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戴邦物語  作者: 龍本 明
氷の壁
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瑕疵  《Ⅵ》

 陣のほぼ中央に設営された白い天幕の外では、陣の外郭を構築する為の兵士が右往左往する掛け声と、すぐ外に繋いだ騎馬の甲高い(いなな)きが薄暗い天幕の内へと漏れ聞こえる。

桂丘を囲むように構えられた陣内には、水が沸く泉があり小川となって麓の大きな河川へと注がれている。その小川に長路を駆けた馬達が、丸太のような凛々しく太い頸を落として水を喉へと運んでいる。これからの城攻めに馬はあまり使われないのだが、不思議なことに、何かを察知したのかこの馬達の気勢は漲っていた。



――魏素め、案外、正鵠(せいこく)を射ておるかもしれぬ。


玄順は内心ほくそ笑み、そしてまたわざと呆れた風に言った。

「大司皐の荷に勝つ質子(ちし)とは、逆に見てみたいわい」

「いえ、これは揺さぶりにかける為の策です」

「ほう」

玄順は自分を超えるかもしれない魏素の成長が正直嬉しかった。無論、この策が何の為であるかはすぐに察する。

離間計(りかんけい)か」


はい、と魏素はにこやかに頷く。

「雛龍か大司皐かの二択を迫られたとき、陸将軍と大司皐の間にどのような軋轢が生ずるかを見ようと思います。仮に、雛龍であるとし、交換条件として陸将軍に大司皐の殺害か幽閉なりを迫ったとしたら、陸将軍はおそらく即決はできずに悩むでしょう。両天秤とも重要な存在。そして、わざわざ援軍に駆け付けた国の中枢にいる侯官である自分と、どこの馬の骨ともわからぬ子供を天秤に架けられていると大司皐が知ればどう思いましょうか。おそらく、その為に陸将軍は大司皐側にそのことを教えられない」

「そこでその情報を大司皐に流すというわけか」

「そうです。そうすれば自ずと、陸将軍が何を庇っているのかが気になり始めます。そこで、もし雛龍であることを知れば――」

「謀反が露見する、あるいは何かを企てていると考えざるを得ない」

玄順は笑んだ。

「露見したことを知った陸将軍は、大司皐を殺すか幽閉するしかなくなる。大司皐側が先手を打てば、陸将軍側が斃れる。どちらにしろ高鮮の戦力及び士気は大幅に減退することでしょう。そこに矛を差し込む」

握った駒が卓に打ちつけられ、木独特の音を弾く。


なるほど、と玄順は納得した。確かにそれが成功すれば、どちらにしせよなにかしらの得はありうるかもしれない。質子を手に入れるだけでもしかしたら、この戦を有利に運べるかもしれない。少ない犠牲で、大局を動かせるならば、それは最上の策である。


「もし、雛龍でなければ?」

理詰めの問いだ。

「それでも、大司皐からすれば、大それた交渉を吹っかけてくる相手側に疑問を抱きそうですが、逆にそれは真実味を帯び反問として陸将軍側への疑念として拭えない染みになることでしょう。氷大司皐も元は丹国の出自で、司馬氏の後援で得たあの地位。明らかに代々の王臣の家系である陸将軍とは違う派閥。多少の軋轢は起こせるかもしれません。ですが、その子供が何者なのかによってまた状況が変遷するかもしれませんが」

玄順は、さらに問うた。可能性はまだ存在した。

「大司皐と陸炎が結託、若しくはすでに通じていたら、どうする」

魏素は、少し暗い表情を浮かべた。

「それが一番厄介です。あり得ないとは思いますが、その場合、我々は撤退も視野に入れなければならないかもしれません」


 撤退という言葉を将軍たるものが安易に口に出してはならないものであるのは言わずもである。しかも、璃州平定という壮大な旗印を掲げて起した戦であった。無闇に撤退などすれば、成軍を辱めたとして魏素の首が飛ぶ可能性すらある。この二人に逃げという選択肢など存在しなかった。

 魏素と玄順は自分達を売り込む為に成王の前で美辞麗句、巧みな壮言を吐き、説論を語った。成王はその通りだと(いた)く感心し、それを受けて彼等に大軍を任せたのであった。お人よしな王と取られるかもしれないが、前年に他国で無名に等しい外国の者を将軍に任命して強国に大勝したことがあった。その奇跡ともいえる現象がこの王を、この苛烈ともいえる興軍へ駆り立てたことは否めない。成王の焦りを彼等はうまく突いたのである。よって、おめおめと尻尾を巻いて帰ろうものなら、怒りを買って殺されてもおかしくはなかった。


 であるのに、撤退という言葉を思わず口にしたのは魏素の心中に、憧れである瀑鈳と対峙するということに対しての自信が欠け始めた部分が生じたということがあるのかもしれない。それは自分でも気付かない程些細なものであった。

 玄順は、それを聞くと少し浮かない風に顔を(しか)めたが、やがて孫をみるかのように魏素の顔を窺った。

李譲(りじょう)に賭すかの」


 魏素は汗ばんだ手を拭って、また静かに頷いた。拭った手が小刻みに震えている。武者震いだと魏素は思った。

 正攻法ではどうにもならない敵であったことを知っていたからであろうか、そのような奇策を用意しておかなければどこか気持ちが済まなかった。


 やがて、陣幕に三人の武将が入ってきた。名をそれぞれ、費聴(ひちょう)菅雍(かんよう)文煕国(ぶんきこく)という成国ではあまり名の通っていない若手の将達である。先の彰との戦で国内の名将の多くが討ち死にしたため、急遽魏素らが器量ある者と見込んで部将に選んだのであった。


「後発の軍が到着致しました。これで全軍をもって高鮮に当たれます」

 猛々しい風貌の費聴がまず、後軍の着陣を伝える。彰軍がどこに主戦場を移すのか建恭陥落の時点で不明であった為、魏素が軍を二つに分けたのである。建恭に徼恍(ぎょうこう)が落ちたことは先に述べた。その為建恭付近は獣が蔓延って非常に危険であり、さらに十里ほど離れた場所に後発軍を移さざるをえなかったこともあって、ここでの合流が多少遅れてしまうことになった。大抵、先発の軍を総大将自ら率いるということは、大将の安全面からみてもあまりないことなのだが、魏素らがこれらの若い将をあまり信用していなかったし、何より魏素自身が勝利で昂っていた。


 魏素は明日の払暁の開戦を各将に伝え、作戦について議論した。と、いっても意見を喋らせるだけ喋らせて、結局は魏素と玄順が決めるのであるのだが。若い将達は、どちらかと言えば、議論が白熱すれば臆面なく自分の意向・主張を述べる方であった。だが、それを聞いても魏素らは上辺だけで、所詮青二才の戯言だと端から聞く耳などもっていない。要は、なるべく彼等から不満が出ぬようにし、ただ自分達の言う事を行う駒として有能であればそれで十分であった。その傾向は玄順がより強かったといえる。もちろん、雛龍に関しては伏せておいた。


「ここは、攻城兵器援護の為、弓兵を壁の薄い左方へ配置するのがよいのではないでしょうか」

人より一回り大きな体躯を持った文煕国が、玄順に意見した。しかし玄順は、いや、よくないと言って、意見を退ける。次に菅雍が言っても、すでにそこの配置は決められておる、と言って取り合わない。次第に、彼等が意見できるのは一部のみとなっていた。これに、業を煮やした費聴が言った。

「何故です。理由を聞かせていただかなければ納得できません」

すると玄順は、費聴を睨みつけて言う。

「先の建恭での勝利、その献策のほとんどが儂だ。それにお前達の策を用いておれば、いまだに建恭を囲んでおったわ」

「それでは我々は何も申すなと言う事ですか!?」

「いや、申せばよい。思う所を申せ。そして我々の指示に忠実に従ってくれればそれでよい。功を挙げれば、不平なくそれを認めよう」

それを聞いた文煕国がわざと聞こえるように呟く。

「王の機嫌取りが、一度の勝利で何を――」

「何じゃと!?」

「待て」

魏素の静かな、そして重みのある声がこの場を覆うように呑んだ。魏素はどちらかというとぼそぼそと喋る性格である。だが、時にこうした重い声を放つときがあるのだ。ちなみに文煕国は成国の名家の出であり、この突然現れた二人をあまりよく思っていなかった。

「玄老、言い過ぎだ。そして、文煕国。今の言葉は聞き捨てることにしよう」

すると菅雍が身を乗り出して言った。

「ならば我々の意見も取り入れるべきではないのですか!?これでは我々は何の為に戦場で来たのかわかりませぬ」

これに対し魏素はふうと溜息を吐いた。

「……何をしに来たのだ。勝ちにきたのではないのか?」

「それは……確かに。ですが我々にも戦略の一翼を担わせてもらう機会ぐらい設けてもらってもよいのではないのですか。若輩ですが、これでも兵学は人に劣らないぐらい学んできたつもりです、実戦を積みたく――」

突然に魏素の怒号が飛んだ。

「悪いが、私はこの戦に全身全霊を賭けている。この戦に負ければその時点で自刃して果ててもいいとさえ思っている。実際、自刃せずとも責任を負って殺されることになるだろう。お前たちにはそれほどの覚悟があるか?何の後ろ盾もない我々が王の信頼を得るには、ただ、ただ国益となる勝利のみしかない。しかも、この戦は私の人生において特別なのだ。目標としてきた瀑鈳将軍を私の力をもって倒す。それのみの為に今までの人生を賭してきたのだ。お前達の実践演習で濁されたら、死んでも死にきれんのだ」

すごい剣幕であった。


 魏素らからしてみれば、なるべく軍内部に軋轢を孕みたくはなかったし、そうするよう努めるべきであった。驕り、ともいうべきものがその歯止めを緩くした。個人的な主張ともいうべき私事である。多少なりともの理解を期待したから言ったのだが、費聴らの受け止め方は違っていた。


軽く見られている、少なくとも費聴以外はそう理解した。

軍中では上官の命令は絶対である。それは当然のことなのだが、これらの将の若さゆえの利己的な向上心と自尊心が魏素の言葉に反発を招かせた。要は、お前たちの立案では役不足であるから、黙って我々に従えと言われたと同じように感じたのである。

 と、言っても魏素自身も、この言葉によって自らを鼓舞させようとしたのである。結局は魏素も小胆な人間であったということだ。


そこへ陣幕の外から、報告があります、という声があがった。

「返答が来たか」

打って変わって表情を綻ばせた魏素は思わず身を乗り出した。

満身創痍の兵が、息を切らして片膝片手をつき頭をあげる。

「はい、寿桑の叛乱を指揮する劉香(りゅうこう)からの返答です。寿桑の兵権はほぼ掌握し、領主の呉嵋(ごび)を拘束。さらに、寿桑に伏せられていた彰兵の撹乱、了解したとのことです」

「でかした。危険な道程をよく戻ってきたな、ゆっくり休め」

「はっ」

この使者は、魏素が建恭を陥落させる直後の段階で、数名を寿桑へ派遣していたときのものである。

魏素の当初の作戦では、寿桑の叛乱軍を籠絡し、邑民と結託して彰国内に大きな足掛かりを築く予定であった。しかし、徼恍(ぎょうこう)が、予定を狂わせた。魏素は即座に、別の使者を追走させ、このような書簡を寿桑へ送った。

『寿桑から兵を出す余力があれば、寿桑に伏せられているだろう陸炎の私兵を壊乱させてほしい。恐らく、高鮮の補強に充てられるであろうから、追撃は容易であろう。しかしその時に壊滅させず、逃走する余力を残して我が軍の間者を潜伏させてほしい。もし成功すれば、成からの援助を行うことをここに誓い、貴殿に飛下(ひか)(寿桑から北西にある城邑)と寿桑の土地を与えることを成王に言上しよう』


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