昭和のありふれた話
柳旅人は戦後の復興期に信濃市の郊外で生まれた。地元のそこそこ大きな農家に生まれた一人っ子で、幼い頃より乱暴者で高校在学中に次第に風体の怪しいヤクザ物との付き合いが増えてきて、高校中退後に仕事にはついたが長続きせず、結局遊興施設に入り浸るようになる。見た目は目つきはやや厳しいがハンサムだったので、高校生時代も不良仲間で地元の高校生をナンパしても彼がものにすることが多く、仲間内では疎まれる存在だった。彼はそんなことはお構いなしに、女の子には格好をつけてヤクザ映画の主人公のような振る舞いをすることも多かった。特に年下の高校生や地元の中学生にまで声を掛けることで有名で、地域の集まりや父兄会でも名指しで注意するように言われる始末であった。一方、両親は真面目に農業に従事しており休むことなく働き続けていたが、生活はさほど裕福ではなく、旅人はそんな両親を見て「自分はあのようにはなりたくない」と両親の前でも農業は継がないことをはっきりと宣言していた。そんな旅人が朝の通学時に地元の中学生の通学路で若い女子を物色中に、一人の可憐な感じする女子中学生に目をつけた。品の良さそうな面長の顔に愛嬌のある目と高い鼻に細い眉の正に美人顔の中学生で、学生服を来て三つ編みにした髪を揺らしながら通学するのを旅人は見て、一目で気に入り、すぐにその日の下校時に声を掛けた。「ねえ、君。何年生?」するとその子はちょっと眉をひそめ、しかしはっきりとした声で
「ふん、あなたね、お母さんが下校途中で変な若い男が待ち伏せをしているから、気をつけなさいと言っていたのは」旅人はちょっと面食らったが、怯むことなく続けた。
「ああ、そんなに俺は有名になっているんだ。その変な奴はきっと俺のことだよ。噂通りのハンサムだろう」女子中学生もそんな冗談に怯むことなく、
「私につきまとうと大声をだすから」と言ってスピードを速めて、男の横を通り過ぎてさらにスピードを速めたので、旅人も大声を出されても困るので、
「今日はこれぐらいにしておくか」と引き下がった。
しかし、次の日も旅人が下校時間に合わせて待ち伏せをするために通学路で待っていると、昨日は一人で下校していたその子は複数の同級生らしい男女に囲まれて下校してきた。流石に図々しい旅人もこれでは声を掛けられないので、ニヤニヤしながら彼らが行き過ぎるのを見るしかなかった。まさにその一行が通り過ぎるときに、その子は横目で旅人を見たのに気がついた。少し笑っているような、軽蔑してるような、なんともよく分からない表情だと旅人は感じたが、図々しい彼は、「お、これは脈があるな」と感じたようで、軽く手を振って自分の家に帰っていった。こうしたことを数回繰り返した頃に、ある雨模様の日の夕方に旅人は例の通学路に出かけ、彼女を待った。彼女はその日は一人で心許なさそうな雰囲気で帰ってきた。偶然、雨が激しく降り出し旅人はその子が濡れると思い、思わず掛けだして持っていた傘を差し出した。一緒に入れようとすると睨み付けてそれを拒否するので、
「分ったよ。でも、濡れると大変だから貸してやるよ」と言って傘を差しだして自分は走って立ち去った。走りながら旅人は、「これは、かなり点数を稼いだぞ!」と濡れながらもほくそ笑んでいた。一方恋愛経験のない彼女の方は、濡れて走り去った旅人に申し訳ない気持ちでいたのだ。旅人の勝ちだ。そして、そのような事のあったある日、旅人の家をその子が傘を持って一人で訪れた。旅人は驚きはしたが、持ち前の図々しさと年の割には経験豊富さを生かして、
「ああ、傘かあ。別に返しに来なくても良かったのに。まあ、わざわざありがとよ」と言って受け取った。その子は、
「お礼に名前を教えてあげる。私の名前は間中楓子よ」と言って、きびすを返して帰って行った。旅人は後を追いかけ、横に並んで
「ふうこちゃんかあ、どんな字を書くの?」となれなれしく聞いた。楓子は、
「木偏に風」とつっけんどんに応えた。
「あなた、仕事とか学校とかには行かないで良いの?」と楓子は尋ねた。
「ああ、今は色々と次にすることを考え中でね」
「ふーん、何をするつもりなの?」
「はは、それを考えているのさ。人生は長いんだから、俺は焦らないのさ」と映画の文句のようにすまし顔で応えた。
「お父さんや、お母さんはそれで良いって言ってるの?」
「さあね、ただ俺は農業のように割の悪いことはしないのさ」
「ふーん」のようなとりとめのないことを喋りながら、それでも話しは多少弾んで楓子の家の近くまで来たので、
「悪いけど、私のお父さんは家にいて、弁護士をしていて、とても真面目な人だから、ここまでにして」
「へえ、そうなんだ。弁護士か、かっこいいな」
「本当のお父さんじゃないけどね。再婚ていうやつ」
「そうなんだ、色々と大変なんだね。それじゃ」と旅人は楓子の家が分ったので、大満足して家に帰っていった。そして、旅人の積極攻勢が効を奏して、二人は次第に幼い恋愛関係に入っていった。そして、旅人は件の事件を起こした。
間中楓子は、母優子が離婚し再婚した結果、十三歳の時に二十六歳の弁護士に成り立ての義父憲造を持つことになった。母優子の方が七歳年上で、優子は二十歳で楓子を生んでおり、再婚したときはまだ三十三歳だった。かなりの美人で憲造が見初め、猛烈にアプローチした結果、子持ちであるが再婚することとなった。楓子はこの若い父親を最初は頼りない若過ぎる父としか見ていなかったが、仕事ばかりであまり楓子を顧みなかった実父に比べて、忙しくても家が事務所であることもあり、常に近くにいて声をかけてくれる、ちょっと年のはなれた兄のような存在と思うようになった。この父親は母優子にとても優しく、仕事の合間で家事を手伝うこともあり、母がいないときには楓子の食事にチャレンジしたりして、楓子が美味しいというと心から喜ぶような無邪気なところがあった。このような事を繰り返すうちに、楓子は母にも言えないことをこの兄のような父に相談するようになった。その中心は友達とのことや、恋人である柳旅人との事も含まれるようになった。楓子は自分でも恋愛はまだ早すぎると思っていたが、旅人は見かけよりも優しく、楓子を一人前に見てくれて、なにより顔がハンサムで、見ていてうっとりすることもあった。クラスメートにはいない大人びた雰囲気も、小難しいことを言わない大らかな所も、楓子にはとても素敵に映ったようだった。まるで、映画のスターのように自由な生き方をしているように見えた。この頃、日本映画は昭和での最盛期を迎えており、楓子も母や友人と見に行ったことが何回かあり、映画俳優は憧れの的だったので、旅人の姿と生き方を重ねていたようだ。実際には旅人は真面目に働くことを嫌がり、楽して生きることをズルズルと続けている“だらしのない男”なのだが、楓子はまだそんな現実的な違いが分る年齢ではなかった。その結果、父である弁護士間中憲造に冷静な判断を狂わせるような依頼をすることになる。
間中憲造は、美人の妻と同様に娘の楓子も愛し、大変可愛がった。まだ、若いので父兄会に出るとびっくりされるが、弁護士である事を聞くと他の父兄からは尊敬の念を持って迎えられた。見た目は丸渕の眼鏡を掛け、背は低い方でぱっと見は良くはないが、かなりぐいぐいと事案も進めていく、思い込みの激しいタイプだった。正義感も強く、こうと決めると相手が誰であれ、真っ向からぶつかっていく事もあった。彼の父も弁護士をしており、最初は父の事務所で修行するように進められたが、独立心の強い彼は父から資金の提供を受けて、弁護士資格を得るとすぐに独立した。いくつかの事件を扱い、少し慣れてきた頃にその事件は起きた。娘の付き合っている彼氏が事件に巻き込まれたのだ。十歳以上も年の差がある大石純夫が若い旅人を事件に引きずり込んでおいて、自分はただの見張り役だったと言い張っているのだ。憲造は何が何でも純夫の嘘を見破り、娘の彼氏を救おうとしたのだ。
間中優子は若い頃から美人で有名で、地元の若者達は優子をお嫁さんにしたいと思っていたが、優子は地元の大きなスーパーの息子と高校卒業後に交際し、一年の交際の後、結婚しすぐに娘楓子を出産する。しかし、仕事ばかりで子育ても家事も全く手伝わない夫に失望し、楓子が中学校に上がるときに離婚を決意し、二年後には離婚する。その後、町内会での集まりに参加した時に、近所に引っ越してきた間中憲造に見初められ、すぐに交際を申し込まれたが、あまりの強引さに怪しい男だと思った。しかし、差し出された名刺を見ると弁護士で、若いのに独立した事務所を近所に購入し、何より目が澄んでいた。離婚した夫は事業のスーパーを大きくすることに躍起になって、ライバル店の情報や安く仕入れた商品を廉売し、少しでも売上を伸ばすことにしか関心がなかった。それに比べて、この若い背の低い、丸い眼鏡を掛けた男はまっすぐに優子の目を見て、自分をさらけ出すようにまっすぐに立っている。見かけ以上にスマートで男らしい印象を受けた。離婚後、親の働く商店での手伝いをしていたが暮らしは楽ではなく、娘の将来を考えると再婚も考えざるを得ないと思っていたので、優子は交際というより、慎重にこの若い男の暮らしぶりを観察するようになっていった。この地で開業したばかりの割には相談に来る人も多く、来客にお茶も出さないようだったので、お茶菓子を差し入れたりすると、お客から
「ああ、奥さん、わざわざすみません」などと言われて、二人は恥ずかしそうに同時に
「いえ、奥さんではありませんので」
「優子さんはご近所の方なんです」とまんざらではない様子だったので、お客も「ええ、そうなのですか。てっきり先生の奥様かと思いました。それにしても、美人でびっくりしました」と言われ、優子も少し照れていたが、憲造は心の中で、
「何が何でもこの人を奥さんにするぞ」と思っているようだ。このようなことを繰り返し、数ヶ月が経ち、憲造から正式に結婚の申し込みがあった。優子は、
「娘の意見も聞かないと行けないので、少し、時間を下さい」と言って、楓子にも相談したが、楓子はあっさりと、
「お母さんが良いなら、そうしたら。私はあの人嫌いじゃないわ。あんまり、ハンサムじゃないけど」と言うので、父母にも相談後に憲造の事務所を夕方仕事が終わった頃に訪ね、応接セットで差し向かい、
「憲造さん、あなたのお申し入れをお受けいたします。宜しくお願いします」と頭を下げた。憲造は、丸い眼鏡の奥で目を大きく見開き、正に満面の笑顔で、
「そうですか、有り難うございます。僕はあなたとあなたの娘さんを必ず幸せにします。絶対に!」と言って、テーブル越しに優子の手を強く握ってきた。優子も、この人の言葉は信用できると思い、少し涙ぐみながら笑顔を返した。そして、身内を呼んでの結婚式を挙げ、憲造の事務所兼自宅に三人で暮らすようになった。憲造は優子が思ったとおりの誠実な男で、彼女と娘を大事にしてくれた。前の夫との結婚生活とは違い、家での暮らしは明るい毎日が続き、優子は夫である憲造を心から信頼し、愛するようになっていった。とても心が穏やかな日々が続いたが、一つだけ心に陰を落とすことがあった。娘楓子の付き合っている柳旅人という男のことだ。何度か目にすることがあり、見た目はなかなかのハンサムではあるが、ほぼ定職にはついてはいないようで、将来を共にするべき相手ではなさそうだと評価していた。しかし、その後この運命の相手はとんでもない事件を起こし、有罪判決を受けることになるとは、優子も憲三もそして楓子も思いもしなかっただろう




