4話 アポイントメントに応じた結果。
「タスクが! どさどさと! 積み上がる音がする! 何でこんなに忙しいんですか! もう! もう!」
泣きそうな声で文句を言いながら、しかし手は高速で動かします。ゲームの仕様がほぼ固まってから数日、私は膨大な量の仕事に追われていました。
効率よく片付けてはいますが、さすがに量が量です。片付ける量より積み重なる量のほうが多いのです。減るはずがありません。
うーん、人を入れたくないとか言っていましたが、そんなこと言ってる場合でありませんね、これは。せめて使い走りがほしいです。雑用を片付けてくれる人、いませんかねえ。あとでみったんに打診してみましょう。
「おや、ちょうどみったんからメールですね」
デスクトップの右端に現れた、メール受信を通知するポップアップに、私はキーボードを打ち込んでいた手を止めて、マウスを動かします。基本的に通知を行っているのは、重要フラグが立っているメールか、みったんからのメールのみです。
メールを開きます。そこに書かれていた文面に、思わず眉を顰めました。
「……ふむ?」
私に対して、アポイントメントが入っているそうです。それだけであれば、対して問題ではないのですが、相手が相手でした。なんと、防衛省の人からだったのです。
何故、防衛省? 思わず首を傾げます。
とはいえ、拒否する理由もありません。というか国からのアポイントメントを拒否するほど、肝が太くありません。長いものには巻かれます体質です。
「了解しました、時間は先方の都合でいいですよ、っと」
メールに返信をします。ついでにPSとして助手がほしいと伝えます。都合のいい人材がいれば、こちらに回してくれるでしょう。
「仕事に戻りますか」
ふう、と溜息に近い息を吐きます。しばらくはこの忙しさが続くのだと思うと、何となく憂鬱になってしまうのでした。この忙しさを作り出してるのは自分なんですけどね。それはそれ、これはこれというやつですよ。
そんなこんなで忙殺されながらも、数日が経過したある日。防衛省の方がスフィアネクスにお見えになりました。
先方は男性が二人、こちらは私一人で応対します。盗聴対策はばっちりです。内田さんも護衛として部屋の隅にいますが、会話には加わりません。
名刺をお互いに交換してから、本題に入りました。
「この場を設けて頂き誠にありがとうございます。本日は、川西さんにどうしてもお願いしたいことがあって参りました」
先方の片割れ、三十代程の男性が、口火を切ります。
私は頷いて、先を促しました。
「川西さんが開発されているVR機器を、こちらに卸してほしいんです」
「……ええ、それはまあ、構いませんが」
思わず首を傾げてしまったのは、仕方がないことでしょう。
何故なら、今更、直に会って言われるまでもないことだと思ったからです。
開発から二年が経っているのです。既に国内外問わず、主要な研究機関には、VR機器のプロトを売りつけていました。仲介業者を立てていますから、私に直接話を通す必要性は皆無のはずなのですが。
疑問に思っていれば、先方の男性が続けます。
「現在、川西さんはVRでゲームを作っているとお聞きしました」
「ええ、その通りです」
「それを流用して、軍事シミュレーションを行いたいと考えています。ご協力願えないでしょうか?」
「軍事シミュレーションですか……」
それは、防衛省からのアポイントメントという時点で、予想していた事柄の内の1つでした。
某国では、優れたFPSプレイヤーを勧誘したりしているらしいですからね。使い方としてはある意味真っ当でしょう。
「あくまで物理演算上で成り立つシミュレーションですから、実際の戦闘に役立つかは判りませんよ」
「役に立つか立たないかは、こちらで判断しますから」
「そうですか? 後々、不具合だなどと言って難癖をつけられても、対応できませんけど」
「難癖なんてとんでもない。ですが、一つだけ仕様として盛り込んで頂きたいことがあります」
「何です?」
男性が、もう一人の男性に目配せしました。私と同じくらいの若い男性が、鞄からディスクを取り出します。
「ここに入っている地形データを使用してほしいんです。これ一枚が全てではありませんが」
「ああ……」
何となく納得してしまいました。
恐らくディスクに入っているのは、GPSなどで取得した、実際の地形データなんでしょうね。細かい中身は判りませんが、各国の重要施設だったりするのでしょうか。
何だか、とてもきな臭いですね。
「……そこまで踏み込んで、私に利点はありますか?」
実際の地形データを組み込んだVR軍事シミュレーションなんて作った日には、他国に狙われかねないんじゃ、とか思ってしまいます。これは私が漫画脳なだけではないと思います。地図などの情報は、時代が時代なら最重要機密ですからね。今はGuugleMapなんかもありますし、とても身近なものになっているので、あまりピンと来ませんが。
私が渋っていることが判ったのでしょう。先方が、静かに口を開きました。
「こちらは、自衛隊員約三十万人のテストデータを提供する用意があります」
「……!」
思わず息を呑みました。予期せぬ言葉に、驚いたせいです。利点があるとしても金銭面だと思っていたのですが、思わぬ方向性でした。
正直、揺らぐものがありました。VRは未だ興隆中の技術。はっきり言って、槍玉に上げられることは少なくありません。今のところ副作用はありませんが、これからもないとは言い切れないのです。無いとは思っているのですが、それを納得させるだけのデータも足りません。
しかし、三十万人のテストデータがあるとなれば話は別です。医薬品ですら数十人単位での臨床試験しか行っておりません。あとは動物実験です。ですがそれで認可が下りています。三十万人ものデータがあるとなれば、一般から見ても、信頼性は非常に高いと言えるでしょう。
断るには惜しい。ものすごく惜しい。
とはいえ、対価は軍事シミュレーション。安易に是ということも出来ません。
私はしばし黙考します。
「……判りました、乗りましょう。ただし、二つ条件があります」
「何でしょう?」
「一つは、今回の話は、私個人との契約にさせてください。流石にスフィアネクスとして軍事シミュレーションを作るのはどうかと思いますから。もう一つは、地図データ自体の提供はお断りさせてください。その代わり、データフォーマットをご提供ください。そのフォーマットに対応させる形にしますから」
引き受けるに当たって、これくらいの線を引く必要はあるでしょう。
とはいえ、きな臭いのは確か。護衛の数を増やして自衛手段も何か探そうか、などと考えていれば、先方の男性がしっかりと頷きました。
「二点、了承しました。川西さん、どうか宜しくお願いします」
手がこちらに差し出されます。私はそれを握り返しました。契約成立ですね。
「では、さっそくですけど、細かい話を詰めましょうか」
私の言葉に、先方が首肯します。そうして私たちは、夜遅くまでどっぷりと話し込むのでした。
アポイントメントに応じた結果⇒約三十万人のテストプレイヤー確保。開発は続く。