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戴邦物語  作者: 龍本 明
彰を慮るは
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飛龍乗雲  《Ⅵ》

 聞かなければよかったと子琳は酷く後悔した。

この男は、一体どんな了見があって、龍にそんな危険な事を犯させようとするのだろう。龍に取って大事な戒指(ゆびわ)(指輪)と臂環(ひかん)(腕輪)を取り上げて脅したとしても、雛龍がそんななんの益もない命懸けの(はかりごと)に頷くと本当に思っているのか。そんな義理が何処にある。この男に対し、恐怖以外に落胆と憤りが心に沸々と浮かびだした。


「そんなことが本当に可能なのでしょうか……!?」

韓泰(かんたい)だけでなく、他の者までもが不安を表情に滲ませている。不騎だけが割と涼しい顔をしているところを見ると、この男だけがこの謀を知っていたようだ。

「例え王を潰せたとしても代わりの王なんてどこにいるんだ。有能そうな嫡流はみんなあの糞野郎のせいで他国へ逃げたか、殺されちまっているぞ」

匡鉄が喋るときはいつも口から飛沫が飛ぶ。

「そうだ。殿は王を挿げ替えれば、宮中の奸臣共を一掃できると考えていらっしゃるようだが、国内にいる王族は皆あの者の息がかかっているか、怯えて何もできないだろう」

「やるならばここは一旦息のかかっていない者を代王に立てて――」

「いや、ここは殿に一旦王位に就いていただくのが」

「それは難しい。国民の期待がそこまで高まってはいない」


 議論が再熱した。どうやら、察するに彰の内部では匡鉄の云う“糞野郎”が専制を敷いているように聞こえた。しかし新参(しんざん)(無理やりだが)の子琳には、所々彰の状況がよくわからない。それどころか、自分が何をさせられるのかもよくわからない。そして子琳ありきの計画のはずなのに、頭ごなしに物事が議論されていては、何を強要されるかわかったものではない。そんなことがあっていいものかと、出来る限り自分に有利に運ぶため議論にできるだけ割り込もうと身を前に乗り出した。

「ちょっと……」

もちろん、この蚊の鳴くような声は皆の耳には入らない。だが、瀑鈳がすっと右手を上げて議論を止めた。


「龍が申される」


 また一気に場が静まった。子琳の白い頬が熱気と緊張で熟れた桃のように赤く染まる。一応、そんな大したことではないのですが、と小さい声で前置きをしておいた。

「え……、その、僕は何をさせられ、いや――何をするんでしょうか」

 瀑鈳に皆の視線が集まる。何を言うかによっては、子琳はきっぱり断ろうと心に決めた。一国の王を堕とすなど、前代未聞である。別に誰かに咎められるというわけではないのだが、褒められることではないし、むしろ世間の龍に対する見方が変わることを恐れた。謀略の道具として龍が存在すると思われてはたまったものではない。さらに、王を堕とした龍として名が残るのも嫌だった。

しかし、瀑鈳の口から出た言葉は完全に子琳の予想外のことであった。少し溜めるような間をおき、緊張して白く細い手足が杖棒のように硬直する子琳をゆっくりとなぞる様に一瞥した。

「あらゆる手を考えたが、この策しか思いつかなかった」

「……」

「王の寵愛を受けてくれないだろうか」

「……!?」


――寵愛!?


 驚愕の為か動揺の為か、それを聞いて子琳の口が、顎が外れたかのようにぽっかりと開けたままになってしまい、断る言葉を忘れた。そして、次第にこの男の考えている事がうっすらと読めてきた。一方で卓を囲むものは瀑鈳の策案に、頷いたり首を傾げたりしている。


 中国においては、古代より王や帝が女色だけでなく男色を嗜むという習慣――男寵が当然のことのようにあった。無論、戴邦もその習慣を色濃く受けている。現在でも断袖や竜陽君などの様々な代名詞があり、昔から中国では美少年や美青年を好む男寵は女を愛するのと同じく当たり前のものとなっていたのである。日本にもその文化は唐などに留学していた僧侶などによってもたらされて広く伝播し、男寵は先進的なものとされていた。しかし、年を経て容貌が衰えた愛寵の末路は悲惨なものが多い。なので、年を取らない雛龍を寵愛しようという輩が出るのである。


「王の住まう後宮は我々部外者が易々と侵入することは不可能だ」

 王は基本的に宮廷の中にある後宮に住まい、后や女官などとともに家庭的な生活をそこで送る。政治は主に後宮とは別の施設である朝堂などで行い、そこで諸官と面して国の方針を議論をした上で、軍を興したり政令などを布告するのである。勿論、国家の最高権力者が住まう施設である為警備は厳重であり、信頼されている者しか出入りはできない。だが、王の目掛けを受けたものや寵されるものは別である。

「子琳。王がそなたを寵愛すれば、隙をついて王を堕とすことができるやもしれん」

「なるほど。こいつの面なら王も気に入りそうだ」

匡鉄はからかうような目で子琳を見てくる。しかし、子琳にはたまったものではない。

「ま、ま、待ってください。どうして僕がそんなことを!?」

思わず身を乗り出して問うた。瀑鈳の目は真剣そのものである。


「理由は三つある。まず一つ、王は前年、目掛けていた少年を病で亡くしている」

「……」

「二つ、王は暗殺されたのではなく、堕ちたという状況がこちらにとって望ましい」

「どうしてですか」

「突然の王の崩御は国の混乱を招くんだ。しかも暗殺だとわかれば犯人探しで一層それは酷くなる。しかし、王が堕ちたとなればあの慣例が効いてくる」

不騎が子琳の問いに対して優しい口調で補足する。

「そうだ。王が堕ちると、一旦国が所有する剣璽(けんじ)を龍に預けるという典例(てんれい)が昔からある」


 子琳も聞いたことがある。龍は中道とされているためか、王が儚獣に堕ちた際に限り、国の権力象徴とも言える剣と璽を預かり、新たな相応しい相続者が現れるまでこれを預かるという。その間、国の政治機能は停止し、相や官のみで最低限の政治を行うことになっている。しかも、不思議な事に新たな王が玉座に坐る前に、その国を他の国が攻めると、必ず攻めた国に天変地異が起こり大きな被害を出した。それがわかっている為か、どこの国もその間だけは領土を一寸も掠めないのである。つまりこの現象を逆手に取れば、困窮する彰はその間他国に攻められず、さらに国を建てなおす猶予も発生するのである。ちなみにこれを、国預(こくよ)という。


「その典例に従い、王が堕ちた際、子琳に一旦国を預かってもらいたい。その間に我々が司馬氏に繋がりのない新たな王を玉座につける」

「そして子琳殿が我々の推す王に剣璽を譲渡すれば、司馬鋼(しばこう)殿もただ指を咥えているだけで手出しはできないでしょう」

「司馬……鋼?」

「あぁ、司馬鋼というのは、彰国の丞相(じょうしょう)。我らが顕竜王が寵愛する奸臣のことさ。司馬氏一派のせいで政治はまともに機能していない」

「宮廷に巣食う害虫だ。あいつらは今の王をどっかから担ぎあげて権力を握り、我がもの顔で専制を敷いてやがる糞野郎だ」

厚く膨らんだ唇から唾を飛ばしながら匡鉄は、ここぞとばかりにその“糞野郎”を罵る言葉を並べた。

 しかし、なんとも強引な話である。確かに、龍は国を預かることもあるが、その慣例を謀略に、まして自分を使うというのは――。だが、なんとなく彰の情勢が読めてきた。要するに、王の寵臣である司馬鋼という人物が宮中で権勢を振って彰を衰退させており、それを取り除くために、現王を“無関係な”雛龍を使って堕とし、新たな王を据えようと瀑鈳達は今思案しているということであろう。


「三つ、これは最も大事な理由だ」

「……」

「そなたならやってくれると信じていることだ」

瀑鈳がまた、作ったような似合わない微笑を子琳に向けた。しかし、この笑みに不自然さを子琳は感じなかった。

「そんな、僕は……!!」

こんな事を言われてどんな表情をしていいのかわからない。まだ会って日も浅いものを信じるなどと、この男は本気で言っているのか。期待を掛けるという婉曲な脅しだと最初は思った。だが、子琳は微かに感じ取る。この男は本気で言っていると。しかし、と瀑鈳が遮った。

「最初から無理な請いだというのは承知している。決断は日を待ってからでいい。それまではこの砦内で過ごされるがよかろう」

「で……でも!!」

そして子琳が、とにかく戒指(ゆびわ)を返して欲しい、と言うか言うまいかに悩んで音のこもった口を開けようとしたとき、幕営の外から甲冑を激しく揺らす音が聞こえた。


「報!!報!!」


階段を駆け上ってきた兵は肩を揺らして呼吸をしながら戸の前に片膝をついて、申し上げます、と乾燥してへばりついたのど奥を無理矢理に震わすよう叫んだ。

「どうした!?」

戸を閉めたまま瀑鈳は兵に問う。

「成軍が丘に布陣していた高策将軍に夜襲を仕掛けました!!」

「して、高将軍は!?」

「乱戦の中で討ち取られ、兵は散り散りに離散したとのこと!!そして成軍は川を越え、丘を占拠。麓は成の旗と松明で埋め尽くされております!!」

瀑鈳はそれを聞くと、ゆっくりと首を伏せ、大きく溜息を()いた。

「あの場所が取られただと……!!」

 そう言うと、何かに引っ張られるようにすっくと立ち上がり、戸を殴る様に開け放って、麓が見渡せる望櫓に向かっていった。不騎らも動揺した様子で、慌てて瀑鈳の後を追う。

上座に取り残された子琳も、しばらくどうしようか悩んだあと、なんだか様子を見てみたくなり、層楼の二階へと伸びる小さな梯子を慌てて登った。そして、わずかに届く手摺に顎を乗せて眼下に広がる薄暗い平野を俯瞰(ふかん)した。


 見渡す限りの地平線に枠取られた空一面には、綺羅星(きらぼし)光彩陸離(こうさいりくり)と輝き、地では廟の(かぐわ)しい焼香の香りが山風に乗って広がる。秋の冷たい風が音を出して空を切り、子琳の白紅の頬に当たった。層楼の真下には望楼から平野を呆然と眺める瀑鈳が見える。その下には、先ほどいた兵舎が見える。さらにその下には一条の路が平野へ伸び、そのもっと下には川を背にし土肌が露わになった小高い丘がある。そこには、幾つもの松明の火が整然と並び、闇に浮かぶ旗をくっきりと際立たせていた。


あの丘で……――。


 あの小高い丘で、戦闘があった。そんなに遠くない、あの丘で。そう思うと、恐怖で背筋がゾクゾクした。あの時、あの山から見ていた建恭という城は対岸の火事でいられた。傍観者でいられた。だが、今は違う。目の前に敵が来ている。同じただ眺めているだけなのに、こうも違うのものかと思った。と同時に、建恭に籠っていた人々の心境が痛いほどわかった。


やがて、子琳は火照った頬を冷ますように小さく溜めた息を吐いた。


剣璽:剣と玉璽。いずれも国の宝物。玉璽は勅命を出す際などに使用される。

丞相:官の最高位。今で言う総理大臣に当たるが、国によって役職名や職務、権限が異なる。


登場人物()内は字


子琳

陸炎(瀑鈳)

瓊凜

趙駿(廉毅)

公孫良(不騎)

韓泰(麗其(れき)

匡鉄(公嘉)

羊華(衙夏)

董堅(蘇甲)


司馬鋼(周戦(しゅうせん)

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