1話 とりあえず大雑把に実装してみた結果。
「よし、コンパイル通った」
誰もいない第八開発室の中(誰もいないというか、私専用の開発室なんですけどね。乙女(笑)の園には侵入厳禁☆)、私はつぶやきます。
四枚並んだディスプレイに広がるコードの海。数千万行にも及ぶ文字列の波を私は悠々と泳ぎ切り、ようやく一つのプログラムを完成させました。といってもざっくりで大雑把で、見る人が見れば裏技出し放題、そんな穴だらけのプログラムです。
とはいえ簡単に動かすくらいであれば支障はないはずですし、穴はこれから潰していけばよいでしょう。
ぐい、と両腕を伸ばします。身体のあちこちからポキ、パキと軽い音が鳴って、いくらか全身がほぐれたような気がしました。あんまり鳴らすのは良くないと言われていますけどね。幼いころから鳴らしていたので、すっかり癖になってしまっています。
「じゃあ、みったん呼んで試してみますか」
“みったん”とは私の唯一の親友です。保育園からの仲で、幼馴染みというやつなのですが、私と同じくモテません。私がメスゴブリンだとするのであれば、彼女はメスオークでしょう。骨太でちょっとふくよかさんなのですが、とても気立ての良い奴です。ああ、別に悪口を言ってるわけではありません。メスゴブリンだのメスオークだの言い合っているのは、お互いにいつものことなのです。正直なところ、私は彼女が羨ましかったりします。だって胸でけえんですもの。その分腹もでけえですが。
内線電話でみったんのいる部署にかけます。彼女も私と同じく「スフィアネクス」の社員になっています。基本的にゲームの仕様関係は彼女に任せきりです。私がやるのはRPGツクールならぬVRGツクールを作成するところまで。彼女は私の作った基盤を用いてゲームの作り込みをしてもらうことになっています。といっても企画素人ですから、元からいた社員の人に助言を貰いながら頑張っているみたいです。
『はい、第二企画室です』
「第八開発室の川西です。小芽生さん、います?」
『はい、少々お待ちください!』
保留のメロディが流れてきました。曲名は「愛の喜び」。別に曲自体は嫌いではないのですが、曲名だけは頭からこびりついて離れません。最初は、この会社で使われている電話機を全部買い替えてやろうかと思いましたが、大人げないのでやめました。買い替えの理由を説明できませんしね、流石に。
私は言葉の通り、しばし待ちます。20秒ほど待ったところで、ぷつりと音楽が途絶えました。代わりに聞こえてきたのは、みったんの声です。
『小芽生です。どしたの、月菜?』
「えっと、プロト出来たからみったんにも試してもらおうと思ったんですけど」
“月菜”は、残念なことに私の本名です。この名前がいじめに一役買っていたのは言うまでもありません。
『おお、出来たのー? んじゃー、今からそっち行くわー』
軽い調子の言葉とともに、内線電話がぷつりと途切れました。私は受話器を置きます。それから彼女が来るまで手持無沙汰になった私は、先ほど書き終えたばかりのソースコードを眺めることにしました。我ながら膨大な量です。とはいえ、VR用のOSを作っているにも等しいのですから、仕方がないとは言えるのですけれど。
昔のPCは、DOSと呼ばれる文字ベースの画面で操作するのが一般的でした。今のような視覚的にわかりやすいGUIなんて存在しなかったのです。DOSがGUIに置き換わったように、いつか私の作ったこのVOSにも置き換わっていくと思っています。とはいえ、DOSがまだ残っているように、今のような形式のOSも残り続けることは確かだとは思いますが。
なんて、研究者みたいなことを考えていたら、第八開発室のドアが勢いよく開かれました。顔を出したのはメスオーク……ではなく、みったんです。ドアの隙間から私専属の護衛である内田さん(32歳男性)の姿がちらりと見えました。どうやら今日もしっかりとお仕事をなさっているようです。ありがたいことです。
「やほーう」
みったんが手を振りながら、こちらに歩み寄ってきます。手にはカードキー。私の部屋に入るための専用キーだったりします。まあこの部屋にあるプログラムとか、社外秘どころか社内にも漏らせないものですからね。慎重になるのも当然です。
「みったん、早かったですね。じゃあ早速テストしてみましょうか」
「おー、任せろー!」
みったんに、配線の繋がれたフルフェイスヘルメット型の装置を手渡します。彼女がそれをかぶる傍らで、私も同じようにかぶりました。そのまま、仮眠用のスペースに横たわります。みったんは会議机の上に横たわっていました。以前はみったんに仮眠用のスペースを明け渡していたのですが、仮眠用のベッドは私用のため、彼女のサイズには小さすぎました。そのため、今は会議机の上で横になることが常となっています。まあ仮眠用のベッドをもう一つ運びこめばいいんですけどね。面倒なんです。
「準備はいいですか?」
「ばっちり」
「じゃあ実行しますよ?」
「おー」
手に持っていたリモコンのボタンを押し、目を閉じます。すると、ブゥン、という低い音とともに、緩やかに意識が遠のいていくのがわかりました。
そこは黒い世界でした。黒い世界にも関わらず私の姿が見える、というか感知できる。そんな世界でした。
『ようこそ、マキシマへ! 個人設定を行いますか?』
ボーカロイドで吹き込んだシステムメッセージが聞こえてきます。ちなみに「マキシマ」は私が開発している最中のVOSのプロジェクト名です。世界的にシェアを誇るミニマムソフトに対抗してつけてみました。
私は目の前に出てきた「はい」と書かれた青い薄透明の映像に触れました。特に触感はありません。言うなれば空中に映し出された立体映像に触れたようなものでしょう。
『個人設定を行います。アシストを使用しますか?』
今度は「いいえ」に触れます。これであとは考えるだけで選択肢を選べます。
脳波マウスという装置が一時期、巷を騒がせましたが、カーソルを動かせる人と動かせない人がいたそうです。それと同じように、装置を使い始めたばかりでは「思考して動かす」という操作が出来なかったりするのです。そのために手の動きや視線で補助するシステムがアシストです。
しかしながら、私はもはや第一人者。今更アシストが必要なわけがありません。
『では、動作補整を行います。その場で足踏みしてください』
声の通りに設定をしていきます。しばらくすると全ての項目を終え、オールグリーンという表示が広がりました。準備完了です。
『それでは、ルナ・シェアワールド(仮)の世界へ、いってらっしゃい!』
あくまでも“かっこかり”です。ゲーム名がまだ決まってないので、私の名前を元につけました。こっちはゲームのプロジェクト名だったりします。その内みったんがそれらしい名前を着けてくれるでしょう。
視界が切り替わりました。目の前には、不思議な世界が広がります。草原と、青い空だけがある世界です。どう不思議なのか、一言で形容するのは難しいのですが、ぼやけているわけではないのに、認識しにくい。感覚はあるけれど、何か一枚隔てているような小さな違和感。そんな世界です。
脳というものはとても多機能で、意識せずとも感覚を補完してくれています。一番わかりやすいのは視界でしょうか。目で認識しているものは実は断片的な情報なのですが、それが連続的になるように補正をかけているのです。アニメ等はそれを利用して動いてるように見せかけているわけです。
この装置でも同様に、脳にごく短い期間ごとに情報を送っています。ですがあくまで情報そのもの。目や皮膚といった器官から送られたものと違い、個人に最適化されていないのです。そのために情報の認識にロスがあり、どこか不思議な世界になっています。
使っていく内に機械が自動的に補正をかけ、現実世界と同等になっていくのですが、馴染むまでにはしばらく時間がかかることでしょう。私は気にせず次の段階に進みました。
実のところ、ここまでは大学院時代に嫌というほど試してきましたので、ここまではただの前座なのですが。
――システム、オープン。
マキシマに思考でコマンドを送ります。すると、目の前にメニューが現れました。「スキル」「アイテム」「ログアウト」だけが並ぶメニューです。今のところVRG用に用意した機能はそれだけです。他は仕様が固まらないとシステムとして組み込めないですからね。あとは裏メニューとしてデバッグがあったりします。
私はその中からスキルを選択し、用意したスキルの中からスラッシュを選びました。スラッシュは剣を振ったその先から衝撃波を発生させるスキルです。剣は持っていませんが、私の体があらかじめプログラムした通りに動きます。
次の瞬間、信じられないことが起こりました。
「あ」
すっぽーん、と。私の腕が斬撃のエフェクトとともに飛んでいきました。ロケットパンチです。いやロケットパンチというか、バグなんですけどね。恐らく視覚データに齟齬が発生したのでしょう。一発目からやっちまいました。
ロケットパンチは空を切り、前方に飛んで行ったかと思うと、後方からまた現れます。データをループさせているせいでしょう。いつまでも消えない流れ星のように飛んでは去っていく腕を見ていると、変な笑いがこみあげてきました。いやあ、これはひどい。
「さすがにテストが必要でしたねー」
私は斬撃スキルのエフェクトと共に流れていく自身の腕を見て、はは、と妙な笑いを浮かべてしまうのでした。
とりあえず大雑把に実装してみた結果⇒ロケットパンチ。