殺人事件編-5
結局、愛人ノートを盗んだ犯人も不明のまま、Xデーがやってきた。パティの家で開かれる当主の誕生パーティーの日だった。
夫からの招待状は貰っていた。このまま招待状を無駄にするつもりはない。
パーティーは夜から。天候も良く、真夏の割には風もさらりとした日だった。
フローラは、その準備の為、夕方から公爵家の衣装部屋に閉じこもっていた。
ドレスは紫色の派手なものを選んだ。胸元も開き、身体のラインもはっきりと出るドレスだったが、フローラの体型にぴったりだ。背も高く、細身のフローラはどんなドレスも合うものだが、このドレスは有名デザイナーに一から仕立てたもらったもので、余計にフローラの雰囲気にピッタリだ。
黒髪も綺麗に巻き、アンジェラにメイクもしてもらう。
メイド頭として家事能力を発揮するアンジェラだったが、実は美容免許も持っているので、メイクもお手のものだった。
肌を整え、眉毛も太く、はっきりと。アイシャドウはビルー系でまとめると、フローラのキツイい目元は、さらに冷たくなり、近寄り難い雰囲気すらある。
このメイクも計算してアンジェラに頼んだ。これから泥棒猫のパティから夫を取り返す為に行くのだ。可愛く、美しいメイクだけでは勝てないと判断した。
メイクが終わると、鏡の中にいるフローラはいつも以上に冷たい雰囲気になったが、不思議と品よくまとまっている。青系のアイシャドウを使ったのも、下品なメイクをしているペティへの意趣返しという意味もあったりするが。
「アンジェラ、ありがとう。程よくキツく、悪役女優風のメイクありがとう」
「いえ、いいですけど、これでパティは弱気になりますかね」
あくまでもアンジェラは現実的だったが、フローラは深く頷く。メイクも馬鹿にできないはずだ。ここで「健気で可哀想な妻」な雰囲気でいったら、舐められるかもしれない。今日はとことん責めの姿勢でいく方針に決めた。
最後に首元や手首にもアクセサリーもつけ、いつもは外している結婚指輪もつけた。
これで戦闘着は完璧だろう。鏡の中にいるフローラは、まるで黒薔薇のよう。毒々しく、派手な大きな花だ。決して弱くない。むしろ強い。「毒妻」という不名誉な二つ名をつけられていたが、今はその言葉に感謝してしまうほどだった。
「ところでフィリスは大丈夫かしら。うっかりメイドしていないかしら」
容姿は完璧に整えられたが、フィリスに件は心配だった。今日のパーティーの客はかり多いらしく、臨時のメイドも多く雇われていた。その求人票を見つけたフィリスは「何か手がかりが掴めるかも!」と応募し、潜入しに行ってしまった。
「大丈夫。あのフィリスだってマリーの特訓受けてだいぶ落ち着きましたよ」
「そうね、アンジェラ。この件に関してはマリーに感謝しかないわ」
あの後、フィリスはマリーから行儀作法をみっちりと仕込まれ、仕事のミスもほとんどなくなった。前はキッチンで皿も割り放題で給料から天引きしていたものだが、今は一枚も割っていなかった。もちろん、鍵もちゃんと閉めていた。愛人ノートが盗まれた事は、フィリスも少しが責任を持っていたのかもしれない。この件については、もうフィリスを責めないと決めた。
「さあ、奥さん。フィリスの事は大丈夫でしょう。もうすぐ馬車の時間です。行きましょう」
「ええ」
最後に鏡で前髪を確認すると、フローラはアンジェラに導かれ、公爵家の前に留めている馬車へ乗り込んだ。
もう空はほとんど黒くなり、インクをこぼしたような色合いだ。爪の先ほどの月も見える。
馬車はゆっくりと動き出し、パティの家へと向かった。そこは単なる成金の家ではなく、フローラにとっては、戦場かもしれない。
「泥棒猫の好きにはさせない。本妻として負けられないわ。パティなんかに渡すものですか」
馬車の中でフローラは小さな声で呟く。キツい見た目に反し、その声は震えていた。百パーセント自信があるとは言えない。パティや夫がろくでも無い事をしでかす可能性の方が高い。
だからといって逃げるわけにもいかない。負けるわけにもいかない。
フローラは奥歯を噛み締めながら、この戦いは必ず勝つ事を心に誓う。
気づくともうパティの家の前だ。たくさんの馬車が集まり、ちょっとした渋滞状態だったが、フローラはここで降りて、徒歩で行くことにした。
背筋は伸び、しっかりと前を向いていた。このフローラの毒々しい姿にヒソヒソする客人達も多かったが、無視だ。今は泥棒猫のパティとの戦いしか興味がなかった。
「さあ、行きましょう」
毒妻は戦場へ足を踏み入れていた。




