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余命:きみが大人になるまで  作者: 朔良 海雪
一章

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一章② 祭りの夜

 町一番の広場の一角、水牛が引く荷車を背にして、リリカとカイは立っていた。


「小麦、小麦はいりませんか! 西の涼しい地域で採れたもので、実入りが多く品質の高い逸品です!」


 カイが麦穂の束を手に、慣れない呼び込みを頑張っている。が、誰も近寄ろうとはしない。たまに立ち止まる人も、もれなく他の誰かに何かを耳打ちされていた。話を聞いた人の表情は一変し、訝しげな眼で足早に歩き去っていく。その繰り返し。


「おかしいな……この町で売られているモノよりも質はいいし、値段も変わらないと思うんだけど……みんな地元産が好きなのかな?」


「違うよ……」


 カイの的外れな意見に、リリカはかすれた小声で口を挟む。


「わたしがいるから、売れないんだよ」


「いや、そんなことは絶対ない。行商人の娘がちょっと涙目だからって、親に叱られたとか、おやつを買ってもらえなかったんだとか、普通はそういう風に思うだけだ」


「そうじゃないよ。もう噂が広まってるんだよ」


 ぶんぶんとツインテールを振り回す。


 リリカは呼び込みをカイに任せてサボっていたのではなく、行きかう人々の小さな声に耳をそば立てていた。


「お父さんとお母さんが毒を飲んで死んじゃった話、もう町中に広まってるんだよ。そんな人たちの娘が食べ物なんて売っても、買ってもらえるはずない。このあたりじゃ水牛だって珍しいし、すぐにバレちゃったんだと思う。麦に毒でも入ってるんじゃないかって、普通は思うよね」


「……よく気付いたね。僕には思いつけなかった」


「お父さんがよく、行商人に必要なのは人脈と人を見極める目だ、って言っていたから。でも、もうそんなの役に立たない。わたし一人でやっていくなんて無理だよ……」


 世界がいつもより暗い気がする。


 牛車の近くで小さくなって座り込んでいると、カイは辺りをきょろきょろと見回し始めた。


 「……事情を知らなそうな旅のお客さんを見つけるつもりなら、意味ないよ。旅の人は出来合いを買うか、お店に入ってご飯を食べるの。粉にして、さらに調理しないと食べられない小麦なんて買わないよ」


「いや、そうじゃなくて……なんだか騒がしくない? なんだか大掛かりな準備をしてる人たちもいるし」


「それなら、今夜はお祭りだからね、その準備じゃないかな?」


「お祭り?」


 不思議そうな顔をするカイ。


 カイも旅人のようだったから、てっきりお祭りに参加するつもりでこの町を訪れたんだと思っていたんだけど……知らなかったのかな。


「そうだよ。魔王が討伐されたお祭り。二週間くらい前、東の魔王が倒されたでしょ。無事に平和が守られたから、お祝いとしてお祭りをやるの」


「無事に……」


 カイの表情が一瞬曇る。


 が、彼はすぐに暗い顔を引っ込めると、


「そうなんだ。それは盛大なお祭りになるだろうね」


 と、優しく微笑んだ。


「じゃあさ、よかったら、リリカとぼくでお祭りを回らない? 少しは気分転換になるかもしれないよ。あ、お金はぼくが出すから心配しないで」


「え、でも……」


 魅力的な提案と思いつつ、リリカは返事を渋る。


 全てを失った自分に、そんなことをしている暇はあるのだろうか?


 一刻も早く、一人で生きていく方法を探さなければいけないのではないか?


 そんな思考が頭をぐるぐると巡る。


 イエスもノーも口にできずにいると、やがてカイがリリカの手を取った。


「決まりだね」


 リリカは俯きながら、握られた手を見つめていた。




 日が落ちた町の広場には、たくさんの魔石灯が輝いて昼のように明るい。


 いつもは酒好きとろくでなしと家出した子供くらいしか出歩かないような時間だが、今日は違う。


 大人から子供まで、多くの人々が広場に集まって祭りに参加していた。


 たくさんの出店が立ち並び、昼間の市場以上に賑わいを見せている。広場の真ん中では名のある歌手がステージを披露しているらしく、抜けるような美声と熱狂的な声が混ざって聞こえてくる。


 隣を歩くカイはというと、出店の一つ一つに食いつき、勧められるままに食べ歩きを満喫しているようだった。


「ほら、リリカもぱくぱく、食べたいのあったら言いなよ。お腹すいてるでしょむしゃむしゃ」


「う、うん」


「ごくん。遠慮しなくていいよもぐもぐ。こう見えてお金はあるから」


 金貨を普通に持ち歩いているあたり、お金があるのは事実なんだろう。商人でもない普通の人なら、金貨くらいの単位のお金は家にしまっておくものだ。あ、でもカイは旅人なんだっけ。


「じゃあ……あのりんご飴がいい」


「りんご飴? いいけど、もっとごはんみたいなのを食べた方がいいんじゃない?」


「あんまり、食欲ないから……あと、カイが買ってきてくれる? わたしだとイヤな顔されちゃいそう」


「構わないけど……」


 カイが一人、りんご飴の屋台に向かっていく。


 人混みの中にぽつんと取り残されると、自分が一人きりなんだと思い知る。


 出店を回る列には、当たり前のように両親と過ごす子供の姿が見える。


 リリカと変わらないくらいの年の子供が無邪気にはしゃいでいるのが、やけにはっきりと目に焼き付いた。


「……わたしだけ、お父さんとお母さんがいない」


 みんなが楽しげで、お祝いを盛り上げようと声を上げているのに、リリカ一人だけが下を向いている。


 心がチクチクと痛む。まるで自分の存在がお祭りの雰囲気をぶち壊しているように感じられる。


 いてもたってもいられない。


 こんな、明るいところにはいたくない。


 振り返り、人波に背を向けるようにして、流れから逃げるように歩き出し──


「買ってきたよ。おまけしてくれたから一緒に食べようよ」


 そんなリリカの背中に、戻ってきたカイの声がかかった。


 カイは大きなりんご飴と小さないちご飴、二本の棒を片手に持っていた。


 両手を使わないのは、反対の手に赤ちゃんを抱えているからだ。


「はい、リリカの分だよ……どうかした?」


 視線に気づき、カイが問いかけてきた。


 リリカは真っ赤なりんご飴を受け取りながら、おずおずと尋ねる。


「えっと……その赤ちゃんって、カイの子なの?」


「あー……えっとね」


 カイが困ったような顔をしながら目を背ける。


「えっと、実は拾った子なんだ。冒険中にフィールドにいたから……」


「そうなんだ。カイは、その子の親を探してるの?」


「……いや、親はもういないよ。死んで──いたんだ。そう、この子のそばでさ」


「この子の、そばで……」


 言葉を反芻すると、なんとなく状況が浮かんでくる。


 きっと、この子の親は子供だけは守ろうと戦ったんだ。必死に魔物を倒して、倒して、きっと最後の一体と相討ちになった。そうでなきゃ、この子も魔物に殺されていただろうから。


「……うらやましいな」


「リリカ?」


 返事も億劫で、リリカはぷいとそっぽを向いた。


 この子はちゃんと、親に守ってもらえたんだ。それに比べて、自分のお父さんとお母さんは、勝手に諦めて勝手に二人で死んでしまった。バカみたいな話だ。


 同じく親を喪っていても、その理由はぜんぜん違う。


 言い表せないような、ふつふつとした複雑な感情が湧き上がってくる。


 多分、その感情の色は暗く汚れていた。


 だが。


 カイが抱いている赤ちゃんは、祭りの喧騒の中でも、リリカに汚らしい感情を向けられても、ただマイペースに眠っている。


 その無邪気な表情に気付かされた。


 ああ、この子は、大きくなってから自分の親が死んだことを知るんだ。


 多分、両親との記憶もない。楽しかった記憶も、顔すらも覚えていないかもしれない。


 自分がもらったお父さんとの思い出も、お母さんのぬくもりも、何一つ知ることができないんだ。


 優しく頬に触れると、赤ちゃんはくすぐったそうに声を漏らし、身を捩った。


「この子、名前はあるの?」


「名前? そういえば決め──いや、わからないな。名札とかもしてなかったし」


「そうなんだ……」


 唯一、親からもらえていたはずの名前もわからない。本当に、この子には何もないんだ。


 そう思うと、リリカの気持ちは少し軽くなった気がした。


 自分には、まだ両親との記憶がある。それだけでも幸せなことなんだ。


 たとえ、親が死んでしまっていることを知ることになるとしても、この子が大きくなったその時、どうか幸せであってほしい。


 そんな、ほんのりと温かな感情が溢れ出していた。


「カイ、わたしが名前つけてもいい?」


「え? そ、そうだな……うん。リリカがつけてくれるんなら、この子も喜ぶんじゃないかな」


 自分で言い出したことだが、思い付きだったので特に案があるわけでもない。


 少しの間、あれでもない、これでもないと考えた末、決めた。


「じゃあ……マオ」


「ぶっ」


「え、え、なんかダメだった?」


「いや……い、イイと思うよ。マオちゃん、かわいいじゃん」


 カイは噴き出したり、自分の胸を撫でて落ち着きを取り戻そうとしたりと忙しい。


 マオ。なんとなく思いついた名前だったけれど、我ながら可愛らしい響きだと思う。


「よかったな、お前の名前だ。マオだってさ」


 カイが赤ちゃんに顔を寄せながら話しかけている。名前を付けた時の反応は気になったが、カイも気に入ってくれたようでなによりだ。


「……あ、でも、もしこの子のことを知ってる人がいて、本当の名前が分かったら、その名前で呼んであげてね。だって、その名前はこの子が親からもらった、唯一のものなんだもん」


「……そうだね。その時は、本当の名前で呼ぶよ」


 言いながら、リリカも自分の名前を心の中で何度も繰り返す。


 リリカ。リリカ。わたしはリリカ・ソラール。


 お父さんとお母さんからもらった名前。お父さんとお母さんと同じ家名。それに、二人と旅をして回った思い出。


 リリカには、両親からもらったものがたくさんある。


 だから、もう少しだけ頑張れそうな気がした。

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