第四話「天才たちの巣窟と場違いな俺」
「ねえ、佐藤君、科学部見てかない?」
講義の後、高嶺から放たれた唐突な誘いに、俺は一瞬言葉を失った。断る理由も、そして正直に言えば、断る気もなかった。首席で入学した天才が所属する部活。一体どんな場所なのか、野次馬根性がむくむくと頭をもたげる。
「うん、まあ、特に用事もないし」
「ありがとうございます。じゃあ、行きましょうか。……あ、その前に、図書館に寄ってもいいですか? 返却期限が今日の本があって」
「ああ、別にいいけど」
高嶺に連れられて向かったのは、駒場キャンパスの心臓部ともいえる、ガラス張りの近代的な図書館だった。吹き抜けの高い天井、整然と並ぶ無数の本棚。静寂が支配する空間には、ペラリとページをめくる音と、学生たちの熱気を帯びた集中力だけが満ちている。
俺は完全に気圧されていた。周りを見渡せば、分厚い専門書や、何語で書かれているのかも分からないような洋書に没頭する学生ばかり。誰も彼もが、知の探求者といったオーラを放っている。
(宝くじでここに紛れ込んだ俺とは、住む世界が違う……)
学食で感じた劣等感が、ここではさらに色濃く、粘り気を持って心にまとわりついてくる。
一方の高嶺は、慣れた様子でカウンターに本を返すと、迷いのない足取りで専門書の棚が並ぶ一角へ向かう。俺がタイトルを見ても眩暈がしそうな物理学の専門書を数冊、慣れた手つきで抜き取っていく。その横顔は真剣そのもので、自販機の前で小銭を探していた姿とはまるで別人だ。
彼女が本を抱えて戻ってくるのを待ちながら、俺は改めて周囲を見渡した。誰もが当たり前のように、この知の殿堂に溶け込んでいる。
(……そうか。こいつらにとっちゃ、ここが日常なんだ。そして、高嶺も、間違いなくそっち側の人間なんだ)
首席合格の彼女がここにいるのは、当然のこと。場違いなのは、紛れもなく俺の方だった。
「お待たせしました、佐藤君」
「お、おう。すごい本、借りるんだな。部活で使うのか?」
「はい。片桐先輩の研究を手伝っていて……。あ、行きましょうか」
高嶺は少しだけ嬉しそうに言うと、図書館を後にして歩き出した。生協や食堂のある賑やかなエリアを抜け、学生の姿もまばらな古い建物の裏手へ。まるでキャンパスの秘密の通路を通っているような気分だった。
「実は、駒場にはもう一つ『科学部』があるんです」
道すがら、高嶺がぽつりと呟いた。
「そっちは部員が20人もいる、大きくて真面目な部ですけど」
その言葉は、自分たちの部が「真面目ではない」とでも言いたげな、不思議な響きを持っていた。
やがて俺たちは、蔦の絡まる古い部室棟の一番奥、ペンキの剥げかけた鉄製の扉の前で足を止めた。表札には、かろうじて「科学部」の三文字が読み取れる。
「……ここ?」
「はい、ここです」
高嶺はそう言うと、何の躊躇もなく扉の取っ手に手をかけた。この扉の向こうに、一体何が待っているというのだろうか。俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。