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余命:きみが大人になるまで  作者: 朔良 海雪
三章

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三章⑥ 乖離と妄信

 大きな揺れが落ち着いてようやく気付いたのだが、すぐそこでセンチュリア最大の建築物である王城が燃えていた。石造りであるにもかかわらず、だ。


 砂糖か何かのように溶解させられた石材がマグマとなって流れ出している。


 ハヤトは逃げ惑う人々に揉まれながら、ただ道の真ん中に立ち尽くしていた。


 炎が意志を持っているように暴れ狂っている。色濃い煙がもくもくと上がり、堂々とした佇まいを保っていたはずの王城は、まるで世界の終わりのような様相となっていた。


「あいつは言っていた……関門を『突破する』って」


 打診や交渉ではなく、突破。


 その答えが、王宮を焼き尽くす炎なのか。


 昼間とは思えないほど辺りが暗い。センチュリア上空が黒煙によって塞がれ、今にも落ちてきそうなほどに空が近い。


 赤と黒。破壊を司るような二つの色が、視界を埋め尽くしていく。


 爆音は収まるどころか、規模を増して何度も響き渡る。舗装された道路そのものを揺るがさんとする振動に、よろめきそうになりながらも、ハヤトは燃え盛る王宮を見上げていた。


 どれくらいの間呆然としていただろうか。いつの間にか逃げ惑う人々もいなくなり、パチパチと木材が焼けて爆ぜる音だけが聞こえていた。


 こうしてはいられない。


 間違いなく、手を下したのはカイとマオだ。


 二人は北の荒地に向かうと言っていた。恐らく王宮の警備にあたっていた騎士団は焼き殺されたか逃げ出したかのどちらかで、どちらにしても既に機能してはいないだろう。


 状況が混乱している今なら、王宮に入れる。彼らと話すなら今しかない。


 自分の言葉が引き金になってしまったのならば、自分には彼らを止める責任がある。


 あんな大魔法を操る連中相手に、何ができるかは分からないが──とにかく、行ってみなくては始まらない。


「思った通り……人っ子一人残っちゃいねーな。せめて骨ごと燃え尽きたわけじゃねーことを祈っとくか……」


 城門を潜ると、まるで別世界に来たかのような地獄絵図絵が広がっていた。


 王宮内に足を踏み入れた経験はない。祭事で巨大な門が開いて僅かに中を覗けたことがある程度だ。


 それでも、ここでどれだけの破壊行為が行われたのかは、はっきりと知覚できた。


 大蛇が好き放題に練り歩いたかのような穴が、石壁のそこかしこにぽっかりと空いている。材料として使われていた石は、ところどころで赤熱色をしてもはや別の物体のようだった。焦げ臭さは言わずもがな。どんな建物よりも頑強なはずの王城は、たった数分で廃墟と化していた。


 率直な感想を言えば、現実のものとは思えない光景だ。


 そんな、視界の開けた空間だったからかもしれない。


 王城に残った最も高い尖塔から人影が飛び降りるのを、ハヤトは死海の端で捉えた。


 煙に追い立てられたのか、それとも自殺か。


 その理由は不明だが、ハヤトの足は自然とそちらに向いていた。




 その先で待っていたのは、二人の人影だった。


 カイとマオだ。


 これだけの惨状の中、二人だけは変わらない様子で、壁を穿ったような大穴の前に立っていた。


 ──いや、よく見れば、マオがフードを取り払っている。


「なんだよ──その角と尻尾は」


 フードで隠していた額には、左右二本の羊のような角が。臀部には、服を突き破って存在感を主張する、大型の爬虫類のように長く太い、赤色の尾が。


 爪は伸びてマニキュアでも塗ったかのように赤色。瞳孔が分かりやすく開いて、瞳が縦に裂けているかのようだ。裂けるように開いた口からはノコギリのような歯が覗く。


 顔の皮膚にヒビが入り、走った亀裂の奥で眠る底知れない何かを感じさせる。


 ハヤトは悪魔を幻視したのかと思った。


 数日前に好みの女性だと判断して声をかけた時の美貌とは似ても似つかない。


 思わず後ずさりした瞬間、靴音を聞きつけたマオの耳がピクリと反応し、腕の一振りで火球が飛んできた。熱の塊が顔の横を通過し、髪の先が焦げた。


 どさり。気づけば尻もちをついていた。腰が抜けたらしい。


 カイもハヤトの存在に気づいたようで、さらに魔法を放とうとするマオを手で制すると、ハヤトの方へと歩み寄ってきた。


「……離れておけと言ったと思ったが」


「バ……バカ言え。王宮が爆発したとなりゃ、民草は興味津々で火事場見物に来るもんだ」


「……にしては、他の人影が見えないがな」


 続いて、マオもこちらに近付いてくる。姿こそ変貌しているが、顔を見るなり、


「あれーっ、ハヤトじゃん! なんでこんなとこにいるの? 危ないよー?」


 と、変わらない無邪気な声で驚いていた。


 ひとまず、誰彼構わず危害を加えるつもりというわけではないらしい。


「こりゃ一体どういうわけだ?」


「……どういうわけ、とは」


「決まってる。なんでマオたんがそんな悪魔みてーな恰好になって、王宮がメタメタに焼き尽くされてる? お前らの仕業なんだろ。なんでそんなことをした?」


「……ハヤトが言ったことだ。この世界の住人は魔王に食われることを何より恐怖すると。だから、マオの本当の姿を見せて脅しをかけ、北の荒地への関門を空けさせるつもりだった」


 淀みもなく宣うカイに、罪を犯した意識の類は感じられない。


「脅すだけなら、こんなひでえ惨状にはならねーと思うがな」


「……抵抗するからだ。仕掛けてくるから迎撃する必要があった。マオには最低出力で反撃するように言っただけだ」


「これが最低出力かよ」


 マオは「どうだ、強いだろー?」とでも言いたげに、腕を組みながらしたり顔で鼻息を鳴らしている。


「──イカれてる。お前らは、どうしようもなく」


「……好きだな、イカれてるって言葉。自分に理解できないものをその枠に放り込んでおけば安心なのか?」


「安心なんかできるわけねえだろ。これだけの事態を引き起こしておいて、誰かに理解されるとでも思ってんのか?」


「必要な犠牲だ。センチュリア全域やこの大陸自体が魔王の被害に遭い続けるよりはよっぽどいい」


「その魔王の被害ってのが、今この場で起きてんだろうが! マオたんが魔王なんだろ? そしてこの城を破壊したのはマオたんだ」


 魔王の姿は見たことがある。盾の影から少し目にしただけだが、マオの今の姿は、まるで人間と魔王の狭間、二種の特徴が混ざり合ったような見た目をしている。


 カイはマオを使って脅しをかけたと言っていた。マオが有している規格外の力からも、彼女が魔王だというのは間違いない事実なのだろう。


「お前が命令してやらせたんなら、お前も魔王の手先みたいなもんだ。この景色が見えてないのか? 全部お前らがやった結果だろうが!」


「むー、ハヤトちょっとうるさい。カイが言ったんだから間違ってないんだよ。邪魔したからひどい目に遭ってるだけなの。悪いのはここにいた人たちなんだよ」


「ぐ……」


 マオの瞳にまっすぐ射抜かれる。殺気がこもっているわけでもない。それでも、あり得ないほどのプレッシャーに言葉が詰まってしまう。


「……そういうわけだ。これは世界を救うために必要だったことだ。建物は修理すればいい。人間は魂を伴って生まれなおす。だが、魔王が引き起こす殺戮を止めるのは今、この僕にしかできないことだ。──魔王は、僕の手で北の荒地に封印する」


 カイは相変わらず杖を頼りにして何とか立っているだけだ。今に崩れ落ちてもおかしくない。


 それでも、その言葉には圧力があった。自分が言った言葉を信じて疑わない者の語調だ。ハヤトは、彼の瞳に宿る力の正体を知っていた。


 ──盲信だ。


 長い前髪の下、彼の目は狂気に染まっている。カイはもはやこの場で起きていることなど見ていない。見ているのは、自分が世界を救うという未来だけだ。


 何が彼をそうさせるのか。何を言えば止められるのか。どれだけ考えようと、何も浮かび上がっては来なかった。


 ハヤトが何も言えずに立ち尽くしているのを、カイは鼻を鳴らして冷めた視線で見ていた。


「……まあいい。君を納得させるかどうかは重要じゃない。抵抗する気がないのなら、騎士団と同じく灼熱に焼かれる必要もない」


 そう言い残すと、カイは杖をつきながら、よろよろと歩み始めた。


 大穴の向こう、光の届かない穴の奥、北の荒地へと。


 その背中は、とてもではないが世界の命運を背負うと豪語する人間の大きさではない。


 老人の背のように丸まり、悲しげな孤独を背負う人間でしかない。


「あっ、待ってよーカイ!」


 そんな彼を、すぐさまマオが追いかけていく。


「……クソが」


 ハヤトには、彼らの姿を呆然と眺めることしかできなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございます!

次回からがこの物語の本筋となりますので、引き続きお付き合いください。


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