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戴邦物語  作者: 龍本 明
雨後の陽
44/47

成功  《Ⅱ》

 楯発季(じゅんはっき)の率いる軍内は一斉に慌ただしくなった。ところどころで(どよめ)きが起こり、次々と兵士が集まってきた。

「それはいつだ!?」

思わず楯発季は持っていた(かん)をかなぐり捨てた。斥候は馬を転がる様に降り、砂塵に塗れた口唇を汚れた袖で拭って答える。

「おおよそ一刻前かと」

「一刻……!?」

 ここから寿桑(じゅそう)までおよそ三十里、馬を馳駆(ちく)させれば大体一刻(約30分)はかかるはずであり、歩兵ならばその倍以上だ。潜伏場所が敵方に漏れているのであれば、一刻から二刻ほどでこの場所が捕捉されるだろう。もし兵馬の混合の部隊で出発したのであれば、逃走に要する時間的余裕は十分に有りうる。戦うか、逃げるか。急に目前に迫った択一に楯発季の思考は一瞬止まってしまった。しかし、すぐ気を取り直し、状況の把握に集中した。

「聞け!!これより高鮮へ出立する。すぐに支度を整え、順次什長(じゅうちょう)に従って行軍せよ!!」

大丈夫だ、まだ逃走する余裕はある。ここは拓けた道を通り、安全に高鮮を目指そう、と楯発季は考えた。伏兵がいるなどということはあまり考えれなかったし、緊急に際してあまり心の余裕はなかった。


 その時、少し離れた北の方角の林から野鳥が幾羽も飛び立つのが見えた。戦時では、この野鳥の飛び立ちを敵兵が接近している合図とすることがある。何かがいる。それを目の端に捉えた楯発季は、咄嗟に斥候に詰め寄る。

「武器は何を持っていた!?」

「は、はい?」

「出てきた兵は何の武器を携えていたかと聞いているんだ」

「げ、(げき)(矛と()が合体した長柄武器)と弩であったと思われます」

それを聞いて楯発季の顔色は一気に冷めた。寿桑から高鮮まではほとんどが雑木生い茂る森林地帯であり、現在潜伏しているのはその雑木林の中である。戟のような長柄武器や弩は障害物の多い林では不利でしかない。類推するに林が多いこの地帯へ向けてその装備というのはいくら邑民の叛乱軍と云えど合点がいかない。ならば、その出てきた兵馬は山間に伏せる自分達を攻撃する為に出てきたわけではない。その軍は一体何だ。彰軍への援護……!?いや、成と繋がっている可能性の方がむしろ高い。

 その間は一瞬であった。突然に、陣の後方から歓声と怒声が巻き起こった。楯発季は、瞬時に状況を理解し、考えを改め叫んだ。

「臨戦態勢を取りつつ、高鮮へ向かって駆けよ、駆けよ!!」


 あの兵馬は囮であった。潜伏場所を掴んだ叛乱軍が、事前に別の門から精鋭部隊を出向させ、索敵の網にかからぬよう彰軍の背後を襲ったのである。これを率いるは劉香に急襲部隊を任された鞠嘉(きくか)であった。勿論、作戦通りに敵の混乱を目的とし壊滅を狙ってはいない為、全力ではない。

 そうとは知らない楯発季はさらに大きな声で叫ぶ。

「我に続くくものは殿軍(しんがり)となって兵士を逃がす時間を稼ぐのだ!!瀑鈳様よりお預かりした私兵、それを失ったとあっては瀑鈳様と顔を合わせることなど到底できぬ!!」

そして、動揺している部下に振り返り言った。

「こうなっては仕方がない。我々が時間を稼ぐ故、例の間道を通って少しでも生き延びよ。敵が来ればすぐに橋を落とせ、我々を待つ必要はない」

楯発季は、剣を抜くと三十人ほどの部下を伴い、自ら敵兵の渦中に突撃していった。



「寿桑へ使者を送っていたのですか」

細く薄い眉をそばめながら費聴(ひちょう)が言った。魏素は、そうだと頷く。

「我々は聞いておりませぬ」

「言う必要はないと思ったからだ」

それに被せるように文煕国(ぶんきこく)が巨躯を前衛に傾かせ言う。

「その前に、どうやって彰軍が寿桑近辺に兵を伏せているとわかったんだ、魏将軍よ」

「わかる」

魏素はさっきと打って変わって、にやついて歯をちらちらと見せた。

「俺には瀑鈳殿の考えていることがわかる」

文煕国並び、三将は目を瞬かせた。

「賭けが過ぎる。帰還したからいいものの、仮に使者が懜獣に襲われていたらどうしたのです。それに、叛乱軍が鎮圧されてたら……」

菅雍(かんよう)が赤みがかった髭を触りながら少し呆れた風に言った。

「策を幾つか準備しておいた。その中の一つが可能になっただけに過ぎない。失敗すれば次の策を用意してあった。しかも、一番成功してほしいものが成立した」

魏素は自信あり気に語る。費聴が細い眉頭をさらに吊り上げた。

「腑に落ちぬことがあります。何故壊滅ではなく撹乱なのです。敵の勢力を少しでも削らねばならぬのでは」

「間者という名目で、工作兵を敵軍に忍ばせる為だ」

「工作兵を?」

「理由は言えぬ」

「言えぬとは……」

 肝心なことはほとんど言わない。ずっとそうであった。この戦が始まってから、核心を知らないままここまで来た。ただの駒でいることに不快を感じていた彼等だが、それをあまり表に出さないようにしてきた。魏素らの考えている事が、解りかねた。若さ故の自尊心の高い彼等はわからず当てにされないことが苦痛であった。不快が不信へと変わり始めていった。

 そうして、魏素が馬駒を手に取り高鮮へ向け、三将を見渡した。

「今晩夜襲をかける。先程の言、証明しよう」



 瓊凜(けいりん)に手を曳かれ、誰にも見つからぬよう道とは言えないような谷間を降っていった。終始瓊凜は無言で、黙々と覚束ない足場を降りていた。瓊凜の汗ばんだ手は温かった。子琳(しりん)は何かを言おうとさっきから口を開けるが、考えた間話(かんわ)はそのまま音とならずに空へと出てゆく。

 (やがて)、高鮮の城内の町並が現れた。砦と町は、ほぼ並立していた。厩舎のある高台から降っていけば町の場所までこのように降りれるとは思っていなかったが、まさかこんなに上手く辿りつけるとは、と子琳はこの少女の勘のよさというものに少し驚いた。

 町は子琳が思っていたよりも規模が大きく、人の往来が激しかった。俯瞰していた時はわからなかったが、間近で見た時、何故往来が激しいのか理由がわかった。逃げる準備をしているのだ。戦時である為、外へ通じる門扉は堅く閉ざされているので城外への脱出は困難であるが、いつでも逃げられるようにしているのだろう、荷車に家財を積む人や当面の食糧を得ようとする者等、戦前の恐々とした雰囲気を肌でぴりぴりと感じた。

 小さな壁を乗り越え町に入ると不意に、瓊凜が振り返った。その顔には涙が浮かんでいた。

「……私、殺されちゃうかと思った」

子琳はこの涙ぐんだ表情を見ると、どうも怯んでしまう。頷いて、自分の額の高さにある瓊凜の目を下から覗いた。瓊凜はぐっと涙を拭うと、震えの止まらない声を振り絞って言った。

「でも、あの妖獣がこの国の太子だったなんて。瀑鈳様が太子を匿っているっていうのかしら」

どうだろう、とあえて反応を濁した。あの翼翠が人であったことはわかっている。しかしどこの誰かまではわからない。

「もし大司皐の言っていたことが本当なら、これは一大事よ。この国が乱れてもおかしくないわ」

これ以上乱れることがあるのだろうかという印象を子琳はもった。

「それを知ってしまった私達は、捕まってもおかしくないのよ。父様が言っていたわ、人の秘密にしていることを必要以上に知りすぎると碌なことがないって、わかる?」

混乱か動揺しているのか、少々過剰気味に口走っている。

「落ちついて、瓊凜」

「落ちついてる、冷静よ」

繋がった手から瓊凜の焦燥が伝わってくる。どうしようかと考えあぐねたあげく、思わず子琳は瓊凜のもう一つの手を握った。そして、

「見つかってないから大丈夫だよ、多分」

それに瓊凜が驚いたのか、刹那お互い目があった。そしてお互いに間をおいて頷いた。瓊凜は目を瞑り、ふうと息を吐いた。

「このことは他言しないようにしましょう」



 兵舎に戻る道を探そうと、二人は喧騒の街路を歩いた。雨上がりの地面は泥となり、足跡と轍の跡が交差、重なり取り留めもない紋様を作りだしている。店は閉まり、やっているのはがらの悪そうな酒場ぐらいである。人々は食糧を買い求め、広場で群がり押したり引いたりして少しでも多くを得ようとし、傍ら壁や軒先などに座りこみ疲れ果てた様子の人々が虚ろな表情で行き交う人を見つめている。そして、ひらけた街衝(がいしょう)の真ん中では、武装した兵士が札を立てて、戦える者を募っていた。

「建恭も戦前はこんな感じだったわ」

瓊凜は哀しそうな目をして、これを眺めた。一方子琳は複雑な気持ちでその言葉を聞いていた。

その時、大通りの端に暗がりから突然二人を呼びとめる声がした。呼び止められるようなことはしていないはずであるが。

「お前ら、陸将軍に助けられたっていう二人だろう」

この無邪気そうな声の主は、瓊凜と同じ位の年端の子供であった。身体に似合わぬ大きさの粗末な衣服である(かつ)を着、黒ずんだ顔をしたその子供は、重そうに腰をあげて立ちあがると、二人をまじまじと下から上へと二回見た。

「ほぉ~ぇ、どうしてこんなのを砦内で匿ってるのかねぇ」

「何よ、いきなり。金目の物を期待しているならおあいにく様、何も持ってないわ」

瓊凜が警戒の目でこの子供を見つめた。

「誤解だよ、金目のものなんてほしかぁないさ。いやね、砦で物売りしてた時にお前らを見たからさ」

この子供が頭をぼりぼり掻く度に塵が飛んで落ちる。それを見て明らかに瓊凜は嫌そうな顔をしていた。

「それがどうしたっていうのよ、あなたに関係あるの」

「ほぉ~ぇ、こいつは強気な嬢ちゃんだね。関係は、ない。でも、どうしてかと思ってさ」

「子琳、早く行きましょ。関わっちゃだめだわ」

瓊凜が離れたそうに子琳の袖を引く。

「あっ、今お前俺のこと莫迦にしたな!!」

「言ってないわよ、そんなこと」

「いーや、顔に現れてるね。汚らしいから、あまり話たくないと思ってる」

図星なのか、瓊凜は少したじろいだ。

「それにお前、商家の娘だろ」

「な、なんでそんなことがわかるのよ」

瓊凜の服装は、着替えた為に平民が着るような衣と裳裾しか着ておらず、傍から見れば生まれなどわかるはずもない。彼は腕を組むと舌を出して笑う。

「節々に見える所作が違うし、その白玉みたいな肌の色はあまり外に出ていない証拠だよ。野良仕事をさせないとなれば大体見当はつくさ」

彼は自信満々に言った。瓊凜はそれを聞いて驚き、逆に彼を下から上へもう一度見直した。

「あなた何者!?」


「これでも将来人を率いようと思っている男さ、今は桃秦(とうしん)って名乗ってる」


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