半世紀前に起きた事件
大石純夫は昭和十年に信濃市郊外の裕福ではない農家の長男として生まれた。日中戦争が本格化する少し前で、軍部の台頭が顕著となり、中国大陸への進出を本格化させている時代だ。彼が生まれた農村ではその頃までは戦争の影響はさほど大きくなく、比較的平和ではあったが、彼の家の農地は小さく、生活は厳しかった。その後、日中戦争が始まり、第二次世界大戦へと続くが、彼の一家は元々貧しい暮らしをしていて、時代の流れの中でさらに食糧難を経験する。彼の村には東京など都市部より集団疎開で多くの人々が訪れ、少ない食料を分け合うような生活になっていたし、勤労奉仕で単純な作業を手伝わされることもあり、彼は遊びたい盛りに遊ぶことなど出来なかった。しかし、彼が十歳の時に終戦となり、その後の高度経済成長の中で彼の住む村も合併を重ね、次第に賑やかになっていった。村にも製造業の工場誘致が進み、人口も増えてきて村が町になり、テレビ放送も始まり、日本全体が農業から製造業へシフトしていく時代ではあったが、彼の実家は農機具の修理や購入で借金が嵩み、お金に困っていた。そんな中、彼は若くして妻良子を娶り、親の農業を力強く支えるようになり、そしてすぐに長男太郎が生まれた。その年には浅間山の大爆発があり、被害は受けたがそれを乗り越えて、しばらくは純夫親子三人はその親の家に同居し、五人家族での平和になった時代の中で幸せな生活を続けていた。そんな彼の性格は大人しく真面目にコツコツ働く誠実な男で、何より子供や家族を大事にしていて、妻良子には苦労を掛けていることを、いつもすまなく思って暮らしていた。
やがて、東京オリンピックが開催され、翌年には念願の長女佐苗が生まれた。この《《佐苗が後に昭和後期に本物語の重要な登場人物である高倉裕と結婚する》》ことになる。純夫は親の借金を肩代わりし、子供の行く末のためにお金を残す。その一心で、彼は昼の畑仕事に加え、夜は新設された工場での夜勤に身を投じていた。しかし、身を粉にして働いても暮らしはさほど上向かず、妻には爪に火を灯すような生活を強いる日々。それが皮肉にも彼の心に脆い隙間を生んでしまった。その隙間に入り込んだのは中学校の後輩で近所に住む柳旅人。彼は高校を中退し親戚のコネで何とかその新設工場に潜り込んで働いていた。純夫にとっては同じ工場で働く仕事仲間でもあり、昼勤の後に飲み屋で偶然隣合わせとなり、その後も時々一緒に酒を飲むようになっていた。年齢の差はあったがかなり打ち解けた関係となっていった。
ある初夏の昼間の暑さが抜けきらず、もやっとした空気がよどんでいる夜に、純夫は昼勤の仕事終わりにいつもの飲み屋で旅人と一緒に飲んでいた。彼はカウンターの隣の独身の旅人に、酔った勢いでつい愚痴をこぼすと、
「純夫さん、そんなにお金に困っているのなら、金持ちの家から少し頂けばいいじゃないすか?脇の甘そうで年寄り二人暮らしの、質屋を知っていますよ。あいつらはあの戦争の時も今も優雅に暮らしているようですよ。きっと、あくどく商売をしてきたんだ」少し間を置いて、
「純夫さん、やりましょうよ?」と、とんでもない誘いに、最初はそんな悪事なんか出来ないと拒絶した。しかし、違う日にまた別の話になり、
「純夫さん、いいアイディアがありましたよ。手っ取り早くお金を稼ぐなら、奥さんをバーかなんかで働かせれば良いのじゃないですか?最近、役場の近くにも結構バーや飲み屋が増えてきたので、奥さんは美人だし、良いお客がつきますよ。俺の知っているバーのマスターを紹介しましょうか?」と今度は妻に夜の仕事を進めてきた。まだ若いのに旅人はそんなバーを知っているんだと純夫は驚いたが、
「私の妻はそんな所で働くなんて無理だよ」と不機嫌な顔で言うと、逆に旅人は、「あんたが金に困っていると言うから、色々と考えてやっているのに!」と周りに聞こえそうな大声で怒るので、純夫は慌てたように
「ごめん、ごめん、少し考えさせてもらうよ」と言葉を濁し、その夜はそのまま別れたが、後日、嫌がらせのように旅人は純夫の家に訪れ、妻にも挨拶程度だがちょっかいを出し始めたので、次に飲み屋で会ったときに、
「妻は子供も小さいのでバーで働くのは無理なようだよ」と申し訳なさそうに告げると、旅人は引き下がるのではなく驚いた事に、
「じゃあ、質屋しかないですね。俺、少し下見をしたのですけど、やはり、あそこは戸締まりが緩いようですよ。裏口からこっそり入って、時計とか指輪とか金目の物をちょっと盗んで引き上げれば、絶対にばれやしませんよ」と、まだ盗みを諦めていない様子だった。それどころか、下見までしてきていた。
「純夫さん、奥さんのバー勤めか、質屋か、どちらか決めて下さい。さもないと、俺は一人でも質屋をやるんで、奥さんにこの企みのことを話しますよ。そもそも奥さんがバー勤めをしないから悪いんだと言いますよ!」と妙な流れの脅しをしてきたのだ。しかし、純夫はそんなことをされたら、妻の信頼を失うと思い、
「本当に暴露ないのか?」と旅人に言ってしまった。すると旅人は
「ええ、大丈夫っすよ。五分で終わると思いますよ。純夫さんは裏口で見張っていてもらえば、手柄は山分けにしますよ」と魅力的な条件をさらりと提案するので、純夫の心は揺らいだ。
「何度も聞くけど、本当に見張りをするだけで良いんだな?」と純夫は思わず口に出してしまった。時代が変わり少し浮かれた感じもある中で、自分は昼も夜も働いているのに生活は楽にならない苦しさが、心の隙を大きくさせたようだ。
「ええ、それで良いですよ。そうしてくれると俺も助かるんで。やりますよね?今更、逃げたら俺何するかわかりませんよ!」と旅人に若いのにやけにドスの利いた脅しを掛けられ、純夫は嫌々引き受けてしまった。外で見張りをするだけだと自分を納得させた。そして、純夫はいつも通り働き、家では何事もなかったように振る舞い、幼い佐苗と小学生の息子の相手をして過ごし、決行の日を迎えた。純夫は妻にいつもの飲み屋に行くと告げて家を出て、件の質屋の方に向かった。妻の良子は「今日は昼に工場での仕事がなかったのに、おかしいな」と少し怪訝に思ったが、いつも必死に働いている夫にも少しは気休めが必要であろうと思い、
「あんまり遅くならないようにね」と言って送り出した。この妻の思いやりが仇となった。
約束の時間に純夫が現地に着くと、旅人は既に着いており、純夫の顔を見るとにやりと笑った。家の明かりは消えていて、玄関と裸電球の街灯がぼんやり点いているのみで、裏口に周り懐中電灯で照らすと比較的新しいタイプのドアノブはあったが、旅人が捻ると何の抵抗もなく開いた。旅人の言う通りかなり不用心なようだ。そして、今日は質屋の主人達は居ないはずだったので、こっそりと旅人が忍び込み盗みを働く間、そこで純夫は見張りをする約束だったので数分間待った。しかし、五分経った頃、家の中で争うような物音がして、人の声が聞こえたので純夫は心配して裏口から旅人と同じようにこっそり入った。すると、裏口から家に入って廊下を進んだ所に、大きく肩で息をする旅人がいた。薄明かりの中で旅人の前に血だらけの質屋の夫婦が横たわっていた。
「旅人、どうしたんだ!?」と驚いて純夫が尋ねると、旅人は泣き声のような情けない小声で、
「誰もいないと思って店に入ったら、家の奴に見つかって、逃げようとしたんだ」そこで少し息を継いで続けた。
「そうしたら、爺いと婆さんが農具のような物を持って俺に向かってきて、爺いがいきなり振り下ろしてきたんで必死で手でよけたら、その先っぽが婆さんの額に当たり婆さんが倒れたんだ。倒れるときにどうなったのかは知らないけど、婆さんの頭から血が流れているのを見て、爺いがわめき声を出して助けを呼ぼうとするんで、俺は突き飛ばしたんだ。爺いは壁にぶつかって床に座ったとたんに、上からに壺とか色んなものが倒れてきて、爺いに直撃して動かなくなった」と訳のわからない事をいうが、結局彼の侵入に気がついた老夫婦が抵抗をしてきて、反撃を受けて抵抗をしたら、相手が怪我をして倒れていると言うことだ。
純夫は驚いて二人を揺り起こすと、老婆が息を吹き返し奇声を出しながら起き上がり、純夫に向かって抱きついてきたので、純夫は恐ろしくて思わず押し返すと、さほど強く押してはいないのに、あっけなく仰向けに倒れて運悪く先の尖った農具の上に背中から倒れ、背中に鍬の刃が刺ささったらしく、さらに血をどくどく流して痙攣していた。そして、一分ほどでおとなしくなった。純夫は
「すぐに救急者を呼ぼう!」と言うと、旅人は怖い目をして、
「そんなことをすれば二人とも犯罪者となるぞ!こいつら二人とも気を失っているだけで、死んではいないので自分たちで救急者を呼ぶはずだから、このまま逃げようぜ!ここは暗いので俺の顔はばれていない。あんたも後から来たので、ばれていない」と言い出した。純夫は
「やっぱり救急連絡だけはしよう!」と旅人に懇願するが、旅人は
「俺の彼女の父親は弁護士だし、俺は未成年だからきっと何とかしてくれる。でも、あんたは俺より年上だ。あんたは逃げられない」と恐ろしい事を真剣な表情で言い出して、
「もし、あんたが逃げないというなら、俺は一人で逃げるけど、あんたは俺の事を喋るだろう。だからあんたを殺してから逃げる」と質屋の台所に行ってほどなく戻ってきた。手には包丁を持って純夫に向かってきそうだった。純夫はその間ほぼ呆然として立ち尽くしていた。どうすれば良いのか全く分らずにいたが、恐怖から逃げたくて、結局、旅人の提案に従い、
「よし旅人、ここから逃げよう」と言ってその場を後にした。旅人は逃げる最中に必死で何かを考えているようだったが、突然、「よし、これで行こう!」大きな声を出し、気味の悪い薄笑いをしていた。このときに罪の大半を純夫に押しつける算段を短時間のうちにしていたのだ。恐ろしい男だ。純夫はそんな事には気づかずに、恐怖に押しつぶされそうになりながらも、ただただ逃げた。
翌日、老人は頭蓋骨を損傷し全治数ヶ月の重体で、老婦人は大量の失血が原因で死体となって発見された。老人はその事件の数週間後に病院で亡くなったが、すぐに救急治療がなされれば、二人とも生きていたかもしれなかった。昭和43年の真夏の出来事だった。この年は明治維新から100年が経ち、日大紛争や東大紛争など学生運動が過激化したり、三億円強奪事件起きたりする物騒な出来事が起きていたが、平和な信濃市周辺や近隣地域では大変な事件として取り上げられ、世間を震撼させた。警察の捜査は俊敏で、襲われた質屋の傍を彷徨いていた若い男を柳旅人だと睨み、職質をかけると当日のアリバイに関してあやふやな答えをしたので緊急逮捕した。そして、旅人はすぐに共犯者は大石純夫だと白状し、純夫は事件後三日目には逮捕された。旅人に唆されてしたこととはいえ、老婆を押し倒し、怪我をしてる老夫婦を置いて犯行現場から逃げ去った純夫は、この判断により強盗死傷事件の主犯とされ裁判にかけられる事となる。
純夫の妻良子は当初、共犯者の不良と噂されている柳旅人に夫が欺されて、共犯にさせられたのだと思っていたが、逮捕された夫への面会は拒絶され、弁護人の話によると主犯が純夫だとほほ断定されていると言う。良子には信じがたい話しだったが、旅人の弁護人である間中憲造にも面談を申入れて話を聞くと、十五歳年下の旅人が純夫に唆されて犯行に至ったとの見解だった。良子は間中弁護士に、
「うちの主人は暴力や犯罪を犯すような人ではない。」と訴えると、間中弁護士は、「それでは、十八歳の若者が首謀者で、三十三歳のあなたのご主人が欺されたというのですか?」と、柔和な顔には似合わない厳しい声で良子をたしなめるように言ったので、味方の一人であると思っていた弁護士の発言に驚いた良子はさらに、
「でも、うちの主人は子煩悩な真面目な人です。強盗や人殺しをするような人ではありません」と泣きながら間中に迫るが、双方の言い分はかみ合わず平行線をたどった。物別れに終わった際に間中弁護士は、
「いずれにしても、裁くのは裁判所で、我々ではないので、法廷であなたの主張が通ることをお祈りしますよ」と全く取り合ってくれなかった。
そして、夫純夫には『無期懲役』という重い量刑の判決が下った。良子は二度と夫とは会えないと思ったし、二度と会わないと決意した。つまり、夫と決別し子供達と暮らすということだ。しかし、定職を持たず、何の公的資格もない自分に二人の子供を育てる術はなく、純夫の両親と何度も何度も相談をした。幸い長男太郎は間も無く中学を卒業するし、心身共に健康で夫の両親と共にそのまま暮らすことが出来そうなので、泣く泣く預けることとなった。そしてまだ幼い長女早苗を連れて良子は信濃市を出て、彼女たちとは地縁のない場所で、最も仕事の多そうな信濃沢にほど近い、東信濃町に仕事を見つけ引っ越しをした。そこで、結婚前の旧姓田村良子として、長女佐苗を育てることとなった。
純夫は死傷した夫婦へのお詫びとして刑期を全うするが、旅人は純夫を主犯に仕立て上げた結果、未成年ということもあり重刑を免れ執行猶予付の判決に収まり、猶予期間終了後に若い年下の妻を娶ることになる。主犯は旅人で純夫は見張りを務める役割だったのに、純夫はいつの間にか主犯にされ、現地でたまたま突き飛ばす形になった被害者を死に追いやることになった罪を償う事になった。
その後、純夫が模範囚として二十七年ほど刑務所で過ごした後に、彼の刑期は無期懲役であったが特別に仮釈放され、父母と家族の住んでいるはずの村に帰ってきた。犯行に対する反省の姿勢と、日々の刑務所での生活態度が再犯の可能性を全く感じさせなかった事が仮釈放の理由だった。
しかし、純夫が帰ってきた村には純夫の元妻大石良子と娘の佐苗はすでにいなかった。彼の犯した犯罪の前は大変仲の良い夫婦で男と女の子供に恵まれ、つましい暮らしではあったが、仲良く暮らしていた。男の子の名は太郎、女の子の名は佐苗、年の差は七歳で兄太郎は妹佐苗を可愛がり、四人全員が仲の良い家族である事は間違いなかった。そして、あの事件の後に純夫は妻とは離婚し、娘は妻が連れて家を離れていたのだ。あの忌まわしい事件で仲の良い家族がバラバラとなってしまったのだ。
彼は出所後は昔と同じように父母を手伝い、真面目に農作業をするつもりでいたが、そこには父はおらず数年前に亡くなっていた。残った母に迷惑をかけたお詫びと息子の面倒を見てくれたお礼をして、息子と二十七年ぶりに会うが、息子は四十歳になろうとする中年の男になっていた。その息子になんと妻と子供がいることを知り涙して喜ぶが、自分の妻と娘がそこには居ない悲しい現実を噛み締めることになる。彼は事件当時三十三歳だったのだが、裁判と刑務所で二十七年の年月を費やし六十歳となっていた。そして、町の雰囲気も様変わりして、高速道路が開通し、新幹線開通工事も進んでおり、彼は夏のオリンピックが東京で開催され、期間が終わったすぐ後に収監され、刑期を終えると冬のオリンピックがすぐ近くで開催されるという。彼は時代の移り変わりを身近に感じることなく年を取り、農作業で鍛えた太く逞しかった肉体が骸骨のように細く衰え、頭髪は大方禿げて少し残る部分も白く細くなり、歯も数本欠けて、顔は皺だらけとなり、まるで老人のようになっていた。父は亡くなり、健在だった実母は八十歳を越えていたが、純夫は母と比べても同じような老け具合だった。それほどの年月を彼は贖罪に費やしたのだった。
さて、純夫の娘の田村佐苗(後の高倉早苗)は、父大石純夫が強盗傷害致死事件で有罪判決を受け、刑務所で刑期を過ごす間に成長し、苦労はしたが有名大学を卒業し、IT企業に就職し、創業した後の夫となる高倉裕と出会うこととなる。彼女は父が犯罪者である事は母良子より知らされてはおらず、重い伝染病で病院で亡くなったと聞かされていた。兄弟は兄太郎がいたが四歳の時に離ればなれになり、その後会うこともなく数十年の時を過ごす。母良子との暮らしは、貧しかったがささやかで穏やかな毎日が続き、成績の良かった佐苗を母良子は何としても大学に入れて、卒業させることを人生の目標としているようだった。そのために、良子は日中は近くの有名な温泉旅館で働き、夜は同じく近くの飲食店で働くといった、事件前の夫純夫がしていたように懸命に働いた。娘の教育資金を得るために倹約を重ね、何とか無事に東京の有名私立大学に奨学金制度を使い入学させる事が出来た。娘の佐苗も母の姿を間近に見て勉学に励み、地元の高校からは年に数人しか進学できない東京の難関大学の理工学部に見事に合格し入学することとなった。東京では寮生活を送り、アルバイトで生活資金を稼ぐ生活を続け、大学を卒業し時代の流れで情報システム系の仕事に就いた。彼女は大手企業では自分が埋もれてしまうと思い、比較的小規模で将来性のある企業への就職を望んでいたが、丁度良い規模の会社はなかったが、将来性のありそうな新興企業を選んだ。それが、高倉裕が起業し、黎明期にあったABDシステムだった。
佐苗の母良子は娘に時には厳しくする事はあったが、一緒に過ごす時間はとても優しい母であった。娘佐苗が素直で頑張り屋である事が彼女の救いで、シングルマザーとしての苦労に報いるように娘が努力をして大学に進学し、将来性のある会社に就職したことを心から喜んだ。娘が就職後にその会社の経営者と結婚をする事を聞いたときには驚いたが、すぐに孫が続けて三人も出来たので、自分の仕事は辞めていつでも手伝えるようにした。事あるごとに東信濃市から東京に出かけて、孫の世話をする日々をとても楽しんだが、さすがに体力的には大変だと思う頃には、孫たちは手がかからないようになっていた。そんなときに娘から信濃沢に別荘を建てるので、そこに住んで欲しいと相談と言うより懇願に近い申し入れを受けたが、別荘の計画図を見てあまりの豪華さに遠慮した。しかし、娘夫婦も年齢的に現役を離れる時期であり、自らの衰えも顕著になってきたので、孫と会うのもその方が便利だと考えて信濃沢に移住をした。
別荘のある信濃沢は良子が経験をしたことのない、穏やかで、豊で暮らしやすい避暑地で、近くを散歩するのも楽しく、激動の人生の中でやっと安息の時を迎えた気がしていた。しかし、自分の人生が終焉を迎えるときが近い事を自覚したときに、娘に本当の事を伝える時期だと覚悟をしていた。そう、元夫であり娘早苗の父である大石純夫が犯したあのおぞましい事件とその後の事を、自分が死ぬ前に何としても娘に伝えないといけないと思った。そして、娘たちが本格的に信濃沢の別荘に拠点を移してきた後に、娘に話をしようと思っていた。
そして、娘佐苗と夫の裕が良子の住む別荘に本格的に移住してきて、また、楽しくも忙しい毎日が数年続き、良子は娘に言い出すきっかけを失っていた。ある時、風邪をこじらせたのか、体調を崩し別荘のある信濃沢町の病院に入院した。ここ一年ほど胸が痛いことが多く、少しの運動で息切れをする事が増えていたが、診断結果は肺の末期癌で良子も自分の余命が限られてきた事を悟って、娘に真実を伝える決心をする。見舞いに訪れた佐苗に良子は衝撃的な事実を告げた。
早苗は病気で死んだはずの父が生きていて、彼女がまだ幼い時に強盗致死事件で有罪判決を受けて、無期懲役刑となり、結局三十年近い刑務所生活を送ったことを知る。彼女は四歳の頃に父が病気で入院したと母に告げられ、伝染性の強い不治の病で入院し、入院先で病死したと信じていた。兄はその時十一歳で父の病気をうつされている可能性があるので、妹とは離れさせられ実家に預けられ、祖父母に育てられていると聞いていた。しかし事実は違い、父が犯罪者で長い期間を刑務所で過ごして、出所して存命であることを聞いて驚いたが、その事を伏せて自分に嘘をついていた母を責める前に、母はさらに驚くべき事を佐苗に打ち明けた。
「お父さんは冤罪の可能性があったのよ。犯行当時は全てがショックで父の犯罪を受入れられなかったが、刑は確定しお父さん自身が罪を認めていたので、私は諦めてその町を去る決意をしたの。でも、二人を養う自信もなく、その頃はお爺さんとお婆さんが健在で、兄一人なら何とか育てられると言ってくれので、それに甘えて息子太郎と別れる決心をしたの」ここまでの話でも気が遠くなるような話だが、さらに
「でも私はあの人が他所様の家に強盗に入り、傷害致死事件を起こすなんて信じられなくて、私なりに事件を調べた結果、冤罪である事が疑われている証言があることを知った。でも、弁護士は聞く耳を持たずに、その後程なくして刑は確定したので、自分でこれ以上調べることは出来なかったし、一緒になってお父さんの冤罪を暴いてくれそうな人なんていなかった。それにあなたを育てることで一杯だったので、私は諦めたのよ」と話し、涙を流しながら、
「本当にごめんなさい。それしか、あの頃の私には出来なかった」とやっと聞き取れるような声で謝り続けた。
「でも、私の死期が迫ってきた事を知って、生きている間にあなたには本当の事を話すべきだと悟ったの」佐苗は母から衝撃的な告白を聞き、病室では母に対してもまともな反応ができず、家に帰ってもこれからとこれまでの全ての事が吹き飛んでしまうような悲しみ包まれた。父が犯罪者で強盗致死のような恐ろしい事件を起こした事と、今も生きているはずだとの衝撃的な事実を知って、どうすれば良いのかが分らなかった。その事を夫に言うべきか、そのまま知らなかった事にするか本気で数日間悩んだ末に、夫裕に全てを告げた。全てを失うことを覚悟した。
しかし、裕は驚きはしたが、さほど動揺することなく妻に優しくこう尋ねた。
「お父さんが生きていたなんて驚きだろう!会いたくはないのかい?」と佐苗は夫の問いかけを意外に感じたが、これまでビジネスで修羅場をくぐり抜けてきた夫の胆力に感動し、自分に対して何も攻めることのない優しさに感謝し、
「でも、犯罪者ですよ。どんな人なのかを知りたい気持ちはあるけど、今さら、会ってもしかたがないわ」と彼女は本心を明らかにした。裕は再度佐苗に質問し、
「お父さんがもし本当に冤罪だったとしたら、大変な事だよね。どうするべきだろう?」これには早苗はシンプルな反応をした。
「もし、父が全くの無実だとしたら、許せないことだと思うけど。でも少しでも犯罪に関与していたのだとしたら、もう既に刑期を終了して次の人生を過ごしてきたのだから、いまさらどうする事も出来ない」と沈痛な表情で声を絞り出すように夫に気持ちを告げた。裕はその事に色々と考察をしているようだったが、話しを少しそらし、
「佐苗、お兄さんには会いたくはないのかい?」と、佐苗は気丈に、
「私は四歳から母一人に育てられ、これまで真っ当に、そして正直に生きてきました。その事に誇りを持っています。だから、その人生の前にあった不幸な事を掘り返すことには凄く抵抗があるわ」と応え裕の目を見つめ、
「それに、私には子供達を守る義務があります。あの子達に災いや面倒をもたらすことは決して出来ません。だから、これまで通り父はとっくに亡くなったこととして生きていきますし、兄とも会いません!」と断言したのだった。それを聞き、裕は笑顔で応え佐苗の肩を抱くと、佐苗も裕の優しさに心から感謝し、夫婦の絆はさらに深まったようだった。佐苗は自分の話したことを反芻するように、「絶対にこの事で夫や子供達には迷惑をかけてはならない」と心の中で誓った。
そして、母良子は八十九年の人生を終えた。波乱に満ちた人生であった。貧しくとも幸せな生活を突然、夫の犯した犯罪により失い、苦渋の決断で夫と息子と離れ、娘を必死に育て、やっと訪れた娘の幸せと自分の穏やかな終末を迎えたのだった。しかし、その死後に平和な場所のはずの彼女たちの別荘が事件に巻き込まれ、その事件により元夫がまたしても、非情な仕打ちを受けることなろうとは想像もしなかっただろう。




