こうりゃくたいしょーそのいち
呟いた青年に、奏音はさも“今気づきました”という風に振り返った。
「あら、凛。いたのね」
「気付いていただろう。というか奏音、義妹ってどういうことだ。俺は聞いていないぞ」
「忘れていたわ。ごめんなさいね」
しれっと言う奏音に、青年――凛はピキッと青筋を立てる。やはり聞いていなかったらしい。
しかしそれを無視してレイに微笑みかける奏音。
「レイ、さっそくアナタの部屋に案内するわ。気に入ってもらえるといいのだけれど」
「おい、聞け奏音。お前絶対わざと教えなかっただろ」
「お茶も入れさせましょう。部屋に行った後は、中庭でティータイムなんてどうかしら」
「奏音、お前俺を無視するとはいい度胸だな。こっち向けってンだおい」
「さあ行きましょうレイ! こっちよ!」
「聞けって言ってんだろうがこっち向け!!」
とうとう凛がキレた。
目を釣り上げて怒るその姿は、大人も逃げ出すほどの冷酷さを纏っていた。イケメンの怒り顔って恐ろしい。
「あらまだいたの凛」
「お前……」
それに対して我関せずという態度を貫く奏音は大物だ。なんと素晴らしき精神かな。
(……いや、違う?)
レイは、奏音の声に微妙な震えがあることに気付く。
抱きついた体勢のまま、怒る凛と軽口を叩く奏音の顔を覗き込んだ。
その瞬間、先ほどの“心当たり”が確信に変わった。
瞳。目を凝らさなければわからないほど細かく震えている。瞳孔が開いて、どこか怯えているようにも見える。
ブレス。浅く少し早い息。緊張を意味する無意識の呼吸。
声。言葉の端々が不自然に震えている。巧妙に隠された恐怖心ゆえか。
レイは小さく息を吐く。
(奏音お姉様、早くここから離れたほうがいいね)
素早く判断を下たレイは、奏音に抱きつく腕に力を込めた。
驚く奏音に、にっこりと笑みを見せる。
「奏音お姉様。ワタシ、早くお部屋に行ってみたいですっ」
奏音は突然のことにきょとんとしていたが、レイが小首を傾げてみせると、意図を察してレイの腕をとった。
「そうね。行きましょう、案内するわ。……そういうわけだから、凛。今日はもう帰っていただけるかしら」
「……ああ」
頷いた凛を見て、さっそくとばかりに奏音は歩き出す。
レイは凛に一礼してから奏音を追った。
やけにあっさり引き下がったな、と思いながら。
案内された部屋は、一般家庭のリビングの十数倍はあるような広さだった。大型バス二個分はゆうゆうと入るだろう。
なんちゅう部屋持ってんじゃい、と思っていたら、あらこれでも小さい方よと言われた。これ以上大きいって……いや別にこの部屋でいいですお姉様。この部屋気に入ったんです。ここがいいんです。だからお願いそのスマホしまって他の部屋の手配とかいらないから。
家具のひとつひとつは高級品だと一目でわかる。その上レイの好み――シンプルだけど地味でないデザイン――なのだから驚きだ。
いっそ開き直ったレイは部屋中のことを、満足するまで奏音に質問攻めした。
五分ほどして満足したレイは、中庭で奏音とティータイムを楽しんでいた。
「ありがとうございます、奏音お姉様。あんな素敵な部屋、嬉しいです」
「ふ、ふふふ……気に入ってもらえたなら、よかったわ」
先の質問攻めで疲労した奏音は、薔薇の香りが漂う紅茶を飲みながら苦笑する。
レイもマカロンを齧って、ふうっと息を吐いた。
甘いチョコレートの味を堪能しながら、どう本題に入ろうか思案する。
そしてやっぱりストレートに訊くのがいいか、とマカロンを嚥下した。
ぺろりと口の端の欠片を舐め取って、ド直球にズバッと切り込む。
「奏音お姉様。凛という青年は、攻略対象ですね?」
核心をついたレイの言葉に、奏音はわかっていたとでも言うかのように弱々しく笑った。
「ええ、そうよ。しかもメインヒーローなの」
先日この世界のついて教えられたとき、攻略対象の特徴のついても、少しだけ教えられていた。
この世界のメインキャラクターは、皆宝石の瞳をしている。
そういえば奏音はエメラルドのような緑、話に聞く愛衣はピンクダイヤモンドの瞳だ。作品のタイトルに合わせたのか。
凛はサファイアの瞳をしていた。加えて上階級のイケメン令息。明らかに攻略対象だ。
その仮説は、奏音の怯えたような態度が裏付けた。
ような、ではなかった。本当に怯えていたのだ。――いずれ訪れるかもしれない、破滅の先の彼に。
ふむ、とレイはひとつ頷いて、すぐにアッと声を上げた。
「奏音お姉様。彼の名前は? そういえば知らないです」
「あら、凛、自己紹介しなかったのね」
頬に手を当てて小首を傾げる奏音。
「彼は北条凛。日本四大財閥のうちのひとつ、北条財閥の御曹司よ」
日本四大財閥の御曹司だったか、とレイは紅茶を飲みながら納得する。
やはり上階級の令息だったか。あの立ち振る舞いはかなり洗練されていたから……………………。
ん? とレイは思った。
思わずスルーしてしまったが、いまこの人はなんと言っただろうか。
「…………日本四大財閥?」
「ええ」
「……………………つまり、国内でトップクラス?」
「? そうなるわね。あら? もしかして話してなかったかしら、この世界の社会情勢について」
レイは突っ伏した。先ほどのイケメンくんは、なんと日本規模のお金持ちだったらしい。さすがにそれは予想してなかった。
ちなみに後から知ったことなのだが、その四大財閥には西園寺も入っている……というか、一番デカいのが西園寺らしい。国一番のお金持ちの養子になったと知った時のレイの内心の荒れ具合たるや。ブリザードも真っ青な荒ぶりだったと後に彼女は語った。
閑話休題。
とにかく、なんとしてでも即急にこの世界の常識を学ばなければいけない。でないといつかぜっっったいにとんでもないミスをやらかす。
…………もうしている気もしないでもないが。
気を取り直して、この世界……というか、ホセコイについて教えてもらうことに。
まず、攻略対象について。
「攻略対象は全部で四人よ」
まずは一人目。メインヒーローこと北条凛。
クール系イケメンで女嫌い。ただしヒロインは別。恋した後は、誰よりも甘々になる。
瞳はサファイア。原作開始時での年齢は十七歳で、頼れる優しい(ヒロイン限定)先輩。
攻略対象の中で一番好感度が伸ばしにくいのが彼。
攻略開始時はツンツンどころじゃない。ガッチガチである。
例えば入学してすぐのこと。彼は昼食を校舎裏でこっそりと食べるのだが、そこにヒロインが偶然居合わせる。
一緒に食べてもいいかと訊いた時の返答がこちら。
『誰がお前なんかと食わなきゃいけないんだ。とっとと失せろ。クソビッチはもううんざりなんだよ』
はい、アウト判定頂きました! 攻略どころじゃない女嫌いですね。
この後ヒロインが毎日校舎裏に通い詰めれば好感度が少しずつ上がっていく。だがこの言葉に心が折れた数多のゲーマーたちは、この時点で攻略を諦めた。そうするともう凛からの好感度は永遠に上がらなくなる。
ギリギリ心を守り切ったゲーマーたちが十日ほど校舎裏に通い詰めると、凛はそれからは校内の至る所に隠れる。屋上とか木の上とか。
曰く、女と食事とかやっぱ無理、と。
しかし焦ってはならない。彼がいなくなってからも校舎裏でボッチご飯を選択した猛者だけが、二週間ほどしてから様子が気になって戻ってきた凛の好感度が上がる。
といっても、好感度マイナスから好感度ゼロになるだけだが。
それから一緒にご飯を食べるようになって、好感度が本格的に上がっていく。
バッドエンドはない。ただしその代わり、好感度が下がりやすいため、行動の選択は慎重に。
ちなみに彼の女嫌いの原因は、婚約者の女らしい。
八歳児だった凛に一目惚れした令嬢が無理矢理彼と婚約を結んで『これで彼はわたくしのものよオーッホホホホホ!』し、会うたびにわかりやすくしなを作る様子が吐き気がするほど嫌いで、ついには女嫌い症候群を発症。
家柄の問題で婚約を破棄することもできず、地獄のような幼少期を過ごしたという……――――。
補足だがその婚約者令嬢の名前は、西園寺奏音というらしい。
「…………………………………………」
『へえーそんな過去があったんだ。うっわ可哀想ー』と思っていたレイは、告げられた名前に暫し硬直した。
目をかっ開いて固まり、微動だにせず十数秒。
「奏音お姉様ァァァーー!? あの無礼男がお姉様の婚約者なのですかっ!?」
「違うわ!? あくまで原作の話よ!」
ギャアギャア喚くレイに、奏音は必死に否定する。
ついさっきまで可哀想とか思っていたのに、手のひらくるっくるである。
十分間の攻防の末、なんとか奏音から誤解を解かされたレイが、ふとひとつの可能性に気付く。
「ねぇ、奏音お姉様。原作のお姉様は、北条凛の婚約者だったのですよね? ではもしかして、婚約者という立場を使ってヒロインを虐めたりしていたのでは」
「? ええ、そうね。確かにそんな描写があったわ」
「…………であれば、もしかしてワタシ、あの男と婚約しなければいけないのでは」
奏音は言葉を失った。目を見開いて絶句する。
レイは奏音の代わりに、原作の奏音と同じ行動をとる予定だった。そしてその行動をとるためには、北条凛の婚約者でないといけない場面がある――
「いえ……いえ! だっ大丈夫よ!」
ガバッと立ち上がって、力強く言う奏音。
「もともとわたしは原作とは違う動きをしていたもの! 婚約者でないなんて、そもそも悪役が違うのだから仕方ない! そう、仕方ないのよ!」
「奏音お姉様……!」
「というかあんなヘタレ男に可愛い可愛いレイをやるなんて、とてもじゃないけど許容できないわ! レイが欲しければ、まずはわたしを倒しなさいな!」
「奏音お姉様……??」
段々とシスコン化していく義姉に困惑気味なレイだった。




