河童の川流れvs猿も木から落ちる
『河童の川流れ』と『猿も木から落ちる』――
どちらも“その道の達人もミスをすることがある”という意味のことわざであるが、この二つのことわざがついに雌雄を決しようとしていた。
屋外に用意されたあるテーブルで、河童と猿が睨み合っている。
河童は頭に皿があり、緑色の皮膚を持ち、背中には甲羅、手足にはヒレがついた、我々が想像する通りの河童である。
猿もまた、茶色い毛に覆われ、今にもウキーッと叫びそうな、どこに出しても恥ずかしくない立派な猿である。
まず、河童が言った。
「やっぱ『河童の川流れ』の方がことわざとして上だよな」
「聞き捨てならねえな」
猿が顔をしかめる。
「だって河童といえばオイラもそうだけど、泳ぎのエキスパートだぜ? そんな河童が溺れて川に流されちゃう……インパクトも抜群だし、こっちの方が格上だろ」
「そんなことねえ! んなこといったら俺、つまり猿だって木登りのエキスパートだ! 猿が木から落ちる方がインパクトある!」
猿の反論に河童は肩をすくめる。
「言うほど猿に木登りのイメージあるかねえ?」
「あるだろ!」
「オイラは猿といえばむしろバナナを連想しちゃうんだけど」
「いやいや、猿といえば木登りイメージのが上だろ。だいたい俺、正直あまりバナナ好きじゃないし」
「え、そうなの?」
「俺はもうちょっと歯ごたえのある果物が好きかな」
「そうなんだ。一番好きな果物は?」
「柿……かな」
「カニは大切にしろよな」
何の話をしてたんだっけ……とお互いが黙り込む。
「だいぶ話が逸れたな。ええと、猿も木から落ちるとはいうけど、木から落ちる原因といえば手を滑らすとかだろ? 普通にありそうじゃん。どんな達人もミスするってことわざとしてはだいぶ弱いよ」
河童の意見に、猿も反論する。
「んなこといったら、河童が溺れるのもどうせ足がつるとかだろ?」
「つりませーん」
「はぁ?」
「オイラ妖怪だから。妖怪は足なんかつらないのさ」
「なんだよそれ! じゃあ、水を飲んじゃうとか」
「水飲んだって平気でーす。妖怪だもん」
「体力が尽きるとか」
「妖怪が体力不足なんてあるわけないだろ」
「ずるっ! じゃあ絶対溺れないじゃねえか!」
「ハハハッ、河童が溺れるわけないだろ」
「……ん? いや待てよ?」
猿は何かを閃く。
「河童は溺れないんだろ? だったら絶対『河童の川流れ』なんか起こらないじゃん。“達人もたまにはミスする”から“絶対ありえないこと”に、ことわざの意味が変わっちゃうじゃん」
「あ……!」
河童の顔色が悪くなる。元々緑色ではあるのだが。
「猿が木登り中手を滑らすことはまあありえるから、猿もたまには木から落ちるんだなぁってなるけど、河童の川流れは絶対起こらない。達人もたまにはミスするってことわざが崩壊しちまうよ。太陽が西から昇るとかそういう次元の話になっちまう」
「う、ぐ……!」
「ことわざとして失格だな。この勝負、俺の勝ち――」
「ちょっと待った待った待ったァ!」
河童が叫ぶ。
「あれだ、激流! 川が台風とかで増水してる時はさすがのオイラだって流されちゃうよ! だから、河童の川流れはあり得る!」
「……ちっ」
あと一歩のところで追い詰めきれず、猿は舌打ちした。
「まあ、なんだな。泳ぎなんて俺でもできるし、ぶっちゃけそこまで難しくないよな」
猿は方向性を変えた。
泳ぎは簡単だから『猿も木から落ちる』に劣ると結論付けようとしている。
「ちょっと待て! だったらオイラも木登りぐらいできるぞ!」
「ホントにできるのかよ? そのヒレのついた手で」
「うぐ……!」
河童には自信がなかった。
そもそも陸に上がることすら殆どないのだ。低めの木を登れるかすら怪しい。
「だけど、泳ぎの方が明らかに危険だろ! 溺れたら死ぬし!」
「木登りだって落ちたら死ぬ!」
「落ち方次第では助かるだろ。だけど海のど真ん中で溺れたりしたら絶対助からない!」
「木登りだってエベレストぐらいの高さの木から落ちたら絶対死ぬ!」
「高すぎんだろ!」
あれこれ言い合うが、泳ぎと木登りの難度から優劣を決めるのも難しそうだ。
そして、猿は河童に人差し指を突きつける。
「そもそもさ、河童って架空じゃん」
「え?」
「架空の生き物じゃん」
「架空って……オイラはこうしてちゃんといるだろ!」
「まあ架空じゃなくて、人間にとっては“未確認生物”としとこうか。ようするにふわふわした存在だ。ことわざとしてリアリティがないよな」
「なにぃ!?」
「だって未確認生物が溺れようが川に流されようが、だから何って感じじゃん。イエティも寒がるとか、スカイフィッシュもたまにはゆっくり飛ぶとか言われても、いまいちピンとこないし。シロクマも寒がるとか、鷹もたまにはゆっくり飛ぶとかのがよっぽどイメージしやすい」
猿は“ことわざのリアリティ”方面に舵を切る。
「それに比べて猿は誰もが知ってるし、動物園で見たことあるポピュラーな動物だから、リアリティがある。猿も木から落ちるんだってイメージしやすい。やっぱことわざとしてはこっちのが上だよ」
「リアリティなんか関係ないだろ! ことわざは教訓とかに使えばいいんだから!」
「でも教訓に使うなら、ある程度のリアリティはないとダメだろ」
「いーや、そんなのいらないね。例えば鬼もオイラと似たような存在だけど『鬼に金棒』『鬼の目にも涙』と、人気ことわざが一杯あるしさ」
「ぐぬぬ……」
両者、一歩も譲らない。白熱した議論が続く。
だが決着はつかず、ついには――
「お前の尻子玉を引き抜いてやろうか!」
「やるか!? こっちこそお前に柿ぶつけてやるぞ!」
あわや乱闘というところまで、ヒートアップしてしまう。
そこへある僧が通りかかった。
「これこれ、お二人とも。喧嘩はいけませんよ」
「あ……!」
僧の一声で、二人ともすぐ喧嘩をやめてしまう。
それほど僧の持つ雰囲気は厳かで、なおかつ圧倒的であった。
「事情を話してみなさい」
二人が事情を話すと――
「なるほど、ことわざで喧嘩を……。しかし、そんなことをいくら話し合っても優劣などつきませんよ。それはなんとなくお分かりでしょう?」
「はい……」
「争いはいけません。争うのではなく、お互いを尊重し合うことが大事なのです。分かりますね?」
言っていること自体はありふれた言葉である。
しかし、この僧に言われると、つい従いたくなる気持ちにさせられてしまう。
「喧嘩はやめます……」河童が宣言する。
「どうもすみませんでした……」猿も頭を下げる。
僧はニコリと笑う。
「それはよかった。では、記念に一筆書いてあげましょう」
僧は持っていた紙に筆でサラサラと文字を書くとそれを河童に渡し、「今のお二人に相応しい言葉です」と言って去っていった。
河童がため息をつく。
「すごいオーラだった。あの人に言われたら何も言い返せないよな」
「ああ、確か空海さんだっけ……」
猿もうなずく。
「ところで、今渡された紙にはなんて書かれてたんだ?」
「ええっと……」
河童が紙を見る。
すると――
『中直り』
実に美しい字でこう書かれていた。
河童も猿も愕然とする。
「“仲”の字が間違ってる……! なんか色々と台無しだ……!」
「やっぱ『弘法も筆の誤り』には敵わないな……」
完
お読み下さいましてありがとうございました。




