東衛の火焔 西征の虎狼 《Ⅴ》
先にも述べた通り、瀑鈳の彰国内での功績は目を見張るものがあった。主に防衛戦でその能力を発揮し、領土と領民の盾となって幾度も外敵を防いだ。その為、国民からの人気も高く、内密に他国からの誘いも何度かあった。
普通、繁栄した国家が衰退を始めた時は歯止めが効かないものだが、この国は政府中枢が腐敗しても稀有な事に有能な武官が存在しその外殻を辛うじて守っていたのである。歴史を見ても、自分よりも才能・人気のある臣下はその上に立つ権力を握るものにとって、よく恐怖と嫉妬を生むことになった。
瀑鈳はそのような利己的な政治を嫌って考えないようにして、目上に対し貢物や遜るようなことを一切しなかったため司馬氏などの勢力に疎まれることになるのだが、現在の窮乏した国内情勢は遂に国士である瀑鈳に壮烈な怒りと将来への焦燥を抱かせることになる。
そして苦心の末導き出した答えが、王とその取り巻きを排除する為の謀反だった――。
会って一刻(約30分)も経たぬ男に不快からくる苛立ちを覚えていた。何かに見透かされたようなその言い口は、瀑鈳の自尊心を素手で撫でまわしているかのようである。
そして子堯は、恐縮とは言わないまでも、袖を整え身を正した。
「故に、私は無理を押してここに参ったのでございます。このままでは瀑鈳殿が“敗北”すると見越しましたので――」
なるべく冷静に構えていた瀑鈳も、険しい面持ちを隠せなくなった。確かに、援軍を恃むほど困窮する状況であるのは事実であり、自らの足りなさも自覚するものであるのだが、面と向かって敗北すると言われるほど自分が敵に及ばないなどとは思っていない。
「まだ負けると決まったわけではないのに、どうしてそのような事を言うのか」
瀑鈳の睨みは一層厳しくなる。
「先ず、将軍は政治的に不利な立場にございます。国の第一権力である司馬氏と犬猿の仲ですから、援軍の期待は望み薄です。さらに、王都周辺の守備兵もそれゆえ割かれません。そして、周辺の徴発できる兵員もわずかで、その内わけを見ましても成人にもなっていない子供と老兵ばかりとか。そこで、成との間で兵力差が生まれています。城を盾にしているとはいえ大きな不利の要素です」
「それならば、なぜ子堯殿が国の危機と言って進言しなかったのだ」
「先ほども申しました通り、不甲斐なくも私にそこまでの力がございません。建恭陥落を受け瀑鈳殿以外ではこの国は滅びると申し上げてようやく通ったわけですから」
「ほう……敗北する者を推した、と?」
「えぇ。ですがこのままでは、と申しました通り、今は違います」
「何が違う」
子堯は破顔した。
「私がおります。これは完全に敵の想定外です。敵には私の首を家族を質に入れても欲しい輩もいますが、同時に自分を質に入れても私に遭いたくないと思っている輩もいます」
確かに――。と側の不騎が呟く。
「いずれ成軍にも氷大司皐の情報は届くでしょう。その時敵が思うことは圧倒的に畏怖であると思います。何せ……」
「そうですね、私は成の領内でその名を出せば子供も泣き止み、大の男も妻を残して逃げ出すという噂もあるほどですから」
子堯にとっては非常に面白いことなのだろう、周りも顧みずにそのまま高い声で笑い出し、それが止むと女性のような小さい咳払いをした。
「さて、軍の指揮権は依然陸将軍にあります故、私は指示があればその通りに動きましょう。私兵もどうぞお使いください。頼みの援軍は恐らく半月以上かかると思います。敵も短期決着をお望みのようですので、その間に決着はついてしまうでしょうから、現在の兵力が最大とお考え下さい」
「なに……!?この場所の重要性が分かっていないのか!?」
高鮮が落ちれば、後は平野と河川が広がる広大な彰の領内へと雪崩れ込まれることは地理に少しでも精通していれば明白であった。しかも、城民と揉めている城邑も付近にあり、それと迎合されればたちまち戦火は内部に広がり国家は瓦解する。謂わば、建恭と高鮮は彰という国の最終防衛線なのである。
「分かっておいででしょうが、遠い場所での危機より目先の損得を考えるお方ばかりですから……。今あの方たちが一番恐れているのは外敵よりも味方の反乱なのです。全く、愚かとしかいいようがありません」
その言葉を聞いて瀑鈳の目の色が少し変わった。
「――大司皐殿は国を憂いておられるのか」
そうですね、と子堯は空を見つめる。
「憂う、とは違うかもしれません。私はこの国で生まれたわけではありませんので、かつてのこの国がどうだったかなどは伝聞や史料などでしか存じ上げません。私が来た時からこのような状況でしたから、特にそのような感情はございませんし。しかし――」
「しかし?」
「丞相には私をここまでの地位まで推してくださった大恩があります。ですが、この地位を得てから少々客観的に物事を見ることができるようになったと思います」
瀑鈳はそれを子堯の心が揺らいでいると捉えた。
「それでは将軍の軍務に障りますので、私はこれで――あぁそうでした、もう一つ。敵軍が攻めよせるのは明日の明朝でしょう。今夜の夜襲はないと思いますよ」
今回の敵軍を見るに、その行軍は神速であった。僅か四日で建恭へ押し寄せ、七日で落とし、その翌々日に高鮮へと先鋒を差し向け桂丘を占拠した。ならば、今回も相手が体勢を整える前に迅速をもって攻めるのが普通と考える。なので、瀑鈳はそれを見越して兵士に少し多めの飯と弩などの装備を施した。
「理由は?」
「……司皐としての、勘です。耳触りでしたら、お忘れください」
そうして、子堯は従者と共に悠々と木門から出ていった。




