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戴邦物語  作者: 龍本 明
氷の壁
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東衛の火焔 西征の虎狼  《Ⅲ》

 瀑鈳(ばくあ)は簡単な身支度を整え、衙門(がもん)の前で大司皐――氷越(ひょうえつ)が入城するのを待った。

 旭日(あさひ)はまだ淡い(もや)がかった山の稜線に引っ掛かり完全には登り切っていない。その為、山間の城内には早朝の冷たい空気が立ち込め、そして谷間に差し込むほのかに温かい暁光が砦内の至る所で立ち昇る炊煙(すいえん)に色をつけ浮かび上がらせる。

従者と共に黄土色の門前で待つ瀑鈳の表情は喜びから次第に不安の色を滲ませ始めた。


 大司皐は瀑鈳の将軍職の階級よりも無論上位である。瀑鈳の現在の位は国の第三軍の大将。大司皐は中央の高級官位、それを上回るのは軍事の全権を預かる大将軍ぐらいとなる。ちなみに春秋戦国時代での一軍は12500人。当時の大国となれば大体三軍まで有することができるが、三軍で動員できるのは最大でも45000ぐらいとなる。それ以上は難しかった。


 この頃の軍団の巨大化ができなかったのは、当時の諸侯が宗主である周王朝を尊重しており、また国々の人口が大軍団を編成できるほどに達しておらず、武器に使用される鉄器が量産できなかった為と言われる。だが周が衰退し戦国時代になると、人口の増加、糧秣・輜重の生産・運搬率の向上、そして武器の量産が可能となり一戦で十万以上の軍を興すこともできるようになった。


 しかし、戴邦においては少々異なる。戴邦の軍制は、三軍を基本にしている。と言っても基本に置いているだけであって人数自体は国によってまばらで決まりは特にない。だが、三軍をもてる国はそれだけでそれなりの軍事行動ができる国力があるとみなされるのである。最大は六軍まであり、これを統御できるものは天子(てんし)、つまり覇者であると言われる。ちなみに、三軍とは国の上軍、中軍、下軍の三つの総称である。ちなみに彰国では、現在のところ右軍、中軍、左軍(第三軍)とそれぞれ名づけられている。

 しかし、三軍というのはほとんどが職業軍人の正規兵で構成されているのが普通であるのだが、結局のところ軍人も人口もそんなにいるわけでもないため、合戦などでは農閑期などに自国の農民などを徴兵しての混雑した編成軍で戦うことが多い。しかも、戴邦は西贏(中華)ほどの莫大な人口があるわけでもないので、十万以上の興軍は稀である。


 彰は衰退していると言っても現在(辛うじて)三軍を有しており、そしてその将帥が三人いる。それは璃邦(りほう)(戴四邦の一つ)の人口が豊ということでもあるが、彰という国が諸国に囲まれており、三つの独立した軍でないと守り切れないのである。よって三軍はそれぞれ各個、将軍の意思で動き柔軟な対応ができるように先々代の彰王が改めた。これは失った彰の版図回復、拡大、防衛に功を奏したが、反面動き回る毒蛇を好き勝手に這いまわらせていると言ってもよく、次代の王に懐疑心を持たせることに繋がった。


 門には先に数十人の薄紫の刺繍が施された旌旗(せいき)を持った従者が入り、左右に分かれて主の車を待ちかまえた。瀑鈳は路を塞ぐように立ち、その男の乗る屋根つきの馬車を見据える。高貴な身分の人間が乗っているとは思えぬほど質素な外装であった。飾りも何もなく、ただ、屋根があり木枠の窓があるだけである。車夫もそこらで雇ったような出で立ちをしており、豪華なのは身の回りの従者だけであった。

 

 瀑鈳が氷越に会うのは初めてではない。以前、現王の即位式の時にたまたま宮中の廊下ですれ違ったことがある。その時の氷越はまだ単なる一司皐という身分であった。軽く社交辞令で挨拶をしたが、当時の瀑鈳の印象では大して取るに足らない人物である、という程度であった。それが今では瀑鈳の上位に就き、援軍として頼りにしなければならないのは少々の屈辱を覚えたが、そこは割り切ってあまり考えないよう努めることにした。懸念はもっと別にあった。


「これはこれは、お久しぶりです。将軍。歓迎、痛み入ります」

「援軍に参じていただき、真に感謝いたします。大司皐殿」

車から降りた氷越は恭しく拱手する瀑鈳と挨拶を交わし、瀑鈳の後ろにいる部下にも労を(ねぎら)う言葉をかけた。氷越のまだあどけない笑顔にはなんの不快感も感じられず、時と場にあった表情が的確に出来る人間であるようであった。


 氷越は字を子堯(しぎょう)という。出自はよくはわからないが、彰国の西隣の丹国の人という。まだ25と若く、その若さで大司皐の任に就いたのは異例中の異例であった。しかし、司皐としての実力は相当なもののようで、彼が出る戦には必ず大部分の影響を与え勝利をもたらした。そして着実に功を積み重ね、権力者である司馬鋼にも接近してその地位を確立してゆき、昨年遂に大司皐となった。国民は外国の人間がそんな重要な職に就くのに最初不安を覚えたが、その卓越した手腕と政治力によって次第に国民の心を掌握していった。


「武装での出迎え、戦時中ゆえお許しいただきたい」

「お気になさらず。私も建恭のことを聞いてなるべく質素にして参りました。私にできることがありましたら、何なりと。私兵を二千ほど城外に待機させておりますので、戦列の端にでも加えてやってください」

瀑鈳が驚くほど子堯の口調、態度は丁寧であった。

「私兵を?」

「ええ、中央の兵士は割けないとのことでしたので、私の麾下の兵を連れてきました。お役に立てるかはわかりませんが、国の大事だと思いまして急いで参ったのです」


 子堯は厚手の水色の深衣を纏い、長髪を冠で結わず耳にかけ、紫色の羽根をあしらった羽扇のようなものを手にもっていた。瀑鈳の武人らしい顔つきとは異なり、氷越は爽やかな美丈夫という風である。

瀑鈳は、この男を警戒していた。司馬鋼の威を借りて大司皐となったこの男は勿論、司馬氏陣営の人間であろう。そのような男がわざわざ来たということは、無論理由があると思ったからである。だが、もっと違う何かを瀑鈳は最初に会った時から感じていた。それが一番瀑鈳を不安に駆らせていた。

「大司皐殿の御厚意、感謝いたします。ですが、勝手な兵の行使は王の許可が必要では?」

「すでに王に進上してあります。符も是に」

「ほう。立ち話もなんですから、これから一緒に食事でも。朝食の準備ができております」

「ではお言葉に甘えましょう」

瀑鈳は桂丘一帯を見渡せる、小さな(あずまや)へ子堯を案内した。卓子の上には豆と穀物を煮た汁物(すーぷ)と近隣で採れた栗などの果物が積んであるだけであった。

 子堯は少し嫌な顔をしたが、すぐに表情を取り繕い席に座った。


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