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戴邦物語  作者: 龍本 明
雨後の陽
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成功  《Ⅰ》

 成功すれば寿桑と飛下という重要な地を与えると言うのは、破格の待遇であるといえる。

 この時、反乱軍を指揮していたのは、劉香(りゅうこう)という元山賊であった男である。彰の圧政への叛乱―――表向きはそうであったが、劉香自身は寿桑領主である呉嵋(ごび)への反旗の為に叛乱起こしたのである。


 領主である呉嵋という男は冷血漢で酷薄な男であった。彰の旧臣である呉氏の分家の出であり、建恭で討たれた呉乾(ごけん)とは従兄弟である。呉嵋は名家の出であるというのを鼻にかけて権力を私欲の為に振りかざし、領民は宮殿などの作造に事あるごとに徴発されて疲弊していた。さらに自らの私腹を肥やす為にさまざまなものに高い税金をかけ、何をするにも賄賂が要求されるので、領民は非常に苦しい生活を強いられていた。

 溜まりかねた領民が王に直訴するも、かねてから賄賂を渡していた司馬氏によって訴状は直前に揉み消され、逆に訴えた首謀者の一族を逮捕し、斬刑に処した。それにも関わらず呉嵋は何食わぬ顔で毎日のように酒色を愉しんでいた。


 さらに呉嵋への反意を少しでも口に出そうものなら即刻捕らえられた上、呉嵋の酒の肴として拷問にかけられ凄惨な末路を辿ることになる。そして色欲強きこの領主は、度々領内で気に行った少女を見つけると、その親にありもしない罪を着せ、少女を罪科の対象として奪って私邸で(もてあそ)ぶのを最上の愉しみとしていた。


 領民の怒りは遂に頂点を迎えた。叛乱の為の組織を密かに結成し、当時人望を集めていた劉香がその長となった。人望といっても体格が大柄で腕っ節が強く、声が大きいことから人を率いれそうだという、単純な理由である。だが怯えきっていた領民には、怖いもの知らずの激情家であるこの元山賊がよほど眩しく見えたらしい。劉香は、この呉嵋の蛮行にひどく怒りを覚えた。この男の特筆する点をあげるとすれば、山賊であったにも関わらず、そういった類――特に権力者の専横に対して激情が沸きやすく許せない性質であり、よく言えば圧政を受ける民衆を放ってはおけない性格という一風変わった義侠心を持ち合わせていることだろう。


 いつのまにか誰かが大量の武器と、叛乱の資金を調達してきた。難航することなく、おもしろいように計画は進み、守備兵が割かれる戦時を狙って決起。城府を囲んだ叛乱軍はそれを三日で陥落させ、呉嵋は逃走しようとしたところを捕縛された。これは建恭が陥落したのとほぼ同日であった。紛糾した議論の末、日を決めて呉嵋を烹刑(ほうけい)(煮殺す刑)の上、車裂きの刑(両足を車に縛って別々の方向に曳かせる残酷な刑)に処することにし、当面は交渉の種とする為生かしておくことにした。しかし、呉嵋に恨みをもった人々がのちに勝手に刑を執行することになる。その死体は切り刻まれ、犬の餌にされた。


 劉香は臨時に寿桑の領主の席に座り、今は事実上の無政府状態であるという体裁を取った。彰への叛乱ではなく、呉嵋の圧政への叛乱ということにし、独立するなり彰に城を明け渡すなり、どちらの方向へも迎合できるようにした。それは彰に属する領主への叛乱は彰という国家への叛乱と捉えられても致しかたがなく、もしそう捉えられれば、鎮圧の為に軍を差し向けられ寄せ集めの民兵などたちどころに瓦解する可能性があったからだ。領民の窮乏故の苦肉の行いであったとは言え、自分達はむざむざ死にたくもない。その為逃げ道を用意しておいたわけだが、叛乱軍の首謀者らの考えはあらぬ方向へと向かい始めていた。


「彰は既に衰亡の国家であり、政治も満足に行えていない。ならば、このまま独立を保持し成軍と迎合すべきだ」という意見が形勢を占め始めたのである。権力をむざむざ手放すのを惜しみ始めたのである。劉香も、匿われていた呉嵋の女達と宝玉の山を見て目の色を変え始めた。


――案外悪くないかもしれぬ。この地位は。

目標が達せられた後の着地点など彼等は考えていなかったのである。大義はそこで終わってしまった。

そしてそこに建恭の虐殺の惨状が伝えられ、浮かれていた首謀者らは突然に血の気を失った。


――次は、寿桑だ。

お互いに青ざめた顔を見合わせ、混乱に陥った。降伏すべきだ、いや援軍を待って籠城すべきだ、誰が叛乱を起こしたものなどに援軍などを遣る。しかも、周辺の兵は防衛に出払っているではないか。叛乱軍の首脳部は混迷を極めた。このままでは四面楚歌になりつつある。


 そこへ、徼恍の報せと魏素からの使者が到着した。劉香は九死に一生を得たと歓喜し、快く使者に会い、提案を受け入れた。しかも、協力すれば寿桑と飛下の地をやると言っている。元山賊の男がなんと三千戸の(こう)になれるかもしれないのである、これは受け入れないわけにはいかない。どちらにせよ彰軍は敗亡の兆しが出てきているし、籠城したところで建恭を落とした成軍に勝てるわけもない。領民もそれで納得するはずだ、そう劉香は判断した。


 翌日、劉香は約束通り成軍から派遣された六名の間者を混入し、武備を整え奇襲部隊を編成した。大方は、叛乱軍側に靡いていた守城兵である。鞠嘉(きくか)という者に八百の兵を与え、寿桑近辺に埋伏(まいふく)していた瀑鈳の私兵を急襲する手筈を整えた。



 瀑鈳の私兵千人は、寿桑から三十里(約12キロ)ほど離れた山間に伏せられていた。楯発季(じゅんはっき)という古参の部隊長が率いており、建恭を抜かれた場合に備えて、出来る限りの成軍を足止めをする準備をしていたのだが、想定外の徼恍の報せが入ったので、瀑鈳からの続報を待つ為に陣を敷いてそこに駐屯していた。

そこへ、瀑鈳からの報せとともに、寿桑が叛乱軍によって落ちたという報せが舞い込んできた。

楯発季は部下の意見を聞いた。

高鮮(こうせん)に合流したいところだが、寿桑の雲行きが怪しい。決起から府所陥落までが異様に迅速だ。もしかしたら成と通じておるかもしれぬ。だとしたら、叛乱軍に追撃される恐れがあるな」

「可能性は高いです。ここに来てから三日、我々の場所が敵に知られていても不思議ではありません」

「どうすればいい、敵の追撃を受けながら逃げ切るのは困難だぞ、まして一刻も早く瀑鈳様に合流せねばならん」

部下は、少し考えたあとに口をゆっくり開いた。

「寿桑と高鮮の間には間道が二つあります。一つは拓けた道で、容易に行けますが敵が馬を使ってくれば追いつかれるやもしれません」

「もう一つは?」

「建恭に近い、山間の道です。途中崩落が容易な掛け橋があり、そこを断てば追撃がかわせます。難点は、徼恍に焼かれた獣がいるかもしれないということです」


そこに、さらに急報が飛び込んできた。

「寿桑から出兵の軍鼓が聞こえたとのこと!!兵馬が出てきた門の方角からこちらに向かっていると思われます!!」

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