初恋は叶わない、はずだった
初恋は叶わない。人が恋愛する上で起きた経験則から、浸透した一節。ドラマやマンガの題材にも選ばれ、人気に火がつくジャンルの一種。
実際、初恋が叶った人間はいるのだろうか。統計学で調べても、パーセンテージは低い。むしろ、叶わないに一票を投じる人間の方が大多数だろう。
例え叶ったとしても一時的な恋。若気のいたれ、過ちだった、昔の失敗談。などなど。負け戦に勝敗が分配される意見の方が多くみられる。
一般論として、初恋は叶わないものと言う意見だろう。だから、諦めていた。この恋は、絶対に実らない。実るとしたら、彼女の恋が終わった時だろう。
幼馴染みというのは厄介だ。家が隣同士で、母親同士の仲がいい。母親の仲がよければ、必然的に子供同士の仲も深まる。相手の家は同い年の女子が一人。こっちは同い年。二人で仲良く、できはしなかった。彼女との間にもう一人。幼馴染みの括りに入れていいかは難しい。いや、彼女からしたら幼馴染みの一人だろう。
もう一人の幼馴染み。それは彼女と自分の三つ上の兄。そして、彼女が恋する相手。初恋は叶わない。夢物語の結末は知っている。知っているが、好敵手が実の兄だなんて。
恋心を自覚したのはいつだろうか。自我が芽生えた頃には、彼女の隣に立つのが必然だと思っていた。保育園も一緒、小学校も一緒。保育園で半日遊んで、兄の迎えを待つのがルーティン。兄が迎えに来た時、彼女が嬉しそうに抱き付くのを見た時には、淡い恋心の蕾が膨らんでいた気がする。兄が出迎えに来た途端、こちらの事はそっちのけ。兄に夢中な彼女に幼いながらも嫉妬していた記憶がある。五歳でこれだ。小学校に上がってからは、もっと顕著に好意を全面に彼女は出していた。
はっきりと恋だと自負したのも、同時期だろう。そして、告白せずに玉砕したのも同時。彼女の一番は、いつだって兄だった。
友人枠での一番は自分、男性としての魅力の一番は兄、初恋相手も兄。彼女が兄を慕っていると察するのも容易だった。
小学生の間は三人の輪があった。中学生の間も、一応三人の輪があった。彼女の間には一本の細い糸で紡がれた縁。対して彼女と兄の間には太くて赤い糸。所謂、赤い糸というやつだ。
彼女からの大きな矢印が、一方通行なのが救いだろう。運がいいのか悪いのか、兄にとって彼女は可愛い妹らしい。
一人の女ではなく、妹。兄がことある毎に諭してくれる。この認識の違いが、救い。喜ぶ一方で、彼女の報われない恋が終わりを告げるのが怖かった。
彼女が抱く恋心は枯れてはくれない。中学、高校と年を重ねる度に強まっているように感じる。何故かって。彼女と兄の距離の近さが物語っている。
妹だと言う割に、兄は彼女と一緒に過ごす時間が多い。勉強を見てもらうため、は百歩譲って許せる。学年は三つ上の兄、三年分の先行く知識には叶わない。教えを請うのが同年代より、経験ある兄に頼るのは理解できる。頭で理解できても納得は出来かねるが、割り切るしかない。
ただ二人で会う事に関しては割り切れない。休みの日、彼女が兄と二人で出かける。気に食わなかった。昔は三人一緒だった。年を重ねる事に三から一を引いた二人で出かける。
お洒落して、背伸びする彼女を見かける度に胸が痛んだ。遠出したからとお土産を渡してくる彼女に、有り難うと受け取る。全然、有り難くもない。兄と選んだお土産、誕生日プレゼント。全部、嬉しくもない。
感情の籠もらない上辺だけの感謝に、彼女の顔色が曇る。曇りたいのは自分の方。好いた彼女が、他の男と選んだ贈り物を手渡す。喜べやしない。彼女が顔色を曇らせるのも気に入らない。
兄の弟だから、優しくしているのだろう。兄に取り入るために、仲良くしてくれているのだろうか。
思考が嫌な方面ばかりに働く。感情、というものは厄介。違うと言い聞かせても、仲睦まじい二人が視界に映ると毒を吐く。そして、自己嫌悪のループ。
何で、兄がいいのだろう。ずっと隣に居るのは兄ではなく自分だ。年上の異性は、魅力的に映るのだろうか。もし立場が逆であれば、彼女の好意は全て向けられていたのだろうか。
二人揃って、互いに実らない秘めた恋を抱いて十数年。彼女の初恋が、砕ける日がやって来た。
「彼女と結婚しようと思う」
「……」
ある日、兄が紹介したい人がいると言ってきた。まさか、隠れて彼女と付き合っていたのだろうか。不安が胸中を締める中、家族総出で兄の恋人を出迎えた。
招かれたのは、彼女とは違う女性だった。職場の同僚だと、両親に紹介していた。そこから先は記憶が朧気だ。
終始、脳内を占めていたのは一つだけ。兄の結婚相手が彼女ではない。安心すると同時に、喜んでしまったことへの罪悪感だった。
彼女に何と伝えればいいのだろうか。今、告げなくともいずれ知る事になる。知るなら早い方がいい。さっさと諦めろと、言ってやりたかった。
報いのない恋愛なんて時間の無駄。見切りをつけて、次を探せと背中を押したかった。もし叶うなら、次に彼女の想い人は自分であればいい。淡い期待を抱いて、彼女を呼び出した。
「兄貴が結婚するらしい」
「……そっか」
彼女と二人っきりで会うのはいつ振りだろうか。高校卒業までは、何かと理由をつけて隣に立って居た。だが、進路の関係で大学が別れてからはない。四年ぶり、ではないだろうか。仲介する兄は、おらず文字通り二人きり。
さすがに自室に呼び出すのは、気が引けた。昔、よく遊んでいた公園に呼び出してベンチに腰掛ける。一人分の空白は、まさに二人の距離間を示しているようだった。
兄の結婚報告を告げれば、彼女からは覇気のない返事。やはり悲しいのだろうか。俯いていて表情が読めない。
慰めの言葉は浮かんでは霧散。口を開こうとしても、口籠もる。慰めの一つも言えずにいれば、彼女がポツリと呟いた。
「いいなぁ。羨ましい」
「……」
羨ましい、その一言が示す先にあるのは何だろうか。兄と結婚する恋人が羨ましいのだろうか。未練を残す彼女に、我慢が限界だった。
「……羨ましいって、もう無理だろ」
「無理って」
「兄貴が結婚するのはもう決まったんだ。それを羨んでも今更だろ」
「何言って……」
「さっさと諦めろよ。いつまでも初恋を引きずんな」
「諦めろって、酷い」
「お前が選ばれることはないんだよ!」
「……なんでそんな酷いこというの」
「なんでって、事実を言ってるまでだ。お前が、兄貴と一緒になるのは無理なんだよ」
どんどんヒートアップしていく。沸々と湧き上がる身勝手な憤りが、牙を剥く。淡々と、突きつけていけば、応酬が止まった。
「……違う」
「あ?」
「私がずっと好きだったのは、お兄さんじゃない」
「は?何言って」
「私の初恋は、ずっと隣にいてくれた人」
涙が籠もった熱い瞳に射抜かれる。兄ではなくて、ずっと隣にいてくれた人。彼女の言葉がずっと鼓膜を揺らす。
初恋は叶わない。そんな足枷が、切れる音がした。




