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余命:きみが大人になるまで  作者: 朔良 海雪
三章

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三章⑤ 齟齬

「よ」


「あ、ハヤトだ!」


 翌日、朝から王宮の近くに陣取っていると、案の定見覚えのある顔が横切ったので、ハヤトはポンと肩を叩いた。途中何人も美女が現れたが、夜通し寝付けないほどに煮詰まった思考に頭を支配され、声をかける気にはなれなかった。


「……何の用だ」


「いやさ、大したことじゃねーんだけど、情報は共有しておくべきだと思ってな」


「……新たに起こる事件の情報でも手に入れたのか?」


「いいや……これを見てくれ」


 そう告げ、聖書に付箋を貼り付けた箇所を開く。


「このイラストは、この世界の魂が輪廻転生しているという考え方を描いたものだ。死後魂は流転し、いつかまた人間として生まれ変わるっつー流れだ」


「これがどーかしたの?」


「この二本の矢印に注目してほしい。外から来ているものと、流れから飛び出して魔神に食われてるよな」


 二人が頷いたのを確認し、続ける。


「外から来ているのは、俺たち異世界人の魂だ。そして魔神に食われた魂は二度と輪廻転生の流れには戻れない──つまりだ」


 重要なのはここからだ。


「この世界の人間の魂の数を減らさないため、魔王や魔神に食わせる魂は異世界人のものが望ましい。多分、そう考えたやつがいたんだ」


「……似たような話は聞いている。この世界の人間を守るため、異世界人を犠牲にしているのだと」


「それだけなら、処刑が決まった大罪人でも何でも、呪いの犠牲にしたらいい。どうせ死ぬ運命の奴らだ。わざわざ異世界から喚んだ人間にやらせるより、よっぽど納得感があると思わないか?」


「……」


 無言を肯定と受け取り、さらに続ける。


「だが、この世界の人間にとっては違った。そいつらの魂ですら、輪廻転生の枠の中で考えれば必要なものだったんだ。奴らは魂の総量を減らさないために、外から呼びつけた魂を食わせているわけだ」


 日本人は神道を信じていると言われるが、現代日本でそれに自覚的なものは少ない。


 物を大切にするのも、食べ物に感謝するのも、当たり前だからだ。慣習や常識に隠されているが、そういった考え方の地盤を成しているのは、神道という宗教に他ならない。


 同じように、エレシュ教は、何世代も前から大陸に浸透している。


 生活に組み込まれた宗教とは、いつしか人民の常識の基盤となり、まるで煮続けたイモがスープにどろりと溶け込むように、当たり前の常識として扱われる。


 この世界──少なくともこの世界の人間にとっては、魂を魔王に食われることは輪廻転生の輪から逸脱させられてしまうということであり、最も忌むべき禁忌なのだ。


 何より──この聖書は法皇が変わる前から、エレシュ教ができた時から、内容が一切変わっていない。


「エレシュ教は法皇が変わってからイカれちまったと言ったな。訂正する。俺たち異世界人にとっちゃ、エレシュ教は元々の根っこからイカれてる──」


「……そうか」


 カイは内容を噛み締める様に、俯いて何かを考えているようだった。


「だからよ、俺は、お前らがどうしても北の荒地に行きたいなら、教会でも大聖堂でも、吹き飛ばしても罰は当たらんと思うわけだ。今までこの世界で殺されてきた元の世界の奴らの敵討ちって考えりゃ、安いもんだろ」


 ハヤトの言葉が聞こえているのかいないのか、カイはなにやらぶつぶつと呟いている。魔王の犠牲となった仲間に思いを馳せているのか、はたまたこの世界の人間への恨み言でも並べ立てているのか。


 会話が途切れた。沈黙の中、ハヤトは唐突に、彼に訊きたかったことがあるのを思い出した。


「てか、俺はずっと気になってたんだがよ……お前は、元の世界に帰りたいとか思わないのか?」


「……元の世界? 帰れるのか?」


「いや、俺も方法は知らねえんだが……」


 そばにあった壁によしかかりながら、届かない思いを馳せる。


「俺は帰りてえよ。それこそこの世界に連れてこられた時は夢か冗談かと思った。必死こいて進学して、大学デビューでカワイイ彼女作った途端にこれだ。ああ、バイトで貯めてた金も置いてきちまったな」


 向こうの世界に残してきてしまったものを数え、一本ずつ指を折る。家族に、友人に、推しキャラのために貯めていたゲームのガチャ石。挙げていけばきりがない。


「それに、こっちの世界はなにかと物騒だろ。魔物だの魔王だの、剣だの魔法だの。もし帰れるんなら、一刻も早くおさらばしたいね」


「……それなら女をナンパする時間を使って、異世界転移について調べるべきなんじゃないか?」


「そっちは諦めたんだよ。魔法も異世界転移も俺にはサッパリだ。こっちの文字すら読めやしねえ。俺を召喚した連中を問い詰めたんだが、無責任なことに帰り道は知らねえとよ……で、お前はどうなんだ? 帰りたくないのか?」


「……別に。帰りたいとは思わない」


 意外な答えに、眉がぴくりと動いた。


 頭から足まで、カイのことを改めて眺める。


「こっちの世界の方が快適っていう風には見えねえけどな。マオたんみたいな美少女からラブコールもらってるから、って理由なら俺にも分かるが、お前別にマオたんのこと好きじゃねえだろ」


「……マオとはそういうのじゃない」


「だったら尚更わからねえな。流石に召喚された直後くらいは未練が残ってただろ? その時の気持ちを思い出してみろよ」


「……違う考えを持ってるのがそんなに意外か? 自分が受け入れられない考え方は間違ってるのか? そうやって宗教戦争が起きるんだろうな」


「そこまでは言ってねえだろ。喧嘩売ってるのか?」


「……お前みたいなのにはわからないだろうな」


 それきり、カイは対話を放棄し、俯いて押し黙った。


 まあ、人には向き不向きがあるものだ。こっちの世界のほうが肌に合うってやつがいてもおかしくはないか。


 これだけボロボロになっても向こうに帰りたくないと言い張っているのだ。もしかすると、カイにとって日本はそれほどいいところではなかったのかもしれない。


 再びの沈黙。居心地の悪い空気に、どうしたらいいか分からなくなりかけていた時。


 カイの方から口を開いた。彼はいつの間にか、決意の表情で顔を上げていた。


「……関門を突破する算段はついた。感謝する」


「……は?」


 思わず呆けた声が出てしまったが、ハヤトの反応など無視し、背を向けるカイ。


 最後に、「今すぐにここからできるだけ離れておけ」とだけ言うと、彼は昨日と同じように王宮に乗り込んでいった。


 訳が分からないまま立ち尽くしていると、少しの後、爆発音とともに、央都全体が割れんばかりに震撼した。

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