1
カーターをはじめとする『新聞部』の驚きようにまったく頓着せず、ステラは桃色の膜を触ってみた。ぴりぴりと静電気にも似た感触が指先に伝わってくる。
「ふむ……これ、魔力通るのかしら」
独白にも似たステラの言葉に慌てて答えたのは、これを張った張本人であるカーターだ。
「は、はい。一応魔導術を通すようにしておきました。内部からも応戦できるように」
「へえー。あんたも、気弱そうな顔してなかなかやるじゃない」
あまり感情のこもらない声でそう言った彼女は、背後で顔を真っ赤にしてうろたえるカーターなど完璧に無視し、背後にさりげなくひっついてきた調査団の仲間たちに目配せをする。その意思を汲み取ったらしい彼らは、各々うなずいた。
それを見たステラは、『新聞部』を含む全員に宣言する。
「ちょっと今から、あたしとレクであの幽霊に喧嘩売ってみるわ。で、ナタリーかトニー辺りが合図するからそれが分かったらこれを解除して一斉に走って。いいわね?」
普通なら、これだけの説明では納得できずに疑問の声が飛んでくるだろう。事実、オスカーやシンシアはなんのことだか分からないという顔をしていた。しかし、事態は一刻を争う。文句を垂れている暇はないと判断したのか、全員がそれぞれいつでも行動に移れるような体勢に入った。
それを確認したステラは、背後のレクシオに視線を送る。彼は無邪気に笑って、「いざとなったら俺がどうにかするさ」と囁いた。その声に安心したステラは、ゆっくりと瞑目する。
外の笑い声にしっかりと耳をかたむけながら、『あの夜』の感覚を思い出していった。
身体が徐々に熱を帯びてくる。その熱は特に指先に伝わり、どんどん膨れ上がっていった。上手くこれをコントロールする自信はない。しかし、いざとなれば幼馴染が抑えてくれると言うし、この局面では迷いこそが一番の毒になる。
やるしか、ない。
改めて腹をくくったステラは、これまでの練習やあの日の感覚を記憶の底から引っ張り出しながら、指先から膨大な魔力を放出し――その瞬間、目を開いた。
「な、何あれ!?」
ブライスの悲鳴が聞こえるのと、ステラが自らの手元から放出される銀色の光を見たのは同時のことだった。太い線のように伸びた『銀の魔力』は、桃色の膜をやすやすと突き抜けると、外で弾けて光を撒き散らした。銀色の光線により、今までとは打って変わって森が明るくなる。
『これは……女神の制約! なぜただの人間が』
少年のうめき声が聞こえる。その瞬間、トニーたちも動き出した。
「今だ、行けっ!!」
彼が声の限りにそう叫ぶと、緊張の面持ちであったカーターが慌てて解除を実行する。それと同時に、全員が踵を返して走り出した。もちろんそこには、魔力の放出を終えたステラや万一のときの補助役として控えていたレクシオも含まれる。
「う……上手くいった!」
ステラは、走りながら拳をにぎった。横で、レクシオが乾いた笑いを漏らすことも、ブライスがしつこく先程の現象について追及してくるのも、もはや気にならなかった。
こうして九人の学生は、不気味な怨嗟の声を背に、脱兎のごとくその場から逃走を果たすのであった。
どれほど走っただろうか。もう、そんなのが分からなくなるくらい走ったことは間違いない。笑い声が完全に聞こえないところまでくると、ステラは足を止めて息を吐いた。薄暗く、加えてさして暑くもない森の中だというのに、体中にじっとりと汗をかいているのを感じ、眉をひそめた。
「ふ、ふわぁぁ……なんだったの、今の」
甲高い声に反応して隣を見ると、赤毛の少女ブライスが、土が身体につくことも気にせずへばっていた。それを見たせいか、ステラの口からもため息が漏れる。
「噂の幽霊は、確か影っぽいってだけだったよね。なんかそれ以上のことになってるんだけどさあ」
先程おもいっきり叫んだせいか、声が若干しゃがれているトニー。彼は、自分たちが走ってきた方向を見ながら苦々しい面持ちでそう呟いた。
さらにその隣では、ジャックとオスカーが仲良く考え込んでいる。シンシアやカーターやナタリーは狼狽しっぱなしであった。そしてレクシオは、こめかみを押さえてジャックたち以上に渋い顔で思考にふけっているようであった。
「どっ、どうする? これから」
一同の顔を一通り見回したステラが、どうにか声を絞り出して訊いた。すると、全員が一度無言になり、時間にしておよそ三十秒、その場に沈黙が下りた。
そして、口を開いたのは――
「ちょっと考えてたんだが」
お互いのグループの『長』だった。計七つの顔が二人の方向に向いた。仲がいいのか悪いのか分からない二人は何秒か顔を見合わせると、これまた同時に言った。
「勝負はお預けにして、手を組んだらどうかと」
そこまで言ってジャックとオスカーは再びお互いを見た。それから、ぷっ、と小さく吹きだしたジャックが先に言う。
「おや、何年かぶりに意見が一致したね」
「不本意ながら、な」
対して、答えたオスカーはたちまち不機嫌になった。シンシアやナタリーがどこかやりにくそうな顔をしていたが、ブライスは元気よく手を上げた。
「はいはい、それ賛成!」
「俺もそれがいいと思うなー」
さっきまでの消沈ぶりはどこへやら、と思わずにはいられないほどの大声で発された言葉に、トニーが楽しそうな顔で便乗した。何やら考え込んでいたレクシオまで、快活に笑う。
「まあ、この森を早々に出るという選択肢を消すなら、それしかないだろうな」
さらにカーターも、
「これはいい機会かもしれませんね。『調査団』の人たちのことが知りたくなってきた」
そんな彼らに乗せられてか、ステラも我知らず口を開いていた。
「ほら、賛成多数ってことで。そうしたらどうです?」
知らない内に意地わるい口調になっていたが、ジャックは逆に楽しそうな顔でうなずいていた。それからオスカーの方を二度ほど叩く。すると彼も、相変わらずの面持ちのままだが、とりあえず首を縦に振ってくれた。
「好きにしろ。……それはいいが、どういうふうにして行動するつもりだ?」
オスカーのその問いに、一度は全員が言葉に詰まる。ただ、わずかな間の後に一人が答えていた。
「まず、あの訳の分からない子供幽霊を野放しにしておくとこっちが危険なわけだから」
その一人とは、レクシオ・エルデ。彼はオスカーの剣呑な視線を受けながらも、全く動揺せずに続けた。
「どうにかしてあいつを消し去る、というのが一番だろうな。
で、これは二年ほど『調査団』で幽霊話を追い続けた俺の勘なんだけど――あの手の、人を酷く憎んでいる、またはどうにかして殺したいと思っているやつらの多くが、この世に残留する何かしらの理由、まあこの場合はそれっぽく『未練』とでも言い換えるか。その未練を抱いているように思えるんだ。しかも負の感情の」
「あ、確かに。この間のミシェールも、チェルシーとのすれ違いを根に持ってる感じだったもんな」
トニーがそう言うと、レクシオは一度うなずいて、また息を吸い込んだ。
「そう。だからミシェールのときのように、それをどうにかして取り除けばいい。だけどこの場合、俺ら調査団が『人形の館』で使ったような手は使えないだろう。相手は聞く耳を持ってくれないだろうからな。
だから今度は、何組かに分かれて『未練』につながるようなものをこの森で探し出す。この森に残留してるんだから、手掛かりはこの森にあるはずなんだ。――どうだろう?」
そう、最後に問うたレクシオの緑の瞳は、深くうなずくジャックの前を一度通り過ぎ、続いて仏頂面のオスカーの方に向いた。彼はムスッとしながら彼の顔を睨んでいたが、やがてぽつりと、独白のように一言。
「切れ者という噂は本当か。悪くはないな」
それを肯定と受け取ったらしいレクシオが屈託なく笑ったところで、ステラがおずおずと手を上げる。どうぞ、と幼馴染に指名された彼女は、控えめに言った。
「でも、どういうふうに分けるの? 九人なんていう、中途半端な人数なんだけど」
レクシオは実にあっさりと答えた。
「うん。実は俺も、そこに悩んでた」
こればっかりはそれぞれのグループの、人数の都合なのでどうしようもない。しバラク悩み、それからステラはこう言った。
「あ。三かける三で九だから、三人一組で行けばいいんだ」
レクシオやトニー、ジャックやオスカーもうなずくが、トニーとオスカーの視線は若干泳いでいた。きっと、嫌な人と同じ組み合わせになりたくないのだろう。
と、ここでまたしてもブライスが発言。
「はいっ! ステラと一緒がいい!」
予想はしていたが聞きたくなかった言葉に、ステラはがっくりとうなだれた。ブライスと組むのは無難ではあるが、疲れる。
しかしまあ、だれもそこには口を挟まないのでそのまま組分け作業に移ることとなる。実質、ブライスの意見は採択されたも同然だった。
それから十分の議論の末、組み合わせが決まった。今回は戦闘時の戦力うんぬんはあまり考慮されない。ふたつのグループの状況が状況だからか、三人の関係性――改善が必要なものも含む――を考えた組分けとなった。
まず、ステラは、
「予想してたけど……結局こうなるのね」
「やったねー! いろいろと話がしてみたかったんだ」
結局意見を貫き通したブライスと、
「むう。たまには他の奴と組むのもいいかと思ったが、まあこいつはこいつで面白いからいいや」
ステラをよく理解しているという全会一致の末に決まったレクシオと、組むことになった。
もはや腐れ縁と呼んでも過言ではないかもしれない、などと一人で考えたステラである。
そして、
「まさかあんたと組むことになるとはね」
不機嫌顔のナタリーと一緒になったのは、
「その台詞、そっくりそのままお返しいたしますわ」
相性最悪のシンシアと、
「……今からでもいいです。誰か代わってください……」
この九人の中で一番不憫と思われるカーターだ。
さらに残りの三人、
「俺もこいつと組むのは嫌なんだがな」
仏頂面を崩さないオスカーと、
「まあまあ、せっかくだから仲良くしよう」
思いもよらぬ『好機』に恵まれ上機嫌のジャックと、
「いやぁ~どんな展開になるのかな~」
ほとんど悪乗りでこのチームに入ったトニー。
ちなみにオスカーと一緒になると最初に言いだしたのは、ジャックである。それを聞いたとき、『調査団』の全員が揃って実感した。やはりジャックは、この一件でオスカーと決着をつけようとしているんだ、と。当然、『調査団』側はだれも反対しなかった。『新聞部』側はシンシアだけが難色を示したが、少数意見は力が弱かった。
「さーて、組分けも終わったことだし、みんなにひとつ渡しておくかなあ」
組分け作業が終了した途端、レクシオが明るい声でそんなことを言った。全員の注目を集めた彼は、持ってきていた鞄をあさると、何かを取り出して全員に投げた。それぞれ投げられたものを受け取った人々は、手の中にあるそれをしげしげとながめる。ステラもまた、その一人であった。
「何、これ……?」
見たことがない物だった。いや、実際に見たことはないが何かの資料には載っていた気がする。――そう、確か“銃”という名前のものだった。
金属の重みを感じながら幼馴染の方を見ると、彼もまた同じものを手に取っている。ステラの問いに、いつもとまったく同じ調子で答えた。
「発煙弾が入った拳銃だよ。何かを見つけたら、それぞれの組の中のだれかが、それを空に撃ちあげてくれ」
彼の答えにまっさきに食いついたのは、オスカーである。特に物珍しそうに拳銃をながめていた彼は、言った。
「確か、銃火器の類は現在、大陸西部でしか流通していないはずだろ。いったいどうやって手に入れたんだ?」
この台詞にはさすがにステラもぎょっとしたが、訊かれた本人はあっけらかんと答える。
「いや、武器商人のおっちゃんと知り合いだからさ、今日のために仕入れておいたんだ。本当は調査団分しか用意しないつもりだったんだけど、予備も買っておいて助かった」
なんで武器商人と知り合いなんだとか、そもそも銃は高いんじゃないかとか、いろいろ言いたくなったが、ステラはそれらの疑問をすべて頭の隅に追いやった。今問い詰めても、何も進展しない。
微妙な空気が場に流れかけたが、幸か不幸かそこでカーターまでもが口を開いたので、皆の注目はそっちに移る。
「あ、じゃあ、僕も渡しておきますね」
そう言って彼は、魔法陣のようなものが描かれた紙を一枚ずつ、丁寧にみんなの手へと配っていった。
「これは……」
ナタリーが訝しげに口を開きかけ、途中でつむぐ。それを見たカーターは、笑顔で答えた。
「対幽鬼用の魔導術が組み込まれた魔法陣です。先程の、ステラさんの術ほどじゃないですけど、多少はあの幽霊たちに効くかと思いまして。万が一遭遇したら、それ使うか、全力で逃げるかしてください――あ、ちなみに効果は一回きりですので」
動揺しやすい彼にしては珍しく、淡々と言葉をつむぐ。トニーが、紙をながめながら漏らした。
「ふうん。対幽鬼用ねぇ……そんなものがあったんだ」
彼の独白に、珍しくオスカーが答える。
「こいつは、魔導科の中でも治療系の術と退魔技術を専門的に学んでる奴なんだよ。神官専攻って言った方が分かりやすいか」
なるほど、と言う声がどこからか漏れる。宗教の内容にかかわらず、各教会には治癒と退魔の魔導術を身に付けた神官が常駐している……そんな話は、噂程度ながら帝都でも囁かれていた。だが、実際本当にそんなものがあると知っているのは、それこそ魔導科の限られた者くらいだろう。
と言うか、そんなものがあるんなら人形の館に行くときに借りればよかった! ステラは心中でそう嘆き、心中で拳を思いっきり地面に叩きつけていた。
もちろんそれに気付いたのは、あの館での不憫な経験を良く知っているレクシオと、勘のいいナタリーくらいのものである。しかも、嘆くステラのことなどいっそ清々しいほどに無視していた。
「よぉし、じゃあ行くとしよう! 言っておくが、くれぐれも無理はしないでくれよ」
そんなジャックの号令に、人数分より少し小さい呼応の声が響き渡った。




