序章② 魔王の呪い
長く続く階段を上り、赤色の絨毯を泥と血に塗れた靴で汚して、カイは謁見の間へと通された。
辺境伯はカイのボロ切れのような姿を見るなり、労いの言葉よりも早く、奇妙なことを口にした。
「して……此度、東の魔王にトドメを刺し、討伐を成し遂げたのは、いったい誰なのだ」
「誰、って……僕ですよ。見ての通り、他のみんなはここにはいません。みんな魔王にやられたんです。戻ってこられたのは、僕だけです」
どういう意図の質問かわからず、カイは訝しみながら、感情の薄い声で返事をした。
「う、うむ……そうだな、そうであろうな。──おい、その者は確か……」
「はい……異世界召喚によって喚び出した人物、カイでございます」
辺境伯に小声で尋ねられた側近が、額に汗を浮かべながら答える。
「……ならば魔王の呪いは、この者が受けたということで間違いない。そうだな?」
「確認すべきですな……おい貴様、今すぐ胸元を見せろ!」
「む、胸元? ここでですか?」
「早くしろ。場合によっては、貴様を──」
「よせ。たった一人でも、城下町で暮らす民たちにとっては、魔王を打ち倒した英雄だぞ」
「しかし……」
「とにかく、確認せねばならない。刻印の有無を、な」
辺境伯の言葉と側近の睨むような視線に促され、カイはボロボロのローブを脱ぎ捨てた。
中に着ていたシャツの胸元をぐいっと引き下げると、そこには禍々しい紋様が浮かび上がっていた。
「くっ、やはりか……」
「こうなっては仕方がありません。今すぐカイを切り捨て、魔王と相討ちとなった、ということにしては?」
「よせと言っている。既に彼は民衆の前に姿を晒している。彼と親しかった者もいるだろう。他国にはその言い訳で通じるかもしれないが、民たちにはどう説明をつける? 全員を口止めするなど、不可能だ」
「ならばどのようにいたしますか。今から彼を連れて、魔王の巣に縛り付けて参りましょうか」
当人であるカイを放置したまま、辺境伯らは彼の処遇についての意見を出し合っている。
「あの……」
カイはたまらず、その議論に割って入った。
「どういうことなんですか、僕が、魔王に呪われた……!?」
「……説明くらいはしてやるべきか」
辺境伯は、諦めたように大きくため息をつき、話を始めた。
「魔王に最後の一撃を放った後、何が起きたのか覚えているか」
「ええと、反撃が来たと思ったんです。何か禍々しい、黒い光みたいなのが魔王の身体から飛び出して──力を使い果たしていた僕は避けきれず、モロに食らいました。でも、その攻撃にはダメージはなかった……はず」
「その時に刻み込まれたのが、おぬしの胸にある紋様だ。それは魔王を倒した英雄の証であると同時に──死の宣告なのだ」
「死……」
突然の衝撃に、カイの表情がぴきりと凍り付く。
「どういう意味ですか? 僕は、死ぬんですか」
「今日明日の話ではない。しかし、おぬしが天寿を全うできないことは既に決まってしまった。その運命を受け入れてもらうしかあるまい。……となれば、隠し事をしている意味もないであろう。その紋章の意味、我々の知る全てを、おぬしに話そう」
一度両目を瞑って間を置き、辺境伯は話を続けた。
「魔王という存在が一定の周期で復活する、という話は、討伐に出る前に聞いているな」
「はい、今回が18回目の討伐になる、と聞きました」
「あれは正確な言葉ではない。倒した魔王そのものが復活するわけではないのだ」
「……どういうことですか?」
「魔王の根城、洞窟の奥には魔王の子がいる。魔王にトドメを刺した者には力があると見なされ、刻印が刻まれる。おぬしは今、刻印を通してその子と繋がっているのだ。今はまだ感じ取れないかもしれないが、見えない糸を通じておぬしの魔力は少しずつ、魔王の子に吸い取られていく」
「……」
「要求される魔力は少しずつ大きくなり、魔王の子がやがて大人となる時、刻印を持つ者の肉体そのものを食らい尽くし、魔王として大成する──それが、魔王復活の仕組みだ」
辺境伯が告げた真実は、鋭くカイの胸に突き刺さった。
「ちょ、ちょっと待ってください……つまり、討伐隊の中で魔王にトドメを刺した人物は、次の魔王の食い物にされる、ということですよね」
カイの胸中には恐怖と怒りが混じり、小刻みに足が震え始める。
「討伐隊のみんなは、それを知っていて参加していたんですか……!? いや、全員がその事実を知っていたなら、誰も魔王にトドメなんて刺したがらないはず……!」
「だから、『おぬしは』知らなかっただろう?」
「っ……」
憤りとショックで頭がショートしそうだった。
唇がわなわなと震えだしたカイを前に、側近が辺境伯の言葉を継ぐ。
「知らなかったのは貴様だけではない。殆どの民草にはこの真実は明かされていない。そして討伐隊の中には貴様を含め、異世界召喚によってこの世界に現れた人間が数人含まれていた。それが何を意味しているのか、もう理解できるだろう」
「──異世界出身の人間にトドメを刺させるように誘導し、魔王の呪いの犠牲とすることで、この世界で生まれた人間を守っていた……最初から利用するつもりだったってことですか。僕たち異世界人を」
辺境伯から返ってきたのは、静かな肯定。
「最近の異世界人はどういうわけか、異世界慣れしていたり、血の気が多かったりして助かっておる。前線でがむしゃらに暴れまわっているうち、大抵は彼らの一人が魔王の首を落としてくれる。あとはその人物を洞窟の奥に縛り付けて置き去りにし、次なる魔王の餌となってもらう。そういうサイクルで、この町は魔王の脅威を掻い潜ってきた」
「……『誰が魔王にトドメを刺したのか』という質問の意味は、そういうことだったんですね」
魔王をその手にかけた者は二度と帰っては来ない──辺境伯にとっての大前提が、ちぐはぐな質問として現れていたのだ。
「刻印を刻まれた者は、怪我をしても腹が減っても死ぬことはできない。何年もの間生かされ続け、魔王の子のために魔力を生成するだけの存在として扱われて、最期に見る景色は自分が育て上げた魔王の口の中──そういう運命を辿ることになっている」
「運命って……」
「ずっと続いてきた伝統だ、というのが言い訳じみているのは認めよう。だが、歴代この座を守ってきた者たちも、冷酷な判断に心を痛めていたはずだ。もちろん、わたしも変わらぬ思いだ」
顔を上げてみれば言葉通り、辺境伯の顔には悔恨の念が深く刻まれている。
よく物語の中には、人生をちゃぶ台返しにされるようなキャラクターが出てくる。カイは彼らが抱いた感情をそのまま痛感していた。
その上で、裏切った張本人である辺境伯らは、まんまと罠に嵌まったカイをあざ笑うでもなく、憐憫と同情を露わにしている。
その表情を見ていると、カイにはどうしても、彼を責める言葉を口にすることができなかった。
「……それで、僕はこれからどうしたら? このまま魔王の棲み処までとんぼ返りして、縛られたまま餌になるのを待つべきですか?」
「おぬしがそうしたいのならば、そうしてくれるのが一番だ。この町が魔王から守られ、今も残っているのは、先代が作り出した残酷なシナリオを忠実になぞってきたからだ。その流れが崩れないのならば、それが最善であろうな」
だが、と辺境伯は首を横に振る。
「同時に、一つの事実をおぬしに伝えておく。今この城に……いや、この町に残っている全戦力をかき集めたとして、傷だらけで魔力の回復しきっていないおぬしを倒し、魔王の棲み処に置き去りにすることは不可能だろう。戦力は討伐隊に全て注ぎ込んでしまったし、彼らは誰一人帰らなかったからな……」
「じゃあ、僕には選択の自由がある、ってことですか」
「ある意味、選択肢はないとも言える。どこまで逃げようと魔王の刻印から魔力は徴収され続けるし、魔王の子が大人になれば、おぬしが世界のどこにいようと、君を食らい尽くすべく動き出すだろう。どちらにしても死ぬことだけは確定している」
正直なところ、カイは今すぐにでもどこかに逃げ出してしまいたかった。どうしてこうなった。逃れられない死の運命。なぜ自分が。言われた通りに魔王を倒しただけだったのに。
突きつけられたナイフの前で、雁字搦めにされているような感覚。
それでも、カイはどうにか平静を保って声を発する。
「……なら、僕は」
拳を強く握り、自分の中で覚悟を固めた。
「その魔王の子を連れて、できるだけ人里から離れた、どこか遠くを目指して旅をしようと思います。時間だけはあるようですし、刻印がある限りは途中で傷を負ったとしても死ぬことはないということでした。そうすれば、みんなが命を懸けて魔王と戦うことも、この地で異世界召喚者が魔王の犠牲になることもなくなるはずです」
「それは……しかし、前代未聞の話だ」
「この地は魔王の手から解放され、さらに発展していくでしょう。異世界召喚なんて手間も必要なくなります。どうせ死ぬなら──せめて、僕は僕にできることをしたい」
「確かにこの町にとっては願ってもない話だが……おぬしは本当に、それでいいのかね」
「運命は決まっている、って言いましたよね。なら、僕はその中で精一杯足掻くことに決めました。この町のためになる、というのは悪い気はしません。少しの間とはいえ、一緒に過ごしたこの町の人たちが、嫌いではないので」
渋る辺境伯の耳元に、次々と側近がすり寄っていく。
「辺境伯様、この者自身がそう言うのだから、好きにさせたらよろしい」
「その通りです。騎士団は此度の討伐で壊滅状態。次に魔王が復活するまでの十年で、同じように立て直せる保証はありませぬ」
「その魔王をこの世の果てに葬ってくれるというのだから、こちらからすれば不都合は何もありませぬ」
「う、うむ……」
唆すような側近の言葉に、結局、辺境伯も賛同するしかないといった様子だった。
「まったく、やはり最近の異世界召喚者は肝が据わっている。元の世界で英才教育でも受けてからやってきたのかね?」
「そんなご都合主義な話があったら、僕はもっとうまくやっていたと思いますよ」
苦笑しつつも、方針は決まった。カイは謁見の間を後にしようと振り返る。
「ああ、待ってくれたまえ」
そんな小さな背中を、辺境伯が呼び止めた。
「討伐で功績を上げた者に分配するはずだった報奨金がある。本来ならば数十人で分けるはずだったもので、君ひとりでは持ち切れもしないような量だ。路銀にでもするといい」
辺境伯が顎をくいっと突き出すと、二人の召使が黄金色の宝箱を持って現れた。
丁寧に開かれた蓋の中には、箱自体の金色など取るに足らないものであるかのように、本物の輝きが詰まっていた。目を焼くほどの光の反射が広間全体に惜しげもなく振りまかれる。
「シミラ王国全域で使用できる金貨だ。全部で四千枚ある。五十枚もあれば、一年は遊んで暮らすことができるだろう」
「……こんなもの」
「受け取れません、などとは言わせぬぞ。貴様は確かに魔王を討伐したのだからな。貴様以外の誰にも、宝箱の中身に触れる権利はない」
側近は山のような金貨を一瞥することもなく、淡々と告げる。
きらりと光を放つ金貨が、少女に渡したブローチを思い出させた。
「……わかりました。では、こうしてください」
カイは少女のさめざめとした泣き顔を思い浮かべながら、改めて辺境伯へと向き直った。
「半分を、戦死した人の家族を対象にして公平に分割してください。さらに半分を、この町の発展のために。さらに半分の五百枚は、周辺の村が豊かになるように。僕は残った五百枚で十分です」
「本当にいいのかね。全て君の懐に入れたとして、誰も責める者はいない」
「魔王が復活する周期はだいたい十年前後だと聞きました。五十枚で一年暮らせるのなら、こ五百枚もあれば死ぬまで困ることもないでしょう。使い切れないお金を持ち歩いたとしても、それはただのおもりですから」
「……承知した。せめて、そのボロボロの服や折れた杖は新調していくといい。もちろん代金は不要だ」
辺境伯が宝箱を運んできた召使に指示すると、彼らは慌ただしく去っていった。
「客間を貸そう。身体を清めて回復魔法を受けてから出立しなさい」
「……わかりました。ですが回復魔法は必要ありません、自前で済ませるので」
カイはため息をつくと、側近の案内に従ってその場を後にした。
翌朝、ちょうど太陽が地平線から顔を覗かせた時刻。
カイは辺境伯とその側近という少ない見送りを受け、数か月の間暮らした城下町に背を向けて歩き出した。
この世界の果て、誰もいない場所を目指す、終わり方だけが定められた旅が始まった。




