成功 《Ⅲ》
正直なところ瓊凜の桃秦に対する印象は、粗野だった。なので瓊凜はなんだか簡単に見透かされてしまった気がしたのか、ちょっとむっとした表情をつくり桃秦の顔を軽い仕返しのようにじっと眺め、そしてわざとらしくふっと吹きだす。
「人を率いる男ですって?将軍にでもなろうっていうの」
「あぁそうさ、何が可笑しいんだ」
「あなた、そんな格好じゃ人を率いる器があるようには見えなくてよ」
初対面なのにずばりと言う瓊凜に、内心いいのか、と子琳は傍らで戸惑いを覚えた。
「お前また莫迦にしたな。格好と器量に関係などあるもんか。いいか?かつて允王は粗末な格好をした者であっても賢者とあれば、自ら三度出向き頭を垂れて助力を請い、遂には一邦を手中にいれ天下に覇を唱えたと言われているし、そうそう、あとは丹の名将、蔡白は――」
「御託はいいから、証明してみなさいよ」
瓊凜の捲し立て方はいかにも幼く勝気な女の子であった。桃秦はむっと唇をへの字に曲げると、ぼろくなった腰帯をぎゅっと握って瓊凜の細腕をとる。
「いいだろう、ちょっとついてこい」
瓊凜が少し抵抗しても、桃秦は何もしないよと言ってずいずいと軒先をはずれ、家屋と家屋の隙間の道へ入っていく。子琳も瓊凜を放っておくわけにもいかず、仕方なくついて行くことにした。それにしても素早い。
間もなくひらけた場所に出た。井戸のようなものを中心に二丈ほどの空きがあり、その周りに粗末な草屋が囲むように立ち並んでいた。城壁の日陰の為か、周辺は薄暗くどんよりとしている雰囲気があり、見るからに貧しい人々が住むような場所であった。
中国の城郭に住む民にとって、立地とは非常に重要なものであった。水が溜まりやすかったり、日陰であったり、不吉な方角であったりなどする立地は、やはり貧困層が居住する場所となりがちで、逆に立地の良い場所は富裕層が占めるといった具合である。そういう悪い場所では、病気などが流行りやすく、治安が悪くなりがちであった。現代にも通じることだが、住居環境とは死活問題なのである。
桃秦は小さな草屋の中の一つに入った。子琳達も藁の暖簾を上げて中に入る。中は外見通り狭いが香草を蒸したような匂いが立ち込め、奥の筵の座敷には目に帯を巻いて胡坐で座る男が居た。
「黄函先生、客を連れてきました」
どうやら奥の座敷に座す男は黄函先生と呼ばれているらしい。黄函先生は、そうかと頷くと、白湯でも、と桃秦に向かって言った。明らかに異様な雰囲気を肌で感じた子琳と瓊凜はそわそわと、辺りを見回す。
「悪いな、無理に連れてきちまって。今俺はこの黄函先生の下に身を寄せているんだ。親と別れちまったからな」
桃秦は薫炉の器に湯を入れながら言う。その黄函先生は目が隠れてはいるがこの初見の客に、にこにことして手を伸ばし座を勧めた。
「実はな、お前らに話しかけたのには理由がある」
「理由?」
「お前らが瀑鈳将軍に近いからだ」
「それがどうしたのよ」
「お前の言う通り、戦災孤児で身寄りもないこんなちんけな子供が人の上に立つ将軍になるなんて、よほどの幸運に恵まれないと難しい。でも、俺はそんないつ訪れるかわからん幸運を待っているつもりはないし、そんなんじゃぁ人生なんてすぐ終わっちまう。況して、能力があったとしても埋没したままであれば無意味さ」
戦災孤児――瓊凜もその戦災孤児の一人となった。子琳も設定上そうなる。
「そんな奴が、出世するにはどうすればいいと思う?」
「どうって……」
瓊凜は少し考えたが、わからないという素振りをした。
「位の高い人物に見知ってもらって能力を買ってもらうことだ」
「……それで私達に」
「そうだ。だからこの戦争に大事な助言がある者がいると瀑鈳将軍に俺を紹介してほしい。この機会を利用して瀑鈳将軍に俺の事を知ってもらいたいんだ」
こんな若い内からそんなことまで考えているとは、と子琳はこの身なりが粗末な少年をもう一度見直した。どこか前より立派に見えてしまうのは子琳の感性が単純だからであろうか。
「それをして私達にとってなんの得があるのよ、しかもあなたとは今日さっき初めて会ったのに」
瓊凜が嫌がっているようなのも無理はない。どこぞの馬の骨ともわからぬ少年から頼まれて、はいそうですかと、遥かに上位でしかも多忙であろう瀑鈳に厚かましく進言などできようものだろうか。助けて貰ったとはいえ、そこはあまり踏み込めない一線である。
「確かにそうだな。でも伝えて損はないだろうぜ」
「そんなの私達にはわからないわよ。……とりあえず、試しに言ってみて。ね、子琳もそう思うでしょう?」
急な要求に子琳は反射的にこくこくと頷いた。
桃秦は、しょうがないなという風な仕草で頭を掻き、奥の棚から巻物のように丸めた襤褸布を出してきた。広げると、何か地図のようなものが描かれているが、麻の為かいたるとところががさがさで、読み辛い。
「これはここの知り合いから聞いて回って作図した高鮮周辺にいる成軍の図だ」
桃秦がわしわしと布を延ばしながら説明する。
「現在の成軍は桂丘という丘陵に陣取っているが、この高鮮砦に対しては迎陵の布陣ではっきり言って不利だ」
「迎陵って?」
子琳が興味あり気に聞く。
「高地に向かう布陣のことだ。攻め辛く、相手が勢いを持って下ってきたら備えがなければ太刀打ちできない可能性がある。魏素っていう成の将軍は話を聞く限りじゃ無名だけど、全くの無学という訳じゃない。黄函先生の客が来られた時に一緒に建恭の件も聞いたんだが、兵法の要点はちゃんと押さえている戦い方だ。こんな基本を無視するような奴じゃない」
「じゃあ私達が有利ってこと?」
「話は最後まで聞け。有利とまでは言えない、あえて布陣していると言った方がいい。争地である桂丘を分捕るまではわかる。要所を奪取したことで相手側へ強烈な威嚇となるしな。でもなぁ、桂丘という場所はあれだけの大軍団を収容するには不向きな場所だった気がするんだよ。圧倒的物量があるからあえて布陣したのかと思ったけど、調べてみたらもっと適当な場所があったんだ」
「つまりどういうことなの?」
あまり人の話を長く聞けない瓊凜が結論を急かす。
「要するにだな、城からの出撃を誘っているか、別の場所から攻める可能性があるんだ。それでおかしいと思って土地に詳しい人に聞いてみたら、高鮮砦の裏側に勢いの強い谷に挟まれた川があった」
「そんなことすでに瀑鈳様ぐらい知っているでしょう」
「まぁな。すでに下見に行ってたよ。結論はそこからは人は登って来れないということだということだ。流れが急すぎるし渓流だしな、魚でも登れそうにない。でもな、上流から川が塞き止められたらどうなる?」
「……」
子琳は、それを聞いてなんだか背筋が薄ら寒くなった。水さえ流れなければ、岩場を登るようなもので、精強な兵士にしてみれば造作のないことだろう。
「ところで相手の司皐がどうやって高将軍の陣を破ったか知っているか?」
「いいえ、知らないわ」
「まぁ知らされてないのは当然か。ちょっと伝手があって聞いたんだけどな、どうやら兵を空に歩かせるらしい」
瓊凜の興味の琴線に触れたのか、瞼が開き瞳が大きくなった。
「仙のように?」
「詳しくはわからないが、空から急襲し火矢を打ちかけたらしいんだ」
「それじゃあ壁の意味がなくなっちゃうんじゃ」
子琳の疑問に桃秦は、うむと頷く。
「その能力を行使して壁を越えてくるに決まっていると考えるのが、当然の思考だ。そんなの当たり前、壁を越えられちゃ守るもくそもないからなぁ。だからみんなの意識は自然と壁と空に向かう」
「なるほどね、意識を別のところに向ける為にってわけ」
「そうだ、いわば前哨戦に司皐を使ったのは相手にその能力を見せ付ける為。本当は壁を越えて攻撃するのではなく別路から急襲するつもりということだ。だから温存しておけばいいのに、最初に司皐を繰り出してきた」
と言ったところで白湯ができたのか、桃秦がよっと立ちあがり器から移して二人の前に置いた。
「わかったか?」
瓊凜と子琳は白湯を啜りながら、少し考えて頷く。白湯は香草の匂いがした。
「でも、なんでそれで川を登ってくると言えるわけ?」
「この地図を見るといい」
瓊凜と子琳は地図に目を落とす。高鮮の周辺には山岳が広がり、山道らしきものも幾つか見受けられるが、高鮮から離れているか、断崖を通る桟道しかない。しかし、その川は高鮮に近く、桂丘の側を流れる川に合流していた。
「この川をのぼるのが最短の進撃路だ。しかも上流へは全く別の順路から簡単に到達できる場所だ。人手も比較的簡単に動員できる。もし俺が魏素ならば、この進撃路を取るね」
桃秦はそう言いきってふんと鼻から息を吐きだした。
「あなた……、これが本当だと断言できるわけ?」
「あぁ、もちろん。調べは先生に手伝ってもらったが、出世の為だ嘘はねぇ」
瓊凜はこれを聞いて、また考え出した。もしこれが本当なら、建恭の悲劇を繰り返さなくても済むかもしれない。でも間違いだったら。そう思いつつ、そっと子琳の方を見た。子琳はというと、紹介したら街へ下りてたのがばれるのではないかと考えていた。廉毅に叱られるのではないかと思っていた。
瓊凜はもう一度確認の為か、地図と桃秦を両方見比べ、そして決心した。
「わかったわ。取り次いでみるけど、駄目だったらあきらめなさいよ」
「いいだろう、そこは天運だ」
桃秦は、にやりと笑んだ。無邪気さを残す顔は、まだ幼くみえる。すると、
「ちょっと、いいかな」
奥に座する黄函先生がすっくと腰をあげこちらを見下ろした。座っていたので気付かなかったが、この人は非常に背が高く、細身であった。何を思ったか鼻を鳴らし始めると、くいと首を傾げた。
「どうかされましたか」
桃秦が尋ねる。
「さっきから皐の匂いがするな」




