最後の犯人逮捕
実は警視庁捜査一課に、ある経済雑誌編集長より情報提供があった。その内容は、ABDシステム株式会社に関する情報で、一年ほど前に取材で得た高倉前社長夫人の過去に関する情報をABDシステム株式会社の役員クラスに伝えたというものだった。その役員の名は坂元徹。雑誌編集長の名前は髙木で、あの坂田直子の上司だ。坂元はその情報を聞いて、髙木には口外しないように口止めをしたが、髙木は今回の事件の背景に関係があるように思えるので、情報提供をしたようだ。髙木は今もさらに取材を続けているが、捜査の邪魔はしないとの約束をしているとのことだ。その情報は警視庁から群馬県警捜査一課の高良田課長に伝えられ、さらに筑摩警部と牧野警部には伝わっている。
筑摩は牧野から前回渋谷のABDシステム本社を訪ねた時の聴取内容は聞いて知っていたが、坂元はこの状況でも何も白状する事は無いと判断していた。全体捜査会議が終わった後に、小会議室で高良田、筑摩、牧野、雲野で坂元攻略を相談した。高良田課長は今回も三人の実行犯を迅速に逮捕して、人質を救出した牧野の実力を認めており、彼に尋ねた。
「牧野さん、坂元をどうしたら落とせると思いますか?」牧野は臆せず答えた。
「坂元は染谷の弱みを握り、染谷に犯行の指示をしたはずですが、その前にどこかで庄司たちの犯行の計画を掴んでいた可能性があります。どこかでその情報を聞いて、独自の計画を加えたのではないかと思います」それに対して筑摩も
「私も窃盗と誘拐を同時にしようなどと言う大胆な計画を、庄司や三上が考えたとは思えません。どこかで染谷の考えなのか、坂元の入れ知恵なのか分りませんが、佐久間を加えた誘拐犯仲間が結成されたのだと思います」雲野が
「その謀議を行なった場所に坂元が同席していたことを掴めば良いわけですね」と結論めいたことを話し、筑摩が
「多分、染谷が佐久間と会った『紫亭』近くの行きつけのバーのようなところじゃないかな。奴の写真を持って、その近辺の飲み屋を隈なく聞込みですね。今晩はこれから信濃駅近くの繁華街に繰り出すことになりますが、牧野さんも雲野さんも大丈夫ですか?」牧野と雲野もにっこりと笑い、
「久しぶりの大きな繁華街ですね」と冗談を言うと、高良田課長が
「本当に少しぐらいは飲まないと、店に怪しまれますよ」と冗談なのか本気なのか分らない口調で言うので、二人はどちらか判断しかねた。すると、筑摩は
「私は下戸なので」といい、皆が苦笑をして会議は終了し、牧野と雲野には長野県警の中堅刑事を道案内に付けてくれた。筑摩は若い武田とペアを組んで、五組ほどの捜査員が夜の繁華街に消えて行った。
牧野たちは最初繁華街の真ん中ほどにある、今回大捕物があった『紫亭』の手前にある中華料理屋に入った。カウンターの中で店長らしき男が「へい、いらっしゃい」と声をかけてきた。フロアー担当の中年の女性が水を運んできたので、晩飯代わりに一番無難な『醤油ラーメン』を三つ頼んだ。店の中には彼らの他に数人お客さんがいたが、皆瓶ビールをコップで飲みながら美味しそうに餃子や麺類を啜っていた。どんなに暑くても、やはり夜食のラーメンの人気は衰えないらしい。数分後に彼らのオーダーしたラーメンが運ばれてきたので、とにかく腹ごしらえだと一口啜ると、意外に美味しいラーメンで、焼き豚の味も濃く、メンマもじんわりと味が染みており、たっぷり乗せられている野菜も歯ごたえが良く、三人とも「上手い、上手い」とあっという間に平らげて、額の汗を拭い、牧野はカウンターの中にいる店長に、
「店長!美味しかったよ」というと店長はにっこり笑ったので、カウンター越しに警察手帳を見せて、
「ちょっとだけ良いかな?」と尋ねると、店長は
「この間も警察の人が来たよ」と少し怪訝そうな顔つきだったのだが、牧野は単刀直入、庄司と三上の写真を見せた。
「この人たちはお店に来るの?」と質問すると、店長はすぐに
「ああ、庄司さんたちでしょう。良くここにも来るよ」と答えるので、今度は坂元と染谷の写真を見せながら、
「この人達を見かけたことはありますか?」と尋ねた。店長は写真を見ながら、
「ないね。見たことないよ」と言うので、「ありがとう」といって店を出た。
次は、『紫亭』の少し先にあるBAR『霞』と座敷のある小料理屋『信濃』だ。この辺を良く知っている富樫警部補の情報では、このどちらかが今回の本命だという事だった。『信濃』には筑摩が行く予定なので、牧野達はBAR『霞』の玄関の重いドアを開けた。冷房の効いた涼しい空気の玄関の奥から、真っ赤なタイトスカートを履いた背の高い女性が、
「いらっしゃいませ」と言って迎えてくれた。濃い香水の匂いに牧野は一瞬息を止めた。
「お三人様ですか?」と笑顔で尋ねられ、牧野がにこやかに頷いた。
「どうぞ」といって奥の方の席に案内された。席に着くとママらしい女性が挨拶に来た。三人の雰囲気を見て、すぐに悟ったらしく少し緊張気味に、
「いらっしゃいませ。今日はお仕事ですか?プライベートですか?」と尋ねてきた。牧野は
「流石だね、分るんだ。申し訳ないが、仕事なんだ。でもビールぐらいは頂くよ」と優しげな口調で言うと、ママはにっこりと笑って厨房に合図をした。そして、すぐにビールが運ばれてきた。ママは「どうぞ」と言って、手際よく三人のグラスにビールを注いだ。そして、彼らが口を付けるのを見計らって、
「今、大騒ぎになっている例の件ですか?」と尋ねてきた。
「ああ、そうなんだよ。まだ、終わって無くてね。少しだけ協力してもらっていいかな?」と牧野がいつも通り穏やかに協力を要請すると、ママは
「ええ、良いですよ。他のお客様に迷惑がかからない程度であれば」と承諾を得た上で、牧野は染谷と庄司と佐久間の写真を見せながら、
「忙しいところを悪いね。この写真の人達は知っているかい?」尋ねると、ママはすぐに
「ええ、知ってますよ。この二人は逮捕されたんでしょう。この人も見たことがありますよ」と言って、佐久間の写真を指さした。牧野は心の中で「よし!」と叫びつつも、このママの話は信用できそうだと思い、次に坂元の写真を見せた。ママは即座に、
「ああ、坂元さんでしょう?よく知ってますよ。時々お一人でお見えになりますよ。でも、この間は、この三人の人とお見えになりましたよ」そして、突然気づいたようで、
「ええっ、あらやだ!坂元さんもあの事件に関係しているの?嘘でしょう?」と声を出し、さらに、
「だって、あの人は被害者のABDシステムのお偉いさんでしょう?」と驚いた様子だった。
「私はてっきり被害者側だと思っていたわ」
「坂元さんと彼らが会っていたのはいつだか分りますか?」と牧野が努めて冷静に質問すると、
「ああ、ちょっと待ってください」といって厨房の奥の方に行き、手帳のような物を持って戻ってきた。そして、その場でカレンダー部分を捲った。
「えーと、七月二十八日ですね。この日は珍しく坂元さんが予約を入れてきた日です」それを聞いて、牧野は一瞬目が光り、すぐに穏やかな表情に戻った。
「その日の彼らはどんな感じだったのですか?」
「坂元さんと捕まった染谷という人は先に来て、何やら相談していて、店のプリンターを借りて何かプリントしていたわね。私はてっきり仕事の相談だと思ったから、どうぞどうぞと言って貸してあげたのよ。その後、一時間ほどしてから庄司さんとその写真の男が来たの。なんか暗い感じの人だったわ」
「そのプリンターにはログインしたログは残るのかな?」
「さあ、分らないわ。実際に見てみますか?」とママに了解をもらって、プリンターの設置場所である厨房の奥に行ってみると、B社のプリンターだった。雲野が
「これは私の家のプリンターと同じだ」と言って、操作パネルでログインリストを小さな画面で確認すると、MACアドレスに混じって携帯の電話番号が一つだけ表示された。日付は七月二十八日。
「牧野さん、ビンゴ!ですね。この番号はおそらく染谷のスマホの番号でしょう」と雲野はすぐに席を外して、捜査本部に連絡を入れて戻ってきて、指でOKサインを出した。
「OK、これでつながった。そのリストをプリントして下さい」と牧野は雲野に言うと、雲野ともう一人の刑事に顔を見ながら言って、ママを振り返り、
「ママ、本当に申し訳ないお願いをするんだけど、彼らが使った部屋を見せてくれるかな」
「ええ、それは構わないけど、それだけで良いの?」
「流石はママ!実はこれからその部屋の予定が無ければだけど、鑑識に調べさせてもらえると、本当に助かるんだけど」
「変わった刑事さんね、普通は有無を言わさずに店を封鎖するのじゃないの?いつも見ているテレビドラマじゃそうだけど」牧野は頭をかきながら、
「ははは、テレビじゃそうだけどね。でも、そこで犯人の指紋や痕跡が発見されれば、一件落着というのは今回も同じだよ。だから、協力してくれるかい?」
「ええ、良いわ。その代わり、また、捜査じゃなくてご来店頂けるかしら?」
「ああ、今度は偉い人を連れてくるよ」
「あら、それは嬉しいわね。警部さんとか課長さんとか?本部長さんはちょっと無理よね」牧野は苦笑いをしながら頷いた。雲野はママの耳元で、「牧野さんは警部だよ」というとママは、
「へえ、こんな腰の低い人が?ふーん、警察にもまともな人がいるのね」と軽い調子で話し、頼まれてもいないのに
「それから、警部さん。もしかしたら、あのとき領収書を切った記憶があるわよ」
「本当ですか?それは不用心な犯罪者だね」と牧野が言い終わる前にママは鍵のかかるキャビネットを探し出していた。一、二分待つと、
「あった!あった!領収書の控えよ。宛先にちゃんと会社の名前と名前まで書いてある。あれ、でも坂元さんじゃないわね。『染谷』って書いてある」
「部下に領収書を切らせて、自分で決裁したんだな」と牧野が呟いた時には、同行した中堅刑事から長野県警の鑑識へBAR『霞』の鑑識依頼は連絡済みだった。
その後、一時間ほどで鑑識メンバー五、六人が到着した。ママは気を利かせて店を閉めてくれた。というか、鑑識が入っている状態でお客さんが来たらまずいので、仕方が無くというのが事実だが。鑑識が来て例の部屋のテーブルや椅子やグラス等を調べている間に、牧野はママから坂元に関する話を聞き出した。
「坂元さんが有名企業のお偉いさんだとは知っていたけど、庄司さん以外のちょっと怪しげな人達ともここで会っていたわよ。あの人、もしかしたら何か悪い物も貰っていたみたいよ」牧野は驚いて
「ええっ、悪い物って、クスリとか?」
「ええ、多分。だって、こっそりやり取りしていたもの。必ず、坂元さんがお金を出していたから。もちろん飲み代以外によ!だって、そうじゃなきゃ、わざわざ渋谷に本社がある人がこんな所に足繁く通わないでしょう?」と言うので、牧野は
「ママ、凄い観察力だね。おちおち酔っ払っていられないな」
「あら、警部さん。何かやましいことでもあるのかしら?」
「ははは、そんな事はなにもないさ。この数年忙しくてね、たまにはゆっくり飲みたいなと思っただけさ」と言いながらも坂元がわざわざ信濃市に出張で来る理由の一端を発見したし、薬物を隠し持つとしたら自分のオフィスの鍵のかかる引き出しだなと当てを付けた。そして、染谷がこれほど忠実に坂元の指示に従うのも、
「あいつもやっているのかもしれない。染谷の居たところをもう一度捜索しないと、北浅間村『キングホテル』と『信濃市のホテル』と、マッサージ嬢もだ」と思うとともに、「薬物依存症なら、勾留期間中にきっとたまらなく欲しくなるだろう」と想像した。
牧野とママが入り口の席で話をしていると、程なくして筑摩が店に到着した。額の汗をハンカチで一生懸命拭きながら、
「ああ、牧野さん、お疲れ様です。こちらがお店のオーナーさんですか?」と店に入るなり、甲高い声で挨拶をしてきた。ママは
「あらまあ、またちょっと変わった刑事さんが来たわね」と呟くと、髪をきちんと分けて、茶色の縁の眼鏡を掛けた学者のような風体の刑事が警察手帳を出して、
「長野県警捜査一課の筑摩と申します。今回は色々とご協力頂きまして、すみません」と言って挨拶をした。その特徴のある声に気がついて、鑑識のメンバーが歩み寄ってきて、
「筑摩警部、牧野警部、多分被疑者の物と思われる物が幾つか入手出来ましたので、これより署に戻ります」
「おう、分った。大至急、分析を頼むよ!」と筑摩が甲高い声で、メンバーに声をかけた。メンバーは軽く敬礼をして店を駆け出すように出て行った。このドラマのような展開にママは結構受けた様子で、
「あら、この方も警部さんなの?最近の警察の偉い人は面白い人が多いのね。昔はちょっと怖そうで偉そうな人ばっかりだったけど」と遠慮の無い物言いをするので、近くに居た刑事が逆に顔を見合わせる程だった。笑いたかったが笑えない状況だった。警察関係者はその日はそれで店を後にしたが、牧野と筑摩と雲野はこの後も、染谷に関する情報共有のため、深夜喫茶でその後二時間ほど話し込んでいた。しかし、この日に得た情報と指紋が、後日決定的な証拠となった。三人が喫茶店を出ると、ムッとする空気が夜の町に残っていて、まだまだ、暑い夏の夜だった。
翌日、高良田課長への報告は筑摩から実施済みだったが、染谷と坂元に関する追加情報に関するアクションは鑑識の結果待ちとなった。そして、午前十一時に待ちに待った鑑識からの報告会が、会議室で刑事部長と捜査一課と鑑識担当者ら関係者が集まった場で行なわれた。鑑識からの報告は、
「BAR『霞』の特別室で、被疑者『染谷』と『坂元』、そして『庄司』『佐久間』の指紋が検出されました」と鑑識課長から結果報告がなされた。刑事部長が
「短時間で良くやってくれた!」と鑑識課長に礼を言った。刑事部長は続けて、
「よし、次は渋谷で黒幕を落とすだけですね!」と筑摩と横にいる牧野の顔を見ながら、威勢よく指示をすると、筑摩は相変わらず甲高い声で、
「はい、部長。行って参ります。さあ、この事件を終わらせますよ、牧野さん。渋谷に行きましょう!」と牧野の腕を軽くたたいてから席を立った。刑事部長は隣に座る管理官に、こっそり
「あの変人”筑摩”が群馬の”牧野”は気に入っているようだね」と言って二人でこっそり笑ったのを、議長席を見ながら雲野と大川が下を見て、「くふっ」と同時に笑ったのは、誰にも気づかれなかったようだ。
高倉社長に牧野は連絡をいれて、坂元常務に午後四時に面談の約束を入れた。
そして、約束の午後四時までにいくつかの証拠や証言が得られた。
身柄を拘束中の染谷の尿から微量のエトミデートの成分が検出された。彼はその事を告げられると、悪びれることもなく「医師からの指導の範囲内で鎮静剤として使用している」と嘯いて、入手経路に関しては、「合法的な入手をしている」といってそれ以上は口を閉ざしている。
そして、信濃市の染谷が泊まったホテルの部屋からも微量のエトミデートの成分が検出された。いわゆる違法禁止薬物の『ゾンビタバコ』だ。ゴミ箱の底からその成分が検出されたのだ。電子タバコで摂取し、リキッドをティッシュで拭き取って無造作に捨てたのだろう。
また、染谷が呼んだマッサージ嬢からの聴取で、染谷から変わったタバコのような物を進められたが、変な匂いなのですぐに自分は断ったが、染谷は吸っていたという証言が得られた。彼はマッサージの間、ずっと上機嫌でいたそうだ。ただ、彼は時計を気にしていて、夜中の三時になるとわざわざ見送りのために部屋を出て来て、廊下を歩いてエレベータホールまで見送ってくれたそうだ。不思議に思ったが、断る理由もないので、礼を言って分かれたそうだ。つまり、薬物摂取の証拠にはなるが、事件現場に染谷が居なかったことを証明する事となった。
筑摩と牧野と雲野が渋谷のABDシステム本社での面談に向かった。ABDシステム本社に始めてきた筑摩はその立派なビルに驚き、
「渋谷の一等地にこれだけの自社ビルを建てるとは大したものですな、高倉さんは。でも、色々と人の思惑が蠢く匂いがしますな」と感想を述べて、牧野が
「大きな城を攻略するような気分になりますね」と違った感想を述べて、三人はその城の雰囲気を感じるように、少しだけ歩調を緩めて、大きなエントランスホールの奥にある受付を目指した。受付で牧野が名乗ると、受付嬢も彼の顔を覚えていて笑顔の中に堅い表情を残したまま、受付そばの硬めのソファを勧められたが三人とも立ったまま待っていると、すぐに前回と同様に秘書課長が走るように駆けつけてきた。
「牧野警部、お疲れ様です。高倉社長がお待ちかねですので、どうぞ」と役員室専用のエレベータでまず社長室に案内された。前回と同様に社長室に案内されたが、牧野にとってはこれが最後になることを祈る気持ちだった。高倉社長は社長室のドアの前で、一人で待っていた。社長は秘書課長の後ろの三人の姿を見て、大きく一礼をして部屋に招き入れた。事が事だけに普通はアテンドする女性の秘書は『人払い』しているのだろう。部屋に入ると、筑摩がいつもと同じように警察手帳を示し、甲高い声で自己紹介をした。高倉社長は名刺を差し出して挨拶をした。牧野と雲野は二度目なので儀礼的な挨拶は省いた。応接セットに座ると早速、牧野が高倉社長に、
「報道で概略はご存じだと思いますが、捜査状況をかいつまんで整理してお話しします」と言って五分ほどで概略を説明すると、高倉は
「そうなると、まだ明確になっていない事を解決するため、今回の事情聴取が最後の山場と言う事ですね」と極めて的を得た質問をしてきた。筑摩が感心したように、
「流石は社長さん、全体が見えていらっしゃるようですね。これで終わりにしたいと思って我々は準備してきましたので、宜しくご協力の程お願いします」
そして、前回同様に応接室Aに行って坂元を待った。この応接室は三人掛けのソファが向い合うようにセットされ、その脇に一人用のソファが二つ置かれているので、全部の席を埋めれば八人が座れる設計だが、手前の三人掛けに筑摩と牧野が座り、入り口に近い脇の席に雲野が座って坂元を待った。一旦席に着けば決して逃げられないぞと言う布陣に見えた。それを見てどう感じるかは本人次第だろう。そして、数分後、坂元は現れた。相変わらず堂々とした印象だが、前回よりは少し緊張した面持ちだった。牧野と雲野は二度目の面談だが、筑摩は初めてなのでいつもより少し落とし気味だがそれでも甲高い声で、警察手帳を掲げいつもの挨拶をした。坂元も高倉同様に名刺を差し出して挨拶をして、四人が座ると牧野が切り出した。
「今回の事案もおかげさまでほぼ解決の見通しがついてきました」とだけ言うと、坂元は頷きながら、
「被害者が弊社の元社長とその家族で、被疑者の中に弊社の社員が含まれていたという、前代未聞の事件で、驚き以上の事でどう表して良いのか分らない心理状態ですよ」
「そうでしょうね。報道やマスコミ対応や取引先への説明等でお疲れじゃないですか?」
「ええ、もう倒れそうですよ。でも、それは警察の方には失礼な話でしょうね。皆さんも不眠不休で対応されていおられるようで、本当に感謝しています。昨日は警視庁の方にもお世話になって、最後の犯人が逮捕されたようですね」牧野は警視庁という限定した報道がされてはいないのに、なぜ坂元は知っているのか不思議に思い、
「実行犯はこれで最後になると思っています。ところで、警視庁が逮捕したことをどこでお聞きになったのですか?」
「ええっ、違うんですか?ごめんなさい、勝手にそう思っていました」と坂元は少しバツの悪そうな返事をした。牧野は
「報道では言っていなかったようですけど。ところで、坂元常務は色々とお顔がお広いようですね。」と少し矛先を変えた。
「ええ、総務や広報なども担当している仕事なのであちこちでお世話になっています」
「先日、信濃市でも坂元常務のお噂をお聞きしましたよ」と筑摩が割って入った。
「ほう、そうですか。どこでですか?」
「信濃市の繁華街のあるお店です。そのお店の店長が坂元さんのお世話になっていると言ってました」と、どこのお店を想定するのか打診を入れた。
「刑事さん、お人が悪い。『紫亭』のことでしょう?今回の事件であそこの店長や女将さんが逮捕された事はニュースを見て知ってますよ。確かに私も何回かあの店に行ったことがあったので驚きましたよ」と坂元はとぼける腹のようだったが、筑摩はいきなり
「違いますよ、BAR『霞』です」とズバリ切れ込んだ。坂元は「うっ」と息を呑んだ後に、
「ああ、『霞』ね、確か一、二度行ったかもしれません。どんな店だったかよく覚えていないけど」
「『霞』の店長が最近いらっしゃったと言ってましたよ。何人かで」坂元はあくまでも白を切るつもりのようなので、筑摩は
「坂元さん、ここから先は署でお聞きした方がよろしいですか?それとも、もう少しここでやりますか?こちらはどちらでも良いですけど、あなたの役割は何かもわかっているんですよ」筑摩はいつもと違い声を低くして、冷たい口調でさらに
「八月八日の事件の前の週の七月二十八日に、あなたがわざわざその日に午後半休をとって、実行犯の染谷を含む三人とそこで密会をしたことは証言も証拠もあります」
「ああ、あれはたまたま、染谷くんに誘われて行ったら、見知らぬ男たちがいて、その彼らが事件を起こしたんでびっくりしているんですよ。それだけです」と言い訳を言ったつもりだが、
「ほう、ママはあなたと染谷が先に来て、店のプリンターを借りて計画書のようなものを出力していたと言ってましたし、プリンタを使ったスマホの番号も染谷の持ち物だと特定できています」
「それは、ママの勘違いだろう。何か証拠はあるのか?」と坂元は誤魔化そうとするので、筑摩はさらに冷たい口調で、
「店にあなたと染谷と他の二人の指紋が残っていたし、ご丁寧にABDシステム宛にで振り出された領収書も残っていましたよ」
「そんなものすぐに捨てろと言ったのに、でも私の指紋だとなぜわかるんだ?」と坂元はまだ認めないので、牧野が補足に入り、
「先日、ここでお会いした際にいただいた名刺と湯呑み茶碗にもはっきりと残っていましたよ。犯人の庄司と佐久間が大事そうに持っていた名刺にもね」ここまで話すと、さすがに坂元も逃げられないと悟ったようだが、その時、トドメの連絡が三人の携帯に入った、三人が同時にその内容を確認し、筑摩が
「坂元さん、あなたへの逮捕状が出ました。庄司と佐久間が白状しました。あんたから依頼を受けて、その指示に従ったと」冷淡に告げた。坂元は思わず
「あいつら、裏切りやがった!」と有名企業の経営幹部とは思えない下品な言い方に、筑摩は呆れ顔で、
「捕まっていないのはあんただけだ。一人だけ逃げおおせる訳がないだろう!」言い放った。坂元は首を項垂れたが、
「俺は身代金なんかにこだわるなと言ったんだ。人質はさっさと解放して、遠くに逃げろと言ったんだ・・ちょっと教えて欲しいことがある。どうしてあんな真夜中に逆探知の許可が降りて、すぐに逆探知ができたんだ?普通は日中でも半日は許可に時間がかかるはずなのに」変な質問だと思ったが、牧野が
「それは被害者の人脈だと言っておきましょう」と話すと、坂元は変なことに感心して、
「そうか、何か特別ルートを使ったんだ。だから、電話や携帯を特定できたんだ。だからあんなに早く捕まったんだ。それに、俺は子供は誘拐しなくても良いと言ったんだ。盗みに入り、誘拐未遂で良いと言ったのに、本当に誘拐なんてしやがった。それに、染谷には現地には近づくなと言ったのに、なんであいつはわざわざ捕まりにいったんだ!」この発言に筑摩は汚いものに唾を吐くような言い方で、
「要は元社長の一族が襲われて、その一族のスキャンダルを炙り出すのが目的だったということか?」と切れ込むと
「そうだよ。あの元社長夫人は元犯罪者の娘なんだからな。それを公開できれば良かったんだ」と坂元は動機をあっけなくしゃべった。筑摩は動機を白状していると認識し、
「そうなれば、現社長も降板するし、次はあんただということか?」
「まあ、そういうことだ。金に目が眩んだ馬鹿な犯罪者に相談した俺がバカだった」という発言に雲野が痺れを切らして、
「この事件のことで、その元犯罪者が自殺をしたことを知っているのか?すでに、何十年も前に仮釈放されて、真面目に生きてきた男が死んだことを」と脇の席から掴み掛かりそうな勢いで立ち上がって、怒鳴り声に近い大きな声を出すと、坂元は驚いて少し怯んだが、
「確か大石純夫と言ったっけ?早苗さんの父親らしいな」牧野も立ち上がり、雲野の肩を叩いて座らせた。
筑摩がすでにいつもの冷静な顔に戻って、
「動機も分かった。雲野さん、手錠をかけて被疑者を逮捕して下さい!」と指示をして、雲野がそれに従って、坂元を後ろ向きにして、やや乱暴に手錠をはめた。
筑摩はその場で携帯から高良田課長に連絡をした。雲野と牧野は坂元の両脇を固め、応接室Aを出ると悲壮な顔つきで高倉社長がドアの外で待っていた。筑摩が精一杯の小声で
「大体のことを白状しました。詳しいことは署で聴きます。これで、ほぼ終わりです。ご協力ありがとうございました。お疲れ様でした」と告げると、高倉社長は役員用のエレベータを押して、エントランスホールまで一緒に乗った。ちらっと坂元の顔を伺ったようだが、すぐに視線を元に戻した。エントランスホールに降りると、すでに警察官が数人待機していて、雲野と牧野に代わり被疑者の脇を固めて警察車両へ連れて行った。その時には、高倉社長の後ろには秘書課長と秘書課員らしい女性達が心配そうな顔つきで立ち尽くしていた。自社の役員が犯人として逮捕されたのだ。これからの事を考えると、不安で一杯のはずだろう。牧野達が本社の出口でお辞儀をすると、皆一斉に丁寧に腰を畳むような返礼のお辞儀を返してきた。
筑摩、牧野、雲野の三人は回転ドアを回して、一人ずつ外に出ると、涼しかった室内と違い、むせかえるような暑い空気が彼らを襲った。一気に汗が噴き出る中、筑摩は牧野に正面から向き合い、握手を求めてきた。牧野もすぐにこれに応じて、
「筑摩さん、お疲れ様でした。鋭い質問、お見事でした」と笑顔を向けると、珍しく筑摩も笑顔で、
「いやあ、牧野さん達のおかげで、犠牲者を出さずに全員を逮捕できて良かったです」そして、すぐに雲野に向き直り、握手をしながら、
「雲野さんもありがとう。さっきは坂元に殴りかかるかと思いヒヤヒヤしましたけどね」と意外なツッコミに雲野は頭をかきながら、
「殴り掛かったらどうしましたか?」と返すので、筑摩は澄ました顔で
「しばらく放っておくでしょうね」とさらに返すので、牧野は笑いながら
「落としの雲野が興奮するのは珍しいな。俺も奴には吐き気を催したよ。権力のためならなんでもするんだな」といつもの通りの穏やかな口調で話すと、筑摩は
「権力闘争をする間に、人の心を無くすのでしょう。染谷はそれを薬で乗り越えようとしたんでしょうな。さあ、帰りましょう」と言ってスタスタと渋谷駅に向かって歩き出した。まだまだ暑い中を坂道を下っていくと、大勢の飲み客がそれぞれお店を探して歩いていたが、彼らはそれに見向きもせずに駅へと向かった。湘南新宿ラインに乗り大宮へ向かった。流石に三人とも疲れていてグリーン車に乗ったが、かなりの混雑していてバラバラの席に座った。
大宮で新幹線に乗り、三人は三人掛けの席に座り缶ビールで乾杯をした。労を労いながらも、プロの彼らは世間話に終始した。牧野と雲野は途中駅の高崎で下車し、筑摩はそのまま信濃市に向かった。
翌日のテレビや新聞の報道は、事件の黒幕がなんとABDシステムの常務取締役だったことを大々的に取り上げ、夕方には高倉社長からの記者会見が執り行われる事になった。




