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毒妻探偵〜サレ公爵夫人、愛人調査能力で殺人事件を解く〜  作者: 地野千塩
第2部・サレ公爵夫人の内助の功〜呪いの愛人ノート殺人事件〜

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疑惑編-7

 思えば、作家としての夫の顔は、フローラはあまり知らなかった。何しろ夫は新婚すぐに不貞を始めた。家に帰って来なくなった。むしろ、夫は作中でフローラをモデルのした悪女をよく書いていたので、彼の作品はいつも印象が悪い。


「ああ、あと数シーンでエピローグだよ!」


 ホテルの部屋につくと、夫は机に齧り付き、原稿を書いていた。カリカリと万年筆の音が響く。


 相変わらず夫は髪も肌も荒れていた。ペティのことがショックでろくに食事もとっていなかったのだろう。風呂にも入ってなさそう。髭も伸びていたし、肩にはフケが落ちていた。今は世間で言われるような美男子ではなかったが、原稿を書いている時の夫は目が輝き、遊んでいる子供のように見えた。


 フローラが部屋に入ってきている事も気づかない様子で、バリバリと白紙の原稿を埋めていた。


 きりの良いところまでフローラは待っている。おそらく、今、ここで声をかけても無駄だろう。


「お、フローラか?」


 ようやく夫は気づいた。フローラが入室してから十分ぐらい経っていた時だった。


「何の用だよ。ま、座ったら?」

「ええ」


 フローラは机の側にあるベッドの上に腰掛けた。夫も椅子の向きを変え、ちょうど向き合う形となった。


「髭は剃ったらいかが?」

「いや、良いんだよ。筆がノリに乗ってな。今の恋愛小説もたぶん明日には仕上がるだろう」

「そう。パティは死んだのにね」


 フローラは失言だったと思ったが、意外と夫は落ち着いていた。


「いや、もう原稿できるって思うと、パティのこともいいかなって」

「は?」

「やっぱり作品のネタとして好きだったんかな」


 夫は乱れた髪をぐしゃぐしゃとかいていた。ものすごく居心地は悪そうに目を伏せていた。夫も自身の発言が良くない事を自覚しているのだろう。


 急にパティも可哀想になってきた。パティも芸の肥やしの一つだったと思うと、同情心すら覚えてしまう。フローラも目を伏せ、意味もない咳払いをしてしまう。


 夫はゴシップ誌のことは知らないようだった。知っていたら、もっと取り乱していた事だろう。それをよく知っている編集者のネイトは、ホテルに缶詰めにさせ、仕事をさせているのかもしれない。


「そ、そういえば蒸しケーキを作って持ってきたわ。知り合いのレシピを参考に作ったんだけど」


 この場は妙な空気になってしまい、フローラは慌てながらバスケットを広げた。そこには綺麗な茶色の蒸しケーキ。表面にはツヤもあり、ふんわりと甘い匂いもした。


「食べる?」

「え、いや。それは」

「毒も呪いも入れてないわよ」


 露骨に猜疑心を露わにする夫。もはや予想通りだった。フローラは、蒸しケーキを千切り、自分でも食べて見せた。


「うん、美味しいわ。これを食べたら、あなたも最高傑作が作れるかも」


 そんな非科学的な事だったが、夫は何か気が緩んだらしい。ふっと笑うと、蒸しパンを自ら食べていた。


 夫は意外な事に美味しそうに蒸しケーキを食べていたが、何か引っかかった。昔はフローラの作った食事も「毒味しろ!」とキレていた夫。あの猜疑心は一体どこへ?


 しかし、こうして目の前で食べて見せたら、コロッと態度を変えて「うまい、うまい」と笑顔。確かにマムの事件から、夫はフローラが作った菓子はよく食べるようになったが。


「いや、なんか縁起良いこと言われたら、運が良くなりそうだしなーって思って」


 夫は言い訳がましくモゴモゴ言葉にしていた。


 もしかしたら、犯人もこの方法でパティにクッキーを食べさせるのも可能か。同じように「運気が良くなるクッキー」などと言って食べさせるのは、可能では?


 問題はパティと犯人の親しさだ。目下の使用人などは無理だ。家族、恋人、親戚、または先生や憧れの人など目上の人物なら、言葉巧みに誘導すれば、パティ自ら死のクッキーを食べさせるのも可能?


「フローラ、何を考え込んでるんだよ」

「いえ、ところでパティのピーナッツアレルギーは、あなた知っていた?」

「いや、それが事件後に初めて知ったよ。カフェではコーヒーばっかり飲んでたし、意外とそういう会話ってなかった」

「そう」

「たぶん、家族と使用人ぐらいは知ってたと思うけど、そんな有名な事実ではないか?」


 パティの話題でも夫はスッキリとした表情だった。もうパティの死については乗り越えられそうだ。


「この事件は殺人だとしたら、犯人はどこでパティがピーナッツアレルギーあるって知ったんだ?」


 夫の声を聞きながら、一つの可能性しか考えられない。盗まれた愛人ノートに「パティはピーナッツアレルギー」と書いた。つまり、愛人ノートの窃盗犯とも同一人物か?


 ずっとパティが愛人ノートを盗んでいたとも思ったが、別の可能性もある?


「あのパーティーの日は、何か不審な人物は見た?」

「いや。というか人が多すぎたし、パティも部屋にいたり、俺がいたバルコニーに来たり」

「パティが書いた遺書っぽいポエムに心当たりは?」

「あー!」


 夫は急に叫んだ。


「な、何よ」

「いや、作品の展開でタイピストのヒロインが心中しようとするシーンがあるんだ。その遺書の内容をパティと一緒に考えたり……」


 つまり、コンラッドが見つけたパティの遺書のようなものは、フィクションだった可能性大か。


「自殺じゃないのか、これは……」


 夫の顔は真っ青だ。


「むしろこれから略奪しようとしていた極悪女が、どういう理由で自ら死ぬの?」

「た、確かに」

「これは殺しよ!」


 まだパズルのピースは揃わず、迷路にハマったような感覚しかしないが、これだけは確かだろう。


「だったら、本当に犯人を見つけてくれよ。さすがにもう愛した女が死ぬのは耐えられない」


 そのセリフは目の前にいる女を傷つけている自覚は全くなさそうだったが、フローラも深く頷いた。少なくとも自殺だと思い込んでいるコンラッドよりは数歩前にいる。完全に迷路ではない。抜け道は絶対あるはずだ。


「あなたも頑張ってよ。最後まで原稿を書き上げるのよ!」


 軽く夫の肩を叩き、励ましていた。本心では夫の仕事について憎いと思ったことは多々ある。それでも今は、素直にそう思う。


 フローラ自身も励まされてきたからだろう。フィリス、アンジェラ、マリー、トマス。この事件でも自分を応援してくれた声や言葉を思い出すと、胸が熱い。夫の事も素直に応援できそう。


「ああ、分かった。俺は俺で自分の仕事を頑張るよ」

「ええ。応援しているわ!」


 さっきまでは妙な空気が流れていたが、今は二人の間は希望が生まれていた。二人とも目元が明るくなってきた。


 ちょうどその時だった。呼び鈴が鳴って出てみると、編集者のネイトだった。走ってきたそうで、息が上がっていた。


「ちょっと、ネイト。慌ててどうしたのよ」

「そうだよ、ネイト。何しに来たんだ?」

「待ってくださいよ!」


 ネイトは息を整えると、深呼吸をしてこう言った。


「『愛人探偵』の重版が決まりました! このスキャンダで在庫がはけましたよ!」

「え?」

「は?」


 ネイトの言う事が信じがたく、夫婦で目を見合わせていたが。


「本当ですよ! 後日重版の見本誌だって持ってきますから!」


 この言葉でようやくネイトが嘘を言っていないと理解した。


「続刊ラインまであと重版一回です! まだ喜べませんが、希望はありますよ!」


 気づくとフローラと夫は手を叩いて喜んでいた。フローラに至っては目尻が涙で汚れるぐらい嬉しい。


「あなた、良かったわ」

「ああ、あと重版一回だ!」


 こうして夫婦で喜んでいると、ネイトはもう何も言って来なかった。


 そうだ、まだ希望はある。こうして重版だって決まった。この事件だって必ず解決できるはず!

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