呪いの愛人ノート編-4
翌朝、フローラはいつものように早起きをし、キッチンで蒸しケーキを作っていた。今日はチョコレート味ににしたため、キッチンの中はいつもより甘ったるい匂いが漂う。
アンジェラにも手伝って貰い、三、四人分の蒸しケーキを作った。これも調査に使う為だ。今日も劇場周辺に行ったり、夫の元愛人達に会う予定を立てていたが。
「奥さん!」
ちょうど、蒸しケーキを作り終えた時だった。フィリスが小走りにキッチンへ入ってきた。前よりは幾分か落ち着きがあったが、慌てた表情を見せているではないか。
「どうしたのよ、フィリス?」
「いえ、急な来客があったんですが、なんか知らない女で? 誰ですか?」
フィリスは息を荒げていた。
「もしかしてアリス?」
アンジェラは蒸し器から出来上がったものを取り出しながら言う。
「さあ、わかりません。とりあえず客間には通しましたよ」
「わかったわ、フィリス。行くわ。後でお茶と蒸しケーキを適当に持ってきてちょうだい」
フローラはエプロンと三角巾を外すと、足早に客間に向かった。
こんな朝早くに誰だ?
もし第一容疑者のアリスだったら、飛んで火にいる夏の虫だが。
客間に入ると、確か人若い女がソファに座っていた。
アリスでは無い事は直感的に分かった。若い女だったが、でっぷりと太っていた。金色も髪もボサボサで、パンパンな二重顎が痛ましくも見えたが、すぐに誰か分かった。
夫の元愛人のエリュシュカだった。ちょっと前は妖精のような美しい容姿を誇り、夫への未練をぶちまけていた女だったが、今は別人のよう。特に容姿の劣化がひどい。ゴシップ誌で噂されていた事は本当だった。ただし、フローラが呪詛などをした訳ではないが。
「ちょっと、あなた。こんな朝に何の用事?」
フローラはウンザリしつつもエリュシュカの前に座り、事情を聞く事にした。アリスでなかったのは残念だが、この女もペティに脅されていた可能性が高い。いずれエリュシュカにも事情を聞くつもりだったので、手間が省けてラッキーかもしれない。
「うわああ! ごめんなさい!」
なぜか理由は全くわからないが、エリュシュカは頭を下げ、謝罪してきた。
何でもパティからの脅しがキツく、ストレスで過食に走ったそう。あまりにもストレスだった為、これは不貞の報いだと思い、反省に至ったと。
大袈裟に泣くエリュシュカを眺めながら、フローラの目が死んでいく。不幸な目に遭わなければ不貞の反省も出来なかったのか。呆れてため息すら出てくるが、死に逃げしたマムやパティと比べればマシなのかもしれない。
「わあー、この人エリュシュカ? いや、何でこんなの泣いてるんですかー」
フローラは呆れて何も言えなかったが、お茶を持ってきたフィリスはエリュシュカを宥めていた。背をさすり、少しはエリュシュカの涙も落ち着いてきた。
「あなた、そんな泣いていていいの? エリュシュカの祖国は今内戦で大変でしょ。留学とか言ってないで国へ帰ったら?」
「ちょ、奥さん。なかなかキツいですね。泣いて反省しているんだから、許してあげましょう」
フィリスは田舎者らしく寛大だ。エリュシュカの隣に座ると、紅茶を飲ませ、蒸しケーキを与えていた。
「美味しい!」
エリュシュカは蒸しケーキの味が気に入った模様。太い指でバクバクと蒸しケーキを食べていた。無邪気に食べているエリュシュカを眺めながら、この子を責めるのもバカバカしくなってきた。
「それはよかったわ。で、死んだパティの事は何か知ってる?」
フローラは苦笑しながら聞いた。
「特に共犯者の女について知りたい。どんな顔だった?」
「奥さん、似顔絵書いて貰いましょう!」
フィリスのアイデアは最もだった。すぐに紙と鉛筆を持ってきて絵を描いて貰ったが。
エリュシュカは絶望的に絵が下手だった。点と線しかない。絵というよりは図形で、フィリスもさすがに呆れていた。
「仕方ないですよ! 私は絵のプロじゃないです!」
エリュシュカはぶつぶつ文句を言い、謎の共犯者びついて特徴を語ったが、いまいちだ。ピンとこない。
「だったら絵が上手いクロエに描いて貰ったら? パティ達もクロエに脅しに行くとか言ってたし」
すっかり泣き止んだエリュシュカは、重要な証言をくれた。確かクロエは画家だ。夫の元愛人中でも、一番絵が上手い人物だ。クロエだったら、謎の共犯者の似顔絵を描ける? フローラは今日、クロエのアトリエに行く事に決めた。
「ありがとう、エリュシュカ。これで一歩前進した。あなたのお陰よ」
素直にお礼を行っただけだが、エリュシュカは泣きそうな顔をみせた。まるで北風と太陽だ。無闇に罰するよりも、こうして笑顔にしていたら良い事もあるかもしれない。
「お、奥さん。本当ごめんなさい。やっぱり国に帰って、ちゃんと勉強しようと思う……」
あんなに面倒だったエリュシュカも素直に頭を下げ、フローラは拍子抜け。さっきとは別の意味で呆れてものも言えない。
「奥さん、よかったじゃないですか。これで一歩前進です。コンラッドをギャフンと言わせましょ」
フィリスの明るい声が客間に響き、いつの間にか三人で笑ってしまった。




