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戴邦物語  作者: 龍本 明
彰を慮るは
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飛龍乗雲  《Ⅴ》

 戴邦の安寧は無論、雛龍は勿論のこと誰もが心のどこかで望むことであったであろう。だが、理想の先の先にその平和はあった。この混迷した時代に、泰平という概念は絵空事のようなものでしかなかった。瀑鈳(ばくあ)もそれをわかって言っていた。

 少し、雛龍について述べる。

 雛龍(すうりゅう)とは字の通り、龍の(ひな)のことである。

天に近いところに龍がおり、雛龍がいる。それはこの戴邦では誰もが知るところであった。雛龍はこちらで想像されている大蛇のような猛々しいものとは違い、この寰宇(せかい)では手足があり、顔や肢体もその辺りで駆け回って遊ぶ童とほとんど変わりはない。ただ、雛龍は共通して人目に止まるほどの整った顔立ちをしているようであり、幼さ特有の愛らしさも生来持っている。それを目的に愛寵の為に欲した権力者もいたということだから、人心を惹く魅力を有していることは確かのようだ。しかも、年をとらないのである。


 龍は、戴邦のほぼ中央から少しそれた場所――嵩邦(すうほう)――に位置する険峻の神山――姑射山(こやさん)の頂にある扶桑(ふそう)と呼ばれる神木にやどるようにして建てられた宮に住まうと言われている。そこでは瓊樹(けいじゅ)という極彩色(ごくさいしょく)(ぎょく)を枝実に結ぶ木々が繁茂(はんも)し、人々が俗世をすっかり忘れるような金殿玉楼(きんでんぎょくろう)が立ち並んで、この世の美術と技巧を極めたような煌びやかな宝飾・絵画と言葉をなくすような情景で溢れている、と半ば想像が混じった噂噺として巷で語り継がれているのだ。そこを人々は畿禁城(ききんじょう)、または龍陽宮(りゅうようぐう)と呼ぶ。憧苑(しょうえん)があるとするならばまさに畿禁の龍陽宮である、一生に一度は訪れてみたい、と世の識者や権力者、思想家、果ては平民まで願ってやまないのである。


 そして、龍の出生については謎が多い。

ある者は、龍陽宮にある人丈ほどの大玉から生まれると云う。そしてある者は、戴邦に龍が降邦し、よさそうな童を見つけて攫い、その童を雛龍にするのだと云う。伝説については数多(あまた)ありどれも信憑性に欠けるのだが、しかし地域によってはそれが真であると信じられているところもある。要するに、誰も本当の龍の出生についてはわからないのである。そのあやふやな想像の余地が更に龍の神秘性に拍車をかけた。



「……でも、僕はあなた方のお役に立てるようなことは何もできません」

子琳の薄紅の唇は小刻みに震え、それに伴って口をつく言葉も震えた。

実際、この言葉は逃げ口上だったし、この恐ろしい集団の役に自分が立てるとも思っていなかった。そして、このような扱いを受けたのは龍として久しぶりだった。

薄汚れた木綿の衣服を纏った少年に頭を垂れる屈強な武人、そのおかしな光景がいかにあり得ないことか、この室内の一同は重々わかっていたことだろう。瀑鈳は拝礼を解いてすっくと立ちあがると断言する。

「いや、できる。我が下にいるだけでいい」


 先に子琳は龍を人間同士の揉め事に使うのをあまり聞いた事がない、と述べた。だが実際は、彼等が知らない――書面にも残らない――ところで行われていることもあった。少なくとも龍は自分達を中道だと考えている。ほとんどの龍は戦があっても干渉する気もないし、(まつりごと)にも大して興味はない――一つの物事として興味をもつならば別だが。戦が好きでも嫌いでもなく、戦をする人間を軽蔑することもない。それが当たり前であるからだ。


 龍は子琳のようにどこか人の俗世に客観的であり、たまに物見遊山(ものみゆさん)で覗きに来る傍観者という風な気持ちがあった。つまり、雛龍とは好奇心の赴くままに大地を敖遊(ごうゆう)する(こども)であるのだ。ならば、なぜ龍は争いに使われることがあるのか。

 古代より九軍(きゅうぐん)(王軍)が龍旂(りゅうき)を御旗に掲げていることからもわかるように、龍とは正統の象徴であるという慣習が昔からあった。つまり、龍を擁するものが正義・正統であるという半ば暗黙と化した慣例が存在しているのである。瀑鈳が主君に対し反旗を翻すつもりであるならば、少々反則ではあるが龍を擁しているという大義名分が何より必要であった。無論、龍は故意で誰かにつくという真似はしない。大抵が捕えられたり、弱みを握られたりすることによる。龍を捕えたのがばれれば、捕えたものの威信を失墜するのは勿論のこと、それは即ち死を意味した。



「将軍!!」

声をあげたのは成り行きを黙って見ていた衙夏。

「やはり謀反を起こすつもりだったのですか!?」

衙夏は昂った呼吸をして問いつける。瀑鈳の目は微動だにせず衙夏へと向いていた。

「そうだ。彰がこのまま滅ぶのをただ見ていろというのか」

そして横から宥めるように不騎が言う。

「衙夏、落ちつけ。お前に話していなかったのは悪かった。まだこれを話す段階ではなかったのだ」

と、諭す不騎の面持ちは真摯の中にも和やかさがあり、言葉の聴きざわりがやわらかく滑らかであった。それだけで、この男のこの集団における役割を子琳は感じた。


「いや、私が信用ならなかったのでしょう」

衙夏は腰にさげた剣に手を添える素振りをした。

「信用していないわけではない。見ろ、お前は熱しやすい。事が熟していない段階でお前に打ち明けては、大魚が眼前の虫を狙いあまって自ら水面に波紋を立て、釣人に存在を気付かれてしまうようなこと。それを危惧したのだ」

 衙夏の向かいにいる蘇甲(そこう)が、言葉に毒を含ませて言う。蘇甲は姓を(とう)とする名門士族の出自で、瀑鈳の遠戚にあたる男である。先の成との戦において個人で首級二十をあげ、大いに名をあげた部将である。

「私が皆の足を引っ張ると言うのか!?いつ私が足を引っ張った。蘇甲殿、聞き捨てならん」

そして、衙夏が剣に手をかけようとした瞬間、瀑鈳のあの透くような快声が飛ぶ。


「静まれ!!お前に信が置けぬなら最初からこの場には呼ばなかった。衙夏、わかってくれ。お前はまだ若い、国と矛を交えるのは確かに謀反と思うかもしれん。だが、彰の領土が穢され、奸臣の横暴で民がこのまま餓えてゆくのが果たして彰の民の為なのか。否、今こそ我ら忠臣が決起して奸臣を取り除きこの国難を救う事こそが国家の為であると私は思う、どうだ」


衙夏は剣を掴んだまま、蘇甲と瀑鈳の両方を比べるように見た。

「今は仲間内で争っている場合ではない。勿論、衙夏も我々の密約を知ったのだから一心同体。共に大事の為に働いてもらう。もし、異議があるならば……この場で斬るまでだ」

瀑鈳の目がきっと締まった。元から瀑鈳を慕っていた衙夏も何か含みを持ちながらも、拱手しこれに同意した。だが、衙夏の脳裏には瑣末な疑心という闇が残ることになった。


 そして、奥の廟に羊の肉と酒などの供物を備えると、皆は(びょう)に向かって拝礼し、彰の為に結束することを改めて誓った。子琳は廟の側に座らされて、一緒に拝礼を受けた。戴邦での廟とは、祖先を祭るものと、土地の神々を祭るもの、そして龍を祭るものがある。大抵は一緒くたになっているが、彰という国は特に龍廟(りゅうびょう)を重んじたことで有名である。時の王が領内各地に龍廟を建て、そこの住人に守をさせ毎年祭らせていた。

 しかし同じ室内にいるのに、だんだん子琳はこの共同体化している集団から蚊帳の外のような疎外感を感じた。子供が遊びの輪に入れなくてうずうずしているような、ほんの些細な――。


 しかし――、と拝礼が終わり瀑鈳は言う。

「まず我々は眼前の国難を取り除かねばならない」

瀑鈳が卓子を叩いて皆に言い聞かせる。諸将はこれに深く頷いた。

「この高鮮を突破されれば、成は彰領内になだれ込み、建恭での凄惨な悲劇が国内中に広がる恐れがある。国力が疲弊している彰軍ではこれを止めるは不可能。さらにはそれに乗じて周辺諸国が禿鷹の如く彰の領地を毟り取ってゆくことは明白。これはこの国の興亡の戦である」


 だが子琳は瀑鈳の言葉に漠然とした疑問を抱いた。真っ当な矛盾点である。元から疑問を持つことにいじらしさを感じる(たち)の子琳は、思わず口を開いた。

「あの……」

一段高くなった廟の横に座り、勇気を振り絞って瀑鈳の背に向かってよわよわしい声をあげた。

「そうだ、龍公(龍に対して使う敬称)を忘れていた。何か聞きたいことがあればここで述べるがいい」

これに皆が笑う。

「子琳、でいいです。あ……の、とてもどうでもいいことなのですが、謀反を起こして軍を興せば内乱状態になって、今の話を聞いているとそれで、国が滅ぶんじゃないでしょうか」

ところどころ噛みながらもやっと言えた。ところが、場が一気に静まってしまう。

「確かに」

と、衙夏は頷く。

「今は内乱を起こしている余裕もないはず。揉め事を起こせばそれだけで他国に呑みこまれるのでは」

「……だから、龍がいる」

瀑鈳は子琳を一瞥する。


「子琳に顕竜王を堕とさせ、新王を擁立する」


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