東衛の火焔 西征の虎狼 《Ⅰ》
――――大王!。
「大王、なぜわたくしめを建恭の任から解かれたのか、お聞かせ願いたい!!」
「控えよ!!王の御前であるぞ。陸将軍、そなたが他国と通じておると宮中で噂となっているのを存じて居るか」
玉座にちんと坐る顕竜王の側には丞相である司馬鋼が常にまとわりついている。腐臭のする権力に群がる蝿、瀑鈳はいつもそう捉えていた。腹と首元に纏った脂肉を揺らし、窪んだ目をいつもぎょろぎょろ動かして上から瀑鈳を盻む。瀑鈳には非常にそれが不快で仕方なかった。
「存ぜぬ。我が陸氏は昂竜王(彰の始祖)の時代から代々彰に仕え、その社稷を支えてきた。国に忠を尽くし、武門の士として国難に殉ずる覚悟は生まれた時からとうにもっている。それは武功として大王も知っておられる筈。それを他国と内通しているだのという噂を信ずるなど、王の近くに法螺吹きがいるとしか思えませぬ」
瀑鈳殿――。
司馬鋼は少し丁寧に名を呼び、弛んだ腹を少し持ち上げた。
「功と忠は別だ。他国には一将軍の身分でありながら王を纂弑する為にと功を立て続け、ついには玉座を簒奪し王位に就いた者もいるというではないか。功で忠を示すのは、逆に言えば功で忠を見せかけられるという事だ。今の陸将軍とてそうでないとは言い切れないだろう、違うか」
「それでは功を立てれば疑われるということではないか。ならばどうやって国を拡げ、衞るというのでしょうか」
そういうことを言っておるのではない、と司馬鋼は三段も高い場所から瀑鈳を見下した。
「つまり陸将軍は、功を立て過ぎておるというのだ」
そうか、と瀑鈳はこの偉そうな豚を心の中で家畜の如く侮蔑した。
「抜きんでた功は、王の威を霞め、周囲に疑念を持たせてしまうこともあるということだ。だからこんな貴君を妬むような噂が流れる。勿論、私は将軍が謀反をするなど思っておらんがね」
黄ばんだ歯をみせ王と瀑鈳を見比べてから不気味な笑みを浮かべた。
「余も鋼(司馬鋼の名)に同意である。そなたの忠節はよくよく聞き及んでいるが、そなたへの雑言も聞く。少しの暇と思って此度は前線から外れてくれぬか」
瀑鈳にとって煌びやかな玉座に坐るこの王はすでに木像傀儡に等しかった。奸臣司馬鋼に国内の政治をほとんど委ね、自身は後宮で遊興に耽っている。国を自身の遊楽で滅ぼそうとしているというのが酷く瀑鈳の怒りを呼び起こし、しかもそれに気付いていないと言うのがさらなる憎悪を抱かせることになった。この場で死を覚悟して諫言してもよいのだが、もっといい方法がある、と自分に言い聞かせることで激情を肚裏に詰め込んだ。
――王が言うのだ。拒否すれば反逆となる。臓腑が煮えたぎるような感情を押さえながらも、冷静さを取り戻そうと瀑鈳は必死に歯を食いしばった。
「……代わりは誰に」
怒りで言うのが精一杯だった。
「呉乾殿をすでに向かわせた。相手は昨年陸将軍が壊滅させた成だ。将軍が出る幕もなかろう」
呉乾?――聞いたことがない。瀑鈳はそれが誰かを問うた。
「呉氏の長兄で文武両道の傑物だ。なに、陸炎殿もすぐに轡を並べることになるだろうて」
「莫迦な、呉氏は文官の家系だ。しかもっ、しかも呉氏は司馬氏と蜜月ではないか――」
「黙れ!!疑いを不問にしてやるというのに、儂にあらぬことを言って泥を塗る気か?もうよい、下がれ!!」
瀑鈳は熱い息を吐くと、怯える百官が居並ぶ朝堂を辞した。
建恭陥落寸前の急報はその三日後に王都に届き、急遽瀑鈳が援軍に向かうこととなった。それは籠る城民の事を思えば不幸中の幸いとも思えなかった。
瀑鈳の思考は、この眼下に広がる致命的な状況を見て、若干の停止を必要とした。
籠城とは、味方の援軍を期待して行うものである。強大な敵に囲まれ、兵力的に敵わない時に、城という物理的優位施設に籠り時間を稼ぐのだ。援軍が期待できない場合の籠城は味方の士気喪失へと繋がり、兵糧等の食糧問題も含めると、よほどの覚悟をもっていないと兵士の反乱、城民の離反が起こり、最終的には指揮者が殺され開城となるのが常である。
高鮮という砦は、山間にある為か関塞とも言える構造を有しており、人の往来もあることで城壁の内側には約3000戸の城民がそこに住んでいる。だが、砦から街へは山壁に造られた桟道のような城墻を伝っていくか、外の路を通るしか行けない特殊な構造をしていた。よって、戦時中の城民は外敵からの攻撃を砦が盾となって直接は受けない。この特殊な構造は、外敵に専念できるという点で瀑鈳の憂いからは消えた。
援軍は建恭への行路に陥落の報を受け、すでに使者を向かわせ要請してあった。あまりにも陥落が早いことによる成軍の強勢、さらに建恭と言う重要な場所を奪われたことによる危機的状況を即座に察知したからである。しかし、中央は派兵を渋っていた。瀑鈳には大方の予想がついている。保身の為に中央付近の兵を地方へ割きたくないのと、不本意ながら任じた瀑鈳がこれ以上力をつけるのを恐れているということだ。外敵よりも眼前の権力にすがりつくという、愚行。だが、今の瀑鈳にはそんなことは頭から抜け、この状況を打開することしか考えることができなかった。
「高策殿が夜襲の警戒を怠ったとは思えません。構えも私が見た限りでは隙はなかったはずです」
冷静な不騎が珍しく動揺している。不騎の言う通りだと思った。高策は兵理に明るく、慎重な性格の男であり、そのような誤りをしでかす人間ではなかった。だから、余計に今回の成軍の不自然な強さが際立ち、成軍の全貌を不明瞭なものとしていた。
取られたこの段丘の名を、桂丘という。名の通り桂の木々が生い茂る小高い丘である。桂丘は、路から離れた場所にある。戦略的に、籠城する側に余裕があれば、少し離れた争地(孫子でいう先に取ると有利な地)等に陣を敷き、情報収集や敵が集中できないように兵力を分散させ、同時に威圧するという策戦がある。瀑鈳はそれを行い、成軍の出鼻を挫くつもりであったが、頓挫してしまった。
――なぜこうも容易く敗れたのか。
瀑鈳の頭の中ではこの問いが反復を繰り返し、次第に混迷していった。原因がわからなければ手の打ちようがなく、情報戦においても不利とならざるを負えないのである。
そして、風向きが変わるような温い感触を瀑鈳は感じ取った。
「拙い、兵士に動揺が広がっている」
瀑鈳は、兵士の士気や高揚、動揺の些細な変化を直感的に感じとる能力があった。能力と言っても、それは経験による後天的なものであり、子琳の他者の感情を感じる能力とは別のものである。それに経験による予想と本能的な直感が付随し正確性が格段に向上した。それは将たるものとしては、類まれなる資質であると言えるだろう。その直感が、砦全体の雰囲気が変化したことを知らせた。
「殿!!」
望楼の真下から声がする。瀑鈳は何事かと問うた。
「逃げ戻ってきた高将軍の兵がこちらに参りました!!」
「桂丘で何があった、申せ!」
兵士の背には痛々しく矢が刺さり、憔悴しきった様子だった。
「も、申し上げます。敵軍に司皐がおります!!皐術に翻弄され、仲間は皆殺されました」




