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戴邦物語  作者: 龍本 明
彰を慮るは
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飛龍乗雲  《Ⅰ》

 人の絶叫が深夜の暗闇でまるで洞穴の中のように閑寂の街にこだましている。その中で子琳は一人打ち震えていた。

一方で傍らの人物は不満そうな笑みを浮かべている。

そして、子琳の心はかつてないほどに動揺していた。


「あの怪物は何ぞ」


――今、僕は何をしているのだろう。


「と、檮杌(とうこつ)と申します」


――どうしてこうなったのだろう。


「奴の血は不老不死か」


「いえ…」


――今晩だけで無関係な東瀛の人間を4人も堕とした。


「ふん、またただの蛮獣か」


――どうしてこうなってしまったんだろう。


「人の性とは獰猛よの…。かくも醜くなってしまう。人はどこでも変わらぬ」


――(しょう)を助けたい。そのために、今こうして人を堕としている。


「子琳よ、早く不老不死の血をもつ獣を献上せねばならん。こうなればあれをやるしかなかろう。早う彰国に出兵してほしいのだろう?」


――どうして僕はこんなことをしているのだろう。


「…」


子琳は天を仰いだ。戴邦では綺麗に見晴らせた星空は、ここでは、淀んで見えない。


思えば、全ての始まりはあの瀑鈳(ばくあ)との出会いであった。

静かに目を閉じ、子琳はあの頃に思いを馳せた。本当にあれをやるべきなのかを自分に確かめるために。





三年前――。


 頭の鈍痛で目が覚めた。

まず最初に感じたのは藁の匂いと頭に当たる堅い枕――。

ゆっくりと、長い間閉じられてべたりとくっついた瞼を開き、凝り固まった首をギュッと捻って辺りを見回した。

霞んだ眼を擦りながら、まず最初に粗末な木の卓子(つくえ)の上に置かれた自分の装束が目に入った。

数秒間それを見て、自分の服が木綿の薄汚れた衣服に変わっている事に気づくと

慌てて上体を起こし自分の指を見た。

そこに填められているはずのものがない。

敷かれた藁を脇にどけ、まだ痺れが残る身体を気にも止めず

木板を重ねただけの寝床の回りをぐるぐると探し回ってみたが結局見つからなかった。


――あれがないと帰れないのに……


 途方に暮れると大きく溜め息をつき、朽ちた木窓の前の一段高くなっている床に腰をかけて冷静に自分の置かれている状況を飲み込もうとした。

所々ひび割れた土塊の壁に囲まれた部屋は湿っぽく、薄暗い。

六畳ほどの部屋にはこの藁の寝床と、卓子(つくえ)と、書簡が詰まれた棚に、簡素な背のない丸椅子、茶褐色の(かめ)だけでありとても質素な様子だった。子琳にとっては全く身にも頭にも覚えのない場所である。

栓で固定されわずかに開いた木窓からは、ほのかに明るい外からの光が差し込み、ぽたぽたと地面を叩く雨音が聞こえる。

頭を軽く掻いて、どうして自分がこんなところにいるのか、目を覚ます前のおぼろけた記憶を拳を頬に当てながら辿ってみた。


 あの場所に降り立ったあと、街が燃えていて……知らない男達に捕らえられて……青い光が森に落ちて……その後の記憶がない。

そうか、――あの徼恍(ぎょうこう)を見て気を失ったのか。

今思い出しても心が震える。なんと美しい光景であったことだろう。

龍も起こせると言われるが、あの規模となると自然の偶然に頼るしかない。うらうらと記憶を掘り起こして、かの美景に浸っていると、突然目の前の立て付けの悪そうな木戸が軋む音をたてて開いた。

ひょっと驚いて子琳は少し構える。


「あ、気がついたのか」

入ってきたのは赤黒い皮甲(よろい)を纏った盛壮な青年。子琳を認めると、ずかずかと部屋に入り、瓶に入った水を柄杓(ひしゃく)を用いて旨そうに飲みだして、それを子琳にも勧めた。


「飲むか?」


 子琳は俯いたまま首を横に振る。喉は渇いていたが、知らない男にいきなり水を勧められて、そんなに易々と飲むわけにはいかない。

男は、そうか、と言うと水を欠けた椀に汲み机に置いた。

「毒なんて入ってないさ。うまいぞ、今朝麓の湧き水から汲んできたんだ」

それでも拒む子琳を見て男は訝しそうに首を傾げた。

「大丈夫、何にもしやしない。その証拠にちゃんと床に寝かしてもらってただろ、寝心地はあまりよくないけどな」

男はグラグラと揺れる丸椅子にどっしりと座ると、椀に入った水をガブガブと飲んで、脇に携えた剣を卓子(つくえ)に置いた。

すると、青年は急に顔を暗くして目を据えた。

「建恭の件は残念だったな。だがな安心しろ、仇は必ず俺達が討つ」

「……建恭?」

子琳は思わず聞き直してしまった。

不思議そうな顔をする少年を見て、男もまた不思議そうな顔をした。

「お前、建恭の民だろう。道端に倒れてた所を瀑吾様に助けられたって聞いたぞ。助けられたのは……えーっと、お前と、あと女の子だったかな」

瀑吾という名前を聞いてあの恐ろしい目が頭にちらついた。あの美しい光景が掻き消されてしまいそうな眼光、蛇に睨まれた蛙の気持ちがわかりそうだった。

しかしながら何か誤解されているらしい。建恭という名前はどこかで聞いた事があるような気がするが、状況を考慮すると、おそらくあの燃えていた街の名の事言っているのだろう。


「いや、僕は――」

と、言おうとしたら、男はその大きな手を子琳の頭に置いて(なだ)めるように

「言うな、建恭であったことは聞かん。惨い話を子供に言わせるわけにはいけないからな」

完全に青年は自分をその建恭の人間と思っているようだ。

 しかし、この男が瀑吾から聞いたという事は、瀑吾がわざと自分の事を伏せているのだろうか。

自分を龍だと言うのも(はばか)られるので、この偽りの設定に合わせた方がよさそうだ、と子琳は判断し、コクリと頷く。男は頭をぶっきらぼうに撫でながら卓子(つくえ)にきちんと畳まれて置かれた子琳の服をチラリと見た。

山吹色の絹の装束。あれだけ吹き付けられた血はすでにどこにも見あたらなかった。


「お前、商人の(せがれ)か?それとも、偸児(とうじ)か?」

青年が疑うのも無理はない。

絹の衣服など普通に暮らしている庶民が簡単に手に入るものではなく、極限られた層の人間しか纏う事は許されない。金持ちでなければ、盗むくらいしか手に入らないだろう。当時は絹一反で家族が一年食い扶持に困らないぐらいの価値があった。


「父は……建恭で塩商(えんしょう)蚕績(さんせき)を営んでいました」

とっさに思いついた嘘の設定を言った。と言ってもどこかで聞いた誰かの肩書をそのまま受け売っただけであるが。塩商とは、塩を作り売ることを生業とする商人のことで、国によっては政治に口出しできるほどの権力と財力をもつ。蚕績(さんせき)とはそのまま、(かいこ)を飼い、その繭から絹糸を紡ぐ職だ。

「へぇ凄いな。ところで名乗ってなかったな。俺は瀑鈳様の下で衛士(えいし)をやってる趙駿(ちょうしゅん)、字は廉毅(れんき)っていうんだ。廉毅って呼んでくれ。それで、お前は……子琳だっけ」


名は伏せていなかったようだ。確かに、龍かどうかはこの名前からは分からない。龍には二つ名があり、それならば龍とわかるかもしれないが。子琳はとりあえず頷いておいた。


「実はな、少しの間だがお前を世話するよう瀑鈳(ばくあ)様から仰せつかったんだ」

「世話?」

「そうだ。と言ってもここからどこにもいかないよう見張ってろってことなんだがな」

要するに、逃がさないように見張りをつけたということだろう。ならば指輪がないのも、逃げないために取り上げたと、想像がつく。


「ここは、どこなんですか」

高鮮(こうせん)の山城だ。……まぁ、教えても差支えないだろう。建恭が成軍によって陥落してな、瀑鈳様は当面の対成軍の最前線拠点としてこの高鮮を選んで、今は近隣の城からの援軍を待っているんだ」

子琳に嫌なものが過る。

「ここも……建恭みたいに」

だが廉毅は軽く笑ってこれを否定した。

「安心しろ。この前、成のやつらに俺達が大打撃を与えてやったから、そんな簡単にここは落ちないさ。しかも守将はあの瀑鈳様だ。知ってるだろ?瀑鈳様が籠って落ちた城なんて一個もねぇ。まぁ……今回(けんきょう)はしょうがなかったんだがな」

子琳は、熱く語る廉毅の瀑鈳に対する信頼を感じ取った。そこで、少しでも情報を聞き出そうと建恭の民になりきった気持ちで少し熱っぽく、

「しょうがなかったってどういうことですか!?」

と、演技の怒りをぶつけてみた。廉毅は少したじろぎ、

「……うん、まぁここだけの話なんだが、実はな……」

と、辺りを見回して小声で話そうとしたところ、


駿(しゅん)!喋りすぎだぞ」

快活な声が土間の入り口から響いた。その瞬間廉毅は顔をぴしゃりと歪めて、急いで立ちあがると入口に向かって(うやうや)しく拱手する。廉毅に隠れて見えないが、子琳には声を聞いてすぐにわかった。


――瀑鈳(ばくあ)だ。

子琳の体は一瞬にして硬直した。

檮杌:虎に似た体に人の頭を持っており、猪のような長い牙と、長い尻尾を持っている。尊大かつ頑固な性格で、荒野の中を好き勝手に暴れ回り、戦う時は退却することを知らずに死ぬまで戦う。


偸児:こそどろ、すり

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