表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戴邦物語  作者: 龍本 明
氷の壁
38/47

瑕疵  《Ⅲ》

 厩舎(きゅうしゃ)に一瞬の間が生まれた。従者である二人の男はこの言葉の意味の重大さに間をおいて気付いたようであった。

「殿、事が大きすぎまする」

「大王と丞相(じょうしょう)が処刑なされた太子がなぜ瀑鈳のもとに……?」


(太子……?)


子琳は首を傾げた。なぜか、この言葉の意味が記憶から欠落していた。そのときは、この言葉の意味よりもむしろ、なぜ自分が瞬時に思い出せないのかが強い違和感を覚えていたわけであるが。


瓊凜(けいりん)が察したのか、微かな声で子琳の耳元に呟く。

「王様のお世継ぎのことよ」

あぁ、そういえば。と合点がいったのと同時に、頭がずしりと少し重くなったような感触を覚えた。このときはまだ、彼は些細な体調の変化としか捉えるにすぎなかった。



 子堯は周りを一瞥した。

「蜘蛛糸を手繰るような憶測ですが、半年ほど前、生前に太子の所持しておられた印と剣が宮中の国庫から持ち出されたという噂をたまたま親しい官吏に聞きました。これが私に噛み合わせのよろしくない事実として頭に植え付けられましてね。若い現王に未だお世継ぎはなく、空席の彰国太子の印璽など今はなんの意味を持たないのです。それでは何故盗人は厳重な警備の敷かれた宮中から、わざわざなんの効力もない印と剣だけを盗んだのか。国庫には創国の頃よりの名剣や金銀玉器があったはずですが、なぜそれらなのか。襄王の三人の太子はみな殺されたか他国で庶民におとされているのにも関わらず、です」


喋りながら子堯の顔から笑みがこぼれた。

「太子がまだ存命であると……?」

「可能性は高いですね。そうなればどうなるか……」


 まだ幼い子琳と瓊凜には難解な話に聞こえた。しかし、その重大さが子堯の話ぶりと側近の顔色や国という単語で多少は分かる。彰という国の明暗を分かつような規模の秘密の話。ということは、聞けば子供でも見つかれば容赦はない。そのことを本能的に察知し、縮こませた身体をさらに恐縮させた。


 その時、外から砂利道の(わだち)と車輪が擦りあう音と何頭かの蹄の音が聞こえた。

音が聞こえるや否や、子堯は簡をさっと懐にしまうと小さく舌打ちをし、側近に告げた。

「勿論、この事は他言無用です。まぁ言ったところで誰も信じはしないでしょうが」

そう言うと、翼翠(よくすい)に一瞥を向ける。これが、太子ならば――もう一頭は――。

そのとき、たまたま視界に厩舎の湿った地面が映った。何かが描かれている。それは文字だった。


雛龍


(雛龍……!?)

子堯の表情が一瞬強張った。


「どうされました」

「……いや、なんでもない」

子堯は地面の文字を足で消すと、袖を翻して外へ出ていった。


 瓊凜は藁の隙間から子堯達が見えない位置に行ったこと確認すると、子琳の手を握った。不思議なことに彼は汗をかいていなかった。

「今しかないわ。早く逃げましょう」

手を引かれながら子琳はもう一度、この美しい翼翠を見る。そして、想った。綺麗だ、と。



「そうか、大司皐が」

瀑鈳は幕営で布帛(ふはく)の陣図を眺めがらその報告を受けた。

「……知れたか」

「殺すべきです」

韓泰(かんたい)――麗其(れき)の発言にその場にいた他の三人が同意した。事実を知っているのはここにいるもののみである。

「奴は危険です。ここに来たのも我々の秘密を内偵をするために違いありません」


「ならば、知れているということになる。私は真っ先に将軍の任を解かれているはずだ。それに――」

瀑鈳は布帛に描かれた桂丘の文字を指でこつこつと叩いた。

「大司皐なしでどうこの窮地を乗り切る。これ以上の援軍も恃めない、後方では火種、前面には城壁を乗り越える奴がいるときた。司皐なくしては勝てんだろう」


「確かにそうですが、外敵よりも内敵の方が恐ろしいとよくいわれております。後顧の憂いを断つ為にも、ここはご明察を」

蘇甲が声を押して意見を述べた。これに対して、瀑鈳は面を伏せ、少し口を曲げた。

子堯のあの冷静な顔が脳裏に浮かぶ。奴が何を考えているのかなど見当がつかない。だが、彼が完全に敵だとは思えなかった、と同時に、同じ志を遂げられる者だとも思えなかった。各々の異なった思惑がこの件に関してだけ交差した、というような感じである。


「良(不騎)はどう思う」

不騎は間をあえて作った。瀑鈳が望む答え、それを考えた。

客観的な天秤にかければ、それは自明である。


「今は、国を寸分でも守ることが、懸命かと」


この答えを聞き瀑鈳の面持ちが少しばかり明るくなった。


「そうだな。大義の為、毒を制す為に毒を服することも致し方なし、か」

この瀑鈳の言葉に集まった者達は何かを含みながらも渋々頷いた。だが瀑鈳に疑念は抱いていない、状況を見れば飲まねばならぬ毒であった。


「毒は少量であれば薬ですが、量を誤れば致死。毒が体に回りきる前に処方をしなければなりますまい」

そうだな、と瀑鈳は頷く。


「奴を龍には近づかせぬことだな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ