疑惑編-5
ゴシップ誌の編集部という場所は、ガヤガヤと落ち着きがない。記者達の怒号が聞こえるし、デスクの上は乱雑だ。夫が世話になっている出版社内とは雰囲気が全く違うのが不思議なもの。
次はゴシップ編集部に来ていた。記者のトマスに会うためだったが、応接室は編集部内で仕切りが作られた所だった。部屋というよりは、簡易の自習室のような狭さだった。自習室と違い、うるさいほどに記者達の声が聞こえてはくるが。
フローラがこの編集部に来ると、多くの記者達は「呪詛公爵夫人だ!」と怖がる者が多かった。編集長だけが面白がり、トマスを引き継いでくれてが、決して居心地が良い場所ではない。タバコの匂いもする。一般的な公爵夫人だったら泣いて逃げるかも知れないが、フローラには耐性がついていた。
すっと背筋を伸ばし、応接室のトマスに向き合って座る。
トマスはマムの事件の時に世話になった記者だが、相変わらずだ。汚れたスーツに小太りの体型、それに頭も禿げていた。外見だけ見れば誤解を受けそうだったが、マムの時は約束を守ってくれた。意外と目つきは暖かい男に見える。コンラッドと並んだら、余計に暖かい目に見えるかも。
「これ、クッキーなんだけど、食べる? 見た目は割れてたりするけど、味には問題ないから」
「おー、さっきから甘い匂いがすると思ったが、クッキーか。うまそう。ありがとう!」
トマスは笑顔でクッキーの大袋を受け取り、モグモグ食べていた。よっぽど食いしん坊らしい。子供のように目がキラキラだ。食べ物に弱いタイプだ。マムの時も精一杯高級ホテルでもてなしたら、ころっと手の平を変えてきた。トマスは食べ物で買収するのが一番だろう。
「ところで、このゴシップ記事は何? 私がパティを呪い殺し、元愛人達を不幸になるように呪っているみたいじゃない」
そうは言っても、トマスだってゴシップ記者だ。全面的に信頼もできない。発売したばかりのゴシップ記事を広げ、どういう事か聞いてみた。
「匿名で書いてあるけど、ドロテーア、クロエ、エリュシュカの事もよく分かったわね」
「はは、ちょっと貴族の人脈もあってな。お前さんの公爵を勝手に嫌っているものもいて、元愛人を調べているやつもいたんだ。これはそのタレコミから記事にしたんだ」
「そう」
ため息が出る。夫を嫌っている貴族界隈の連中は何名か心あたりはあったが、事件とは関係ないだろう。昔は嫌がらせもあったが、今は夫も墓穴を掘り、後者家の名誉は地の果てまで落ちている。これ以上、貴族界隈の連中も何しないだろう。
「それにしてもドロテーアは入院、クロエはパトロンを失い、エリュシュカは自慢の容姿が劣化中。元愛人がことごとく不幸になっているが、やっぱり奥さんが呪詛?」
トマスはニヤニヤ笑う。笑うとすきっ歯がも見えるが、明らかに面白がっていた。
「呪詛なんてしてませんって。もうクッキー返してもらうから」
「いやいや、やめて!」
トマスはクッキーの袋を子供のように握り締めていた。よっぽど食べ物に目がないらしい。
「これが記事にしないで欲しいんだけど、女優のブリジッドが夫の元愛人だって知ってる?」
「は? まじで? これはスキャンダルだろ、記事にしないと!」
「それはやめて」
記事にしようとするトマスのクッキーを取り上げてたら、すぐに大人しくなった。次からはクッキーだけでなく、何か甘いものを大量にトマスに持って行った方がいいかも。
「奥さん。でもブリジットは噂があるんだよ」
「噂?」
トマスは小声で教えてくれらた。
「ブリジッドは魔術師ルーナから洗脳を受けているとか」
「本当?」
ブリジッドがルーナに心酔していた事は知っていたが。
「女優って職業もなかなか不安定だからな。見えないスピリチュアルパワーにハマる女優も多いらしいが」
「そう。ブリジッドは元々そういう方面好きね」
確かパワーストーンを買い漁ったり、カルトにもハマっていた。見かけは野に咲く可憐な花のような女だが、中身は農薬まみれの野菜なのかも知れない。
「ブリジッド娘のアリスの娘について何か知らない?」
フローラはマリーのクッキーを予約購入したアリスについて気になっていた。
「さあ。本当にドラ娘っていう噂だよ。なんでも甘やかされて引きこもったり、ギャングとも付き合っていたらしい。ま、見かけはなんというか、存在感なくて、幽霊みたいな子なんだよな」
「アリスとパティが繋がっている可能性はない?」
パズルのピースがハマりそうだが、何か足りない気がする。
「奥さん、今回の件も調べてるんか?」
トマスは大袈裟にのけぞり、ソファがギシっと音をたてた。安物のソファだから仕方がないだろう。
「ええ」
「パティは自殺じゃないんか?」
少し迷ったが、フローラは今まで知った事をトマスに伝えた。愛人ノートやラベルのことも。
「だったら、犯人は元愛人の誰かだろ。パティに脅されて、邪魔になって殺した。筋は達る。よし、奥さん、次は元愛人達を当たれ」
「そうね。そうするわ」
「俺も何か分かったら、連絡する」
「ありがとう」
「まあ、自殺じゃない。呪詛でもないって言う記事出してもいいか?」
「なんのために?」
フローラは首を傾げた。
「犯人の様子を見るためさ。何かアクションを起こしてくるかも知れないぜ」
トマスはニヤリと笑った。今度は歯を見せずに笑っているので、幾分賢く見えた。
「そうね……。これは記事にした方がいいかも知れない」
フローラは、この件については承諾し、トマスと握手を交わした。
「頑張れよ、毒妻探偵。犯人にこのまま逃すんじゃないぞ」
トマスにも励まされてしまった。
「ええ。確実に犯人を捕まえるわ」
もう逃げられない。フローラは決意を固め、ぐっと奥歯を噛み締めていた。




