Ⅰ Story1 Acceptable
そんなこと、どうして叶えたい?
私にはその理由が分からない。教えてくれ、どうしてだ?
1人の男性が、大量の書物をテーブルの上に置いて静かにそれを読んでいた。
書物の厚さ的に、1冊2,000ページは容易にあるのが分かる。しかし、その量に屈することなくひたすら知識を頭に入れる。
回りには自分と同じ目的意識を持った者が数人程度。黙々と本を読み特に会話などない。
ここは街の大図書館。昼間は勤勉な学生や足りない知識を補うために学者がよく通っている。
本を読んでいる男性は少し疲れたのか、しおりを挟み一旦休憩をする。
両肩をゆっくり回しながら、首にアクセサリーのようにかけている懐中時計を見る。
時刻は16時ジャスト。そろそろ、大図書館が閉まる。
男性はもっと本を読んでいたいという気持ちを持ちながら、テーブルの上にある本を元の棚に戻す。
そして、今しおりを挟んだ本だけを手に持って、大図書館の司書にそれを借りると告げる。
常連なのか、特に細かい手続きもしないで司書は本を貸し出す。男性はお礼の言葉を言いながら、大図書館を出る。
「眩しいなぁ……」
外に出て第一声がこれだ。ずっと中で本を読んでいる男性に、外の明かりはとても煩わしいもの。
右手で太陽の光を遮りながら、自宅へと足を進める。
――――――その際、ふと目線にある建物が映る。
白い塗装を基調とした建物。それを覆うように大きな門もある。
その門から出てくるのは、とても頭の良さそうな学生たち。そう、ここは選ばれた者にしか入学できない名門学校だった。
男性は門から出てくる学生を羨ましそうに見つめる。
自分もこの門をくぐりたい。自分もこの学校でいろいろ学びたい。
だけど、それは敵わない。なぜなら自分の頭が悪いからだ。
何度もこの学校の入試に挑戦しているが、手応えは全くなし。しかし、男性は諦めずにずっと大図書館で引きこもり知識を付ける。
次こそは、その思いだけで今の自分を動かしていると言っても過言ではない。
そして、今年の入試も後1週間後に控える。
「今度こそ……」
右手をぐっと握りながら、男性はこの場を後にして自宅へ急いで帰る。
残り少ない時間を、自宅学習へ割くためだ。
Story1 Acceptable
彼の名前はスディング=ノーク。毎日、大図書館へ通っては必要な知識を頭に叩き込むことだけをする男性。
茶色の髪の毛は、ずっと切っていないのか二の腕くらいまでの長さがある。
男性にしては肉付きの悪い輪郭。しかし、目は諦めることを知らないような強気な印象を与える。
もう何年も、着用しているような雰囲気を漂わせる白いコートを羽織る。
その行動の裏には、名門学校へ入学するためという目標がある。しかし、成果の方は実っていない。
諦めずに、何度も入試に挑戦するが手応えも全くない。それでも、挫折しない彼の心は相当強い。
今日も自宅から大図書館へ通うため、外に出る。しかし、生憎天候は雨。
重たい足取りで自宅に戻り、レインコートを羽織って再び外に出るスディング。
「気が乗らないなぁ」
こういう日は家でのんびりするのが1番だ。だが、そんなことしていたら夢を叶えられない。
今できることは、ただひたすら勉強をして知識を付けるのみ。彼はそう心の中で思いながら雨降る街の中を歩く。
途中、自分が目標にしている名門学校が瞳に映る。その立派な建造物は、何度見ても感動物だ。
「やっぱり、すごいよな……」
うっとりしながら、言葉を呟く。その目は好きな人を見つめる目に近かった。
「――物好きな奴も居るんだな。こんな建物のどこがすごい?」
刹那、自分にとって嫌な言葉が耳に入ってくる。スディングは眉間にしわを寄せて、声の在処を探す。
そして、彼は1人の女性を見つける。回りに誰も居なかったので、すぐに彼女が声の犯人であるのが分かった。
深紅の髪の毛は肩くらいまで長く、頭には可愛らしい紐のようなリボンがある。
妙に鋭い目つきで、その瞳は髪の毛に負けないくらい赤色。
着用している服はとてもフリフリな赤いドレス。どこかに居るお嬢様を連想させる立ち姿だった。
「聞き捨てならない言葉ですね……」
スディングは内心怒りに満ちあふれていたが、穏便な対応をする。
しかし、女性の方は優雅に傘をくるりと回して名門学校を見つめる。
「ここはただの学校だろ?」
再び、男性にとって聞き捨てならない言葉が耳に入る。
彼女はこの学校の素晴らしさを理解していない無知な人だ。そう思いながら、彼は眉をピクピク動かす。
「ただの学校……あなたは、本気でそれを言っているのですか?」
先よりも強い口調でスディングは女性へ言葉を飛ばす。
すると、彼女は目を大きく見開き、
「あぁ、本気だ」
気持ちの良いくらい迷いがない台詞。男性はやれやれといったように首を横に振る。
だが、不思議なことに首を横に振っていたのは自分だけではなく女性もだった。
――――――気味が悪い。
「お前は、ここの学校に入りたいのか?」
なにを当たり前のことを。彼はそう思いながら大きく頷く。
正直、彼女と話していると機嫌が悪くなってくる。早いところ撒いて、大図書館に行きたかった。
「……なぜだ?」
「はい……?」
「なぜ、この学校に入りたい? この学校じゃなければいけないのか? 他の学校にはない何かが、この学校にあるのか?」
女性の質問攻めにスディングはとうとう堪忍袋が切れる。
「あなたはなんですか!? この学校に入る理由なんて、この街に居る人なら誰でも分かりますよ!?」
自分でも驚くくらい声を上げる。普段から会話もしない男性にとって、それだけで体力を使うことだ。
さすがの彼女も、少しだけ辟易する。だが、それでも表情には理解できないと書かれている。
「僕は時間がないので、行きますね」
男性はそそくさと話を切り上げて、大図書館へ向かう。
この場に残った女性は、傘について水滴を落としてじっと学校を見つめる。
なんで、ここまでこの学校に拘るのか。どうして、他の学校じゃだめなのか。
「不思議だな……人間は――」
○
大図書館の中は薄暗く、雨が落ちる音だけが響き渡る。
晴れた日よりも、館内に居る人は少なく自分と司書だけと言っても良かった。
今日もテーブルの上に分厚い本を乗せて、知識を頭の中に叩き込む作業をする。
どんなに飽きっぽくない人でも、ここまで同じ作業をするのは少しだけ億劫に感じる。
だが、スディングはそういった思いは一切なかった。なぜなら、自分の目標と夢を達成・叶えるためだ。
――――――「なんで、この学校じゃなければいけない?」
ふと、脳裏に蘇る女性の言葉。男性は本を読む手を止める。
あのときは苛立ちで冷静に物事を考える力が衰えていた。だが、今なら冷静に考えることが出来る。
「僕があの学校へ入学したい理由――」
それは、自分のステータスを高めるためだった。名門学校へ入学して卒業すれば、社会から尊敬の目で見られる。
スディングはそう言った願望が特に強かった。社会から認められれば、自分の人生はトントン拍子で成功すると。
そのためなら、今の苦労は試練のようなもの。
「そんな当たり前のこと、どうしてあの人は分からないんだろう」
小さくそう呟きながら、彼は再び本を読む作業に戻る。
スディングが読んでいる本は、偉人たちの言葉が書かれている物だった。
あの名門学校の入試問題は基本的な科目はもちろん、多種多様な雑学も問題として出題される。
博学な学生を育成する。そういった教育方針なのだ。
「――あら、こんな暗い図書館にわたくし以外の人が居るなんて意外でしたわ」
男性の耳に入ってくる声。今日はやけに絡まれるなと思いつつ、首だけ振り向かせる。
そこには1人の女性が右手に分厚い本を持って、屈託のない微笑みを浮かべていた。
赤色の髪の毛は腰まで長く、少しでも動いただけで揺れる。
目が悪いのか四角いメガネをかけており、その瞳は赤く輝いている。
黒色のゴスロリを着用して、とても可愛げのある姿をしていた。
「勉学に励む人は、わたくしとても好きですことよ。知識をつけるのは、楽しいことですからね」
そう言いながら、女性は男性と対面するように座る。
勉学が好きな人に悪い人なんて居ない。彼の考えは単純で、当然目の前の彼女が悪い人だと思わなかった。
「あなたも、この図書館で?」
「えぇ、ここの図書館にはわたくしの知らない本がたくさんありますからね」
そう言いながら、女性は歴史のことが書かれている本をスディングに見せる。
彼はその本を読んだことがあり、にわか者が手を付けない非常にマイナーな歴史を扱っている本だというのは理解できた。
つまり、彼女は本当に知識人で自分よりも博学である可能性があった。
「あの、あなたのお名前は……?」
スディングは唐突に、女性の名前を尋ねる。すると、彼女は特に怪しむことなく、
「わたくしは……キーマ=ツェイル。キーマでけっこうですわ」
と、自分の名前を言う。
――――――やけに、名前を言う前に間があった気がする。
しかし、スディングはそんなこと気にもせず自分の名前をキーマへ言う。
「ふふっ、とても良いお名前ですわね」
こうやって、自分の名前を褒めてくれたのは生まれて初めての体験だった。
彼女には、どこか普通の女性と違う魅力を感じる。男性は頬を右手の人差し指で触っていた。
「では、わたくしは用事があるのでこれで……スディングの勉強の邪魔にもなりますしね」
大切そうに本を持ちながら、キーマは小悪魔的な笑顔を浮かべて大図書館を去る。
スディングは彼女の後ろ姿を、どこか惜しそうに見つめていた。
だが、ものの1分くらいで勉強の態勢に入る。やはり、色恋よりまずは知識を深めなければいけなかった。
時間は刻々と過ぎ、気が付くと大図書館が閉まるところまで来ていた。
男性は首にかけている懐中時計を見つめて、1冊の本を借りることを司書に伝えてここから去る。
○
雨が上がった外。空を見ると虹がかかっており、非常に景色が良かった。
しかし、スディングは着用していたレインコートを脱ぐことはない。脱いだところで、手荷物になるからだ。
彼が自宅までの帰宅経路で考えることは、次はどんな知識を深めるかということだけ。
ここまで来ると、勉強馬鹿と言いたいくらいの勢いである。
「……?」
彼はいつもの経路を歩いていると、目の前に見覚えのある女性が見えた。
その姿を見て、男性は足を止める。このまま通り過ぎようかどうか考えていたのだ。
だが、そうやって考えているうちに女性がこちらの姿を目に入れていた。
「また会ったな」
「あなたは……ずっと、この学校の前に居たのですか……?」
スディングが出会った女性は、大図書館へ向かうときに出会った意味の分からない質問をしてきた人。
「あぁ、お前がどうしてこの学校に入りたいのかをずっと考えていてな……」
やはり、彼女の考えや行動は謎すぎる。男性は深い溜息をして、女性の傍へ向かう。
「そんなに考えて分からないなら、教えてあげますよ……」
このまま教えなかったら、ずっとここで答えを見つけ出すまで立っているだろう。
「ステータスなんですよ。この学校に入学することは……卒業もできれば、社会的に僕を認めてくれる。だから、入学したいんですよ」
学校を見つめながら、スディングは自分の思惑を語る。
だが、女性は目を細めて何か理解できないと言った表情を浮かべる。
「ステータスか……そのために入学するのは本当に正しいのか?」
――――――まただ。彼女はことあるごとに、こうやって質問をしてくる。
なんで理解されないのだろうか。彼の心はその言葉だけ埋め尽くされていた。
「あなたは……何が言いたいのですか?」
「私からは特に言うことはない。ただ、その選択が本当に正しいのかを聞いているだけだ」
自分が信じた答えなんだ。正しいに決まっている。
そう思っていたのだが、いざ言葉に出そうとするとなぜか口が開かない。
「どうした?」
腕組みをしながら、女性は自分の顔を覗いてくる。
最初は訳が分からないと思っていたのに、いざこうして話してみると彼女の言葉には嫌な重みがある。
「中途半端か……」
女性は意味深な一言を呟き、何かを理解したのか大きく頷く。
「さて、お前の考えも分かったし私は帰らせて貰う」
「あなたは……僕に何を……」
「何度も言うが、私からは特に言うことはない。お前が自分を見て考えてみろ」
静かな口調がむしろ恐怖感を覚えさせる。彼女の言葉は冷たく、人間のような感じがしない。
スディングは自分が目標・夢にしている学校を見つめる。
――――――ここに入学することが正しいかどうか。
正しい、正しい? いや、正しい。
彼はどこか妙な気持ちになりながら、自宅に帰る。
その日は、知識を深めることは出来なかったが。
○
翌日、スディングは非常に機嫌が悪かった。
学校の前で出会った女性の言葉ばっかり考えて、勉学に励めなかった自分に罪悪感を刺していたからだ。
入学することが本当に正しいのか、ステータスを求めることが正しいのか。
いや、全て正しい。社会的にも認められて人生が上手く進む。
だけど、本当にそうなってくれるのだろうか。もしかすると、何かあるかも知れない。
自問自答からの、新たな悩み。この繰り返しだった。
窓から外を見ると、とても天気が良かった。
こんな日は大図書館へ向かう足取りも、軽い。でも、今日は行こうか行かないか悩む。
「……はぁ」
浅い溜息を残しながら、彼はよれよれの白いコートを着用して外へ出る。
入試まで片手で数える期間しかないのに、自分はこんなところで悩んでいるのはなぜだろうか。
あんな女性の言葉なんて無視して、信じた道を貫けば良い。そう思っていても、出来ない。
なぜなら、あの人の言葉がやけに説得力があったからだ。まるで、自分がそれを経験してきたように。
「確認したい……」
彼女に会いたい。スディングは心の中でそう思いながら、街を散策する。
普段行くことのないメインストリート。ここでは、たくさんの商売人が店を開いて物を売っている。
しかし、どこを見てもあの派手なドレスを着用した女性は居なかった。
会いたいときに限って、会えない。どうでも良いときに限って、会える。人生というのはなかなか意地悪だ。
だが、ここはまだ街のほんの一角。他の場所へ行こうと彼が思った瞬間――――――
「あら、もしかして……スディングですこと?」
聞き覚えのある声が、ふと自分の耳に入ってくる。
男性はコートを翻す勢いで振り向き、眼中に1人の女性を入れる。
「ふふっ、縁というのは分かりませんわね。またこうして会えるだなんて、思いもしませんでしたわ」
キーマ=ツェイル。彼女は昨日、大図書館で偶然出会う。
人間離れした整った顔立ち、そして博学な雰囲気を漂わせる。
今日の彼女は頭の上に可愛いリボンをつけて、胸元を大胆に開けたドレスを着用している。
「キーマ……さん」
「キーマでけっこうですわ。ところで、今日はずいぶんと浮かない表情をしていますわね」
自分が悩んでいることを、すぐに理解するキーマ。
彼女なら自分の悩みを分かってくれるかも知れない。そんな思いを持ちながら、
「僕……分からないんです」
スディングは顔を落として、小さく台詞を呟く。
彼女は右手でメガネを上げながら、小悪魔的な微笑みを浮かべる。
「少し、お茶に付き合ってくださるかしら?」
キーマに言われるがまま、彼は近くの喫茶店へ入っていく。
○
店内はカントリー風な仕上がりで、壁は木材を基調としている。
2階にはテラスもあり、そこでのんびり紅茶とお茶菓子を頂く人がたくさん居た。
その中に、スディングとキーマが対面するように座っている。
「ここのニルギリはとても香りが良いですわね」
「………」
頼んだ紅茶とケーキを嬉しそうに食べる女性。その反対では浮かない表情で紅茶を飲む男性。
相反する組み合わせに、端から見ると思わず頭に疑問符を浮かべたくなる状況だ。
「さて、スディングの悩みとはどういうものでしょうか?」
カップを置き、目尻を上げながらキーマは悩みについて尋ねる。
スディングは昨日の女性の出来事を話して、そこから自分がどういう悩みを持っているのか簡潔に説明をする。
「なかなか難しい悩みを持っていますことね」
ケーキの生クリーム部分だけを舐めながら、女性は難しそうな表情になる。
「僕は名門学校に入学し卒業して、社会に認められたい。そうすれば、人生が成功すると思っています……だけど、それがどんどん不安になっていくんです」
彼は普段からこういう悩みを持ち慣れていないのか、かなり焦ったように言葉を並べる。
「――なら、捨てれば良いのですわ」
突然の彼女の言葉に驚く。
捨てれば良い、一体何を捨てれば良いのか腕組みをして咀嚼する男性。
「社会的に認められる方法は1つだけでしょうか? わたくしはそうだと思いませんわね。スディングはもう少し視野を広げることをオススメしますわ」
最後の一口を食べて、ケーキを完食するキーマ。
社会的に認められる方法は1つじゃない。彼女の言葉に、彼は少しだけ表情を明るくさせる。
「ふふっ、良い顔になりましたわね。では、わたくしは用事があるのでこれで……」
キーマの小悪魔的な微笑みは、非常に可愛げがある。スディングはそう思いながら、テラスから街を見下ろしていた。
○
思えば、自分は視野が狭かったかもしれない。いや、1つのことに集中して周りが見えていなかったと言った方が良い。
社会的に認められたい。そんな漠然とした理由で名門学校へ入学しようとしていた。
だけど、この街で店を営んでいる人々を見ているとそんな考えを若干捨てたくもなる。
自分は社会的に認められることの定義を知らなかった。ただそれだけの理由で、いままで悩んでいた。
こうやって、商品を販売することは人々の生活のためだ。つまり、それは社会的に役立っているし、認められている。
いつも通っている大図書館の司書だってそうだ。毎日、学生や学者のために開けて待ってくれる。それも、社会的に役立っているし、認められている。
なるほど、あの女性が言っていることがなんとなく分かった。
「やっぱり、僕は頭が悪いんだなぁ……」
そう呟きながら、スディングは名門学校を見つめる。
前までは、目標・夢としていた場所。だけど、今は少しその思いがなくなっている。
「――また、会ったな」
人生というのは、どうしてこういうときだけタイミングは良いのだろうか。
そう思いながら、彼は振り向き1人の女性を瞳に焼き付ける。
「どうだ? あの学校に入ることは正しいと思うか?」
昨日の質問の続きだった。だけど、今なら自信を持って答えられる。
「いいえ、それは正しいと言えません」
あの学校に入らなくても、社会的に認められる方法なんて星くずのようにある。
ステータスなんて、社会的に認められなければ意味がない。社会的に認められてこそ真のステータスだ。
女性は薄く微笑むと、近くのベンチに座る。
「理由はともあれ、お前は昔の私に似ている」
「は、はい……?」
「目的のためにその道しか信じなかった。だけど、それは大事な物を見落としていることに気が付かなかったからな」
――――――だから、昨日の質問はあんなに重かったのだ。
女性はそういう経験をしてきたから、自分にこのような経験をさせないように手を差し伸べた。
この人と出会ってなかったら、自分はずっと大図書館で知識を深めるだけの生活をしていた。そう考えると、背筋がぞっとする。
「昨日は……怒鳴ってすみません」
「いや、かまわない。私も同じ境遇に陥ったことがあるから、気持ちはよく分かる」
静かに笑う彼女。それにつられて、自分も薄い微笑みを浮かべてしまう。
「これからは、自分がどのように社会的に認められるかを考えていこうと思います」
スディングの言葉を耳に入れ、彼女は無言を貫きながらベンチを立つ。
もう、お前は大丈夫だ。そんなことを言われたような気がする。
「あの……あなたは――」
「シーマ=ヴァラル」
シーマと名乗る女性は、そう強く言うとこの場から去る。
自分の道が本当に正しいのかを指摘してくれたシーマ。
その答えを導き出してくれたキーマ。
なんだろう、ここ数日で自分は奇妙な体験をした。そうスディングは胸の中で呟きながら自宅へ戻る。
――――――入試当日、願書を出した1人が欠席するという前代未聞の出来事が起こったようだ。
○
「やはり、人間は面白い」
街の一角にある広いパーク。ここには、たくさんの子どもたちが遊具で遊んでいた。
そのベンチに座る2人の女性。とても人間とは思えないほど、美人だった。
「あら? 何か面白い出来事でもあったのでしょうか?」
どこか洒落っ気のある女性は、隣にいる静かな女性へ尋ねる。
「少しな……昔の自分と似ている奴に会った」
「あら、それは面白そうですわね」
くすくすと笑いながら、どこか遠い目をする洒落っ気のある女性。
それに気が付いた静かな女性は、
「目的のためなら、平気で残虐なことをした……昔の自分が嫌だな」
重たい口調で呟きながら、自分の爪を見つめる。
――――――その爪は、人間にはない雰囲気を漂わせていた。
例えるなら、とても鋭いサーベルのような感じ。
「……そのような過去、もう忘れましょうシーマお姉さま」
「そうだな……キーマの言うとおりだ」
思い出したくない過去、嫌な過去なんて忘れてしまえば良い。
そこから生まれる楽しい未来があれば良い。彼女たちをこくりと小さく頷いてベンチから立ち上がる。
そして、シーマとキーマと名乗る女性はこの場からそそくさと去っていく――――――