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あからさまに剣呑な目つきでジャックを睨む少年。しかし、視線の先にいる相手はいささかも動揺しなかった。
「ああ、オスカー。ブライス君なら、彼女のたっての希望でここまで同行してきたよ」
ジャックが余裕のある口調でそう言うと、ブライスに声をかけた少年、オスカーは「だろうな」と言ってため息をついた。
「だってさー。こいつら面白いし、部長が言うほど悪い奴らでもないよ? 仲良くしたっていいと思うんだけどなー」
ブライスのそんな言葉に、オスカーにくっついてきていた残りの団員二人のうち、シンシアがはっとしたように目を見開いている。今の発言に何か思うところがあったのだろうか。意外だな、とステラは思った。
一方オスカーは、面白くなさげに目を細める。
「仲良く……か。それはできん、少なくとも俺はな」
「頑固者ー。まあいいや、今はそんな場合じゃない」
顔をしかめたブライスは、しかしそう言うと、すぐにオスカーに問いをぶつけてくれた。意外と気が回るらしく、安心できる。
「なんか青っ白い影を見なかったかな。あたしらそれを追っかけてたんだけど、見えなくなっちゃって」
オスカーとシンシア、それから名前をよく知らないもう一人の団員――気の弱そうな男子だ――はそろって首をかしげる。
「影? そんなものは見てませんわよ」
ブライスは残念そうに頭をかくと、消えたのを最初に認識したらしいトニーの方へ目をやる。
「そっかぁ。じゃ、本当にこの辺で消えたのかな。俺らが見失ったわけじゃなく」
言った後、彼は実に軽い調子で『笑い声』についても新聞部の面々に訊いた。正直、とてもこれまで避けていたとは思えない態度である。
それはそうと、新聞部の面々の中でも、一人だけ声を聞いている者がいた。
「ああ、これか? 耳障りだよな」
「部長もかっ!」
そう、オスカーである。ただし彼も、ジャック同様そこまでひどいわけではなく、立って話している余裕があるようだ。これを聞いて次に口を開いたのはナタリーだ。
「団長部長コンビは霊感が強いみたいだから、声が聞こえることに関して納得がいくんだけどね。でもそうなると、霊感なんてそこまででもないこの二人に聞こえるのは変な話よ」
トニーもそれに追従する。
「つじつまが合わないなぁ……って、大丈夫かいおまえら」
彼が後半の台詞で心配したのは、言わずもがな謎の頭痛でダウンしている二人である。先程から一言も口を利いていないから、なおさらだ。
「なんとか、平気」
ステラが言うと、「同じく」という声が隣から返ってくる。どちらも明らかに重症だが。その証拠に、新聞部の事情をしらない面子は訝しげな顔をしている。そしてさらに、ブライスが懇切丁寧に説明を入れているところだった。
「何が関係してるんだろー。女神さま?」
軽い調子でナタリーが放った言葉に、ぎくりとしたステラである。
しかも、まるで図ったかのようなタイミングで再び異変が起きた。
森がざわつき、笑い声が大きくなったのである。今度は今まで聞こえていなかった人たちまで弾かれたように顔を上げたので、かなりの大音量だ。
「これか」とブライスが嬉しそうに言っているが、生憎その気持ちはステラには分からない。むしろ、頭痛がひどくなって気分は最悪だ。
そんなとき、さらなる声が続く。
『獲物だ。愚かな人間どもがやってきた』
『呪え……殺せ……』
ここまでくると、さすがに皆動揺が隠せない。特に女子の多くは悲鳴じみた声を上げ、あのオスカーですら焦ったように辺りを見回していた。
「なんだ、これは!? おいジャック、まさか何か知ってるんじゃないだろうな」
「とんでもない。こんなのは知らないよ」
ジャックも、少し慌てたような声で返す。それでもオスカーより幾分か冷静なのは、経験のおかげかもしれない。
そしてステラたちはというと、もはやどんどんひどくなっていく頭痛のせいで、それどころではなかった。物騒なことを言う少年の声も聞こえていたが、そんなことよりも自分の身体をむしばむ謎の頭痛の方が深刻である。
しかし――
「ステラ……聞こえるか?」
小さな幼馴染の声は、妙に冷静だ。ステラは顔を上げ、暗い森を見上げる少年の顔を見る
「おそらくこれ、ミシェールのときと同じだ。瘴気……あるいは霊力が影響してる」
「ミシェールのときと同じ? それって」
意外な暴露にステラが頭痛を忘れかけた、そのときである。ひときわ大きな声が、森を強く震わせた。
『――我らが望むのは、憎悪の解放のみ!』
少年の声で堅苦しいことを言う、謎の声。それが今までのどんな声より大きく響いた瞬間、森に――いな、正確に言えばステラたちの周りに、とんでもない異変をもたらした。
笑い声はそれこそこれまで身体の異変を訴えていなかった人をもふらつかせるほど大きくなる。そしてそれに合わせたかのように、ステラの頭を異様な痛みが貫いた。
彼女は思わず、言葉にならない悲鳴を上げた。凄まじい痛みが鋭い爪となって頭をかき乱していて、もう周りを見るどころではない。どうにか地面をのたうちまわるまでいかず堪えていられるのは、彼女のプライドの賜物であろう。
「ステラ、レク!」
顔をしかめているらしいナタリーが絶叫している。レクシオの名も合わせて呼んでいるということは、彼も似たような状況なのだろうと、ステラは頭の隅で考えていた。
少年の笑い声のおかげで彼女の五感はすっかり乱れている、と思われていたが、意外にも仲間の声ははっきり聞こえた。
「これはさすがにまずいな。勝負どころじゃない……カーター、頼む!」
そう叫んでいるのはオスカーだ。つまらぬ矜持にこだわっている場合ではないと踏んだのだろう。呼びかけに対し、聞いたことのない少年の声がしたが、すぐにあの『新聞部』の団員の一人だろうと悟る。
そのカーターが何かしら叫んだ瞬間、頭痛が大分和らぎ、声も少しだけ小さくなる。ここへ来て、ステラはようやく平常心を取り戻した。
落ち着いて辺りを見回してみると、全員の周囲を桃色の薄い膜が覆っている。それを発動したのはおそらく、カーターと呼ばれていた気の弱そうな少年だ。そしてその膜の外にある森は、以前にもまして暗くなったように思えた。
「大丈夫、ステラ?」
前方から声をかけられたので慌てて顔を上げると、そこには心配そうに見下ろすトニーの姿があった。彼女が忙しなく首を縦に振ると、彼は「良かった」と言って、続けて隣に視線を落とす。
「レク……も、平気そうではないけれど」
「ああ。でもま、だいぶいい」
はっとして、ステラはレクシオを見た。彼もまだ完全にこの頭痛とおさらばしたわけではなさそうだったが、それでも数分前と比べると顔色は大分良かった。
「ありがとな、カーターとやら」
レクシオがそう言ったので、ステラも慌てて最前列の少年に頭を下げた。彼のおかげでどうにか心穏やかになったわけなのだから、確かに礼は言わねばなるまい。
しかし、そのカーター本人は顔の前でぶんぶんと手を振った。
「いっ、いえいえいえ! 僕、そんな大したことしてませんよ」
どうやら、徹底して気が弱いらしい。
それから全員の注目は、珍しく険しい顔をしているジャックに集まった。偶然といえどオスカーの隣にいて、こうして見るとなかなか息の合ったコンビなのではと思えてくる。もちろん、彼が黙ってくれているからこそかもしれないが。
「さて。問題はどうやってこの場をしのぐか……だ」
すると、まるでその声を聞いたかのような声が返ってくる。
『あはっ。この私らを撒こうというのか。――無理だね。女神の制約でも発動しないかぎり、それは無理だ』
「なんですの、それは」
シンシアが歯ぎしりをして呟く。『新聞部』の面々は、他も似たようなものであった。
ただし、『調査団』の方はというと『女神』という言葉にやたらと思い当たる節があるせいか、一度申し合わせたように顔を見合せて笑うと、
「へえ――――……」
と、言いながら、四人ともがステラの方へと視線を注いでいるのだった。
そのステラは四人ともの視線をひとつずつ認めていき、それから目を点にして顔を指さした。
「あ、あたし、ですか」
「おまえしかいないだろうよ。『女神の制約』なんてものをどうこうできる人間は」
呆れたように言ったのはレクシオだった。もう完全に、声の言うものがステラの力と同義であることを前提に話を進めてしまっているのだが、それに指摘を入れてくれる人間はこの場にいなかった。しかも、まだステラとしてはあの力の操作にかなり不安が残るのだが。
「頑張れ、女神の代行者!」
ただ、ナタリーやトニーにこうまで言われてしまっては、もう反論の余地などない。冗談抜きで頭をかかえたくなった。
「ちょっとそこ! なんの話してるの」
ついに割って入ったのは、ブライスである。しかし、誰も大して相手にはしなかった。ステラはよろよろと立ち上がると、
「うう、しょうがないなあ。魔導科プラスレク、集まれー」
いかにもやる気のなさそうな足取りでカーターのもとまで歩いていった。
「待て待て。なんで俺だけ名指しで呼ばれてんだよ」
そんなレクシオの文句など、もう聞いてはいない。なんのかんのと文句を言いながらも、彼女の頭の中ではすでに、ラフィアへの祈りが繰り返されていた。