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秋が深まり、黄の月も終わりを告げようとしている。周囲の木々は少しずつ緑から赤へと変わり始め、吹く風は少し冷気をはらんできたように思う。だが、それでもまだ太陽の光は強く照りつけて肌を焼いていた。この残暑が無くなるまでは、もう少し時間がいりそうだ。
そんな中、ステラ・イルフォードはここ一か月間訪れることのなかった場所へと足を運んでいた。扉の前に立ち、その横にとりつけられた呼び鈴を鳴らす。
少し待つと、扉が開かれた。そこからひょっこりと出てきた顔を見て、彼女の表情が少しばかり緩む。
「おや、ステラさんじゃないですか」
「久し振り、エドワーズさん!」
いかにも優しそうな金髪の青年、エドワーズに対しステラは笑いかけた。彼もそれに対し微笑みを返す。そんな時、少女の後ろからひょっこりともうひとつの顔が現れた。
「ちなみに俺もいるよ」
「あ、レクシオさん!? いつの間に!?」
驚きの声を上げるお人好し神父を一瞥してから、ステラは背後を振りかえる。そこには、ぱんぱんになった袋をぶらさげて笑う少年――レクシオ・エルデの姿があった。ステラはその笑みを見て、少しばかり眉をひそめる。
「あんた……人を脅かすの、好きでしょう」
「え~? そんなことないぞ」
しかし、否定をする幼馴染の顔はどこか楽しげだった。
ここは、帝都の片隅の小さな一軒家。心優しい神父が住まう場所。
「へえ~。それじゃあもう、教会の中に入っても問題はないんですね?」
相変わらず簡素な応接間の中で紅茶をいただきながら、ステラはエドワーズに問いを飛ばした。彼はやんわりと笑って答える。
「ええ。いい仕事をする建築業者のおかげで内装もほぼ元通りですしね。これで今までと同じように務めを行うことができそうです」
「そっかぁ……」
息を吐いて、肩を落とす。正直かなりほっとしていた。
帝都を騒がせた殺人事件、および殺人未遂行為から三週間は経っただろうか。あれから警察や憲兵隊は死に物狂いで捜査を続けたが、犯人の姿を捉えることはなかったし、決定的な手掛かりを見つけることもなかったので、仕方なく一度捜査を打ち切ったそうだ。よって教会の規制線も外されて今では普通に出入りできるようになっている。
警察の者たちが規制線を外した時、教会の損傷箇所が増えていることに首をかしげていたが、興味を持ってそこに野次馬としてかけつけていたステラとレクシオと友人三人は何も言わなかった。もちろんエドワーズも、シラを切りとおした。
こうして、その後はとりたてて事件について騒がれることもなく、事件に深くかかわった六人もいつも通りの生活に戻ったのである。
「それにしても神父さん」
近くで買ってきたらしいカップケーキをほおばりながら、レクシオがエドワーズの方を見た。
「前と比べて、なんか柔らかくなってません?」
彼は、そんな言葉を口にした。
「そうですか?」
エドワーズはそう言って首をかしげたが、言われて彼の姿を凝視していたステラは「ああなるほど」と思った。なんともかしましい五人に出会ったばかりのころは、もう少し肩に力が入っていた気がする。物腰も柔らかくはあったが、その態度の端々に生真面目さを感じられた。だが、今はそれが無い。柔和な青年そのものだ。
「そうですね。なんか力が抜けたというか! あ、いい意味で、ですよ」
ステラもにっこり笑って言ってやる。エドワーズはしばし考え込んでいたが、やがて自分のカップを両手で包むと微笑んだ。
「あなたたちの気楽さがうつったのかもしれませんね」
皮肉のようにも茶化しのようにも聞こえるその言葉に、幼馴染二人組は声を立てて笑った。
代わり映えのしない日常の風景ではあるが、そこには確かに、小さな小さな変化が起きていた。
エドワーズの自宅にお邪魔したその翌日。ステラは学院のとある場所にぽつりと存在する中庭で、一人まどろんでいた。
数週間前の大騒動以降、怪奇現象も事件も起きない。グループ活動も休みになることが多く、彼女は再び伸び悩む自分の成績に頭を抱える日々に戻りつつあった。ただし、忘れていないこともある。
『銀の魔力』を発動させる修行だ。
件の騒ぎで開花したその力は、しかしステラの手に余るものだ。今はまだ、自分の意思で起こすことすらままならない。だからそれができるようになるために、放課後の時間を見つけて修行をしている。
「ふー……」
小さく、息を吐き出した。
「中庭で魔力放出の修行をするわけにもいかないし、今日は予定もないし、休み時間は暇だなぁ」
言いながら伸びをする彼女の表情は、不服そうな言葉とは裏腹に緩みきっていた。
ここ最近のステラは、日常というものにありがたみを感じるようになっていた。妙な幽霊に襲われるわけでもない、殺人鬼と対峙しなければいけないわけでもない、ごく普通の生活。それが何物にも代えがたい宝だと、今になって気付いた。
冒険に憧れることは確かにあった。剣をとり、未開の地を拓き、強力な敵を退ける。今でもそう言った行為に魅力を感じないと言えば嘘になる。だが、そう言った非日常的な冒険は安定した日常があってこその『楽しみ』なのだ。
(ずー……っと事件続きだったら、多分どこかで気が狂っちゃうだろうな)
心の中でそんなふうにぼやきつつ、彼女は再びのんびりとくつろぎ始めた。
――世の中というのは、不思議なものである。
平穏を望んでいる者のところに、大抵騒動がやってくるのだから。
「ちょっと、どういうことよ!? そんなのただの言いがかりじゃない!」
ステラが異変に気付いたのは、そんな金切り声を聞いた瞬間だった。しかも、声そのものに妙な覚えがある。彼女は目をぱっちりと開くと、慌てて小さなベンチから体を起こして、声のもとを探り始めた。
ほどなくして、それは見つかった。この小さな中庭の端。ここで一番大きな木がたっている草地のところに、人が二人立っている。一人は嫌と言うほど見覚えがあった。短い黒髪と気の強そうな顔立ちは、ステラの友人の姿にほかならない。
(ナタリー!)
彼女は心の中で悲鳴を上げた。負けん気が強くてすぐ人に突っかかるきらいがあるのは知っていたが、こんな所で余計なトラブルは起こしてほしくなかった。嘆きながら、向かい側に立っているもう一人に目をやる。
こちらは見たことが無い少女だった。ステラよりやや明るい茶色の長髪を揺らしていて、目の色は緑。まるで人形のような美しい顔立ちに思わず見とれそうになった。だが、次に彼女の口から発された言葉を聞いて、その熱は一瞬にして冷める。
「どこが言いがかりなのよ。あなたたちが我がグループの活動を妨害したのは事実でしょう?」
口調は、高飛車なお嬢様そのものだった。意地悪そうに微笑み、阿呆みたいに口を開いて固まるナタリーを見ている。さすがのステラも、これには愕然とした。
今、彼女はなんと言った?
(『あなたたちが我がグループの活動を妨害』……ですってぇ?)
グループ間の話であれば、当然ナタリーだけではなくステラや幼馴染のレクシオなども含まれてくる。ステラは慌てて記憶の糸を辿ってみたが、他グループの活動を妨害するような行為をしたという事実は見つけられなかった。団長のジャックがそれを許すはずもない。そもそも、あのお嬢様がどこのグループに入っているかを知らないのだからどうしようもないのだが。
ステラがうんうんとうなっている間にも、舌戦はヒートアップしていた。
「何が妨害よ!? 私らは巻き込まれただけだっつーの!」
「だったらその場で大人しく手を引けばよろしかったのではなくて!?」
「あのねぇ、こちとら命握られてたの! 引くに引けない状況だったの、分かる!? 無茶苦茶なこと言わないでよ、腹立たしいっ」
「命を握られるですってぇ!? ねつ造もいいところですわ! どうせ、お宅の団長お得意の作り話でしょう!」
「なっ……確かにジャックは見ためそんなふうかもしれないけど、ねつ造なんて一度もしたことないわよ! あいつはね、言ったことは何でも本気でやるやつなんだから!」
「ちょっと待ったああああああああああああああああああああっ!!」
さすがに見ていられなくなったステラは、二人の間に割り込むと同時に声を張り上げた。どうやらこのお嬢様女子もどこかのグループの長というわけではなさそうだ。つまり放っておくと、互いの長抜きでとんでもない争いが始まりかねない。
一方のグループの一員として、これは止めなければならない舌戦だった。
二人はしばし固まり、やがて顔を上げると目を瞬いた。
「す、ステラ?」
「あのねナタリー!」
友人がこちらを認識すると同時に、ステラは彼女をびしっと指さした。それから一気に言葉を吐き出す。
「この争いの発端はなんなのか、まず説明して頂戴! このまま他のメンバーどころか長すら抜きにした喧嘩をされると、こっちも迷惑なの! 幽霊少女に襲われて殺人鬼との戦闘で肋骨折って女神さまに選ばれて人間離れした奴らの相手をさせられて、その次にグループの抗争ですって!? あたしをどれだけ日常から遠ざけたいんだあんたらはっ!!」
ステラが一通りまくしたて終えると、二人は再び呆然として突っ立っていた。何を言っているのかはもはや本人ですら分からなかったのだから、とりあえずその気迫に気圧されたのだろう。あるいはうっぷんが溜まっていたのを察したか。
「はいはい、分かったらとにかく説明!」
だがステラは、一切の容赦なくこの少女二人に説明を求め、再び指を突き出した。
二人の喧嘩を交えて行われた説明を要約すると、こうだ。
まず、ナタリーのもとにひどく憤慨した様子のお嬢様――名をシンシアというらしい――がやってきて、話があると言い中庭に連れ出した。
そしてナタリーが用件を述べるよう急かすと、彼女はいきなり「あなたたちのグループが我がグループの活動を妨害した」と言ってきたそうだ。ナタリーが理由の説明を求めたところ、シンシアはかなり興奮した様子でまくしたてて述べた。いろいろ言っていたようだが、要はこの間の殺人鬼の件は彼ら『特殊新聞部』が調べて自分たちの新聞に取り上げるつもりでいたが、それをナタリーたちの『怪奇現象調査団』が先に調べて、その上事件を収めてしまったため、その取材ができなくなってしまった。ゆえにこれは、立派な妨害であると――
「言いがかりね」
ステラはこの上なくきっぱりと言い捨てた。シンシアが呆然としているのが分かったが、構わず先の発言の補足をする。
「こればかりは、全面的にナタリーの言うことが正しい。あたしたちは事件に巻き込まれた上犯人側に目をつけられたから、どうにかこの件を終わらせようと駆けずり回っただけ。団長のジャックも最初は『怪奇現象とは無縁だから関わらないで行こう』と言っていたし、あたしたちもそのつもりでいたんだからね? 誤解しないでほしいわ」
ジャックは確かに、いつも陽気でナルシストぶっていて馬鹿っぽくやっているが、決して本物の馬鹿であるわけではない。分別もきちんとつけられるし、既定の方針を覆さざるを得なくなった時も冷静に対応してくれる。無鉄砲なところもあるが、こう言う意味では非常にリーダーに向いている人間と言える。
「それに、あなたたち『特殊新聞部』がどこでどういうふうに活動をしようとしていたかなんてわからなかったんだから、仕方ないでしょう? 今回の件については、すっぱりあきらめてくださいな、シンシアさん」
ステラはそう言い捨ててこの喧嘩の『判決』を締めくくった。放心状態のシンシアを放って、ナタリーの手を引き、足早に中庭を後にする。
「ナタリー」
急展開に唖然としていたナタリーが、この呼びかけでようやく我に返った。いやに真剣な顔をしているステラを、呆然と見返している。
「今日、ジャックに会ったら集まりを開くよう頼んでおいて」
「――なんで?」
おおよその理由に見当はついているはずだろうが、彼女は首をかしげた。ステラは表情を引き締めて言う。
「あの子たちがあれで引き下がるとは思えない。一応、今日のことを報告しておく必要があると思うの。シンシアがどうしてあそこまでジャックを悪く言ったのかも気になるし――ね」
その態度は毅然としていたが、ステラは内心で大いに嘆いていた。
(また厄介事に巻き込まれた!)
もう、泣き崩れたい気分だった。