犯人たちとの攻防1
「はい、こちらは警察110番です。事故ですか?事件ですか?」との問いかけに、
「あっ、事件です。ま、孫が、たった今・・誘拐されました。三人の犯人に連れ去られました!」高倉裕は振り絞るように答えた。
「ええっ、そうですか、分りました。落ち着いてお名前とご住所を教えて下さい」
「私の名前は高倉裕です。さらわれた孫の名前は高倉宏一五歳です。えーと、住所は・・」と質問に答えながら、事件の顛末を簡単に伝えた。通信指令の女性担当官もやや焦った感じで、被害者の怪我などの状況の確認と被害の中身に関する情報提供を求め、いつ発生したのか、犯人は何人なのか、もう家にはいないのか等を少し前後しながらも、必要な情報や分っていることを聴き出した。その聞き取りの中で、ただの誘拐ではなく、それに先立ち、強盗の被害にあったことも担当官は理解した。この担当官も事の重大性に驚き、
「これからすぐに警察官がそちらに向かうので、犯人が家の中にいないことを確認して、家の明かりをつけて、玄関の鍵をかけて待っているようにして下さい!」と伝えた。その後、裕はすぐに颯太に電話をして事情を話した。颯太は昨晩は少し酒を飲んだようで、最初は何の話か理解できなかったが、数分間のやり取りで事態を理解し、心臓の鼓動が常にないスピードで高鳴るのを感じながらも、父裕になるべく早くにそちらに向かうと伝えた。
警察が到着するまでの間で、裕は震える手足を気持ちで奮い立たせ、玄関の鍵を締めて二階を見に行くと、隣の敷地に向いた部屋の一つのドアが開いていたので、慎重に近づき部屋の明かりをつけると、ベランダに通じるサッシのガラスが割られているのを発見した。
「ここから侵入したんだ」と裕は独り言を言って、念のために他の部屋にも静かに入り、全ての部屋の明かりつけて部屋の中を探った。他の部屋には異常は見当たらなかった。その後、階段を降り、妻と娘が待つリビングに戻り、見てきたことを伝えた。二人は裕の報告にはあまり反応できないでいた。宏一が連れ去られたという事実で頭が一杯だったのだ。三人はリビングのソファーで寄り添うようにしていたが、佐苗はまだ震えが止まらない楓に
「楓、心配しないで。絶対大丈夫だから!」と慰めたが、楓は胸が塞がれる思いのようで、
「お母さん、ごめんなさい。私が部屋を出たから・・宏一を連れ去られたんです」と泣き出した。裕は楓の背中をさすりながら、流石に企業経営を長年続けた人らしく冷静に、
「楓、奴らの狙いはきっと身代金だと思う。我々にも酷い事をしていないし、宏一にも怪我をさせてはいないはずだ。お金を払えば宏一を返してくれる」とここまでも話すと、もしかしたら携帯か固定電話に何か要求が入っているかもしれないと思い確認した。その二つには何も入っておらず、彼らがどんな手段で連絡をして来るのかを想像したが、電話だとすると固定電話、でも、電話番号が分るのだろうか?と分らないことだらけだった。そして、裕が荒らされたリビングをあらためて見回すと、壁に掛かっていた絵画が盗まれていて、飾られていた部分の壁が周りより白く、四箇所が白いので四つの絵画が盗まれていることを確認した。また、棚に置いてあった小ぶりの陶器も二つほど無くなっていた。確か二人で侵入してきたのに手際が良いと思った。そして、その後に宏一を連れ去った連中とは別人だったような気がした。玄関の外に誰かがいて、手渡しで絵画や壺をどこかに運び、逃げ去るときには次の犯人達がどこかに忍び込んでいたのかとも思った。裕はこんな時でも冷静になれる自分に気がついたが、「ああ、何よりも宏一の命だ。あの子が無事に帰ってくるのなら、他は何もいらない」と心の中で念じた。
そして、リビングの壁に掛けている時計を見た。時間はもうすぐ早朝四時で、この時計は別荘の新築祝いに弟の賢司に贈られた物で、イタリアの時計職人に特注した品物で、買ったら数百万円はするはずだと言われたことを不意に思い出し、強盗犯は案外玄人ではないような気がして、かえって怖くなった。そして、リビングで妻たちの向かいのソファに移動し、暫く一人で沈痛な面持ちで頸を項垂れて、両手を合わせて反省をした。
「こんな事になるとは!私の油断がいけなかった」と自分の独り言に、自分で疑問を感じた。
「でも、何に対する油断だろう?この家のセキュリティに対する油断なのか、昨日来た人たちに対してか、まさか大石家の人たちが関係しているのか!」と動揺が収まらない状態で、色々と後悔しても意味が無いと思い、今度は腕を組み自分の体を自ら包み、
「私がしっかりしないと宏一は戻ってこない。誘拐事件は長引くと良い事はない。さっさと金を払って宏一を取り戻す方が良いだろう。宏一の命より大事な事など無い!」と再度心の中で念じた。ふと、右の側頭部に痛みを感じたが、手を当ててみたが血は出ていないが、最初にリビングで棒のような物で殴られたときのものだ。スタンガンは左腕に当てられたので、そこに触れるとそこも少し痛みが残っていた。しかし、そんな痛みより宏一の事が心配で「警察はまだか?」と焦る気持ちを抑えられずにいた。
一時間ほど経ち、やっとパトカー二台が先着した。夜間は表のゲートはリモコンか別荘側から解錠をしないと敷地内には入れない設定で、裕がサイレンの音を確認しセキュリティを解除していたのでパトカーは玄関前の駐車エリアまですんなり入ってきた。裕は窃盗犯も誘拐犯も車で来たはずだが、どこから侵入してきたのかを不思議に思った。同時に犬の鳴き声もしなかった事に気づき、動物病院に預けている事を思い出した。けたたましい音でサイレンを鳴らしてきたので、裕は内側から解錠し玄関ドアを開けた。玄関の外側には雨よけの屋根があり、屋根の下の明かりを付けていたので、五、六人の警察官の姿がはっきり見えた。先頭の刑事らしい男がドアを押さえながら警察手帳を見せて名乗った。
「高倉裕さんですね。信濃県警捜査一課の筑摩です。彼らは全員私の配下の警察官です」と裕に挨拶をした。少し甲高い声だが冷静な感じが伝わってくるその刑事は、中肉中背できちんと分け目を付けた髪と茶色の縁の眼鏡を掛け、その奥には知的な好奇心の塊のような目が光っている。
「皆さん、お怪我はありませんか?」と言いながら玄関から中を伺うように観察しながら入ってきた。彼に続く刑事と警官も左右を見ながらライトで周りを確認しながら、一人二人と用心深く入ってきた。まだ、犯人が潜んでいる可能性があると思っているようだが、裕は彼らの用心深さを頼もしく思いながらリビングに案内し、ソファに座っている妻佐苗と嫁の楓の所へ、筑摩と二人の刑事を案内した。筑摩はソファの反対側に立ち、先ほどと同じように甲高い声で佐苗と楓に
「長野県警捜査一課の筑摩です。お怪我はありませんか?」と聞いてきた。そして、三人の様子を観察しながら、ほんの少し頷いたように見えた。暑い季節にもかかわらず、グレーのスーツと白いワイシャツにネクタイを締めた堅そうなこの刑事は、大怪我をしている様子ではないことに安心したのかもしれない。
「高倉さん、犯人はもうこの家の中にはいませんか?」と冷静さが伝わる口調で尋ねるので、
「はい、さっき確認してきたのでいません」と裕も何故かつられて冷静に答えた。
「ほう、ご自分で既に確認されたのですね!分りました、あなたとご婦人お二人には本当に怪我はありませんか?」
「ええ、酷くはないです。私と妻は棒のような物で殴られたので、少し打撲はあるかもしれませんが大丈夫です。それと嫁の楓と私はスタンガンだろうと思いますが、ビリビリとする装置で、少し気絶したような状態になっていた気がしますが、私は今は大丈夫です」との話に、一緒に入ってきた警察官は女性二人の様子を観察した。佐苗と楓は警察官に犯人に殴られた箇所とスタンガンを当てられた箇所を説明した。筑摩は裕の殴られた部分とスタンガンを当てれた部分を確認して、
「まだ、ここは痛みますか?救急車をすぐ呼びますか、どうしますか?」と側頭部と肩を少し押したが、裕は少し無理をしているのかもしれないが、誘拐された孫の救出の方が優先すると思っている様子で、
「怪我は大丈夫です。それより、孫が誘拐されたので、何とか助けて下さい!」と高倉は少し苛ついたように言った。それに対して筑摩は表情を変えずに、右手の人差し指で眼鏡フレームに触れて、その指を立てて
「もちろん、お孫さんの救出を最優先します。でも、闇雲に捜索することは出来ませんので、お話を聞かせて下さい。この家にいるのは今ここにいる三人の方だけですか?」と対応を再開した。裕はこの刑事は少し感情の起伏が薄いタイプかと感じた。それは良い事なのか、腹立たしいことなのか、裕は少し頭の中で天秤にかけたが、きっと宏一を取り戻すには良いことだろうと思った。下手な同情より、孫を救ってくれる能力がある方がありがたい。そのことを頭の中で考えている間、自分でも少し間が開いた様な気がしたが、
「あ、はい、そうです。他にはいません」と裕は答えた。
「まず、分かる範囲で何があったのかを、ゆっくり思い出しながらで結構ですから、教えて下さい」と筑摩は落ち着いた様子で尋ねてきたので、裕を中心に物音に気づいてからの事を話した。時折、妻の佐苗と楓に確認をする事はあったが、裕は事件に巻き込まれた被害者としては驚くほど冷静に事情を話した。筑摩もそんな裕の態度に感心して盛んに頷きながら話を聞いた。十分ほどの聴取で事件のこれまでの流れは理解できた様子で、筑摩は事件の流れと犯人たちがどんな連中なのかを、被害者と一緒に整理しようとしているのか、経緯と分かった事をゆっくり繰り返した。その際、茶色の縁の眼鏡を左の人差し指で少し持ち上げるようにして、
「高倉さん、そうすると盗まれたのは絵画が四、五点と陶器が二つ、そして、お孫さんの宏一ちゃんが誘拐されたという事ですね?」高倉は静かに頷いた。筑摩はさらに
「犯人は多分五、六人で、二人が二階の窓ガラスを割って侵入して、絵画を盗んで玄関から逃走し、その後に多分三人が玄関から侵入し、宏一ちゃんを誘拐して逃走したということですね」と経緯をゆっくり確かめるように裕に確認した。
「はい、そうです」と裕はこの刑事の冷静さで、自分の頭も整理できたことを感じつつ答えた。
「そして、犯人達全員が頭から目だし帽のようなかぶり物をしていて、顔は見ていない訳ですね」と捜査にはかなり不利な状況を確認した。
「はい、そうです」と裕が頷くと、筑摩は相変わらず抑揚もなく、少し長く続けた。
「犯人達が侵入してきた時刻は、本日の深夜二時以降で、物音で異変に気がついた高倉さんと奥様が、廊下を歩いて来て、リビングに電気をつけて入った時に、犯人がステッキのようなもので危害を加えてきた。お二人がじっと伏せている間に作業を終えると逃走した。ここまでは間違いありませんか?」と三人の顔を見ながら尋ねると、裕が
「はい、間違いありません」と答え、さらに筑摩は
「その後は犯人が逃走した後に、お二人で二階へ階段で上がると、物音に気がついた楓さんが一人で、宏一ちゃんと一緒に寝ていた部屋から出て来た時に少し言葉を交わした。すると、別の三人がいきなり階段を上がってきて、お二人の後ろから現れ、皆さんを突き飛ばして、宏一ちゃんが寝ている部屋に入り、すぐに宏一ちゃんを一人が抱えて出て来た。そして、阻止しようと彼らの前にたった高倉さんと楓さんに、二人の犯人がスタンガンで暴行を加え、宏一ちゃんを誘拐して逃走した。これが多分三時少し前だろうと」裕がまた頷くので、
「誘拐されたお孫さんの名前は、高倉宏一ちゃん、五歳。今が四時なので犯人は一時間程前に逃走したわけですね」と最後の確認したので、裕も事件の経緯を確認出来たので、
「はい、それで間違いないと思います」と裕はそう答えると、もう犯人が逃走してから一時間が経過したのかと思うと、少し不安が増したように眉をしかめた。横にいる佐苗は俯いている楓の背中をさすりながらも、裕と筑摩の会話の最中もずっと孫宏一の事が心配な様子で唇がかすかに震えている様子だった。
「逃走した方向は分りますか?」との質問に裕は頸を捻った。
「家の中で少し気を失っていたので姿は確認していませんが、玄関から逃げたのは多分間違いないと思います」と裕が自信なさげに話すと、佐苗は珍しく
「私は犯人達が玄関から逃げて行くのを見ました。多分、表のゲートの方に行かずに、庭の方に行ったように思いました。庭に向かう砂利の音がしてました」と口を挟んだ。それに筑摩は少し嬉しそうな声で、また左の人差し指で眼鏡の位置を調整するようにしながら、
「ほう、そうですか。表の玄関のゲートは閉まっていたのでしょうか?」これには裕が即座に、
「はい、室内から解錠するか、リモコンで指示しないと開きません。リモコンは家の者しか持っていません」
「うん、つまり侵入と逃走経路は庭側かもしれないと。庭の先はどこにつながっているのですか?」筑摩は裕と佐苗の両方の顔を見ながら尋ねると、裕がはっと気づいたように、
「あっ、お隣の庭とつながっていますが、お隣は最近あまりいらっしゃっていません」と話すと佐苗が補足するように、
「お隣のご主人が体調崩され、病院に数ヶ月入院されていると聞いています」
「よし、お隣の家に続く庭と駐車場も捜査対象だな。そのルートで逃げていれば、何か痕跡があるはずだ」と隣にいる刑事に目で合図した。少し目が輝いたように感じた。表情の薄い刑事が目を覚ましたようだった。そして、筑摩は眼鏡の位置を調整した。まるでその仕草で行動と推理のスイッチが入るかのようだが、癖なのだろう。
そこまでの聴取を続けていると、玄関にさらにサイレンを鳴らして警察車両が数台到着したようだった。玄関で見張りをしていた警察官が筑摩に報告した。
「警部、大川警部補と捜査一課の刑事が到着しました」それに頷き、筑摩はソファーからスーと立ち上がり、裕達に「ちょっと失礼します」と声をかけて、リビングの前の廊下で後から来たメンバーに状況を説明し、簡単な指示をした後に玄関の外で誰かに連絡をしている様子だった。筑摩は強盗事件と誘拐事件が同時に発生したと断定し、誘拐事件の解決を最優先するために、県警本部内に捜査本部を至急設置し、警察庁への支援依頼をするべく上司の捜査一課長に連絡を取っていた。このような場合、通常被害現場とは別の場所に捜査本部を設置し、被害者家族宅には被害者の犯人への対応の指導やフォローのために、密かに経験豊富なメンバーを貼り付けるが、筑摩自身が最も経験豊富なので、被害者宅で現地本部として指揮を執りながら、被害者フォローもする事とした。次に重要なのが逃走した誘拐犯を追いかける前線本部なのだが、逃走方面が不明なのでまだ設置出来ずにいた。
筑摩が連絡をしている相手は長野県警捜査一課長の高良田課長で、強盗傷害・誘拐事件の発生にすぐに対応し、県警本部の幹部にすぐに連絡を取り、最短で考えられ得る準備の許可と要請をしたが、逆探知をするためには通信会社の了解を得る必要があり、まだ通信会社の通常営業が開始おらず、逆探知の準備が出来ていない状況だった。現地で対応を開始している筑摩にその事が伝えられた。
現時点で分っているのは、窃盗犯が二人か三人、誘拐犯が三人いて、幼児を誘拐し今も逃走中であり、今後、誘拐犯からの要求が予想され、この対応と幼児の安全確保が最優先であると報告した。高良田課長は筑摩に、
「逃走した方角は分らないのですね?」と尋ね、筑摩は少し声を落として
「はい、分っていません。ただ、浅間山を越えて群馬側に逃げていれば群馬県警にも捜索依頼をする必要があります」
「ああ、そうだな。でも、これでは情報が少なすぎて捜索もかけられないな。もう少し、被害者から情報を引き出してくれるか?」
「はい、分りました。引き続き聴取を続けます」と報告を終了させ、被害者が待つリビングに戻った。被害者達には警察官の一人が気を利かせて、被害者の家の冷蔵庫からだが、水やお茶が配られていた。筑摩はソファに座る前に大川を呼んで、何か分ったことはあるかと尋ねると、
「昨日、怪しい訪問者があったそうです。その前にも親戚の訪問があったようです。その辺が怪しいようですね」大川は親戚と同行者の名前を控えた手帳を筑摩に見せた。そこには
八月六日(水)午後
訪問者は三名
佐苗の実兄の妻:大石浪江 五十歳から六十歳
浪江の息子:京介二十歳から三十歳
浪江が働く店の主人:山田哲夫五十歳位
高倉夫婦と長男颯太が対応、三人は夕食を食べて宿泊
八月七日(木)午前
大石浪江、京介、山田哲夫を颯太が信濃沢に送迎
颯太はそのまま別荘には戻らずに東京渋谷のオフィスに向かった
夕方、浪江から早苗に連絡があり、庄司と三上の訪問承諾の要請
八月八日(金)午後
佐苗の父と夫の代理人訪問
庄司(少し怖い感じ)、佐久間(庄司の知り合い) と書かれていた。
筑摩はそれをじっくり見て、
「そうか、そこから続けるか」と話しリビングのソファに戻った。
「高倉さん、三日前から一昨日にかけてご親戚の方の訪問があり、昨日はその方の知り合いの方の訪問者があったそうですね。繰り返しになりますが、どなたですか?」裕は自分でもゆっくり振り返る努力をしながら、冷静に答えた。
「三日前に来たのは、妻の義理の姉にあたる大石浪江さんと息子の京介さんと、それから浪江さんが働いているお店の店長の山田さんという人です。彼らは一晩お泊まりになって一昨日の午前中にお帰りになりました。送迎したのはどちらも息子の颯太です。昨日は、浪江さんの代理人という庄司さんと連れの三上さんという人の訪問を受けました。この二人は自家用車で来ました。この二人の訪問に関しては、浪江さんから妻に事前に連絡あったのでお会いしました」筑摩は代理人という呼び方が気になっていたが、
「その二人は何をしに来たのですか?」との質問に珍しく裕は言い淀んだ。
「・・・実は妻は実のお父さんとお兄さんとは、長い間“生き別れ”のようになっていたんです。そのお兄さんの奥さんが大石浪江と言う人ですが、お父さんとお兄さんが、偶然私と妻と家族がテレビで紹介された番組があって、それを一緒に見たようで、その後連絡をしてきたのです。彼女はこの別荘を訪れた時に、お父さんとお兄さんが妻に会いたがっていると言って、その相談で庄司さんという人と佐久間さんという人が代理人として訪れました」筑摩は何故もっとシンプルに直接相談が出来ないのかを疑問に思い、妻の佐苗を見ながら
「つかぬ事をお伺いしますが、どうして生き別れになったんですか?」柔らかい口調で尋ねると、佐苗は少し目を伏せて
「それは、父と母との離婚です」と静かに答えると、筑摩は申し訳なさそうに
「はあ、なるほど。言いにくいことをお聞きして失礼しました。だから、直接相談ができなかったんですね」
「そうです」と佐苗は少しうつろな感じの目つきで答えた。筑摩は変だと感じた。何か他にも事情がありそうだが、彼女は被害者だという事から外れた質問は不適切だと思い、質問を変えた。冷徹そうな割には無神経な男ではなさそうだ。
「ところで、高倉さんが紹介されたテレビ番組とはどんな番組ですか?」これには裕が答えた。
「私は少し前までABDシステムという会社の社長をしてまして、社長紹介という番組に出演したのです。その時に妻も紹介されて、たまたま長らく会っていなかった妻のお父さんとお兄さんがその番組を見ていたそうです」と言うので、筑摩は大川に合図を送った。大川は慌ててスマホで検索をした。確かに高倉裕はABDシステムの前社長で、現在の役職は顧問だった。
筑摩は元の話に戻り、さらに尋ねた
「奥様、お父様とお兄様のお名前は?どこにお住みですか?」佐苗は今度は裕の顔を見て、答えて良いかを確かめているようだが、裕が頷くのを見て
「父の名前は大石純夫で、兄は大石太郎です。父と兄は信濃市に住んでいるようです。先日、義理といって良いのかは分りませんが、義理の姉にあたる兄の妻の浪江さんから聞きました」
「すみおはどんな字を書くのですか?」
「純粋の“純”に“夫”です」と答えると、ソファのすぐ後ろでスマホで検索を続けていた大川は気になる情報を見つけたようだ。大石純夫が過去に強盗致死事件を起こし、有罪となったという情報だが、五十年も前の事件だ。大川は筑摩の肩をたたき合図をして、リビングの外に誘導した。佐苗と裕はそれを目で追いながら、父の事件を見つけたんだなと悟った。楓は相変わらず、そんな話には全く反応をせずに、息子宏一の事のみを案じているようだった。筑摩と大川は三分ほどでリビングに戻って、
「つかぬ事をお聞きしますが、今日の犯人の中に昨日までに訪れた人がいる可能性はありますか?」と、かなり限定的な質問をした。佐苗は頸を振ったが、裕は
「確信はありませんが、浪江さんたちの訪問のすぐ後なので、何か関係があると思います。それとリビングで絵を盗んでいった男達は少し慌てていたように感じました。・・・何か慣れていないような感じです。でも、宏一をさらっていった連中は慣れた感じでスタンガンを私たちに当ててきました」「それに、」と言って頸を捻って考える様子なので、筑摩が軽く催促をした
「高倉さん、どうかしましたか?気づいたことがあれば何でも話して下さい」
「宏一を抱えていた男が“下がれ!余計な事をすると、この子を殺す”と言ったのですが、目出し帽の一人が驚いて、その声を出した男の方を見た気がしました」
「その声を出した男と攻撃をしてきた二人に見覚えは?」と筑摩が尋ねると、裕は
「皆目だし帽を被り、黒い服を着ていた事しか分らないのですが、でも、近づいたときに女性の香水のような匂いがしました」一生懸命に思い出しながら少し妙な事を言い出した。「二人のうち一人は女だったかもしれません」これに筑摩は大きく頷き、
「声を出した男は慣れた感じで、二人を攻撃してきた犯人のうち一人は女である可能性があるとい事ですね。そして、”殺す”という言葉に反応したと」と周りの刑事に聞こえるように話し、さらに
「そして、窃盗犯はもしかしたら訪問客のうちの誰かである可能性がある、と言う事ですね」と続けた。裕は大きく頷いた。そして楓に
「楓さん、ちょっと宜しいですか?」楓は蚊の鳴くような声で「はい。どうぞ」
「楓さん、ご主人にはご連絡をされていますよね?」
「あのう、父からすでに連絡をしてもらっています」とやっと聞き取れるような声で言うと、裕が
「警察に連絡したすぐ後に電話しました。颯太はなるべく早くこちらに向かうと言っていました」
「分りました。この部屋と階段と二階の侵入に使った部屋はこれから鑑識が入って手掛かりを調べますので、ご婦人方は寝室か、お休みになれる部屋にお移り頂いて結構ですよ。ご心配でしょうが、少しお休み下さい。高倉さん、我々が捜査のために使って良いお部屋はありますか?そこで、高倉さんにはもう少しお付き合い頂きたいのですが、宜しいですか?」
「分りました。妻と嫁は一階の奥の私たちの寝室で休ませます。刑事さん達は隣の応接でしたら、ある程度の人数まで入れますのでそこを使って下さい」との了承が得られると、すぐに筑摩が捜査員たちに指で合図をし、彼らは機敏に動いた。筑摩はリビングを出ていく早苗と楓に声をかけた。先ほどまでより低く優しい声掛けだった。
「お二人は少しお休み下さい。何かありましたら、すぐにご報告しますので、できるだけ楽になさって下さい」二人は軽く頷き部屋を出た。それを確認し、裕は筑摩に尋ねた。
「私に用事は宏一の事ですね?」筑摩は裕を正面から見て、
「そうです。犯人から接触があるはずなのでご協力下さい。こういう場合の対応方法をご説明しますので、お聞きいただけますか?」と筑摩は慣れた感じでその場を取り仕切った後に、優しげではあるが、順番通りのような固い内容の説明を始めた。裕はこの刑事は少し冷たい雰囲気はあるが、とても頼りになると感じていた。
高倉が社長をしていたABDシステムの事業内容を大川が確認したところ、通信システムや防犯システムの開発もしているようで、筑摩は逆探知に関する現在のネックは通信会社の承認を得る事なので、被害者に聞く話ではないとは思ったが、
「高倉さん、この後犯人から連絡があり、お孫さんに関する事と身代金の要求などがあると予測されます。その際にご存じかもしれませんが、『逆探知』という事をするのですが、その際に通信会社に個人情報を扱う許可を得る必要があります。あなたの会社でもそれに関連するシステムを扱ってらっしゃいますよね」
「ええ、警察関係にも納品しているシステムがあります。確か逆探知をするには通信会社の承認が必要な事も聞いたことがあります。もし、その承認を早く得ることで孫の命が助かるのなら、すぐに連絡を取れる当てがあります。でも、確か裁判官の令状が必要だとも聞いたことがありますが」筑摩は裕がそんな事をよく知っていると驚き、喜びつつも冷静に
「令状のほうは緊急事態なのでこちらで対応します。通信会社のほうですが、もしそのお相手が信頼できる人であれば、連絡してもらうことは可能ですか?」
「ええ、この近くに住んでおられる西川さんという方で、信用できる人です。元MMTの役員をされていたので相談に乗ってもらえるかもしれません」とかなり有効な情報となりそうなので、筑摩は大きく頷いて
「高倉さん、では協力要請の電話をお願いできますか?必要ならば、お電話を代わります」
高倉は躊躇うことなく、さっそくその場で西川に電話をした。数回呼び出し音が鳴った後に、
「はい、もしもし、西川です」と眠そうな声が聞こえた。まだ、早朝五時なので当然なのだが、
「早朝に申し訳ありません。高倉です。緊急のご相談があるのですが」
「あれ、もしかしたら、外で警察のサイレンの音が随分していますね。何かあったんですか?」
「ええ、じつは私の家に強盗が入り、孫の宏一が、、誘拐されたんです」驚くべき内容に西川も声が裏返るようになり、
「ええっ、本当ですか?・・それは大変だ!それでっ、私に相談とは何ですか?」
「実は今警察の方がこちらにいらしていて、犯人からの電話に逆探知を仕掛けたいと言っているんですが、何分朝早いので通信会社の承認を得られないと言っています」これだけの会話で西川は高倉からの電話の意味を理解したようで、
「なるほど、理解しました。この辺りの固定や携帯の回線はMMTと『DoTel』の契約をしている率が高いので、ヒットする可能性が高いですね。分りました、両社の責任者を知ってますので、すぐに連絡を取ってみますので、連絡が取れたら折り返し連絡します」
「ちなみに担当する警察の部署はどこですか?」会話はスピーカーモードにしていたので、すぐに筑摩が例の甲高い声で
「担当は長野県警の捜査一課です。私は捜査一課の警部の筑摩です。責任者は高良田課長で、本部長は小川本部長です。全ての責任は我々が取ります」電話の向こう側で西川の面食らった様子が浮かぶ感じで、
「あ、あ、警察の方ですね。分りました。営業が開始したらすぐに正規の手続きをお願いすると思いますので、その時は宜しくお願いします。とにかく、こんな状況ですので、緊急対応を要請してみます。では」と言って西川は電話を切った。
裕は少しだけホッとした様子で、
「上手く調整できると良い良いのですが、もし承認が取れる前に連絡が入ったらどうなるのですか?」
「はい、その時は警察で把握できるレベルで調査するしかありません。でも、通信会社の協力が得られれば、犯人に対して大きなアドバンテージになります。犯人はこんなに早く逆探知の体制が取れるとは思っていないはずです」と筑摩は話したが、この時間的なアドバンテージがこの後の捜査の役に立てば、と心の中で思っていた。
「分りました。宜しくお願いします」と裕は大きな不安に押しつぶされそうな気持ちを少し奮い立たせながら、「絶対に宏一を取り戻す」とさらに心に念じた。
筑摩は、被害者家族がこのように冷静でいられることに驚き、
「高倉さん、あなたは凄い人ですね。こんな状況でも冷静にしておられる。我々も全力を尽くして宏一ちゃんを助けます。既に長野県警は帳場(捜査本部のこと)を立てて、全員で動き出していますし、警察庁も支援体制を作ってくれます。あなた方には強力な味方がついていますよ」
高倉は「筑摩さん、本当に宜しく願いします。妻や楓へのご配慮も感謝します。犯人は身代金の要求をしてくるでしょうか?」筑摩は即答した。
「ええ、お金なのか何かはわかりませんが、九分九厘要求してくるでしょう。要求額がいくらかは分りませんが、支払うおつもりすか?」
「はい、いくらであっても支払います。宏一の命に代えられる物などありません」
「高倉さん、ただ、身代金を払っても宏一君の身の危険が無くなるわけではありませんので、慎重に対応しましょう。場合によっては犯人逮捕や身代金よりも宏一君の安全確保を優先した場合には、身代金を取られ、犯人逮捕が遅れる可能性がありますが、宜しいですか?」
「ええ、それで結構です」と裕は躊躇なく答えた。
「犯人がどんな手段で連絡してくるか分らないので、携帯など通信手段は全てこの部屋に集めて頂いて宜しいですか?それから、宏一君のお父さんの颯太さんはこちらへ向かっているのですよね?」
「はい、後一時間以上はかかると思います」
「到着は何時頃になると思いますか?犯人はあなたではなく、宏一ちゃんのお父さんを名指しするかも知れません」
「なるほど、そうかも知れません。息子の到着は多分、六時半から七時の間だと思います」




