華胥之夢
一羽の蝶がひらひらと朝堂の柱を縫って舞う。
朱色の柱の間からは穏やかな光が差し込み美しい装飾が施された堂の中を仄かに照らす。その淡い光の中に何人もの正装をした人が玉座に座する人を仰いでいました。
「華胥という国を知っておるか」
王様が左右の臣に尋ねました。
「はい、存じております。西瀛の更に西にあるという国でございましょう。華胥の国民は慾に囚われず、全てが自然であり、とても満ち足りていると聞いております」
王様の一番近くに並ぶ臣が拱手して答えました。
王様は玉座の下に居並ぶ臣下を一通り見渡すと、満足げに言います。
「今日、私は黄帝のように華胥におる夢を見た。素晴らしいところであった」
臣下は一同に顔を見合わせ、やがて装を正し一人が言います。
「それは大変ようございました。華胥の夢は吉夢であるといいますから、きっとよいことがございましょう」
王様はそうかそうかと言って蓄えた立派な髭を扱きました。
「戴四邦を統べ早や五年、私は戴の民が充足に満ち足りて毎日が安らかに過ごせるような国を造りたいとかねがね思っていた。仙帝も私にそのような素晴らしい国になるよう華胥の夢を見せたのだろう」
座していた臣下の何人かは顔を曇らせた。それに気付いた王様がどうかしたのかと尋ねます。そして老齢の臣が言いました。
「恐れながら、近年の度重なる公共事業で国の金庫は底を尽きかけております。そしてその徴発で人民は我ら彰に対し怨嗟の声を上げていると、この宮中まで聞き届いておりまする。まだ諸邦を平定してわずかです。地方では滅ぼした国の王族が機がないかと虎視眈眈と窺っています。ですから国の礎を固める為にも事業を一旦中止し、時をおいて時勢を考慮して行うのが賢明かと」
王様は見るからに不機嫌な顔をした。その臣は拱手したまま王様の反応を恐々としながら待っていると、王様は怒りを露わにして言いました。
「全ては民の為の事業である。治水も灌漑も城壁の補修も新田の開発も、全て民の為だ。それに不平を言うのであらば我が国の民になる資格などはない。我が意思はちゃんと下々に伝えておるはずだ。それに国庫の金など、慾に塗れた貴族共が溜めこんでおった宝物を強制的に徴収すればいいことだ。元はと言えば民に重圧をかけて得たものだろう。それを民に還元すればよい」
「それでは王族、貴族達を決起させる口実となってしまいます!地方で反乱が起こりましょうぞ」
他の臣が横から上申すると、さらに王様は激昂します。
「そのようなものは一人残らず捕えて処刑すればよい。私は臣下に恵まれておる。戴四邦を平定した我が軍に挑むというのなら相手になってやる」
「昂竜様、ですがそれでは……!」
老齢の臣が声を上げて諌めようとします。しかし、王様は言います。
「私が目指す理想の国は民にとっても理想の国である。民もそれに気付くであろうし、後の史書にも私の功績が称賛されるであろう。華胥のような素晴らしき国にする為には多少のこともやむを得ないのだ、よいな。これ以上言うのであるならば、我が国の臣下と認めぬ。この場で斬る」
臣下は一同に黙りました。参列する臣の中には袖を濡らすものもありました。王様は言い終わるとまた立派な髭を扱き始め、司農に貴族から宝物を徴収するよう命を出します。
その老齢の臣は嘆息して空を仰ぎました。
「戦乱が終わってもまだ民は堕ちてしまうのか……」
蝶はひらひらと宙を舞っていましたが、やがて四阿を抜け、国内随一の庭師によって丹精に施された庭院を穏やかな風に吹かれて優雅に泳ぎ、そして忽然と消えました。
章初元年、彰王昂竜の治世でありました。
西瀛:中国のこと
黄帝:中国の太古の聖王。




