瑕疵 《Ⅳ》
成という国は戴四邦のうちの璃州(東璃)の東南に位置する。
西を彰と国境を接し、東に海を有する。首都は渟都。ここから渟ともいわれる。土地は戴邦のほぼ中央――嵩邦の神山から流れる五仙河のうちの一つ、芳川の支流が平原を潤し肥沃、海運業も盛んで他国との交易も頻繁に行い、他文化の摂取も比較的よく行われた。その為か諸国と比べても、特に外国の者に寛容であった。これが、容易く他国の人間である魏素の将軍抜擢が行えた遠因ともいえる。実力があるのならば、それを素直に認めるという風潮が根底にあった。と言っても、戴邦では人材の流動などは日常茶飯事のことである。
五国と国境を接することから、外敵の侵入を防ぐべく軍備の増強が度々行われた。そのため、幾度もの戦闘で兵士は精強であり、史に名を残す名将がたびたび出現する所以となった。しかし、それも数年前を境に下降を辿ることとなる。
現成王の名を、秀という。王位に就いたのが弱冠15であったが、すでに齢60近く、長年玉座を温め続けた。彰や他国との争いを有能な臣下の尽力で乗り切り、国内の政治に人生の大半を捧げ続け、ついには璃州一の国力を持つと、一時は璃州の約半分を版図におさめた。
だが、これ以上の勢力拡大を恐れた周辺国は彰を盟主に連合を結成、成の国境へと流れ込み、悉く城を奪った。中国の戦国時代に燕の楽毅が連合軍の盟主として当時強大であった斉を滅亡寸前にまで陥れたのと似ていた為、一時総大将であった司馬肩は楽毅に準えられたが、結局は各国軍の内部軋轢により楽毅の偉業には到底達しなかった。結果は前述の通りである。土地は荒れ名だたる名将や数万の士卒を失った成王秀は酷く心を病み、いつしかこの老王は国民の怨念を一手に引き受けたかのように璃邦の征服に執着する。
そして、ここ数年で成の官民の結束もあってか、付け焼刃ながら軍備を再び整え璃邦の平定に乗り出した。国の運命を賭したといっていい総力戦である。
「疵はどこか」
魏素はふらふらと川辺に出て、ひび割れた珪石の丸石を手に取った。
「いくら完璧な玉と謂えども、疵があればそこから割れる。ならば、金城湯池の砦も同じであり、鉄のような結束の集団も然り」
玄順は魏素を見上げつつこっくりと頷いた。
「玉の細かな疵は凝らして見ねばわからぬぞ」
確かに、と魏素は丸石を掲げ片目でこの丸石を覗きこんだ。白いが表面がざらついている。陽に透け、所々淡い光を帯びている。
疵はどこか――。魏素は団子のような鼻を摩ると、また独り言のように言う。
「嫌な予感がします」
独り言は玄順の朽木の節のような大きな耳に届いた。
「氷越か?」
「あぁ……いや、それもあるかもしれません。ですが、もっと気がかりなのは……」
「……天、徼恍か」
玄順の皮張った喉が唸った。
「はい。少し、この戦で不可解なことが起きすぎているような気がします。情報では幾人かの将が徼恍のさなか、高鮮への逃走路とは逆の場所で目撃されている。彼等が何をしていたのかが非常に気になります」
魏素は掌で石をぎゅっと掴むとその長い腕を振り被って川の反対側へ思い切り投げた。石は、砦の周りに張り巡らされた柵に当たるとそのまま砕け散った。
「それはこの戦の勝敗を左右するものか、李譲。確かに徼恍は我々の進軍を阻んだ。おかげで予定よりも行軍が多少遅くなったが、いずれは奪らねばならぬ場所。あれは天意かもしれんが偶然かもしれん。もしくは邑民が呼び寄せたのかもしれん。少なくともやつらが天の力をどうこうすることはできん。龍でも味方におらん限りな。そこまで心配するほどのことでもなかろう」
龍でもいれば――、魏素はもう一つ小石を掴もうとした手を一瞬止めた。そして、何かに気付いたかのように振り返って側に居た部下に叫んだ。
「間者からの報告で瀑鈳殿が建恭から逃げた子供を助けたらしいという情報があったな」
魏素は入りこんでくるどんな情報でも聞き、そして目を通した。城内の兵士の流行りごとから、将の性癖までありとあらゆることを頭に入れている。側近のものはそれを確かめると、魏素に告げた。
「しかし、噂でしかなく不明確であるとのことです」
それを聞くと首を軽く捻ってから、最優先で調べろと言って、すぐに側近を遣わせた。
「ちと早急すぎはせんかね」
玄順は所々白く縮れた髭をしごいてたしなめた。
「例え子供を助けたとして、それが龍である証拠がどこにある。奴等は人の形をしておるそうではないか。本当にただ子供を助けたのかもしれん」
「そうでしょうか」
魏素は歯が見えるような笑みを含めながら兜を外し、近くの幕営へとずんずんと歩を進めた。そして諸将に参集せよと呼び掛けると、奥の座で腰を下ろした。
「敗北し、命からがら敵中から逃げる将が、どうして活路とは違う全く別の方向へ行ったのか。ずっと引っかかっていました。それは、どうしてもそこへ行かねばならぬ理由があったから。しかも、軍を担う将らが自ら動いたとなると、よほど秘したいとみえる。そこまでして助けねばならぬ子供。そんなものは王の太子か家の嫡男か、そうでないとすると――雛龍か」
「莫迦な」
玄順は杖を振り落とした。
「どうかしてしまったか、李譲(魏素)よ。そんな都合よく、龍が降邦しているなど……!!ほとんどが推論を重ねただけの憶測ではないのか!?」
「ならばなぜ、瀑鈳殿はあえて死中へ入ったのでしょうか。慎重なあの方がそんな危険を冒すなど、説明ができない」
玄順は皺が伸びるような呆れた顔で言った。魏素は何かと何かが多少歪な填まり方をしていても気にしない性であった。要は、少しぐらい見栄えが悪くとも填まればいいのである。この件であれば、瀑鈳という男と雛龍という組み合わせは、歪ながらこのうえなく合致の感触がよい。これはこの実直な男の欠点でもあり、才能でもあった。それが的外れであれば、単なる凡庸な将であるが、図らずも的に当てていることが、この男をここまで伸し上げてきた所以なのだろう。玄順はそこを承知してはいるが、あらゆる可能性を考慮せねばならない参謀として、理を詰めねばならない。
「よいか、龍が誰かに与するなど、滅多にないことじゃ。だいたい龍が陸炎(瀑鈳)に与してなんの利がある」
だが魏素の耳には届いていない。
「そうか、そういうことか……!!」
魏素は童が珍しい虫でも見つけたかのようにはしゃぐ。
「白虹日を貫く、というわけか」




