5話 光陰矢の如しな休日。
「ふんふんふーん」
休日の午前。私は自宅で鼻歌を歌いながら、PCに向かっていました。
スフィアネクスで好き放題プログラミングをしているのですから、家に帰ってまでしなくてもいいと自分自身思うんですけどね。でも会社では出来ないことがやれるので、楽しいといえば楽しいです。
今日は朝から自衛用の特注品も注文しましたし、機嫌よく作業を続けていました。
「月菜、昼飯出来たよー」
みったんの声が聞こえてきます。私は「はーい」と大きな声を返しました。
彼女とは一緒に住んでいたりします。家事はほとんどみったんに任せる代わりに、生活費は私が払っています。ちなみにマンションの最上階を全部買い取ってぶちぬきました。そのため、とても広いです。共同で構築した漫画部屋なんかもあります。
「今日のお昼はなーんですかー?」
「お、や、こ、どーん!」
リビングに入る際、調子をつけながら言うと、みったんもそれにノッて返してくれます。テーブルに並べられたほくほくと湯気が立ち上る親子丼は、卵が半熟気味にぷるぷるしていて、とても美味しそうです。
「いただきます」
「召し上がれー」
ぱくりと一口。うん、卵がとろとろで美味しいですね。鶏肉も柔らかい。さすがみったん、相変わらずやるやつです。
彼女は食へのこだわりが人一倍ですからね。その分、お腹周りの脂肪も人一倍ですが。
しばらくお互いに黙々と食べます。美味しいものは何よりも言葉を奪うのです。
「月菜、今日もプログラミングしてたの?」
食事がひと段落ついたのでしょう。みったんが問いかけてきます。しかし私はまだ食べている最中でしたので、もぐもぐと動かしている口を手で押さえ、頷きで答えました。口の中のものを全て飲み込んでから、私は返答します。
「ええ、今日はVRのマルチプロセスを実装してました」
今まで作ってきたVRは、実は一人用でした。つまり言うと、複数人が同じフィールド内を動くことは不可能でした。VRの中で一人動くだけでも膨大な演算が必要ですからね。複数人が同時に入れば、処理落ちは必須です。
それを複数に対応させるため、現在必死に改良中、というわけです。
「あれ? でも今回のゲームでは使われないよね?」
「ええ。でも、今後のために一応」
今回、スフィアネクスで作っているアクションRPGでは、プレイヤー同士が面と向かって交流することはありません。あるのはランキングや、オークション、ゲーム内掲示板など、文字媒体のやり取りのみです。
あとは他プレイヤーの進度によって解放されるイベントが変わってくる仕掛けや、複数人が同時に入らなければクリアできないダンジョンなどもありますが、基本的に顔を合わせることはない作りとなっています。
「VRで対戦とか楽しそうだねー」
「いつか実現したいとは思っていますけどね」
その境地に達するまでには、まだかなりの時間がかかりそうでした。お互いのデータが干渉するような処理は、正直まだ恐くて出来ません。
「でも、同じフィールドで歩くくらいはできると思いますよ、バグがなければたぶん」
たぶん、を強調したのですが、どうやらみったんには通じなかったようです。彼女は目を輝かせます。
「え、本当? やってみよーよー! 試してみたい試してみたーい!」
「まだ全くテストしてないですけど……それでいいならいいですけどね。これが食べ終わったらやってみます?」
「やろやろー!」
みったんが嬉しそうに言います。バグがあるのは間違いないでしょうが、私はまあいいか、と楽観的に考えるのでした。
『ようこそ、マキシマへ! 起動完了まで、しばらくお待ちください!』
いつものようにVR装置を立ち上げれば、ボーカロイドで吹き込んだシステムメッセージが聞こえてきました。
『残り90パーセント、80パーセント……まだまだかかります、しばしのお待ちを!』
音声が、起動完了までのパーセンテージを読み上げます。
こういった起動時のやり取りは、かなりの種類を組み込んでいたりします。こういう、どうでもいいことに全力を傾けるのが日本人だと思います。神は細部に宿るとも言いますし、こだわりはあった方がいいでしょう。端から見れば、やはりどうでもいいんでしょうけどね。
『……20パーセント、もうちょっとです! 10パーセント……5パー……ガガッ』
「え?」
ノイズと共に、音声が消えました。それと同時に、思考に靄がかかったような、始めて感じる不思議な感覚に陥りました。
これは何かがおかしい。そう思った次の瞬間には、私は外の世界に放り出されていました。
ベッドの上で目を覚ました私は、フルフェイスヘルメットを脱ぎ、辺りを見回します。何故か、部屋の中が赤らんで見えました。何が何だか、良く判りません。
「な、何が起こったんでしょう……?」
プログラムを動かしていたPCを見ます。何の問題も起きているようには見えませんでした。しかし、時計を見て、私は息を止めました。
「あれ、なんでもう夕方なんでしょう……?」
どうやら、部屋が赤らんでいたのは、夕日が差し込んでいたせいだったようです。
でも、昼過ぎにログインしたはずなのですが。
私は何が起こったのかと、しきりに首を傾げます。
しかし軽くログを眺めただけでは、原因はわかりませんでした。
「……なんだったんでしょう?」
原因は後程追究するとして、今はみったんを起こしましょう。
ソファに横たわる彼女を揺り起こし、状況を聞いてみたところ、私と同じように起動途中から意識がぷっつりと途切れているそうです。
そうして長くない休日は、過ごした実感のないまま過ぎて行ったのでした。
夜、ちゃんとログを調べてみたところ、とんでもない事実が発覚しました。どうやら、処理内で無限ループが発生して、プログラムがハングアップ(操作を受け付けない状態のこと)していたようなのです。
それだけなら良かったのですが(いや、あんまり良くはないのですが)、どうやら私たちがログアウト出来たのは、ハングアップから数時間後。OSのアップデートが発生したために、PCの再起動がかかったお陰でした。
つまり簡単に言うとですね。
OSのアップデートを自動にしていなければ、危うくみったんと二人で、意識がないままVR世界に閉じ込められるところだった、というわけです。
……何ですか、そのリアルデスゲーム。肉体に支障が出るようであればログアウトするような仕組みにはなっていますが、その仕組み自体がハングアップしていたわけですしね。
「てへぺろ」
「月菜、一発殴っていい?」
「ごめんなさい、反省してます」
「……いやまー、私が試そうって言ったんだけどさ。せめて回避策立てようよ、これ恐いよ」
「私もそう思います……」
初めて起こった事故に、慄いた一日でした。
うーん、これ公表すべきですかね?
光陰矢の如しな原因⇒新規開発部分のプログラムミス。