に思考が追い付かず、あわや2人の唇が重なろうとした瞬間、カランカランと来客を告げるベルの音が鳴り響いた。
「いっいらっしゃいませ!」
これ幸いにと無理やりティアを引きはがし、お客さんに向けて営業をスマイルを浮かべて挨拶をする。後ろからチッという舌打ちの音が聞こえた気がしたがこの際そんなことは無視だ。
「おやおや、どうやらお邪魔してしまったみたいだね。なんなら出直そうか?」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべてそう言った人物に、あからさまに嫌そうな表情を作ってやる。
「おうおう、帰れ帰れ。そしてもう2度とこの店に来るんじゃねぇよ、サイラス」
「そんな嬉しそうな顔をしなくてもいいじゃないか、レイス君」
「この顔が嬉しそうに見えるってんなら眼科に行くことをおすすめするぜ。ただでさえ片目しか使えないんだから、目は大切にすることだな」
この都市国家で軍事の最高責任者の地位にいるこいつがなんで街の片隅で細々と営業している喫茶店にわざわざ来たのか、その理由が全くわからない。
「こっちの目はどちらかと言うと見え過ぎるからってことくらい君なら知ってるだろ?」
そう言って指差された左目の眼帯を見る。眼帯には複雑な紋様が描かれており、その術式の効果は封印であるという話だ。
サイラスの左目は未来を視るという能力がある。昔は必要な時にだけ使えていたようだが、今では制御が難しくなって常時発動するようになり、それを抑えるために作ってもらったらしい。
そんな能力持ちの奴がわざわざ自分に仕事の依頼をしたいとか、絶対に裏があるに違いない。
「ああ、そうだな。で、今度は何を企んでやがる?」
「企むって表現は良くないな。ぼくがここに来たのは君に仕事を依頼したいからなんだけどね」
「仕事ね~」
探るように視線を送るが、そこから得られる情報なんてのは皆無だ。結局はサイラスから話を聞かない限りわかることは何も無いのだ。
「わたしは席を外しましょうか?」
「ん?ああ、そうだな」
サイラスが来てから黙っていたティアに視線を向ける。
ティアにしてみればこいつはいずれ上司に……というか組織のトップであり、この国の英雄の1人でもあるから会話の途中で口を挟むのは難しかっただろう。このまま気まずい雰囲気の中で放置しておくのも可哀そうだし、こいつが帰るまでは奥で休んでもらっていたほうが良いだろう。
「悪いがそうしてくれるか?」
「いや、別にティア君も聞いてもらって構わないよ。ティア君もアカデミーの生徒だしね」
「おい、どういうつもりだ?」
「どうもこうも、今度の仕事は君達2人で行ってもらいたいんだ。ちょっと厄介なことになっていてね。正規軍をだしてもいいが、相手を考えると君が一番打って付けなんだよね、ジョーカー君?」
「その名は口にするんじゃねぇって何度言えばわかるんだよこのクソキング」
「ははは。さて、では本題に入ろうか?」
含み笑いを浮かべたサイラスに嫌な予感をしつつも、聞くだけ聞いてやるかとコーヒーの用意をして席についた。