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戴邦物語  作者: 龍本 明
始まりの霹靂
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綺麗。  《Ⅰ》

 月が綺麗な夜だった。

群青色を少し足したような黒々とした天には、いつもよりも少し大きく見える黄月と、その月を中心にして散りばめられた星々が微かな色を帯びてからからと輝き、

大地に佇むゴツゴツとした褐色の岩肌を静かに照らして、淡い影を作っている。

そして深夜の気持ちのよい冷たい風が彼の白い肌を優しく撫で、長めの後ろ手に結った黒髪と山吹色に染め上げられた絹の装束を靡かせた。

その風が、彼がいる岩山の眼下に広がる木々の梢を揺らし、暗緑のさざ波を幾重にも起こして、葉の擦れる音を辺り一面に響かせている。

この場所から眺めるとまるで緑の海のようだ。


 彼はここからの眺めをとても気に入っていた。

稜線(りょうせん)が連なる山に囲まれた盆地に鬱蒼と広がる森のほぼ中央、そこに切り立った岩山が三つほど隆々と(そび)え、

その頂上からはどこかへと繋がる山道に、地平線まで敷き詰められた森と空との境、さらには小高い山の斜面にへばりつくように造られた山城までを一望することができる。

この辺りに住む人は、この岩山を三豊山(さんほうざん)と呼んでいるが彼は知らない。


 三豊山の岩壁には樹齢五十年ほどの若い松が何本もがっしりと幹を伸ばし、

僅かにある平らな場所にはふっくらとした芝が所狭しと生い茂っている。

雲がない日にはそこに寝転がって、星と星を結んでいろいろなものを描いてみたり

山城の中に見える外灯の光の数を指折りして数えながら、あの街の中にはどのくらいの人が住んでいるのだろう、とか

どんな生活をしているのだろうと考えるのが最近の楽しみになっていた。

この城の名を建恭(けんきょう)というがこれもまた彼は知らない。


街は山の麓から二重になって中腹まで連なる城壁に堅く囲まれ、城壁と城壁の間からは大きな建物の煌びやかな屋根や尖塔の頭が飛び出しており、

その高低差を利用して内壁を隔てて二段の階層に分かれ、外壁には東西南に鉄の門扉を構えている。

そして商店や家屋が建ち並ぶ街路は綺麗に区画され、さながら二段重ねた碁盤のようであった。

上の階層には、政庁らしき豪壮な建物が立ち並び、城墻(じょうしょう)旗幟きしを何本もはためかせて重々しい威厳を放っている。

比較的大きな街であることは彼にも理解できた。


いつもは、細い指を使って街灯の数を三百くらいまでは数えてみるのだが、その数の多さに途中で混乱してわからなくなり、ついには飽きて仰向けになって星で絵を描くのが常であった。

だから今日こそは数え上げてやろうと意気込んでいたのだが、この場所に降り立った時、その意気込みは握りこぶしと共に解けてしまった。

幾つもの大きな火柱が凄まじい噴煙をあげて街を覆い青黒い空を紅に染め上げていたのだ。

少しばかり街から視線をずらせば、街へと続く山路には点々と松明と思われる光が列をなして右往左往している。彼がここに来た時にはすでに街の半分以上が火焔に呑まれ、

燃える城を囲む影の群から沸き起こる鬨の声や、鼓角(こかく)の軍声が風の空を切る音を掻き消すほどに月下に響き渡っていた。


――たくさんの人がいたのに。


彼はそう呟くとさびしげに煌々と炎上する街並みをじっと見下ろしていた。

すると、思いもよらない言葉が口から出た。


――綺麗。


はっとして思わず出した言葉を呑みこもうとした。

そして、そんな言葉を発してしまった自分を少し恥じ、目を瞑って首を横に振る。

暗黒の中に煌めく焔の群は、彼に美を感じさせるほど家屋を種火に綺麗に燃え盛っていた。煌々と、粛々と。

彼はあの街で起こっているだろう惨劇を想像し、ここは感動ではなく悲哀を感じねばならないと何度も心に念を打ちつけて、再び瞼を開く。

だが、やはり彼の眼に映る光景は彼に悲しみではなく感動を心に呼び起こさせるのだった。

情景としての美しさと言うよりも、むしろ滅びの美と言うべきなのだろうか、なんとも形容し難い感情が彼の心を強く打ち、胸がいっぱいになりそうだった。そして涙が頬をつたう。

そんな自分に小さな苛立ちと驚きを覚えながら数えそびれた手で軽く鼻を摩り、ぼーっと感慨に浸っていると突然噴煙の矛先がこちらの方に変わり、突風が森全体を吹き抜けた。

先ほどまでの木々のさざ波は途端に荒れ狂う大波へと変貌し、彼は吹き飛ばされないよう足を踏みしめ、煙が目に入らないよう顔を長い袖で覆いどうにか街を見ようとした。彼はその街の最期を見ておきたかった。

突風は街の火柱を一層燃えあがらせ、ついに街の一番大きな建物までもが炎上し始め瓦解した。


 盛隆を極めると思われていた彰王朝が衰退し、各地で諸侯が自らの領分の拡大を狙って争う戦乱の時代、このような光景は決して珍しいものではない。建恭もまた他国の侵略を受け戦火に巻き込まれたのであった。彼にもそれはわかっていた。だが分かっていながらも、どうしてか美しかった。


 長い突風が止み、顔を覆っていた腕を力なく落とす。強風で街の火はその火種を殆ど消費し尽くし微かなものとなっていた。

そしてこの岩山の頂まで生き物の焼けたような臭いが届き、彼は思わず鼻をおおってしまう。焦げ臭く、血生臭い。一瞬にして醜悪な現実の惨さに引き戻され、彼の滅びゆく街に対する憧憬(どうけい)は薄れてしまった、興が冷めたと言ってもいい。とにかく今までの感情の昂りは抑え込まれ、人並み以上の嗅覚をもつ彼は、すぐにでもこの場を離れたい気持ちが強くなった。

そして小さな溜息をつき、この場所に訪れることはもうないだろう、と最後の一瞥をくれて彼が(きびす)を返そうとしたとき――、一瞬(うなじ)に針先が刺さるような刺激を覚えた。


刺激の原因を確かめようと首に手を伸ばすが、触れる前に手は意思に反してピタリと止まり突然の痺れが身体を縛り付け、同時に手足の感覚が遠くなった。

彼は街の方角を向いたまま直立不動となり、わずかに動く目を瞬かせる。

一体自分の身に何が起こっているのか状況が掴めない。動揺が呼吸を荒くし、思い通りに動こうとしない脚に意識を集中させるにも手間取った。


すると、後ろから聞いたことのない男の声がした。

「やった、効いた!」

続いて何人かのどよめきにも似た声があがる。彼はさらに狼狽し、ここへ来たことを酷く後悔した。

「捕えたぞ!」

襟を掴まれて地面に引き倒され、そのまま仰向けにされた。そして(くび)には月の影を端に写しとるほどにギラギラとした短刀が突き付けられ、完全に動きを封じられてしまった。

彼はもっと後悔する。さっきとは違う涙が目に溜まり頬を零れた。

そして、針先のような痛みがこの痺れを引き起こしたのだと混乱した頭の中でなんとか悟り、解を得る。


――吹矢の毒。


 麻痺薬を仕込んだ毒矢を首に撃ち込まれたのだろう。しかし、この風の中で当てるとは恐ろしい命中力である。彼は少し感心してしまった。

さらに彼を麻痺させるほどの毒となれば、そこらの毒では役不足である。となると、彼に対して用意されたことは明白であった。雛龍(すうりゅう)である彼を。


 何をされたかがわかっても、手足が思うように動かせない彼にはすでにどうしようもなく、恐る恐る天を見やると、六人の赤黒い甲冑を着込んだ男達がまるで彼を狩った獲物の取り分を相談しているかのように見下ろし会話している。

顔は光源である月を背にしているためよくはわからない。内一人が隣の長髪の男に言う。

「本当にこんなガキが雛龍なのか?俺達にビビって泣いちまってるぞ」

その長髪の男は赤い羽根をあしらった兜牟(かぶと)を脱ぎ、片膝をついて彼の顔を覗き込んだ。

「確かに雛龍だ。この紋様の装束と、左中指にある玫塊(ばいかい)が填められた指輪、そして右腕の(しろがね)臂環(ひかん)、まさしく伝承にある通りだ」

玫塊とは赤い(たま)、臂環は腕輪でのことである。月光がその男の顔を半分照らした。肩まで届く黒髪に鋭い鷹のような(まなこ)、整った髭鬚(ししゅ)、比較的若く見えたが今の彼にはそんなことはどうでもよく、一刻も早くこの危機的な状況を打開できる情報が欲しかった。


 彼の頸に刀を突き付けている男が弱気な声で長髪の男に言う。

瀑鈳(ばくあ)、やはり不味いのではないか。いくら国のためとはいえ仙獣である雛龍を利用するというのは」

どうやらこの瀑鈳という男がこの六人の長らしい。瀑鈳は怒気をこもらせて言う、

「建恭も陥落した。彼奴(きゃつ)らの城民に対する凌辱を見ただろう。最早我々に残された時間は少ない、手段など選んではいられないのだ」

瀑鈳が目を離している隙に強張った頸を傾け全員を見渡すと瀑鈳を含めた三人の甲冑は所々破損して血のようなものが付着し、それぞれの顔は月光で陰影が現れるほどに痩けているようだった。


――しかし、と瀑鈳の後ろで腕を組み顎鬚(あごひげ)を蓄えた大男が快活な声を出して笑った。

「まさか本当に雛龍がこの地に降邦(こうほう)しているとは思いもよらなかったぞ。俺達は悪運が強いようだ。まったく、一月森を探し回った甲斐があったというものだ」

「あぁ、この地を離れる前に捕えることができてよかった。匡鉄(きょうてつ)、大手柄だ」

どうやらこの者達は以前から彼を狙っていたようで、あの街に何らかの関わりを持つもののようだ。

瀑鈳は彼に向き直り胸の前で手を組み合わせて拱手(こうしゅ)した。

「事態は急を要す故に、正礼は御赦免下され。神祖(しんそ)御子(みこ)に対しこのような無礼、本来ならば赦されるものではないことは重々に承知している。だが今の我々にはあなたの力がどうしても必要なのだ」


 どこか高圧的な声と態度に彼はお願いされているのにも関わらず怖気づいてしまった。無礼も何も彼にとってこの男達は単なる野蛮な人間である。力を貸すどころかこの場から逃げたい一心であり、頼まれごとなど請け負うはずもなく必死に目を逸らそうとした。

答えない彼に対し瀑鈳はさらに、

「……雛龍ならば、あの毒程度なら声ぐらいは出せるはずだ。そうだな、名は何と申されるか。私は彰国第三軍将帥(しょうすい)瀑鈳(ばくあ)と申す。これらの者は私の配下と私と志を等しくする者達だ」

優しさの裏に押し迫るような気迫を孕む声は、狼狽した彼に強迫観念を植え付けるのに十分な威力を有していた。そして沈黙が続く。

瀑鈳は無理に笑んだような表情を全く崩さずに彼の返答を静かに待っているようだった。


 睨み合ってどれくらいの時間が経っただろうか。恐らくちょっとした間なのだろうが、

彼にはとてもその張り詰めた間を耐えられそうになく、ついに折れてしまった。

なんとか目を逸らし、震える小さな声で、

「……子琳(しりん)

と、精いっぱいの力を振り絞って答えた。

瀑鈳(ばくあ)はそれを聞いてわずかに口角を押し上げ微笑をつくり、再び拱手した。

「あいわかった。では一先ず、我々と共に高鮮(こうせん)まで来てもらうがよろしいな」

高鮮とはここから一番近い城塞のある地名であるが、彼――子琳は知る由もない。

そんな所へ行きたくはないと首を横に振ろうにも、瀑鈳の冷たい目がそれを制した。

子琳は彼等の甲冑に染みついた血の臭いが怖かった。そしてこれから何をさせられるのかという不安から手足が痙攣したように震える。

さっきまで安全な場所で傍観者でいた自分が、一転して頸元に刃先迫る被害者になってしまう事にある種の無常を感じたことだろう。


 頸元に揺らめく切れ味の良さそうな短刀。斬られれば痛いはずだ。自分を利用して用が済めば殺すだろうか。ここで拒めば殺すだろうか。あの冷徹な笑みは何か裏があるのか。

などと、あらゆる不安が走馬灯のように頭を巡る傍らで、ある一つの事実に気付く。手足に感覚が戻り始めてきたのだ。元々龍は、毒というものにある程度の耐性がついている。その生物を超越した肉体は、毒を体内で無毒化してしまうからだと言われているが定かではない。龍自身すらよくは知らないのだから人の知る限りではないだろう。

動かなかった指を彼等に気付かれぬように屈伸し、次の行動への精度を確かめた。

――いける。

脱出への希望が湧く。だがその為には彼等の隙が必要となったが、いずれも歴戦の熟練者と見え一向に隙を見せる様子がないどころか、要らぬ行動をとれば女子供でも容赦なく殺してしまいそうな、そんな殺気に漂っていた。それは彼等の追い詰められたような表情からも(うかが)い知ることができる。

子琳は思うように動かない身体で隙など作りようもなく、ただ外界からの奇跡を願うしかなかった。


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