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その後まもなく、集まりはお開きとなった。今日のステラは一人、孤児院へと向かって帝都の道を歩く。歩きながら、団長の言葉を思い出していた。
「好機――か」
彼は確かにそう言った。これは好機だと。
言わんとしていることはステラにも分かった。もし調査中に特殊新聞部の面々と鉢合わせて上手くいかなければ、対立は本格化する。だが逆に、上手く話しあいの場を持ち、そこで互いの腹を割って話すことができれば、この長きにわたって続いていた睨みあいに終止符を打つことができるのだ。
どちらの展開になるかは、当人たち次第だが。
その当人たちの一人は、やれやれと呟いて首を振る。
「なんでかなぁ。平穏を望んでいるときに限って、不穏なことが降ってくる……。あたしはラフィアに選ばれたんじゃなかったのか……。くそ、あの女神の正体は詐欺師か?」
一度だけ声を聞いた女神の名を出しながらぼそぼそと呟き、すれ違う人々から好奇の目で見られながら、彼女はぶらぶらと歩いていき、その影はやがて茜色の中に溶けていった。
◇ ◇ ◇
「奇妙なものだな」
親指と人差し指で、地面からすくいあげた砂をこすっていた男は唐突にそんなことを呟いた。これを聞いて隣にいる少女が少しだけ怪訝そうな顔をする。
「幽霊騒ぎなんて、そんなもんでしょ。むしろ何か分かった方が怖いよ」
そして訝る表情は渋面へと変わっていった。しかし男は何も答えず立ちあがると、ぐるりと周囲を見渡した。
今、この二人がいるのは「幽霊が出る」とのうわさがまことしやかに囁かれている森の奥だった。ここまで来ると木々がうっそうと生い茂り、光すら差さなくなってくる。そのため、日が沈み切っていなくとも真夜中のように暗い。
そんな暗い森の中で、男をじっと見つめていた少女が急に声を発した。
「ねーえ。もうそろそろ帰ろうよぉ。アタシ、疲れちゃったよ」
足元を泥だらけにした少女の声は、本当に不服そうだ。だが、男はそれを軽くあしらい、ふらふらと手を振って制したのだ。それから、ほとんどが木の緑に支配されている空を見上げる。少しだけ覗く明るく美しい夕暮れの空はしかし、どこか不穏な空気を漂わせていた。
「……来たな」
「はあ?」
男の呟きに素っ頓狂な声を上げたのは、少女だった。彼の真似をして彼女も空を見上げ――そして、怪訝そうな表情を消し去る。まるで感情が消え去ったかのような顔で睨む彼女はとても先程までの少女とは思えなかった。そんな彼女が、ぽつりと呟く。
「本当だ。こりゃ、意外な展開だね」
無機質ではあったが、どこか楽しげな響きのある呟き。それに呼応するように、空は突然暗くなった。といっても、唐突に真っ暗になったわけではない、粉塵に覆われたように、薄く灰色に染まったのである。その向こうに見えるのはやはり夕焼け空だ。
それを見ながら少女が楽しんだのであれば、男は嘆いた。こめかみをおさえて言う。
「やれやれ……厄介なことになったな。さすがにそろそろ戻った方がいいかもしれん」
「おっ。やっと戻るの~?」
男の呟きに、少女は疲れの滲んだ、しかし嬉しそうな声音で訊いて彼の方を振り返る。彼がゆっくりと首を縦に振ると、彼女はため息をついて背伸びをした。
「あー、良かった。こんな現象をはた目から見てるのは面白いけど、もし幽霊に呪われなんかしたら洒落にならないからね」
などと、この状況下では笑えない台詞を笑顔で吐きだす。そんな少女に呆れの眼差しを送った男は、その後すぐに右手をゆっくりと上げた。
「来い。飛ぶぞ」
男は淡々と言った。対する少女は「はいはい♪」と笑顔のまま言って、男のすぐ隣まで戻ってくる。それを見届けると、彼は先ほどあげた右手を素早くふりおろした。
すると、二人をぐるりと囲むように光の膜ができる。見る者が見れば分かるだろう。これが、魔導術の一種であることが。そして、光の膜は徐々に白色に染まっていき、二人の姿を覆い隠していく。やがって完全に白い球体へと変化すると、瞬時にその場から姿を消した。
後に残ったのは、粉塵のようなものにまみれて薄暗くなった森と――
『許すまじ……許すまじ……』
『呪う、殺す、呪う』
『待っていろ、愚かな者どもよ』
子供の声で発せられる高らかな笑い声とともに吐き出される、そんな怨嗟の声だけだった。