二章② 盲目の魔法使い
「申し訳ない。助けてもらった上に、食料まで分けてもらって」
「儂としちゃ別に構わんがの。あのまま魔力切れで歩いていれば、遅かれ早かれ魔物の餌食だったじゃろう」
話を聞いたところ、青年はカイという名で、連れている幼子はマオというらしい。
持ち歩いていた携行食を与えると、カイはそれをがつがつと頬張った。味気も水分も温かみもないという無機質な乾燥パンなのだが、まるで焼きたてのクロワッサンにかぶりつくかのような勢いで食いついている。詰め込みすぎて喉が詰まりそうになっているところに水筒を差し出すと、遠慮もなくひっくり返してごくごくと喉を鳴らしていた。
その様子を見ていると、彼が一食や二食を食べ損ねただけではないということが見て取れた。
自分の昼食がなくなってしまったが大きな問題ではない。どうせ町に戻ればいくらでも食べ物が手に入る。ここらの魔物は先ほどの戦闘で焼き払ってしまった。細かい勘定はしていないが、今日の討伐クエストは達成と言えるだろう。お気に入りの景色も心に焼き付けたのだし、これ以上フィールドに長居する理由もない。
ようやくパンを飲み下したらしいカイは、空になった水筒を突き返してきた。
「前の街で聞いた話によれば、次の町には一日半で到着できる、ということだったんだが……聞いていたよりも時間がかかってしまって、食料も水も尽きてしまった……ありがとう、本当に助かった」
「誰に掴まされた情報か知らんが、一日半ってぇのは多分、馬を使った場合の話だの。そもそもこの距離を歩きで踏破しようなんて奴なぞいやしない。さてはお前さん、情報屋に払う金をケチったの?」
「なるほど。最悪道を間違えたのかと思ったが、そういうわけでもなかったのか」
カイはひとまず安心した、というように息を吐いている。
だが、ラッセルにはそれよりも気になるものがあった。
「……んで、そっちの嬢ちゃんは食べないのかの。心配せずとも市販の品だ、怪しいものなど入っておらぬ」
「んー?」
青年が連れていた幼い少女は、不思議そうに手にした携行食を見つめ、首をかしげている。
「マオは……こいつは、気にしなくていい」
「そうかの? まあ確かに、兄ちゃんがヘロヘロだってのに、嬢ちゃんはピンピンしておる……ははーん、さてはお前さん、自分の分の食料まで分けてやってたんじゃろ? なんともお優しいことだの」
「……そんなところだ」
適当に言い訳を作ってやると、青年は分かりやすく顔を逸らした。
彼は恐らく、まだマオについての情報を隠し通す気でいる。普通の人間であれば勘づくこともできないような秘密だ。晒さずに済むのならそうしたいという考えは理解できる。
だが、得体の知れない人物に施しをくれてやるつもりもない。
ラッセルはさらに懐を漁り、取り出したマナポーションをちらつかせる。
「こいつも必要ではないかの? そんな調子じゃ、魔力も残ってはいないじゃろ」
「ありがたい、自前の魔力もポーションも尽きていて──」
「だが、こいつを渡すわけにはいかぬの」
「え?」
遠ざけるように薬瓶を持ち上げると、座り込んでいるカイの手が空を切った。
肩透かしを受けて目を見開いたカイに問いかける。
「お前さん、魔力を視認することはできるかの?」
「魔力? そりゃ、魔法陣や魔法は目に見えるが」
「当然だの。だが儂が聞いているのは魔力そのもの──この世界に遍く存在する、まだ魔法ではない、意味を与えられていない力の粒が見えるのか、と聞いとる」
「……そんなもの、見えるわけがない。魔力は目に見えないものだ」
「一般的にはそうだの。だが──もし見える者がいたとすれば、どうかの?」
「……どういう意味だ?」
訝しげに、カイが聞き返してくる。
「儂は見ての通り盲目での。元々そういう生まれだったんじゃが、どういうわけか、代わりに魔力を感知する力が異様に強かったようでの」
もう何年も仕事をしていない瞼を指で示す。
物理的な景色が見えなくとも、物体に通っている僅かな魔力を認識することで、周囲の情報を得ることができる。事実、目の前にいるカイやマオの輪郭もぼんやりと把握できている。彼らの動作も、息遣いも。
「不便と言えば不便なのだが、目とは違って死角がないというメリットもあっての。それに、時には普通の連中には見えないものが見えることもある──例えば、お前さんと嬢ちゃんの間に繋がっておる、魔力のパスなどがよい例だの」
「っ……」
「当然、お前さんの魔力が嬢ちゃんに吸い上げられておる様子もばっちりと見えておる。胸元にある刻印が、魔法の正体というわけか」
ラッセルが見下ろすと、カイは驚きつつも、観念したように口を開いた。
「……そこまで見えてるなら、マオが普通じゃないってことも気付いてるわけか」
「魔力の量が人間離れしている、ということくらいはの。長生きしているつもりだが、嬢ちゃんのような存在には出くわしたことがない。儂としてもどのように扱うべきか決めあぐねておる」
カイとマオを繋ぐ魔力の流れを、ラッセルは最初、カイに対する攻撃魔法の類と誤認した。だからこそ、マオが敵性の存在であると判断し、杖を向けた。
だが、よく見ると違っていた。魔力はカイからマオの方へと流出しているだけだ。マオが攻撃を仕掛けているのならば、流れの向きは逆でなくては説明がつかない。
人間が魔力を回復させるのは、そう難しいことではない。
食事やマナポーションによってそれらが持つ魔力を自らのものとすることができるほか、睡眠中は周囲から取り入れる効率が大幅に上がる。そもそも空気中にも微量ながら魔力があるため、呼吸しているだけで少しずつ回復していくはずなのだ。
実際、携行食を口にしたカイには少しばかりの魔力が戻っていたが、既にマオによる吸収が始まり、回復したそばから根こそぎ持っていかれている。
呪いのような仕組みだ。他人から強制的に、なおかつ継続的に魔力を奪う魔法など、聞いたことがない。
「それに──その嬢ちゃんには魔臓がある」
「魔臓……」
「まぞー?」
二人が同時に呟く。
「お前さんも魔法使いなら知っとるじゃろ? 本来は魔物の身体にしか存在しない、魔力を体内に多くため込むことができる臓器。嬢ちゃんは自分の中の魔臓に、お前さんから取り込んだ魔力をたんまりと蓄えているわけじゃ」
動物と魔物。姿や凶暴性に差があるのはもちろん、両者には決定的な違いがある。それが魔臓の有無だ。
魔臓には大量の魔力を貯めておくことができる。身体に宿しておける量とは比べ物にならないほどだ。魔力はそのまま、エネルギーや身体を強化する目的で行使することができる。この特性は自然界の生存競争において圧倒的に有利だ。
反面、デメリットも存在する。適度な魔力の発散を行わなければ、魔力が身体や意思決定にまで影響を及ぼすのだ。備わっている爪や牙は硬く鋭くなり、正気を失って本能的な殺戮を繰り返すようになる。
「その嬢ちゃんは普通ではないし、それを連れて歩いてるお前さんもマトモとは思えん。マナポーションで回復したところで、どうせその魔力も吸い尽くされてしまうじゃろ。こいつはやるだけ無駄だの」
マナポーションの魔力濃度ならば、彼の魔力を最大値まで回復させることができるだろうが、いずれマオに吸収されてしまうのならば意味がない。
それに、マオの魔臓に魔力が溜まりすぎてしまえば、あどけない表情をした女の子が理性を失い、蓄えた大量の魔力を放出しながら暴れ出すことになる。
カイの魔力を回復するのは、それを助長することになりかねない。
「町までは連れてってやろう。そこからどうするかは、お前さんたち次第だの」
マオがどんな存在であれ、魔臓を有している以上人間として扱うことはできない。そう結論付けたラッセルは、突き放すように言い放った。




