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戴邦物語  作者: 龍本 明
彰を慮るは
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飛龍乗雲  《Ⅳ》

 瀑鈳の幕営は砦の一番見晴らしのいい高台にある。昏い夕闇の中、瀑鈳は従者を解散させ、木門をくぐって簡素な石段を登った。その先には砦の中でひと際目立つ、朱の(いらか)が葺かれた二層の楼閣があり、その一階は灯燭(ともしび)の明りが煌々と室内を照らして、ほの暗い。楼閣の周りには彰の国色である朱に染まった(はた)旗幟(きし)が幾つも立ち並び、重厚な威厳を放っていた。その中では、膝丈ほどの陣卓子(じんづくえ)を六人の甲冑(よろい)を着込んだ男達が囲んで布帛(ふはく)に描かれた陣図(じんと)をじいと睨み、唸りながら談議している。 


 瀑鈳は見張りに労わる言葉をかけ、饕餮(とうてつ)紋様が彫られた朱の戸を開けて入った。これに気付いた中の全員が立ち上がり、瀑鈳に向かって拱手する。室内には(せん)が敷かれ小さな廟と陣卓子、二階への小さな梯子があるだけでそこまで広くはない。そこへ何人もの人間が詰めているのだから外に比べて少し空気が温かった。


「状況は」

上座に座るなり、瀑鈳が左の者に問う。

「事態の好転はありません。ですが、斥候からの報告では成軍(てき)は建恭一帯から退却したようです」

「やはりな」

瀑鈳は手を組んで顎を乗せた。

徼恍(ぎょうこう)が落ち、あの周辺には当分懜獣(ぼうじゅう)蔓延(はびこ)っていますから、行軍するには危険と判断したのでしょう。……不幸中の幸いですな。あのまま侵攻されていたらと思うと」


 瀑鈳は陣図に目を落とした。成から彰へ入るには凡そ五つの街道がある。もし彰の領土に侵寇(しんこう)するならば、王都へ至る最短の道であり戦略的(かなめ)である建恭一帯を押さえることが最善の策といえる。しかしこれが不可能になったならば次の最短の道はこの高鮮を通る道である。残りは険しい牢斉山の谷間を通る桟道か、難攻不落と言われる南方の兎蓮関(とれんかん)を通るしかない。それでは多大な損害を被ることは避けられない。東璃の平定を旗印に掲げ大軍を興した成が、そうやすやすと侵攻を取りやめるわけもない。ならば、順次的に考えるとこの高鮮が次の標的になることは明白である。瀑鈳が徼恍(それ)を予見して高鮮に退却したわけではないが、結果的に主戦場が建恭から高鮮に移ることにはなった。しかし、要衝高鮮といえども状況は依然劣勢である。


韓泰(かんたい)寿桑(じゅそう)付近に伏せておいた私の兵を高鮮に呼び戻せ。補強に当てる」

「御意」

 寿桑は建恭から西方へ進んだ先にある城邑(じょうゆう)である。成軍がそのまま進軍した時の時間稼ぎの為に伏せておいたのだ。現在、寿桑は邑民の小規模な反乱が起き守軍の備えが万全ではない、そのため急遽瀑鈳が行ったものである。この件が今回の成軍の興軍に繋がったかは不明であるが、それを臭わす情報は瀑鈳の耳には幾つか入っていた。しかし軍隊ですらない邑民の反乱が国軍の機能を妨げているというのは、彰の国力の衰微を露わにしていると言って差し支えない。常備軍が役に立たないと判断し、瀑鈳自らの兵を割いて投じたのは仕方のないことであった。だが国からしてみれば瑣末なこととしか思えないこの小規模な反乱がのちに新たな火種になることは誰も予想はしていなかったであろう。


不騎(ふき)、成軍の新たな情報は」

今度は右手に座し、左目に藍色の眼帯を巻き珍しい茶の眉をした細身の男に問う。不騎は瀑鈳陣営の帷幄(いあく)の臣として、情報収集や敵方工作を主な仕事としている。竹馬の友として長年共に戦場を駆け回った瀑鈳の信頼は篤い。


「敵軍は凡そ五万五千、それを率いるのは昨年将軍職に就いたばかりの魏素(ぎそ)というものと判明しました。建恭を陥落させたのもこの魏素です。しかし、この人物に関しての情報は今のところほとんどありません」

それを聞いて、燭台の明りの陰影に髭面の男の歯が浮かんだ。

「瀑鈳様が不在だったとはいえ、建恭は莫迦でも一月は守れる城だ。魏素という奴、なかなか才があるのかもしれんな」

「その莫迦が大莫迦だったのかしれんぞ」

「はっはっは、そうかもしれんな」

 ひときわでかい図体の匡鉄が豪快な笑い声をあげ、匡鉄の隣に座るものも口を揃えてその通りだと笑った。だが瀑鈳の眉間には皺が寄っている。

「建恭の民はみなその莫迦と心中した。部下も大勢犬死した。笑えんぞ、匡鉄(きょうてつ)

「……すまん」

瀑鈳の悔恨こもった言葉に場の空気を感じ取った匡鉄はしゅんとしてその大口を閉じた。


 元々、建恭の守備を任されたのは瀑鈳であった。だが、途中何らかの作為あってか王命により王都に呼び戻され、その間代理守備を任されたのが瀑鈳陣営と異なる呉乾(ごけん)という中央から派遣された貴族出の人物であった。呉乾の傘下に組み込まれた部下達はこぞって、「敵の情報が掴めていない、援軍を待ってここは敵の出方を窺う為に籠城すべき」と宣べたが、貴族出の為か功を焦ってか呉乾は「成軍は軟弱だと聞いている。先の戦でも成を散々打ち破ったではないか。何を恐れる必要がある」と城を出ての交戦を決断。しかし結果は建恭陥落、瀑鈳の部下も死に物狂いに戦った末討ちとられ、呉乾本人は逃走しようとしたところ捕縛され拷問の挙句に縊殺(いさつ)、そのまま城門に吊るされた。


「年は」

「風貌から三十ほどかと」

「私と年端は同じか。しかし、経歴が不明なのは妙だな。兵卒からの抜擢か」

 成は実力主義として諸国に知られている。武功をあげれば、それだけ出世できるし、能力があれば抜擢されることもある。それを考えれば、戦歴について情報がなくても納得はできる。だが、いきなりこの規模の大軍を率いるのは合点がいかない。城ごと焼いて皆殺しにするということはよほど彰に対して憎しみでもあるのだろうか。どこか今回の成軍は今までと違う妙な違和感がある。と成軍と幾度も対峙してきている瀑鈳と不騎ら列席の軍長達はどこか感じていた。

「やっかいだな……」

 

 そして一瞬場に沈黙が流れた。

「瀑鈳様……」

と、声を発したのは、末席にいる衙夏(ぎょか)という中部隊の長。衙夏は、瀑鈳に能力を見いだされてその麾下(きか)に就くことになった元農民の所謂兵卒上がりであった。まだ若いが瀑鈳陣営の中核を担う部将である。

黄起(こうき)殿と孔淵(こうえん)殿の姿が見えませんが」

衙夏は辺りをちらりと見て言う。

「……二人は死んだ」

「そんなっ……誰に!?」

瀑鈳と韓泰、匡鉄は目を閉じ俯いて重苦しい息を吐いた。黄起も孔淵も瀑鈳陣営の中核を担う部将である。本来ならばこの談議に参列しているはずだった。

「成との戦闘で――」

不騎が気を利かせて言いかけたところで瀑鈳が、もういいと遮った。

「……龍を擒える途中、反撃に合って死んだ。黄起が堕ち、懜獣になって孔淵を喰い殺した。それを私が斬った」


 衙夏は驚いたのか、椅子から立ち上がり血相を変えて叫ぶ。

「龍を擒える!?何故です!?ただでさえ、味方が死んだというのに……まさか、皆知っていたのですか」

この中で、事を知らないのは衙夏だけであった。他の者はいたって冷静である。

「残念だが、大業には犠牲がつきものだ。彼等は彰の為に死んだ」

瀑鈳は冷めた目で卓上のただ一点だけを見つめている。

「将軍、あなたは何をしようとしているのですか!?」

衙夏の瀑鈳を見つめる目には厳しさと共に焦燥も含まれていた。


 その時、頃合いを見計らったのように戸の向こうから、参りましたという見張りの甲高い声が上がる。

通せ、と瀑鈳が言うと、戸が開き外から同伴者と共に小さな少年が怯えた様子で中に入ってきた。衙夏は何事かとその幼気(いたいけ)な少年をそのままの厳しい目で見つめる。

「つ、連れて参りました……」

廉毅が拱手し汗を滝のように垂らしながら恐々と言う。

「駿、お前は兵舎に戻っていい。それと、人払いを頼む」

「か、かしこまりました」

廉毅は恭しく了解すると、些細に不思議がる仕草をしながら外へ出て行った。戸を閉め、少しすると辺りの物音が聞こえなくなった。暗澹たる静寂の中に流れる圧迫された間、子琳の渇いた喉がなる。

 すると、突然瀑鈳並びに衙夏以外の部将は地に片膝を付け、手を組んで敬仰の礼をとった。立ったまま唖然とする衙夏も悟ったのか慌てて地に片膝をついて、この少年に(こうべ)を垂れた。

そして、瀑鈳があの快活な声量をもって怯える子琳に告げる。


「先ずは、非礼を謹んでお詫び申し上げる」

子琳はこれにどう対応してよいのかわからずうろたえ、敬礼してなお逼迫(ひっぱく)し、威圧めいたこの集団に若干の恐れを抱いた。龍は人より格上の生き物である。龍と人には決定的な境界があり、超えてはならぬ神聖さがあった。それはいつ流布したのか遥か古来からの決まり事であり、滅多に市井(しせい)の人間と交わるものではないというのが常識である。だが、雛龍であるはずの子琳にはそういった扱われ方にはどうにも抵抗感があった。気恥ずかしいというか、自分にそこまでの価値があるとは思っていないようである。

「頭をあげてください……」

そこで彼らはやっと首をあげた。


「龍よ、我らに助力していただきたい。彰国を常道に正し、ひいては戴邦の安寧の為に」

薄ら闇の中、瀑鈳の鋭い眼は鈍い朱光を帯びていた。

挿絵(By みてみん)

帷幄の臣:参謀

縊殺:首を吊って殺すこと

麾下:大将に直接命令される部下

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