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戴邦物語  作者: 龍本 明
氷の壁
33/47

東衛の火焔 西征の虎狼  《Ⅳ》

「あれが成軍の軍容ですか。中々に(かた)いですね」

 子堯(しぎょう)(氷越)はチラリと桂丘を見やっただけで言った。桂丘には昨日まで見受けられなかった柵が立ち並び、壮麗な成の国色である緑の旌旗(せいき)が森のように林立している。山間の風に揺られ、旗は鮮やかな緑を射光に映えていた。


「居ますね。司皐が」


 瀑鈳と不騎はわざと驚いた風に顔を見合わせ、司皐が?と言った。子堯は軽く羽扇で首元を扇ぐ。

「もうご存じでしょう。あそこに皐旗(こうき)が掲げられていますよ」

瀑鈳は苦笑してみせるふりをした。皐旗は司皐が軍中にいる時に、居場所として示す為の旗幟(はたじるし)である。

「いやはや、気付きませんでしたな。先ほどまでなかったはずですが……」

子堯はキッと目つきを変え、瀑鈳をやんわり睨んだ。

「先ほど先行させておりました部下に聞きました。敵軍に司皐が従軍しているのに気付かず、その虚を突かれ守備をされていた高策殿は夜襲を受け、将軍は何もできずに桂丘を奪われたと」

言葉に詰まった。その通りである。隠すつもりはなかったが、この男の出方を見る為にあえて伏せておいた。当然、この敗戦は瀑鈳の落ち度である。


「……援けではなく責めに来られたのか?」

いえ、と子堯は含み笑いを持ちながら否定する。

「誤解していただきたくないのは、将軍を揶揄しておるわけではないということです。将軍は大王……いや、司馬鋼殿の帰還命令によって、もとは万全の態勢で建恭の守備に就くはずだった、しかし急遽王都に召還されました。それでは敵軍にも司皐にも俊敏に対応出来かねましょう。仕方がなかった……ということです。高策殿も……建恭の城民には残念ですが」

瀑鈳の眉が深く、溝を造り、固まった。不騎が瀑鈳に冷静でいるよう目配せしたが、石造りの卓子(つくえ)は振り落とされた拳で音をたてる。

「……ならばなぜ、止めなかった。何故あんな小物を要衝の守備に就かせることに何も言わなかった!!それで建恭は壊滅だ。大司皐ならば王にも諫言できる立場であろう!?」


子堯は、ふうと溜息を吐き、落ちついてください、と諭してもう一度桂丘を見る。瀑鈳も熱くなったのを省み、軽く謝辞した。

「言えば、私の首が飛びます。ご存じでしょう、王宮で司馬鋼様に反論できるものなどいないのですよ。王ですら司馬鋼様に気を遣っておられる始末。その後援で今の地位に就いていられる私に何ができましょうか」


(……こやつ)

 瀑鈳は落胆すると同時に、少し安堵した。だが、その表情の所々に埋伏したものが見え隠れするのを微かに感じる。あれだけの機略によって戦勝を挙げた司皐が、司馬氏の権力にただただ怯えるのだろうか。この地位に辿り着くまでに謀略も使っただろう、政敵も排除しただろう。そうしなければこの年で他国からやってきた後ろ盾もない流浪皐士が大司皐などにはなれない。それらのことから、瀑鈳は子堯という男を非常に警戒していた。その程度、と思っていてもその警戒は解かない。


 それに――、と子堯は雪のような白紅の頬を摩る。

「はっきり申しますれば、将軍が守備に就いておられて勝てたかどうかというと、若干の疑問が残ります」

「……ほう、私よりも適任がいると申されるか」

「将軍の守備戦における指揮能力に関しては天下でも比類なき才であることは私もお認めしております。実際、建恭陥落の報を受けてから対成戦における総大将に強く瀑鈳殿を推したのもこの私です。私個人としましても、将軍には以前から並々ならぬ敬意を抱いておりますし。ですが、此度の敵軍を見ていると、瀑鈳殿を相当研究なされた様子」

「……私を、研究?」


 彼が答えるまでの一瞬の間のさなか、白衣の侍女が両者の飲器(いんき)にうす濁りの酒を注ぐ。亭の前面にこじんまりと(こしら)えられた庭園の小池には、幾羽かの小鳥が舞い降りて水浴びを愉しみ、懐疑に細まる瀑鈳の視界の端を小さく騒がした。


「敵総大将は確か、魏素(ぎそ)といいましたか。字は李譲(りじょう)。彼は元、彰の朗令(ろうれい)(城の門番。戴邦では一般にこの名で呼ばれる)の職に就いていた兵士でした。列記とした彰人です。謹厳実直で朴訥(ぼくとつ)、全く問題もなく仕事に就いていたのですが、何かの悶着あってか突然上司を殺害して逐電し、そのまま数年諸国を放浪したあと隣国の成に仕官したとのこと――」


――よくそんな情報を。

傍らに立つ不騎は聞こえぬよう小声で呟いたが、子堯は聞こえているふうであった。

「成に友人がいましてね。その方から手簡(てがみ)が参りました。もちろんそれなりの報酬は払いましたよ。時に情報はこの時代において百金にも勝るものです、でしょう不騎殿」

その通りです、と不騎は苦虫を噛み潰したような顔でこれに答える。それでは情報戦でも負ける、と言いたげな言動に不騎は少々の不快を覚えた。


「とは言ったものの、魏素の軍指揮傾向は未だよく分かりません。何しろ、理由不明の急な抜擢で戦場での出陣回数も数回程度。まぁ、建恭を難なく落としていますので、間違いではないようですが。あとは、先の対成戦で副将の近衛をしていた程度です」


「いたのか、あの戦いに!?」

瀑鈳は戸惑いを孕んだ様子で口を挟んだ。

「えぇ。生存しているところを見ると主戦場にはいなかったようですね。……あれは死人の多い戦でしたから」

「……」

「建恭での鏖殺(おうさつ)はやはり……その戦の怨恨でしょうね。子堯殿が司皐を務められた、あの――」

「そのようです」

言うのも憚られるように述べる不騎とは対照的に、子堯は意にも介さぬという非常に清々とした表情をしている。


「敵もこの首が欲しくて堪らないでしょう。何せ……私の術で成軍二万が屍となりましたから」


 歯を見せ微笑する子堯は、その戦で大司皐への地位を確立した。4年前、彰は強大となりつつあった成を討伐するため、連合軍の盟主となって兵馬三万を成国境へ進軍させた。総大将は丞相、司馬鋼の子――司馬肩(しばけん)。司皐に当時名を広めつつあった子堯が任命された。成軍は丁圃(ていほ)という当時成の三名将と呼ばれていた老将に精鋭約二万五千を預けこれに当たらせたが、子堯の皐術によって成軍は壊乱し、ほとんどが戦場で死亡。彰軍はそのまま進軍し城を三個奪う大勝を挙げたが、ほどなく連合軍の内部亀裂によって連合は崩壊、さらに司馬肩と子堯も別の戦場へと移っていて駐留軍に不在であったため、その機に乗じた丁圃の反抗によって取った城は悉く奪われてしまい、逆に国境を押し上げられる結果となった。

 その後、丁圃は多数の死者を出した敗戦の責を負って自殺。そしてこの戦は成人に深い憎しみを植え付ける形となる。そして、成は数年の富国強兵策で勢力を盛り返し、今、五万以上の大軍をもって東璃の平定に乗り出した。ちなみに瀑鈳はこの戦には別方面の国境守備をしており参戦はしていない。

「ならば、子堯殿が研究されるはずではないのか」

「無論されていらっしゃるでしょうが、瀑鈳殿は特に」

「何故だ」


「……噂ではありますが、魏素は瀑鈳殿に何やら特別な感情……言うなれば“憧憬”を抱いているらしいのです」

「憧憬?」

「私も半信半疑でしたが、建恭での成軍の攻城隊形と、かの軍容を見て悟りました。魏素は瀑鈳殿を知りぬいております」


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