怪しい訪問者たち
山田や庄司たちが『紫亭』で悪巧みの相談を重ねていた週の後半に『紫亭』に少し異質な来客があった。その男は暑い初夏の日の夕方に、浪江を名指しで尋ねてきたのだ。暑い日にスーツを着て来店し、背格好は普通だが、かなり特徴のある顔つきだった。短髪面長で、眉が薄く目が細く鋭い、鼻が尖っていて、口が大きく顎が長い。 浪江も山田も少し動揺したが、彼の名刺を見てさらに驚いた。先日テレビ番組で紹介された佐苗の夫が社長をしていたあの会社の名刺だった。さらにその名刺の役職は商品開発室長と記載されていた。染谷寛二だ。こんな絶妙なタイミングでの訪問に、浪江も山田も当然緊張したが、居留守を使ってもすぐにバレると思い浪江は名乗った。するとその男はいきなり満面の笑顔で話しかけてきた。
「あなたが佐苗さんのお姉さんの浪江さんですね。つかぬ事を伺いますが、ご主人の太郎さんとお父上はご健在ですか?」と尋ねてきたので、浪江はあたふたとした。
「何故、あなたはそんなことを知っているの?何故、そんな事を私に尋ねるの?」と心臓をドキドキさせながら聞くと、染谷は
「あ、失礼しました。実は私は高倉家の方々と親しくさせて頂いています。あなた方の存在を“ある筋”から聞いていて、実際の状況を調べて欲しいと頼まれているんです」と応えた。浪江は元々あまり深く物事を推理するタイプではないので、自分たちの計画がばれたわけではなく、別の事情で来たのだと素直に思った。山田の方はまだ疑いの目を持ったままだが、警察でもマスコミでもないので、浪江に
「浪江さん、お二人のことを話してあげたら?」と優しげに促した。浪江は
「父も主人も健在です。父はかなり年なので寝たり起きたりになってますけど、主人はまだ元気に畑仕事をしています」と応えると、染谷は嬉しそうな表情で
「そうですか!それは良かった。みんなに良い報告が出来ます。有り難うございます」と話し、続けて
「実は私はあなたのご主人とお父さんを佐苗さんに会わせてあげたいと思っているのです。今は内緒なんですけど」と、思いがけなく浪江や山田達が企んでいる事を実現させようと言うので、浪江はすっかり染谷を信じて、彼のアイデアにすぐに乗ろうとさえ思ってしまった。山田も上手くいくか心配だった事が、正に“瓢箪から駒”で意外に簡単に実現しそうな気がしたので、上機嫌となり、商売上手な彼は
「浪江さん、良かったじゃないか?旦那とお父さんが妹さんに会えそうじゃないか!」と言うと、ビール瓶を冷蔵庫から出してきて、グラスを染谷に差し出した。遠慮気味にグラスを受け取った染谷に、
「染谷さん、この良き出会いをお祝いしたい!どうぞ!」とビールを注いだ。そして、浪江と自分のグラスも用意してビールを注ぎ、勝手に
「この不思議で素晴らしい出会いに!乾杯!」と言って、自ら美味しそうにごくごくとビールを飲みほした。彼はいつもこうやって馴染客を増やしてきたのだが、染谷もそれに倣いグラスのビールを一気に飲んだ。浪江も遠慮気味にグラスに注がれたビールを半分ほど空けた。その時、常連の庄司と三上が店を訪れた。カウンター越しにビールを酌み交わしている三人を見て、
「おお、もう乾杯モードだね。何かあったのかい?」と尋ねるので、山田が事情をかいつまんで話した。庄司はにやりとして、
「浪江さん、良かったね!旦那があれほど望んでいた再会が実現出来そうだね!」と気の良い客の振りをした。染谷の方もこの怪しい二人の素性には全く気づかないふりで、「いやあ、こんな出会いがあるなんて、人生とは分らないものですね?」と若いのに何かを悟ったように言うのだが、庄司はこの染谷という男に不審感を持った。
「染谷さん、あんたが言う“ある筋”とはどんな筋なんだい?」と庄司はいつもより明るい調子で尋ねると、染谷は
「ここだけの話ですよ。雑誌出版関係者ですよ。高倉前社長の記事を書いている人で、早苗さんの離れ離れになっていたお兄さんたちとの感動的な再会を記事にしたがっているんですよ」と適当にごまかすと、庄司もこれにはありそうな話だと思い、染谷を信じた様子だった。ただ、染谷の顔を見ながらちょっと不思議な表情をしたのだが、それから二時間ほども歓談し、皆で痛飲した。しかし、この出会いは染谷が仕掛けたもので、そもそもの出所は会社の重役の坂元徹から聞いた話だった。
その坂元の話は次のようなものだった。一週間ほど前のことで、坂元専用の役員室に染谷を呼び出して、応接セットで向かい合い
「染谷君、ちょっと耳寄りな話しを手に入れたよ。木下さんから君のことで相談をされていたんだが、君には良い話だと思うよ。実は高倉前社長夫人の佐苗さんのお父さんには前科があり、しかも、強盗死傷罪で二十五年以上も刑務所に入っていたそうなんだ」この話に染谷は率直に驚いたが、すぐにすました顔に戻り、
「そうなのですか!驚きました。でもまさか、坂元さんはそれをばらそうとしているんじゃないですよね?」坂元は無表情に、
「そんなことするわけないだろう!俺だってABDの役員だし、自社株式だってかなり持っているのだ。そんな自ら損するようなことはしないよ。そこで、君に相談なのだが、佐苗さんのお父さんが前科者だった事を知っているのは私だけではなくて、信濃市にある居酒屋で働いている女将やそこの店長や、出入りしている何人かも知っている。なぜかといえば、その女将は早苗さんの実兄の奥さんなんだよ」との坂元の話に染谷は驚きつつも、彼が何を言いたいのかを察しかねていた。
「へえ、そうなんですか。よくそんな情報を得られましたね」
「ふふふ、俺も偶然その話を聞いて驚いたけど、そいつらを上手く利用して私と君とが優位になるように『ある考え』を整理したんだが興味はあるかい?」と坂元は染谷を試すように彼の反応を凝視した。染谷は身震いするような恐怖を感じつつも、自分の境遇を考えて、坂元との関係強化は必要だと思っていたので、
「はい、とても関心があります。お聞かせください」と坂元の裏の顔を覗き込むように目をまっすぐに見つめ返した。坂元は頷きながら『ある考え』を染谷にゆっくりと説明した。
つまり、信濃市の居酒屋『紫亭』での染谷の行動は計画的な行動だったのだ。そもそも、染谷が何故高倉家を陥れるような可能性のある話に加担するのか、それは彼と高倉家の跡取りの現営業本部長の高倉颯太との関係が原因なのだが、庄司や山田達にはほとんど関係のない話で、彼らの興味は金持ちである高倉家からいかにして金品をを巻き上げるか!だけだった。
染谷は技術系の社員で、技術系の責任者である木下CTOの配下にあるが、前社長の次男である高倉玲二の引きでABDシステムに入社し、三十歳で玲二と同格の商品開発室長になっていたが、玲二の兄の颯太とは“水と油”のように考え方が合わなかった。ある会議でもぶつかり合ったが、相手は現社長の甥で前社長の長男であり、所詮は正面切っての戦いでは勝てない相手であった。そこで木下に相談をしたのだ。木下は染谷の技術面の特にAIを活用したシステム作りには大いに期待しており、将来のコア技術を開発してくれると期待していた。しかし、木下は社内政治的な動きは苦手なので、社内の何でも相談役である総務系の役員である坂元徹に相談したのである。坂元はその相談内容を真剣に聞き、同情の念から自分が預かると言ってくれた。これに喜んだ木下は、
「坂元さんが請負ってくれるのなら安心だ」と言って同じ役員の坂元に頭を下げた。
「木下さん、こういう問題は私の担当なので任せて下さい」とにこやかに引き受けてくれたのだ。しかし、坂元の頭にはどす黒い思惑が蠢いていた。それは、ある雑誌記者からの話で、前社長夫人の佐苗には前科のある父親がいて、今は関係を長らく絶っているが、このことが漏れればスキャンダルになりかねない事を知っていたからだ。これを利用して前社長一族で営業系の颯太を排除できれば、現社長である技術系の賢司も一族であるので排除できるし、そうなるとCTOの木下も、自分には一目置くようになり、次期社長の線も大きく太くなると思っていた。それには“闇の仕事”をする必要があり、それを相談主である木下の部下の染谷自身に実行させれば都合が良いと判断していたのだ。
そもそも坂元がこのスキャンダルとなりかねない事実を知ったのは、一年以上も前の事になるが、雑誌記者の坂田直子と編集長の高木が、ある雑誌記事の取材後に相談があると言って坂元を訪れた際に聞かされたのだ。彼らは雑誌の取材時に佐苗の出自に関する話の中で気になる部分があったので、取材後に後追いで彼女の出身地の調査をした結果、彼女の実父に大変な前科があり、三十年近い刑期を終えて仮出所していたと言う事だった。事件は佐苗自身が幼い頃の話で、彼女には何ら落ち度も関係もない話だが、実父の犯罪は事実だという。坂元はこの話を会社の経営に関わる事だとして、公表しないように坂田と高木に口止めをしたのだが、心の中ではいつかこの事を自分で利用しようとしていたのだ。
坂田直子の実際の取材行動は次のようだった。
一年以上前に直子は「社長とご家族訪問」という雑誌掲載記事の続編の取材のために、渋谷のABDシステム本社で、高倉賢司社長への面談の後に、前社長の高倉裕と妻の佐苗と面談し、高倉から妻との出会いやシステムエンジニアとして一流だったとのコメントをもらい、
「奥様はどちらの大学をご卒業されたのですか?」と質問すると、
「主人と同じ大学です」と佐苗が応えるので、
「お二人とも優秀なんですね。もしかして、高倉顧問は学生時代から奥様をご存じだったのですか?」裕は、
「いえいえ、妻とは学年が五つ違いますので、私の会社に妻が入社してから数年経って、幾つかの大事な案件のプロマネ(プロジェクト・マネジャー)を任すようになってから意識し出しました」
「へえ、そうなんですか。美人で優秀な社員がいると?」と直子がさらに突っ込むと、
「ははは、まあ、そんなところです」と裕は照れくさそうに応えた。
「奥様はあの大学のご出身と言う事は、やはり裕福なご家庭のご出身なんでしょうね」
「いいえ、私はシングルマザーの母に育てられ、学生時代もアルバイトをして生活費を稼いでいました」と佐苗は意外な事を話すので、
「へえ、意外ですね。ご苦労されたのですね。ところで、そのお母様はご健在なのですか?」と坂田はシングルマザーという事に単純に驚いただけだったが、佐苗はそれ以上の話しをあまりするつもりはない様子で、
「いいえ、今年亡くなりました」とつれない返事をし、社長の高倉も少し表情を曇らせたので、この話はこれで終わり次の話題に移ったが、坂田は心の中で今度じっくり調査しようと決めていた。
そして、この話を雑誌編集長の高木に報告すると、高木も興味を持ったらしく、
「直子、高倉佐苗の過去を少し調査してみようか。今回の取材記事の整理した後で良いから。東信濃だよな、それだったら三、四日あれば十分だろう。出張申請をして行ってくれるか?」
「編集長、分りました。やってみます」
そして、坂田直子は高倉佐苗の出身地の東信濃市にやってきた。最近の日本の初夏は真夏の気温と梅雨の湿度を合わせたような不快な季節になっていた。
まず、直子は最寄りの『東信濃駅』を降りた瞬間から汗が噴き出てきて、木綿のタオル地のハンカチで汗を拭きつつ現地の図書館で古い電話帳を調べた。佐苗の母のお葬式に参加した高木から旧姓を聞いていたので、佐苗の年齢から逆算して生年月日以降の十年間の電話帳を調べた。彼女の旧姓は『田村』だったが、全部で十件ほどの田村家の登録があったので、全ての昔の住所をメモして、直接訪問する方法で高倉佐苗の実家を探した。住所の地番が変わっているところが多く、三件だけ今も存在している田村家があった。一件は立派な家が建っており司法書士の看板が出ていた。一件は小さな家で人が住んでいる様子はなかった。最後の一件は農家で、家屋はかなり古びていて表の表札は小さかったが、庭に洗濯物が干されており、明らかに何人かが住んでいる様子だった。
直子はまず、司法書士の田村家を尋ねた。本人が在宅しており、七十歳ほどの血色の良い老人が怪訝そうな顔つきで出てきた。直子が名刺を出すと
「ほう、雑誌記者さんが尋ねてくるとは珍しい。どんな取材ですか?」と司法書士の田村が聞いてきた。直子は、
「かなり以前にこの辺りに住んでいた『田村さん』に関する事を調べています。」
「ほう、どのくらい前ですか?」
「それが、五十年以上前なんです」と直子が少し遠慮気味に言うと、この司法書士は即答した。
「そんな前から今もここに住んでいるのは、うちと農家の田村さんだけだけど、その田村さんの何を調べているんだ」と厳しい視線を向けてきた。直子はやはり何かあると感じたので、慎重に言葉を選んで応えた。
「実は田村さんに縁のある人からなんですが、田村さんの現在を教えて欲しいと内密に頼まれています」と慎重であるが、許されると思うレベルの嘘をついた。すると、
「良く事情は分らないけど、多分、昔から住んでいて今もそこに居る田村さんとは関係ないと思うよ」と言うので、直子は関係ないだろうというその司法書士の言い方が大いに気になって、
「どうして、そう思われるのですか?」と聞き直した。
「俺はこのあたりの人の事は昔から良く知っているけど、雑誌記者が興味を持ちそうな話はあの件だけだな」と思いがけない事を言い出した。
「どんな件ですか?」と単刀直入に聞くと、
「それは言えないが、あんたが知りたいのは、母子でここに移ってきた田村さんの事だろう?」と今度は少し変化球が返ってきた。直子はこれだと思い、自分の幸運を感じながら
「はい、そうです。何かご存知なんですね?」と目を輝かせて聞き返した。その司法書士は、
「その人たちが住んでいたのは、今は誰も住んでいない小さな家だよ。行っても意味がないと思うよ。実は今年の初めに、昔そこに住んでいた人が亡くなって、お葬式があったんで、思い出したんだよ」直子は早苗のお母さんのお葬式に参列していなかったが、上司の髙木が参列していたことを思い出した。彼は続けて
「お葬式は信濃沢で行われて、俺はお葬式には行かなかったけど、参列した人から立派な式場だったと聞いているよ」直子はもう少し話を聞きたいと思って、その亡くなった人との関係を彼に尋ねると、
「特に俺は個人的な関係はないけど、こんな仕事をしているんで、いろんな情報が集まるのさ。あの人たちは信濃市から移ってきたんだよ。ある事件がきっかけらしいけどね」
「ある事件というのは何ですか?」と直子は思わず聞いたが、彼は
「それは噂だったので、それ以上は言えないけど、役所へのある申請書類の相談を受けたので、旧姓だけは教えてあげるよ。その人たちの旧姓は確か『大石』だったはずだ」と極めて大事な情報を教えてくれた。しかし、彼が教えてくれたのはここまでだった。
直子は今度は信濃市で『大石』を手がかりに調べる事になり、在来線『信濃電鉄』に乗り一時間半ほどで信濃市駅に到着した。信濃市内の市立図書館に行き、今度は当時の新聞を調べてみた。佐苗の誕生年から丹念に調べていくと、三年後の昭和43年の事件記事が目に飛び込んできた。強盗死傷事件の犯人が逮捕され、名前は大石純夫とあった。直子は心臓がドキンとするのをはっきりと感じた。まさか、佐苗の父では?と思ったのだ。そして、その関連の記事を幾つか読むと、犯人の純夫には数ヶ月後に無期懲役の実刑判決が下り、純夫には妻と子供が二人いたとの記載があった。その後、この純夫の家族はどうしたのかが気になったが、いきなり直接尋ねるのはまずいと思ったので、今時点で分っていることを編集長の高木に報告し、次の行動を相談した。
電話でこの報告を受けた高木は、
「おう直子、そこまで分ったのか!田村ではなく、大石か。名前は大石純夫だな。少しこちらでも調べてみるけど、もう少し探ってみてくれ」との指示だった。直子は
「明日には信濃市の大石家の周辺を調べに行ってきますよ」
「おう、そうだな。頼むよ」
そしてついに直子は、高倉佐苗が大石純夫の長女で、母の名は良子、一人兄がいて太郎という名だと言う事と、父純夫は三十年ほど前に仮釈放され、兄太郎と一緒に信濃市に住んでいることの情報を得た。妻の良子はその事件の後、離婚して旧姓の田村に戻り、早苗を連れて東信濃市に移り住んでいたのだ。
その出張後に、直子は上司の高木と共にABDシステムの渋谷本社で、総務の責任者である坂元を訪れて今後の事を相談したのだった。彼らはジャーナリストでもあるが、スポンサー企業であるABDシステムのスキャンダルをネタに暴露記事にするつもりは薄いようだった。判明している内容を坂元に告げると、坂元は暫く眉を潜めて熟考した後に、
「この件は暫く私に預からせてくれないか?」と二人に告げた。直子は何か言いたげであったが、高木は
「分りました。佐苗さんのお父さんも既に罪を償っておられるし、佐苗さんには何の罪もないことですので、坂元さんに一任します」と案外さっぱりと応えたので、直子も引下らざるを得なかった。今を遡ること一年以上前の話だ。
そして、一年後の夏のある日に坂元はこの件を染谷に漏らし、偶然ある信濃市の行きつけの居酒屋で聞いた犯行計画とともに『ある危険な目論見』を染谷に託したのだった。
さて、染谷はその計画を実行するために事前調査として、居酒屋『紫亭』への訪問の際に、酒を酌み交わしながら、彼らのリーダー役の男庄司と携帯番号の交換をして、他のメンバーともグループLINEの設定をして、翌日、皆が参加したのを確認した。そのグループLINEには、「昨晩は楽しかったです。また、お伺いしますので、その時も宜しくお願いします」と配信した。
そして、庄司には直接ショートメールで「大事なお話がありますので、すぐにお会いできますか?連絡を下さい」と配信した。庄司からすぐに、「いつ、どこで?」と返信が来た。染谷は「今晩八時に、紫亭近くのBAR『霞』でいかがですか?」と返信した。数分の後に、庄司から「了解」と返信が来た。染谷はすぐに、この件を坂元に連絡をした。坂元は夕方の新幹線で信濃市に入ると染谷に伝えたので、彼らは合流して庄司と面談することになった。
その晩に、三人はBAR『霞』で会う予定だが、その店は坂元が『紫亭』と同様に贔屓にしている店であった。染谷と坂元は『霞』での待ち合わせの一時間前に訪れ、ママに人払いをして二人だけで一番奥の四人席で密談を行なった。その内容は坂元の指示で、染谷が作成したビジネスの実施計画のような『犯行計画』であった。染谷はその計画書に真剣な目つきで目を通し、幾つかの質問をした。染谷はその質問に真剣に回答をするのだった。まるで仕事上の上司と部下の関係そのものだった。ママも秘密の仕事の相談としか思っていなかった。数カ所の訂正を染谷はその場でスマホに入力し、ママにプリンターを借りて出力した。その計画書にはタイトルはなかったが、普通のビジネスプロジェクトの行動計画書にしか見えなかった。
そして、約束の八時ちょうどに庄司は目つきの鋭い男と二人で『霞』を訪れた。染谷と坂元はそのタイミングで場所を移し、少し広い席に移ったが、そこには飲み物だけが用意されていた。庄司は染谷の隣にいる初老のビジネススーツ姿の坂元に視線を向けたが、先に染谷が庄司に何気なく、
「庄司さん、今日はわざわざすみません。そちらの方は?」と尋ねると、庄司は
「こいつは、俺の相棒で佐久間という者だ。ところで、そちらの方は?」と切り返してきた。染谷は坂元を見ると、坂本が小さく頷くので、
「こちらは、私のボスで坂元さんです」と紹介すると、坂元は何と庄司と佐久間と呼ばれた男に名刺を渡した。染谷は意外な感じがしたが、その名刺には坂元の正式な役職が記載されていた。その名刺を見て、庄司はにやりと怖い笑いを浮かべ、
「ほお、随分偉い人のようだね」と相変わらず、職業不詳の見た目からは想像できないほどのクールな声で坂元の顔を見ながら、
「私は庄司です。宜しく」と坂元に軽く会釈をし、「今日は、染谷チャンから深い話がありそうなので、一番信用できる相棒を連れてきましたよ」と言うと、佐久間と紹介された男も、坂元の名刺をチラリと見て、無表情ながら坂元と染谷に軽く会釈をした。坂元は染谷の名前を“染谷チャン”と庄司が呼んだ理由を少し考えたが、染谷のコミュ力なのだろうと聞き流した。染谷は二人ともサマージャケットのような上着を着ていたので、何かを隠している可能性があると睨んでいたが、笑顔で話の口火を切った。
「大事な話とは、今度の高倉邸訪問の件なのですが、感動の再会を調整するのが私の目的ではありません。そちらの訪問もそうではないようなので、それならいっそのこと、それぞれの目的達成に向けて協力できないかと思ったわけです」と話すと、庄司は少し意外な顔をしつつも、興味をそそったようで
「ほう、我々の目的はただの訪問ではなく何だと?」すぐに聞き返した。染谷は、
「別荘に飾られている絵画と陶磁器がお気に入りのようだと思いますが、違いますか?」と単刀直入に切り込んだ。庄司は佐久間と坂元の表情をチラリとみて、
「ほう、もうしそうだとしたらどうする?」とこれまでと違う裏の顔を出して染谷を睨み付けた。染谷はちょっとたじろいだが、
「決して、邪魔はしませんし、ご協力します」と即答したので、庄司は表情を変えずに、
「ほう、何故だ?」と質問をし返すと、染谷は
「実はこちらにもお願いがあります」
「何だ?」
「お二人の他にも、荒っぽいことが出来るお身内はいらっしゃいますか?」と、とんでもないことを言い出した。
「荒っぽいとは何だ?」と庄司が染谷を睨みつけながら、返答を要求すると、
「誘拐です」と染谷は単刀直入に言った。染谷はもうこれで後戻りは出来ないとその瞬間に覚悟した。流石にこれには庄司も表情を少し変え、ほんの少し考える様子だったが、軽く息を吐き出すと、
「荒っぽいことが得意な奴は何人かいるが、相手は大人か子供か?」と話を詰めてきた。
「五歳の子供です」と染谷が即答した。庄司は染谷と坂元を二人を涼しげに値踏みするように見比べながら、
「なるほど。それにしても、あんた達は相当な悪だな?」
ここで、坂元が初めて口を開いた。
「もし、誘拐が上手く行かなくても金は払う」と静かに断言した。
「ほう、誘拐は普通身代金が目的だが、身代金が入ろうが、失敗しようが、金を出すと言うことですかね?」
「そうだ」と坂元は即答した。
庄司はさらに、「ほう、幾ら出してくれる?」
「お二人には一千万ずつ出そう。実行する手下にも一千万出す。俺の名刺が契約代わりだ」と坂元は話し、染谷は坂元が名刺を出した理由を理解した。庄司と佐久間は顔を見合わせ、うっすらと笑ったように見えた。
その後、染谷が店でプリントした犯罪計画を庄司と佐久間に渡し、まるで日常の仕事の計画のように三十分ほどで説明をした。幾つか変更するべき点を、今度は庄司と佐久間が幾つか指摘したが、概ねその計画通りに進めることを合意した。坂元はそのやり取りをみながら、軽く頷いていた。説明後に庄司は坂元に確かめるように質問した。
「人質は身代金が入っても、入らなくてもすぐに解放するんだな?」
「ああ、そうだ。事件が長引くと警察が体勢を整えて、捕まる可能性があるからな。それから、人質には決して怪我をさせるな!」と坂元は答えた。
「分った。でも、それであんた達には何のメリットがある。ただの恨みではなさそうだが」と庄司は最大の疑問を投げかけた。それにも坂元はすぐに、
「それは簡単だ。現体制の崩壊だ!」と庄司と佐久間にとっては意外な事を答えた。
「まだ事件の余韻が残っている間に、犯人の要求が高倉一族のスキャンダルだったとSNSで流す」とさらに坂元は補足した。
「なるほど、そういうことか!それをマスコミが知れば、大騒ぎだな。TOPという地位は蜜の味がするわけだな」庄司は大きく頷いて坂元の目的を理解した。しかし、“蜜の味”とのコメントには坂元は無表情だった。
「それから、染谷チャン。あんた、この佐久間と組んでやれるか?」と庄司は少し軽い感じだが、重要なポイントを聞いてきた。染谷は佐久間の顔を見ながら、
「佐久間さん、あんたが良ければ、私は構わないよ。それに、あんたと俺はかなりよく似ている」というと、佐久間は思わず笑った。
「俺もそう思っていたんだ。俺たちはそっくりじゃないか?」と庄司と坂元を前に自分と染谷の顔の特徴がよく似ていることを言うと、庄司は
「実はあの店であんたに会った時に俺はそっくりだと思っていたよ」と染谷に言うと、坂元も二人の顔を交互に見て感心したように頷いた。佐久間はさらに
「本当によく似ている奴がいるんだな!それに相当のワルだ。でも、ちゃんとした身なりをしてるとワルには見えないぜ。怖い世の中だぜ」という発言で、四人での相談は終わった。
「じゃあ、実行準備に移ってくれ」と坂元は静かに三人に告げた。庄司もこの頃には坂元を雇い主として認識した様子であった。坂元はそれで店を出たが、染谷と庄司と佐久間はその後も話し合いを続けた。
この話し合いの中で、坂元が想定していた事とは違う相談がなされた。彼らは危険を犯してせっかく誘拐するのだから、身代金をたんまり獲ろうと意見が一致し、その取得方法を相談し、さらにアリバイ工作に関しても綿密に相談したのだ。染谷と佐久間がそっくりなことを利用しようと言うのだ。そして、庄司は染谷との別れ際に、染谷に何かビニール袋のような物を渡し、にやりと笑った。犯行まで一週間前の軽い吐き気がするような蒸し暑い夜だった。




